Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

Season's Greeting

2012年11月30日 | Weblog

         

先日年賀ハガキの購入申し込みチラシが郵便受けに入っていた。そういえば、
今年もそろそろクリスマス・カードや年賀状の準備を始める時期が来てしまった。

今年は既に年賀辞退のハガキを2枚受け取っているし、亡くなった友人が二人い
るので年賀ハガキは購入枚数を少し減らそうかと思っていた。しかしカミサンが毎
年少し足りないから多めに買ってくれという。結局例年通りの枚数になった。

クリスマス・カードは数が少ないから手書きだけれど、年賀ハガキはPCで作って
印刷するようになって以来、Edの自筆は宛名だけになってしまった。カミサンは
まだ裏表とも自筆にこだわって、毎年年が明けてから炬燵で何を書こうか頭を捻
っている。^^!

毎年来ていたKalamazoo,MIのJDからは、この2年音沙汰がない。元気でい
るのだろうか・・・こうなると、もうカードを送るのは止めた方がいいのか考えてし
まう。余裕があれば、アメリカ、スイス、イギリスの3ヶ国を一回りして来たいとこ
ろだ。

                                   

今度の正月は娘夫婦を呼んで4人で酒を酌み交わそうか、とカミサンと相談して
いる。いつも日帰りで可哀そうだから、偶には一晩泊まっていってもらおうか・・・
ま、彼等の都合もあるだろうけれど、その方がお互い落ち着いて呑める。

残念ながら娘夫婦には子供がいない。孫がいたらさぞかし楽しいことだろうと思
うのだが、子供は持たないというのが娘の固い決心だから仕方がない。

”自分のような子供が生まれたら大変!お母さんのような苦労はしたくない”とい
うのがその理由である。育て方が悪かったのだ。困ったもんだ・・・(苦笑)

孫のいる札幌の息子夫婦は、正月だからといって、おいそれと家族揃って5人で
来ることも出来ない。まだ当分はSkypeで我慢だな。(笑)

                


2012忘年会(I)

2012年11月29日 | Weblog

 

今日は高校の同窓数人のグループで、今年初めての忘年会。^^!

少し早いのだけれど、来月になるとどこも混んでくるし、それに年末は老人も何か
と忙しかろう、ということで今日になった。

セットした時は7人全員参加の予定だった。もうお互い先が余り長くない。集まれ
るときに集まっておこう、といった半ば年齢を意識した上での全員参加表明だった
ようにEdには思えた。

けれども残念ながら、直前で二人ドタキャンになった。事情はそれぞれであるが、
好事魔多し、やはりもう皆”お年頃”になったわけである。(笑) 

食べ物は、自分が好きなせいか、これまでは割合肉や揚げ物系が多かった気が
する。なので今回は少し趣向を変えてフグ料理の店を選んでみた。

Edの独断だし、ネットで探しただけで、下見もしていない。果たして皆さんのお気
に召すか否か行ってみなければ判らないが、それがまた楽しみでもある。^^!
願わくば、リピート訪問したくなるような店であって欲しいものだ。

                                       

ジャジャ~ン!その店はありました。

古びた木造の、いかにも草臥れ果てたようなフグ専門店が、ネオンの谷間にひっ
そりとありました。一階は昔の「食堂」といった風情の狭いテーブル席。入口を入
った一瞬、ギョッとしたのですが、案内されたのは2階のやや広いテーブル席。

片側が壁だし、通路側は一応簾の仕切りがあるから、スタッフが動き回っても
さほど気にはならない。ま、安いし(飲み代込で一人6500円)、フグだから我慢
しよう・・・^^!

