Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

お見舞い

2013年04月30日 | Weblog

                   

脳梗塞で倒れリハビリ中の友を、呑み仲間3人で入院先の病院に見舞ってきた。
前回は緊急入院した先の病院で、2月初めだったから、あれから3ヶ月近くなる。

前回、彼から初めて聞かされて驚いたけれど、病院は病気が治るまでいつまで
も置いてくれる訳ではなくて、彼のように治療に長期間を要する場合でも、2、3
週間が限度らしい。

今回は、そういう訳でリハビリを専門に扱う病院に転院していたので、前回とは
違う病院だった。設備の整った立派な施設で、面会ロビーなども広々して清潔で
ある。車椅子に乗った彼と4人で窓際の一角に席をとった。

少し痩せたようだけれど、思ったより元気そうでホッとした。かなり回復していて、
麻痺していた右足は動くようになり、歩けるようになった。しかし右腕は依然として
麻痺したままで、血行が良くないらしく少し浮腫んでいた。

そこで又彼から驚くことを聞かされた。健康保険での入院は5ヶ月が限度で、来月
彼はまた退院して自宅に戻るか、自費で別の病院に入るか、せねばならないそう
である。彼の場合歩けるようになったので介護度は大幅に低くなってしまい、介護
保険は有効であっても、リハビリには自分で通うしかないとか・・・

彼のような一人身の場合、片手だけで食事の用意から洗濯まで、あらゆることをこ
なすのは至難の業である。各人の状況に応じて手厚い介護補助が受けられれば
よいが、恐らく多くは期待できないと思う。

彼には、諦めることなくリハビリに励んでもらい、一日も早く右腕の動きも回復して
欲しい。

                     


連休

2013年04月29日 | Weblog

 

連休初日は洗車と食料の買出しで日が暮れた。今週はカミサンが仕事で車は使
わない。だからと言って連休中に何処かに出かける、という予定は全くなくて、こ
れは毎年のこと。^^!

駐車場(我が家は青空)に放ったままだったから鳥のフンやら埃で汚れ放題。
おまけに車内の掃除はEdしかやらないから、掃除機使って床まできっちりやる
ので、時間のかかること・・・

午後からは買出しにでかけた。大分暖かくはなったのだけれど、昼間と比べて朝
晩は相変わらず気温が下がる。石油ストーブも未だ仕舞えないので、車に給油
するついでに石油をもう一缶買った。デフレ脱却とかで円安誘導なんかするから
ガソリンは値上がりするし、電気・ガス代は既に大幅アップ、ロクでもないことをし
てくれるw・・・

2日目は久しぶりで、前から気になっていた庭木の手入れ。と、云ってもモミジの
枯れてしまった太い枝を切り落とすだけなのだが・・・脚立を出して上に登り、鋸
で落とした。足場が良くないから年寄りには少々キツイ。

西側の太い枝が去年一本だけ枯れたのだけれど、原因はわからない。この木のお
陰で夏はかなり涼しい。なので、大事にしないと炎暑の夏は大変だろう。

                                    

10日間の連休だから、ウォーキングはゆっくりと6時頃から始める。昨日、今日
と爽やかな空気で、田圃道は気持ちよい。早稲は少ないけれど、例年通りもう
田植えを済ませたところが2、3面ある。

毎朝歩く道だけれど、こんなに陽が高くなってから歩くのは休みの日だけ。普段
よりノンビリした気分になる。しかしこの辺りは長閑なものである。農家が点在
するだけで、朝は行き交う人も殆どいない。会うのは野鳥や猫くらいのもの、い
つまでもこのままであって欲しいものだ・・・

自民国会議員は大挙して靖国参拝をし、徒に中韓の反発を招いているが、何
故の拘りで敢えて中韓を刺激するのだろうか。

どうせその先に見えるのは憲法改悪で、戦前のように軍国主義をまた復活さ
せたいのだろう。

国敗れて山河あり。虚しい戦争のあとに残ったのは田や畑や森や小川だけで
あり、荒廃した人間の心は自然によって癒されたのだ。
「美しい日本を」というのなら、戦争をした後残された「山河」ではなくて、今残っ
いる自然を破壊しない国の方針を示して欲しいものだ。