突出しはふぐの皮の酢の物、てっさ、から揚げ、てっちり鍋、雑炊、デザートは
アイスクリーム。大衆酒場に毛が生えたようなフグ専門店だから、まあこんなも
のでしょう。料理はボリュームもあったし、そこそこ美味しかった。

それにしても、ネットで観た店の写真と実際は大違いだぁ!これだから、ネット
の情報はあてにできない。やっぱり一度は下見が必要だな・・・

   


ポトフ

2012年11月28日 | Weblog

                

昨日からまた一週間、カミサンは仕事である。今回は場所が牛久市で近いから、
帰宅はEdと略同じころ。

前回”美味しい”と褒めたせいか、帰りが遅いEdのために今回もポトフを大鍋に
いっぱい作ってくれた。最近はなかなか優しいのである。(何でかなあ・・・)^^!

これが一品あれば、帰ってからの食事の支度が楽である。あとは野菜サラダと
出来合いの惣菜がもう一つあれば、それでOKなのだ。普段から粗食に慣れて
いるから、Edは独りになっても食事で困ることはない。文句も言わない。

が、しかし今回のポトフは一口啜ってみて「・・・うん?」だったのだ。スープに殆
ど味がない。野菜そのものは甘味があるし、素材の味が出ているといえばそう
なのだけれど、スープがちょっと薄すぎた。超関西風・・・なのか?(笑)

カミサン自身はポトフはあまり食さない。なので、作ったとき味見してないのか
も。「味はどう?」って訊くから、「ちょっと薄いみたい」と答えたら、「自分で好き
なように直してね」と云われた。「ハイ、ハイ、わかりました」^^!

先日買った固形コンソメ・スープの素をみたら、まだ開封もしてない。コンソメを
未だ一個も入れてなかったのか・・・? 一箱7個全部いれて、塩を一つまみ。
暫く煮立ててから味見したら、今度はグーだった。

                                  

「煮物も作っておいたから食べてね」という。大根、里芋、コンニャク、一口がん
もの煮っ転がしだった。小皿に一つづつ盛ってテーブルへ。最初にがんも「・・・
ん?」、何かこれも味がえらく薄いみたい。Edの舌が変しくなったのか?

腎臓悪くないし血圧だって正常。減塩を殊更気にする必要もないけど、ま、いっ
か。これは内緒で、醤油、みりん、カツオ出汁で直しておいた。(笑)

もしかして、敵は薄味と出汁の効いた関西風を混同してるんじゃなかろうか・・・

                     


顔馴染み

2012年11月26日 | Weblog

           

毎日同じ電車に乗って通勤していると、何人かは同じ人に出会う。勿論面識が
あるわけではな
いから、こちらが唯先方のお顔を憶えているだけで、名前も素性
も全く分らない。

武蔵浦和から川越行の通勤快速に乗る。電車を待って二列に並んでいる、その
最前列脇に、後からやってきて立つ50がらみ(もっと若いかもしれない・・・)の
坊主頭の男がいる。

黙っていれば極当たり前の勤め人、・・と云っても肉体労働者風の人なのだけれ
ど、電車が少し遅れるというアナウンスがあると、何か時間の計算でもしているか
のごとく数字を並べて独り言をブツクサ呟く。

何を計算しているのか、一度耳をそばだてて聴いてみたのだけれど、Edの頭で
は理解不能であった。^^!

ある日、それと知らない若いサラリーマンが、彼が列に割り込んだと思ったらしく
、文句を言った。すると男は突然喚いた。”ウルセー!”、とか”ナンダ、コノヤロー
!”とか、ブツクサ文句を言う、というより動物が吠えるような感じだった。別に腕
力を振るうというわけではないのだけれど、激しい気迫にサラリーマン氏は吃驚
してしまったようだ。

彼は列に並ばないで先頭に立ち、ドアが開くと下車する人が降りてから乗る、と
いう常識はわきまえていて、先頭で乗ったからと云って空いている座席に向かう
こともなく、必ず反対側のドアの前・右脇に立つ。自分の立ち位置が決まってい
るらしい。

電車は大宮から川越線に入るので、大宮で乗客が大勢入れ替わる。彼はそれ
でも頑強に立ち位置を変えないから、時々乗り込んでくる乗客に押されて中に
押し込まれそうになる。するとまた、例の気迫のこもった声で怒声を発する。知ら
ない人は皆気押されて身を引くから、彼はまた自分の立ち位置に戻れる。

毎日の通勤手順をきっちり決めてあるらしく、それを微塵も曲げないで剛直に守
り抜く。伝統工芸の職人さんみたいな人だ。彼の持っているアルミのアッタシェ・
ケースと可愛らしい花柄の手提げの中には一体何が入っているのだろうか・・・

興味深々である^^!

                  


紅黄葉

2012年11月24日 | Weblog

   

ちょっと寒くなると「夏のほうがいいなあ・・・」と、つい思ってしまう身勝手なEdで
す。^^!

庭木も、街路樹もすっかり色づきはじめ、わざわざ紅葉狩りに遠くへ出かけて行
かなくても、今は居ながらにして紅葉が楽しめます。

先日町内一斉清掃があった日、近所の奥さんが「まぁ、綺麗!何の木ですか?」
とハナミズキの真っ赤になった葉を見ながらいった。Edもハナミズキの紅葉は、
桜や柿と並んで綺麗だと思う。だから根元に落ちている葉は掃き出さないで、そ
のままにしてある。

以前も書いたことがあるけれど、Edの住む町の街路樹は折角大きく育って、道
路と町並みに潤いを与えるいい感じになってきたのに、行政が「住民の意見で・
・・」という言い訳で、どこもかしこもトーテム・ポールのように丸裸にしてしまった。

Edの家の前にあるイチョウだけは、町の委託で来た剪定業者にカミサンが強硬
にクレームを付けて、丸坊主にさせなかった。おかげで我が家の前だけイチョウ
の黄色い葉が大きく枝を広げて見事である。

掃除が大変だとか、車がスリップするだとか、汚い・・・だとか、落葉をゴミ扱いし
て毛嫌いする人が多いようだけれど、Edは落葉がゴミだとは思わない。紙屑や
タバコの吸殻、プラスチックの袋、空き缶などがゴミであって、落葉はいづれ腐
葉土に
もどって植物の栄養になるさ。

シャカリキになって落葉を掃除している人には済まないけれど、適当におやんな
さい、と言ってあげたい。

                                   

ところで今朝(日曜)は冷えた!ウォーキングは6時から始めたのだけれど、先
ず軍手くらいでは手の凍えにはなんの役にも立たない。それもその筈、路傍の
枯れ草は霜で白くなっている。

寒さで腰痛も引っ込んでしまったのか、調子よく歩けたので普段の倍くらい遠回
りして帰った^^!

  


車の運転

2012年11月22日 | Weblog

                 

今日は仕事帰りに狭山の兄の家に寄る用事があって、車で来た。普段より20分
くらい遅く家を出たら、勤め先に着いたのは9時だった。電車通勤と殆ど差がない。

いつも渋滞する場所が二ヶ所あって、東北道の岩槻IC周辺とR17バイパスに合流
する手前の陸橋下辺りで、今朝もこの二ヶ所だけで30分以上費やした。

Edは歳とってからはづっとゴールド免許で優良ドライバーなのだ^^!(ハハハ・・)

若いころは、スピードや駐車違反などで何度か捕まったことはあるけれど、運転に
関してだけは注意深いほうだから、周囲の状況から察して(取締りをやっていそう
な)アブナイ所では決して飛ばさない。

”優良”というよりは、”泳ぎが上手い”だけなのかも・・・(笑)

ま、それはともかく、ゴールド免許だと書き換えが5年毎だし、講習の時間は短かく、
任意保険だって割安だから、結構経費節約になっている。(カミサンは相変わらず
”かっ飛ばしバアサン”だから、ゴールドではない^^!)

しかし今もっている免許が最後のゴールドで、次回(再来年)書き換えからは、年齢
制限により有効期間3年になるらしい。残念!