 
 


人材派遣

2013年04月26日 | Weblog

                  

Edが大学に通っていた昭和35年頃は、建設現場で働く日雇い労働者は、東京
では南千住辺りに数多くいて、毎朝その日の仕事を求めて、人集めのトラックを
待っている労働者の姿をバス停で見ていた。

彼等の住む簡易宿泊所は(確か)一泊2~300円程度で2段ベッドが並ぶ蚕棚
みたいな施設だった。一日働いて稼いだ1500~2000円は、宿泊費と食事代
と焼酎の支払であらかた無くなってしまう。地方から出稼ぎで来ている人は、そ
の中からいくばくかを貯金して家族に仕送りしなければならない訳だから、途中
で挫折してしまい、故郷に戻れなくなったりする人は幾らもいた。

景気が良い時は、仕事も多いし賃金も上がるから日雇いでも、多少は収入は増
えるけれど、哀しいかな一旦身に付いたその日暮らしの習性はなかなか抜けず
、貯金して不況に備えようとか、日雇い仕事から早く抜け出そう・・・などという意
欲に繋がるひとは少ない。

当時3Kといわれた建設現場作業のような仕事は、路上生活一歩手前の人や
地方の出稼ぎ労働のひとが殆どで、大多数は社員として企業に雇われ、月給
を貰うサラリーマンだったから、その積りさえあれば、大なり小なり生活設計の
目途は立てられた。

やはり、労働力だけを切り売りするような日雇い仕事は、人生の計画性を失わ
せ、ひいては生活そのものを怠惰で荒れたものにしてしまうのだ。

                                    

自民・小泉政権以降、人材派遣業は大幅に増え、今や野放し状態である。
かつては人材派遣といえば、企業の女性秘書や経理・事務担当の女性社員
の職場だけだった。今では工場の単純作業は云うに及ばず、難しい専門技術
職や販売員まであらゆる分野に派遣業が広がってしまった。

「派遣業」なんていうのは、個人の働きをピンハネして不労所得を稼いでいる
悪徳商人と同じで、本来公に認められるべき類の「稼業」ではない、とEdは思
っている。

勤務先の倉庫会社でも正社員の数は極めて少なく抑えてあり、あとは派遣
会社から必要に応じた人数だけ雇い、安い時給で働かせている。当然のこと
ながら、仕事に誇りや意欲が持てる環境でもないし待遇でもないから、折角
来ても長続きしない。

雇う方もいい加減なら雇われる人も無責任な人が多く、何の事前連絡もなく、
いきなり来なくなったり、辞めたことすら云わずに消えてしまったりする。
何とも荒んだ人間関係ではないか・・・

身近にこういう良くない労働環境と、荒んだ心で働く人間をみていると、日本
という国は、もう滅びつつあるのだと思えてくる。利益追及だけに血眼になり、
人の心を踏みにじっても意に介さない企業、そして他人のこと等どうなろうと
知ったことではない個人・・・

いよいよ日本は崩壊し始めたのだ!

               


伊豆熱川ツーリング(続き)

2013年04月25日 | Weblog

今回のメンバーは平均年齢が高かった。大抵はEdが最長老になるのだけれど
、今回は71で中間^^!最若64(?)から最長老82まで、みんな元気なものだ
(笑)

朝夕二食付で5700円という破格の宿泊料金だけれど、部屋はツイン・ベッド・
タイプで広く、リビング、和室、キッチンまでついたリゾート型。建物、設備はやや
旧いけれど全て揃っていて、何の不満もなかった。

このところ中国、韓国との関係が悪くなって客は日本人ばかり。我々にとっては
不都合はないが、英語、中国語、韓国語が併記されている各種表示は空しい。

食事はグループ毎の時間割でバイキング式。飲み物は飲み放題。見渡せば周
りは我々同様、殆ど年寄ばかりだから静かなものである。時間が来たら皆大人
しく部屋に引き上げた。部屋に戻っての二次会もベンダー・マシンで買って帰っ
た缶入りアルコール1本づつでお終い。9時には全員ベッドに入った。^^!

朝、起き抜けに温泉に入り、ゆったり時間を過ごした。朝食を済ませ、チェック・
アウトしてから皆で記念撮影。さあ、出発・・・というところでEdのバイクに異変
発生。エンジンが掛からない!

スターター・ボタンを押しても、何の反応もない。バッテリーは生きていて、ヘッド
ランプは明るく点灯している。さあ、困った!

焦る気持ちを抑えて、キルS/Wのオンオフ、スタンドの上げ下げ、ギア・ニュー
トラル位置など全て確認したけれど、問題なし。念のためギアを一端ローに入れ
て、またニュートラルに戻してみた。すると今度はスターターが回って、エンジン
が掛かった。ヤレ、ヤレ・・・このバイクもそろそろ、お釈迦かな・・・

その後は皆と一緒に順調に走り、伊豆スカイライン、箱根を抜けて御殿場へ出
た。途中何カ所か休憩したけれど、それ以降バイクは特に異常は出なかった。

午前11時。昼飯には早すぎるし首都高の渋滞がヤなので、皆さんと別れて御
殿場から高速に乗った。流石にこの時間帯は首都高も空いていて、一度も渋
滞には会わず、午後3時半に自宅に戻った。

2日間で走行460キロだった。

 
 
 
 
 


伊豆熱川ツーリング

2013年04月24日 | Weblog

22日、23日の二日間、バイク仲間のオジンライダーさん企画による熱川温泉
ツーリングに参加して来た。

朝5時50分、昨日の雨は夕方上がったけれど思ったより気温が上がらない。
少し早いけれど出発。月曜日だし首都高の渋滞は逃れられない。

冬装備で来てよかった。それでも走行中は寒さで手足が凍える。三郷JCを過
ぎた途端に、ノロノロと云うより殆ど進まない。一寸刻みでようやく小菅ICに着
き、C2で東名方向に向かう。江北から板橋JCまでが、これ又相変わらずの大
渋滞である。我慢の1時間後に長いトンネルへ入り、やっと渋滞が終わった。

大橋JCでトンネルを抜けたら今度は都心に背を向けて走るので、混雑から解
放された。港北SA集合の時間は9時半だったけれど、1時間も早く着いた。
MikeさんとSushikatsuさんのお二人も早めに着いたので次の集合場所、中
井SAへ向かう。

中井で7名全員揃ったのは10時過ぎ。バイクが取り持つチョッとしたご縁で
オーストラリア・シドニーから来たというBMWに乗ったタンデム・ライダーと暫
し歓談。これから富士山、箱根へ行くのだという。二人とも背が高く美男美女
のWASPだった。

中井SAから沼津ICに向かう道すがら見た富士山は素晴らしい眺めだった。
走行中だったから写真に撮れなかったけれど、目にシッカリ焼きついた。^^!
その後駿河湾沼津PAで休憩した時は富士は切り通しの向こうで見えない!
残念・・・

沼津で高速を降りて沼津漁港でランチ。河津経由で熱川を目指すも途中渋滞
が続いたので、ルート変更。峠を超えて熱川へ直行4時ころシーサイド・ホテル
到着。Edは初日ここまでの走行270キロだった。

 
 
 


休日出勤

2013年04月19日 | Weblog

                

このところ仕事はあまり忙しくないので、8時半定時出勤、5時定時退社が続い
ていた。偶に残業になっても精々30分か1時間程度だから大したことではない。


唯一困るのは連日残業になる場合で、片道2時間半の通勤だから睡眠時間が
少なくなってしまう。そうするとつい転寝して乗り過ごしたり、本が読めなくなった
りする。もう、この歳になったら毎日判で押したような定時出社、定時退社がよ
い。^^!