尤も、これからは何時運転を辞めるか、ということも考えておかなければならない。
若いころ欧米出張先で、腰が曲がって前がよく見えないのでは・・と思うようなお年
寄りがハンドルを握っているのを見て、少し可笑しかったのを覚えているが、いつ
の間にか自分がそういう年齢になってしまった・・・

Edが前の車と車間距離をとって運転していると、いきなりスッと横から入り込んで
くる奴がいて、ヒヤリとすることか多くなった。若いドライバーにとっては、車間が空
きすぎていると思うのかもしれない。

その分Edの反射神経が鈍ってきている、ということなのだろうか・・・

ヤレ、ヤレ^^!

      


TV・大新聞は正しいか?

2012年11月20日 | Weblog

                   

Yahoo Japan「みんなの政治」が実施しているネット世論調査で出てきた政党別
支持率は、TVや大手新聞社の発表しているものと全く違う結果になっている。

NHKをはじめ、彼等大手マスコミが出鱈目な数値をねつ造しているか、もし本当の
数値なら、質問のやり方を”工夫”して自民、公明、維新などがあたかも支持されて
いるかのような結果を導いているとしかEdには思えない^^!

ま、ネットに馴染みのない人たちも少なくないだろうから、ネット調査の結果が必ず
しも世論を代表しているとも言えないけれど、少なくとも20代~60代でネットを使
っている人たちの大半が、「国民の生活が第一」を支持していることは確かなようだ。

(11月20日時点)
国民の生活・・・48%
自民・・・・・・・・・16
民主・・・・・・・・3
公明・・・・・・・・1
みんなの党・・・3
共産・・・・・・・・・1
日本維新・・・・・3
社民・・・・・・・・・0
新党きづな・・・・0
国民新党・・・・・0
新党大地・・・・・0

たちあがれ日本・・・1
新党改革・・・・・・0
その他・・・・・・・・2
なし・・・・・・・・・・21

                                   

小沢一郎を、是が非でも政界から引きづり降ろそうとする勢力(財界、霞ヶ関官僚、
米国)は、東京地検特捜部による二度に亘る捜査で不起訴処分になっているにも
拘らず、検察審査会による強制起訴という汚い手を使って、二度も有罪に持ち込
もうとしたが失敗。でっち上げ裁判はようやく無罪が確定した。完全な冤罪事件で
ある。

さて、この裁判を大々的にしつこく報じ、あたかも有罪であるかのように扱ってきた
TVマスコミは一体小沢氏にどのように謝罪するのだろうか、と思って観ていたが、
どこも自分たちのやってきた間違いには一切触れず、知らぬ顔の半兵衛である。

ま、確信犯だから仕方ないと云えばそれまでだが、TVマスコミの出鱈目ぶりには
唯々あきれ返るのみだ!

「疑わしきは罰せず」という刑法の理念に基づいた報道をすべきマスメディアが、
「推定有罪」の論調で世間に誤った認識を植え付けるというのは、重大な犯罪行
為ではないだろうか。

最近のTVや新聞の報道を正しいものとして、鵜呑みにしてしまうのは危険である。
それは、もしかして自分も冤罪に加担していることであって、最近では厚生労働省
女性局長だった村上厚子さんの冤罪事件が思い出される。

あの時もマスコミは推定有罪の論調で報じ続け、我々もそう思い込まされてきた。
TV、新聞の責任は真に大きい。


                                  

小沢一郎氏が冤罪で振り回されていたこの3年間で、失ったものは大きかったと
は思うけれど、現在のダメな民主党を見ていると、フルイにかけられて屑が残った
ようにも思える。却ってよかったのかも知れない・・・^^!(ハハハ・・・)

                   


民意

2012年11月20日 | Weblog

           

この国の政治は今混乱の真っただ中にある。ようやく自民党超長期政権が破
綻して民主党
に政権が移った3年前、Edはこれで日本はもっと真面(まとも)な
国へ舵を切った、と大いに
期待したものである。