                                   

今週は週の後半に急ぎ仕事が集中してしまい、ペースが狂った。閑職なのだ
からそう頑張る必要はないのに、つい張り切ってしまうのだ。バカだねえ・・・哀
しい習性なのだろう・・・

よせばいいのに、「好いですよ、明日出勤します」と返事してしまった。明日は土
曜日、朝寝してゆっくりTV観ながらブランチ出来る筈だったのに、仕事になって
しまった。

原因は、首を長くして待っていた部品の到着が、更に一日遅れて土曜日になっ
てしまったからで、納期は月曜の朝一。勿論今更客先に納期変更は頼めない。
彼等もこちらの納入予定に従って生産計画を立てているのだ。

お客様は神様です!何が何でも納期は守らなければ・・・^^!

朝、部品が届いたら準備しておいたトランスミッション(5台)に直ぐ装着しても
らい、内圧をかけて取り付け部の漏れ検査をする。終わったらペイント補修し
て乾燥してから梱包。作業時間は全部で凡そ3時間ほどの見込みだから、半
日で終わるだろう。

来週は月、火の2日間、ツーリングで仕事を休むので、せめてもの埋め合わ
せということに・・・(笑)


                 


強風

2013年04月17日 | Weblog

                     

次回ツーリングが来週に迫ってきたので、日曜日(14日)5か月間放置してあったバイクの
カバーを剥いでみたら、エライことになっていた。><!

埃は積もっているし、あちこち錆は進行しているし、猫除けにシートの上部にブロックを積ん
でおいたのに、左のサイド・バッグによじ登ったらしく、爪痕と毛がいっぱい!

左のサイド・バッグは、装着部のプラスチック背板が割れていて、以前補修したシロモノだ
から重いものは入れず、壊さないようおっかなびっくり使っているのに・・・猫一匹入れたら
また壊れるよ!

仕方がない一端取り外して点検しよう・・・とボルトを弛めたら、”カタッ”とヤな音が
して四角ナットが転がり落ちてきた。

シマッタ!忘れてた。フェンダー裏側のナットは点付の溶接が無かったんだ。もう
こうなったら覚悟を決めて両方のボルトを外した。バッグは幸い前回補修したまま
の姿で何処も傷んでいなくてホッとした。

が、問題は果たしてボルトが元通りに締め付けられるか、甚だ怪しい。何しろ表か
らは見えないのだから、手探りでやるしか方法がない!
悪戦苦闘30分、ようやく両方のボルトにナットが掛かって締め付け終わった時に
はすっかり草臥れてしまった。しかし、これで本日予定していたの”充電走行”を諦
めるわけにいかない。ツーリングの朝エンジンが掛からなかったらそれこそ一大事
である。

何だか風が強まってきた。急いでスターター・ボタンを押したけれど、案の定エン
ジンは掛 からない。バッテリー・カバーを外して車からジャンプ・スタート。

10時出発、海側は強風の予報だけれど渋滞はヤだ。成田から多胡町経由で
能面道路へ、海上町から利根川沿いのR356へ抜けた。佐原を過ぎた辺りか
ら横風が時折強烈になる。ゆっくり走ると余計不安定になるので速度を上げた
いが車はみんなゆっくり。5、60キロで連なって走るから追い抜きもならず、フラ
フラしながらようやく自宅へ辿り着いた。^^!

120キロほど休みなく走ったから、来週のツーリングは多分大丈夫でしょう・・・
ヤレ、ヤレ・・・

            


腕時計

2013年04月16日 | Weblog

                 

Edが中学生のころは腕時計をしている奴(同級生)なんて殆ど居なかった。ま、
それくらい旧い人間だということでもあるが。(笑)


中学の時、初めて腕時計を買ってもらった同級生のTが嬉しくて10歩歩くたび
に時計を見ている姿をみて、持ってない貧乏人のEdたち数人はやっかみ半分
で嗤ったものだ。
「ほら、ほら、Tの奴また時計見るぞ。ほら、な~・・・^^!ハハハ・・・」


その頃時計といえば、セイコー、シチズン、オリエントなどが主流で、現在のよう
に海外のブランドものなんて名前さえロクに知らなかった。Edが初めて腕時計
を買ったのは、もう働き始めて数年経ったころの1964年、東京オリンピックの
年である。確か”オリエント・グランプリ・オールマイティー64”とかいう商品名だ
ったと思う。

時代は流れ、手巻き、自動巻き、電池式、ソーラー電波時計などへ次々進化し
てきたけれど、腕時計はシンプルで大人しいデザインが好きだ。Edは日付とか
曜日は要らないのだけれど、日付のないものを探すほうが却って大変だったり
する。そのくせ日付はすぐ飛んだりするする。日付表示なんて”大きなお世話”
なんだけど・・・

若いころは、流行りのカシオのGショックとか高耐圧型などデカくて重たい奴を
使っていたけれど、歳とともにシンプルでオーソドックスなデザインがよくなって
きた。今は何の変哲もないセイコーのPerpetual Calender(15年くらい前空
港で買ったもの)を愛用している。殆ど狂わないけれど、日付はやっぱりすぐ飛
んでしまう。^^!

カミサンにはスイスに単身赴任していた頃、オメガを奮発して買ってきたけれど、
普段時計を着けない人なので、引き出しに仕舞い込んだまま骨董品にしてしま
い、もうオーバーホールしないと動かない。

先週から2週間銀座で仕事だったので、珍しく時計が必要になり、頂きものの
シチズンを抽斗の中から探してきた。しかしこれまた10年以上放ったらかしの
電池式だから動くはずもない。電池を交換してもらったけれど、油が切れている
らしく時々止まってしまう。

時計は必ずしも価格やメーカーで性能が決まるものでもないらしい。Edがバイ
クに付けてある腕時計は、J安売り店で大昔1900円で買った電池式。電池を
数年に一度交換(自分で)するだけで、その間全く狂わない、正確そのもの!

中国やタイで売っている偽ブランドのローレックスやチソットだって2000円や
3000円はするが、日本に帰って来るころは大抵止まってしまう。^^!
それに比べたら、名もない1900円の腕時計は途方もない優れモノである。

   
   


田舎人

2013年04月15日 | Weblog

 

この季節未だ暖かい日と寒い日が交互にやってくるけれど、外に出れば自然は
春爛漫の気配である。田圃に水が引かれはじめるといよいよ田植えが始まり、
間もなく一面頼りなさげな苗が水面に浮かぶ。


眠っていたモミジもハナミズキも柿の木も、みんな柔らかな小さな葉を出し始め、
辺り一面薄緑の霞がかかったよう。

花や木や鳥の名前に詳しい方々が、既に沢山綺麗な写真を説明付きでブログ
に載せておられるけれで、Edはそういうものに疎い。ただ観て綺麗な花だ、とか
見かけない鳥だ、とかしか分らないのだけれど、田舎道を歩いているとそういう
自然界の変化や動きからEdでも確実に春を感じる。

用水路から鴨(らしき鳥)が二羽這い出して草叢を歩き出した。数日前には休耕
田の草叢を悠々と歩く雉(多分)のオスをすぐ近くで見かけた。あまり見たくはな
い蛇も今年は(道路で車に轢かれたか)既に死骸だったが見た。

ソメイヨシノは既に葉桜になってしまったけれど、今この辺りは八重桜が満開で
ある。25年前にこの地へ越してきたころと、今も左程大きく変わったわけでは
ない。農業が主体で、在っても名ばかりの小さな工業団地しかない小さな町だ
から、人口も増えない。豊かな自然に囲まれているお蔭で、四季折々花や野
生の生き物に接することが出来る。