しかしそれも束の間、管、野田内閣へと移るにしたがって自民党時代と全く変わ
らない「国民
不在」の政治に逆戻りしてしまった。ヤレ、ヤレ・・である。

先日(18日・日曜日)買い出しの道すがら、北習志野駅前で小さなデモ行進に
遭遇した。プラカードや楽器を携え、小さな子供連れの150人程度のデモで、
”原発を無くして放射能から子供たちを守ろう”という趣旨であることが分った。

それにしても、警察の何とものものしいことよ!こんな小さなデモ後進に、何十
人もの警官を張り付けて、習志野警察署は一体なにを考えているのだろう・・・

それで思い出したけれど、先日脱原発の集会に日比谷公園を使おうとした主
催者が、公園の使用を拒否されて問題となり、東京新聞では大きく取り上げら
れていた。どうせ原発推進派の石原前都知事あたりの指しがねだろうが、市民
団体の公園使用届を拒否するなんて言語道断だ!

民主主義国家であるからには、国民は自分たちの意志をハッキリ世の中に伝
えることが許されているし、またそれは一人ひとりの義務でもある。そういう自
由を奪うような都の行政は愚かで間違っている!

日本では民意がなかなか政治に反映されにくい。国政選挙の一票の格差が
5倍にもなって、最高裁で違憲状態の判決が出ているにも拘らず、野田内閣
も野党も抜本改革にはいつまで経っても手をつけようとしない。人数ばかり多
くて、国民にとっては全く役立たずの国会議員たちである。

国政に立候補しようとすれば、300万円という世界一高額な供託金が必要で
あり、貧乏人を締め出しているし、政治家が世襲のように二世議員ばっかり
ゾロゾロ出てくる日本は、気持ち悪いし、どこか狂っている。

しかし一番悪いのは我々選挙民自身であろう。知名度が高いだけのタレントと
か、尊大で大口をたたくだけの政治屋、明確な理念も示さず口だけ上手いペテ
ン師のような候補者に、考えなしに票を投じている人がいかに多いことか・・・

選挙の度に空しさを覚えながら、それでもまた投票所へ向かう・・・

                


リビング・チェアー

2012年11月18日 | Weblog

 

一年がかりでいろいろ見て廻った結果、これから毎日の殆どを過ごすであろう
居間で寛ぐ椅子を、富士ファニチャーの両肘掛けワイド・タイプ(2脚:カミサン用
とEd用)に決定。16日・金曜、仕事は休みを貰って八王子の村内家具へ。

前回応対してくれた副店長さんに、6階のレストランへ向かう途中バッタリ遭遇。

昼食後、彼が付きっ切りで案内してくれたので、それ以外の諸々の家具の選択
もスムーズに済んでよかった。

リビングの椅子2脚の他、ロッキング・チェアー1脚、テレビ台、カミサンの整理ダ
ンス、Edのベッド脇チェスト、キッチンの縦長整理タンスなど購入。全てカミサン
が予算を決めてやってることなので、Edはただ一緒について廻るだけ。気楽な
もんだ^^!

2時から始めて支払いまで全て済んだのは午後5時過ぎ。ふ~ッ・・・!流石に
疲れた。帰りはEdが運転する番。朝来るとき首都高が酷く混んでいたので、一
旦大泉で下道を走り、右往左往した挙句ようやく調布から中央高速へ乗った。

この日はどういうわけか帰りも首都高が事故渋滞で、八王子ICから調布ICまで
1時間もかかり、赤坂トンネルまで更に混みあっていたので朝と同様下道で大
泉まで走った。

飛蚊症で夜は道路標識が見辛く、交差点でノロノロするEdに見かねたか、大泉
手前でカミサンが運転を代ってくれた。ヤレ、ヤレ・・・

配達は年明けなので暮れはバタバタしなくて済むけれど、荷物が着いたらまた
大物の移動やら不要になったものの処理やらで忙しくなりそうである。こういう
ことは、もうこれで最期にして欲しいなあ・・・ (腰が痛くて・・・)


 


冬支度

2012年11月15日 | Weblog

                   