慣れれば単線のローカル鉄道も苦にはならず、毎日の通勤に使っているし、引
っ越してきた当初、夜中に田圃の中を走る電車がアニメの銀河鉄道のように見
えたのは現在も同じ。^^!田舎暮らしも25年も経てば立派な田舎人間。都会
の喧騒は疲れるようになった。当に住めば都、良いところに移り住んだと、今で
は思えるようになった。


 
 


鼻くそ

2013年04月12日 | Weblog

                

目クソと並んで語感がよろしくない。クソの実体がどうあれ、いかにも汚い感じが
する。しかし屁や目クソと同様極めて身近なものだけに、鼻クソを穿っている人
は電車の中でも結構見かける。^^!

乾燥するとティッシュで鼻をかんでも出てこない。ムズムズしたり痒くなったりした
時は指を突っ込んっで穿ることになる。他人が見ていないところで、きちんとティ
ッシュに包んで処理すれば問題ないのだけれど、ついクセになるらしい。

他人がやっているのを観ると、いかにも汚らしく感じる。クセが高じて電車の中で
無心になって鼻クソ掘りに熱中している人がいると、掘り出したアレをどうするの
かなあ・・・と注目してしまう。汚いのだから見なければいいものを、つい鼻クソの
最終処分方が気になるのだ。人間の心理はおかしなものである。(笑)

                                   

カミサンは今週から仕事で銀座まで電車で通っている。”不潔”なことには人一倍
神経質な性質だからか、よせばいいのにシッカリ観察してしまうらしい。

昨日、帰りの銀座線の車内で、反対側に座っていたオヤジとその隣にいた若い
姉ちゃんが二人並んで無心で穿っていたそうである。

例によって始末の付け方を観察していたら、オヤジの方は隠すようにして床下に
落としている。姉ちゃんのほうは・・・”どうしたと思う?”とEdに聞く。

・・・それが、”何と!自分で食べてるのよ!”・・・えうぇ~~~気持ちわりい。

そんなもん、最後まで観察すんな!

でも自分のものは自分で始末したわけだから、考えようによっては一番正しい
最終処分方かも・・・但し、見るな!飯食えなくなるぞ(笑)

                    


大予言

2013年04月11日 | Weblog

                    

一時ベストセラーになった「ラビ・バトラ(Ravi Batra)の大予言」を図書館で見
付けて借りてきた。

この種の本(話)はいかがわしいものが多いから、これまで一度も手にしたこと
はないのだけれど、パラパラとページをめくってみたら、著者は経済学者だし案
外世の中の見方が真ともだったので、読んでみようと思った次第。

初版が1995年だから、日本経済のバブルが弾けて日本が大きな景気の失速
に見舞われていたころ書かれた本で、相当時間が経っているから、「予言」なる
ものが当たっているかどうか興味を持った。^^!

ラビ・バトラ教授の予言は共産主義も資本主義も間もなく崩壊して、新しい黄金
の時代、プラウト社会が訪れる、というもの。

共産主義については確かに、1989年にベルリンの壁崩壊してから翌年、ソ連
共産党体制が崩れ、翌々年にはソ連邦そのものが崩壊してロシアとなったので
予言の前半は的中したことになる。

資本主義については、2010年までに崩壊するという予測なのだが、果たして
どうか・・・

その前に、教授の定義する資本主義というのは、富=生産手段を所有する者
が政治を支配し、社会の指導層になっている社会を指し、その筆頭は勿論米
国、日本、欧州などです。

教授によれば、資本主義崩壊の第一段階はすでに始まっているのだそうで、
その総本山たるアメリカは1990年深刻な景気後退に襲われ、もう一方の柱
日本もバブル経済が弾けて、株価の大暴落が始まった。(確かに・・・)

1980年代の大浪費(バブル)を通じて世界最大の債務国に転落したアメリカ
が、このとき恐慌に陥らなかったのは、日本はじめ世界各国が巨額な融資を
行い支えたからで、その見返りに各国は金(現物)ならぬ、印刷された米ドル
紙幣(いづれ紙屑)を受け取ったのでした。中でも日本は群を抜いて巨額です。