今朝4時の気温は室内でも10℃、外は7~8℃くらいだろうか。ウォーキングも下
着とウィンドブレーカーだけでは心もとないので間にシャツを着込んだ。


冬はこの時間まだ暗いから、時々すれ違う新聞配達のバイクに気を付けないと、
撥ねられそうになることがある。向こうも、こんな時間にまさか暗い田圃道を人が
歩いているとは思わないらしく、目の前まできて慌ててハンドルをきったりするか
らコワイ。


歳とったら寒さにも弱くなったような気がする。ヒートテックの下着はもう2週間も前
から着け
ているし、ワイシャツの上から毛糸のチョッキを着てジャケットを羽織って
いるのに、まだ寒い。
そういうわけで、昨日から薄手のハーフコートを着ている。

今年は油断して陶板浴もサボってばかりいるから、もしかして坐骨線形痛が出る
かもしれな
い。先週から左の腰が痛くて、同じ姿勢で立っていると左足が痺れて
くることがある。 あ~ぁ、
どうしようもない年寄になったなあ・・・^^!

カミサンはまだセーターやら手袋やら毛糸の帽子を出してくれない。愛用の毛糸
のキャップと
薄地の手袋が今頃丁度いのに、どこへ仕舞ったのか、あちこち抽斗
(ひきだし)を物色してみ
たけれど見付からない。春先に冬物を仕舞うときあれこ
れ整理してるようだったから、もしか
して、旧くなったものは”現役”でも捨てられ
ちゃったのかも・・・

ヤレ、ヤレ

もう少し寒くなると、通勤にはダウン・ジャケットを着ていくのだけれど、一昨年
これまで着
ていたものが草臥れてきたので代替えに新調した。けれども物持ち
がいいEdは旧いほう
も捨てられず、クリーニングに出して仕舞ってある。

昨日押入れを確かめたら、まだ捨てられずに残っていた。表地はテカテカに光
ってしまっ
たけれど、防寒には差し支えない。どうせ毎日通勤で着ていれば、新
しいものだってすぐ
痛んでしまうのだ。

もう暫く、ヨレヨレのジャケットの世話になろう。(笑)


                   


遠隔操作

2012年11月14日 | Weblog

                   

勤務先のPCが月曜の朝、突然インターネット接続できなくなってしまった。サーバ
ーは米国本社のものだから、メールもオフ・ラインのままで更新できない。
さて困った・・・

こうなると、Edのようなアナログ人間には手も足も出ないから、黙ってIT部門の専
門家の救援を待つしかない^^!

救援といったって、IT部門は京都だからすぐ飛んでくるわけにはいかない。電話で
指示されるまま、あれこれ設定を確認してもらったけれど直らない。

しかしその道の専門家は、京都から遠隔操作で川越にあるEdのPCを自由自在に
設定を変えたりソフトのアップデートしたりできるのだ。
「開いているすべてのプログラムを閉じて、ログオフの状態にしておいてください。
昼休みにこちらから操作して対策しておきます」という。

昼食後電話がかかってきて「原因がよくわからないのですが、とりあえず暫定処置
しておきましたから、再起動してネットに接続できるか確認してください」とのことで、
早速やってみたらOKだった。

なんとまあ、便利なことよ!

けれどもつい先ごろ、遠隔操作されたPCの持ち主が、自分の知らない間に犯罪
者のヌレギヌを着せられて、警察に逮捕される事件があった。IT専門のスタッフ
の話ではそういうことは、少しシステムに詳しい人なら左程難しいことではないら
しい。便利且つコワイ世の中になったもである。

自宅PCのセキュリティーを、もっと考えておかなければならないな・・・

                


幽体離脱

2012年11月12日 | Weblog

                   

歳とった今の方が、考えられないくらい丈夫になってしまい、ロクに風邪さえ引
かない。

子供の頃(小学校低学年)は、身体が弱くてよく風邪を引き、熱を出して2、3日
寝込んだ。学校が休めるから半分喜んだけれど、反面、友達と遊べないのが残
念でもあった。