かろうじて息を吹き返した米資本主義も、崩壊を免れた訳ではなく、既に第二
段階が始まっている、と教授は見ています。カリフォルニア州オレンジ郡の財
政破綻で象徴されるように、地方自治体、一般民間企業、年金基金などでバ
ブル的なデリバティブ投資が広く行われ、莫大な損失の実態が明らかになれ
ば株式市場や債権市場は崩壊することになります。それはそう遠くない時期
に迫っています。(・・・らしい)
 
                                     

この本の翻訳はチベット文化研究所所長・ぺマ・ギャルポさんと金融コンサル
ティング会社・社長・藤原直哉さん。

藤原さんは、日本でもアメリカ同様、資本主義の崩壊は始まっていると考えて
いて、ラビ・バトラ教授と同意見だった。けれども、資本主義の崩壊後に訪れる
であろう、と教授が期待しているような「黄金の時代」というのは少し楽観的過
ぎる、というご意見であった。^^!

Edも教授の仰る「プラウト社会」なるものが未だよく分らないのだけれど、黄金
の時代が、それもこの日本に一番早く訪れるなんて到底信じられん!(笑)

ただ、教授の各国を踏査した結果の分析と見識は確かなものだと感じた。

                  


究極のエネルギー

2013年04月10日 | Weblog

                 

日刊工業のニュースかわら版(9日付けWEB配信)に、今週2番目にアクセス
の高かったニュースとして「究極のエネルギー源・核融合実用化へ前進・研究装
置組み立て開始」というのがあった。(以下全文)

                                    

大陽のエネルギー源である核融合。この“究極のエネルギー”の実用化に向け、
日本原子力研究開発機構の那珂核融合研究所(茨城県那珂市)で、最新の研
究装置「JT-60SA」の組立作業が本格的に始まった。フランスで建設が進む
国際熱核融合実験炉「ITER(イーター)」の先を見据えたプロジェクトで、6年後
の実験開始を目指して、日欧の先端技術が集結する。(池田勝敏)

核融合は軽い原子の原子核同士がぶつかり、重い原子核になる現象。この際
、膨大なエネルギーが発生するため、これを利用する研究が進んでいる。

核融合を人工的に起こしやすいのは、重水素と三重水素の反応で、この場合
燃料1グラムに対して石油8トン分のエネルギーが得られる。100万キロワット
の発電所を1年間運転するために必要な燃料は0・2トン。火力発電で同じ発電
量を得るには130万トンの石油が必要だ。

                                    

現在の核分裂型の原発の場合もそうであったが、やはり開発当初は良いこと尽
くめで、使用済燃料から再び燃料が抽出できる夢のような装置だとか、高速増殖
炉は、使えば使うほど燃料となるプルトニウムが増える夢の原子炉といううたい
文句だった。

しかし現実は、使い始めて半世紀にもなろうとしているのに、使用済燃料の再処
理も核廃棄物の最終処分も宙に浮いたままで溜まる一方だし、最悪だったのは、
専門家と称する人達が作り上げてきた「安全神話」が、福島原発の事故によって
跡形もなく崩れ去ったことである。

高速増殖炉は日本に2基(茨城・常陽、福井・もんじゅ)あるが、常陽は2007年
以降、また「もんじゅ」は2001年完成以降、いづれも壊れて止まったまま。冷却
材にナトリウムという危険で取扱いの極めて困難なものを使っているため、修理
にさえ難しさと莫大な費用が見込まれ、実用化の目途が全く立たない。
世界で唯一、日本だけが続けている壮大な無駄使いである!