高熱が続き、頭がボーっとしてくると意識が朦朧としてしまうことがある。そういう
時、頭痛はあまり感じなくなっていて、体がスーッと軽くなって中空に浮き上がっ
たような感覚に陥った。

「幽体離脱」などという言葉を知ったのは、づーっと大人になってからのことで、
死の床にあった人が経験したという所謂臨死体験の一説である。自分が横たわ
っている姿を、上から自分が眺めている、という感覚で、魂が肉体を離れている
状態と考えられているらしい。

その時Edは、寝ている部屋の天井から、寝床の自分を確かに自分自身で見て
いた。部屋全体を上から見下ろせ、自分の身体は実際より小さく見えた。

部屋の4角の天井から寝ている自分を見下ろす感覚は、半ば心地よくて、死と
か、怖いという感じがまるでなかった。あれは、もしかして死の淵を歩いていた
のかも知れない・・・と大人になってから思い出していた。

終戦後2年ほどして生まれた長兄の最初の子(甥)は、2歳を待たずに夭逝し
ているし、食糧も物資も全てが乏しかった時代であり、親は食べさせたくても栄
養のあるものなど食べさせられなかった時代である。Edだってひょろひょろの
モヤシ人間だった。

Edは生き延びて、今は長寿の仲間入りまでしてしまったけれど、あの時死ん
でいれば随分楽に”死”というものを迎えられたのではないかと思い、何だか
損したような気もするのである^^!

人間長生きすれば幸せってもんでもないと、最近しみじみ感じている^^!


                 


昭和の初めの香り

2012年11月09日 | Weblog

           

再び久世光彦さんのエッセー「家の匂い 町の音」から。


幸田露伴、幸田文、青木玉親子三代が小石川の露伴邸で、共に暮らすようにな
った昭和15年~20年頃の幸田家の日常をドラマにした作品を作ったそうである。

幸田家は幕府の表御坊主衆という、お行儀の指南役と言うべき役目を代々勤め
てきた家柄だそうで、文さんは露伴にそれはそれは厳しく行儀作法を躾けられて
きたそうで、明治、大正、昭和と三代がともに暮らすとなると、十代だった玉さん
はさぞかし窮屈で大変な思いをしたことだろう。

しかし、玉さんと話していると、いつまでも話していたくなる心地よさがあるそうで、
丁寧且つよそよそしさが無く、言葉の受け渡しかた上手く、主張はせず且つ自分
の思いはきちんと伝える・・・という具合で、話し方全てに程がいいらしい。

久世さんには、玉さんの後に文さんと露伴の姿が見えるようだったというが、親
子3代に亘って受け継がれてきた日本の言葉が、このように厳しく、心を込めて
使われてきたかを、いまの人たちに知って欲しいとう思いで撮ったそうである。

玉さんと同世代だった作家の向田邦子さんも、昭和の初めころに子供時代を過
ごし、子供の頃耳にした言葉に執着した方だったそうで、その当時は極普通に
使われていたけれど、今ではよほどの年寄りでなければ使わなくなってしまった
言葉に、また陽の光をあててやりたいと願っていたとか。

泥懇、時分どき、横着、甲斐性、じれったい、辛抱、きまり悪い、冥利、気落ち、
腑に落ちない、思案、しくじる、強情、白状、叱責、按配、癇癪を起す、癪の種、
一丁前、意固地、仰天、意見する、粗相、宗旨替え、目論見、料簡、芸当、息災
等など

Edはしかし、この程度の旧い言葉は全部そのニュアンスが分かるし、頻繁では
ないにしろ普通に使う。^^!

”よほどの年寄り”になったな・・・(笑)

                    


独り暮らし?

2012年11月08日 | Weblog

 

今週から来週にかけての一週間、カミサンは仕事でフル回転につき、Edは自分
のことは全部自分でする独り暮らしモード・・・と云っても洗濯とトイレ掃除は無し
ですが・・・^^!

朝は普段通りでどうということはないのですが、自分で使った食器は昨晩のもの
も含めて全部洗っておく。そうしておかない
と、彼女が朝飯やら弁当やら(時々作
るらしい・・・)の支度を手早く出来ないので、同居人として一応は
気を使っている
わけなのです。我ながら良く出来たオットではないか、と密かに自負して・・(笑)


最近仕事の方はヒマなので帰りはいつも定時なのです。それでも家に帰り着くの
は、どんなに早くても7時45分。それからシャワーを浴び、定番の野菜サラダを
つくり、鮭の切り身を焼くか買い置きの揚げ物をレンジで温め、ワカメの酢の物と
納豆を作り終えると、もう9時ちょっと前。

TVの前で軽く一杯酒を飲みながら食事が済むと9時半、もうEdの寝る時間なの
ですよ。(早ッ!)

しか~し、・・・翌朝は、4時起床!
暗闇の中、田圃道を40分ほどウォーキング・・・

一日が目まぐるしく過ぎていきます。一体私は何のために生きているのでしょう
・・・なんて・・・(余計なことは考えない!)
どうせ、今はもうオマケの人生ですから、生きてるだけ幸せよ!
めっけもんです!ハイ!

 


むかし卓袱台があったころ

2012年11月07日 | Weblog

            

先日図書館で借りる本を物色中、”むかし卓袱台があったころ”という副題(キャッ
チ・コピー?)に惹かれて、久世光彦さんの「家の匂い町の音」を借りてきた。

正直、久世さんというお名前に馴染みがあったわけではないのだけれど、どこか
で聞いたことがあるようなボンヤリした記憶はあった。略歴を読んでみて、なるほ
ど・・・と納得した。昔観た「時間ですよ」とか「寺内貫太郎一家」などTVドラマのプ
ロデューサーでもあったから、チラチラ拝見はしていたのだろう。

大体、卓袱台(ちゃぶだい)という言葉は、Edなどにはひどく懐かしい響きがあっ
て、即座に、貧しかった幼いころの情景が思い出されてくるのだ。^^!

久世さんはEdより5つ、6つ上だけれど東京だし、幼かったころの思い出や戦後
の日本にはまだ残っていた、旧い時代の日本人の生活を綴ったこのエッセーは、
とても身近に感じられ、ひどく共感を覚えた。

Edが5、6歳のころ国分寺の駅前通りにあった我が家は、終戦後他人の手に渡
ったらしく、そこを追い出され、少し引っ込んだ新興住宅地の焼け跡にバラック(
掘立小屋)を建てて住んた。親父は大勢の子供たちとこのボロ家だけ残して早々
と死んでしまったから、母親と上の兄たちは生きてゆくために辛酸をなめた。

住む家がそうなら、食べるものも着るものもロクなものはなく、Edは”お線香”と
綽名されるくらい痩せっぽちだった。周りもみんな似たりよったりの貧しい生活だ
ったし、幼かったせいもあって、今思うと可笑しくなるほどの貧乏だったけれど、
気にすることもなかった。^^!

お袋は自分で外に出て働くようなことはせず、上の兄たちの収入を頼りに細々
と生計を立て、家庭を守って子供たち全部を育て上げた。旅行一つせず、家に
いて子育てだけを自分の使命のようにして生きてきたのに、最後は病院で独り
寂しく亡くなってしまった。

そういう時代だった・・・と云ってしまえばそれまでだが、育ててもらった子供たち
は揃って親不孝である。

ところで卓袱台だが、我が家にも粗末だったけれど長方形の大きな奴があった。
実用一点張りで傷だらけだったが、食事時は皆でそれを囲んで座り、お袋がうど
ん(ほうとう)を作るときは作業台に変わり、椅子なんてない時代だったから、家
族が集まるのはいつも卓袱台が中心だった。

隙間風の吹きこむバラックで、家族9人が肩を寄せ合って暮らした10年ほどが、
Edにとっての原点だったような気がする。