今回もまた、新しい計画を推進しようとしている研究者、企業、国は「核融合は、
より安全な方式である」と云うに違いない。

燃料にする三重水素はやはり放射性物質である。漏れ出せば、三重水素を含
む水や有機物が生じ、生き物の体内に容易に取り込まれる。生物学的半減期
は人間で10日から14日くらい。どのような影響があるのかは判らない。

また運転中は、核融合のプラズマから強烈な中性子線が放出され、機械装置
や建屋を放射化(放射能を帯びる)するし、いくら遮蔽しても外へも漏れる。

                                           

(反対したってどうせやるのだろうが) 先を急いで安全を蔑ろにするようなこと
だけは止めて貰いたい。これまでの原発のように、核燃料廃棄物の最終処分
も出来ないまま見切り発車する、ようなことのないようくれぐれもお願いします。

金儲け優先の開発は許されない!


                


自治会

2013年04月09日 | Weblog

                 

自治会の班長の任期がようやく3月末で終わり、お隣さんに引き継いだ。回覧
板、会費の集金、一斉清掃、夏祭りの手伝い、防災訓練等々結構メンドイ。
今回で2回目だから、この次は12年先である。^^!

7日(日曜)が定期総会で、新旧班長は出席することになっていたので10時に
集会所に出向いた。Edが会場に着いたのは5分前で、既に殆どの出席者は集
まっているようだったけれど、後の方は満席なのに前方の席はガラガラに空い
ている。いつものことだけれど、後方と左右端の席から埋まっていくのは、人の
心理なのだろうか・・・可笑しい。

Edはガラ空きの前方へ行き、隣の方と隙間を空けないようにして坐った。会員
総数330人のうち、出席者90人、委任状240人といった按配で、自治会に対
する住民の関心は相変わらず薄い。自治会が発足した25年前と比べて、住民
の平均年齢も上がったけれど、年々関心は薄れてきているようだ。

今期(去年と今年)の理事長さんは若く、まだ40代だろうか声も大きくて元気が
良い。時代の流れで、メインの取り組みはストリート・ガバナンス(予算の乏しい
町に代わって出来ることは自分たちでやる)のようなこと、そして高齢化への対
応(一人住まいのお年寄りにどのような手助けができるか・・・)など。
是非真剣に取り組んで頂きたい。

この団地では自治会役員は持ち回りだから、誰にでもいづれ順番が回ってくる
。Edは平成8年度で一度理事をやったのだけれど、その後任期が1年から2年
に延長されたので、次回は6年後の筈である(生きていれば・・・)。こういうボラ
ンティアの仕事も、イザやってみると結構自分の時間が取られるから、現役で
働いている人にとっては大変なのである。

人は千差万別だから、中には一筋縄ではいかない人もいる。掃除のゴミで隣
人と揉めたり、自宅前の遊歩道を自分の駐車場に使ったり、自治会費を払わ
ないとゴネたり・・・その度に説得に行ったり、なだめたり、お願いしたり理事を
一年間やると揉まれます。

Edも、いろいろな人たちと接して、いろいろ勉強になりました。

同じ釜の飯・・ではないけれど、一年間理事で苦労を共にすると不思議に仲
間意識みたいなものが生じて、17年経った今でも会えば親しく言葉を交わす
仲になった。最初は嫌々ながらやっていたことではあるけれど、終わってみ
れば他人との絆が残った。

面倒な役だけれど、悪いことばかりでもないのだ。


               


フレーム調整

2013年04月08日 | Weblog

                  

先日買ったSWISSFLEX AIRの眼鏡が今週初めに出来上がっていたのだけ
れど、フレームの耳に掛ける部分が調整式にデザインされているため、本人が
再度行かないとならない。


さりとて、たったそれだけの用事で千葉の田舎から銀座まで行くのはアホくさ
い。なので、近場の千葉三越で調整してもらうことにして、土曜日行ってきた。

近いと云ったって車で1時間以上かかるが、ま致し方ない。カミサンの顔を立
てたワケだから、少し恩を売った勘定にはなる。何時か返してもらう。(笑)

フレームは耳に架かる部分が本体と別れていて、接合部が差し込み式になっ
ている。長さの調整と鼻に乗る部品の形で高さ調整を行い、最後に耳の後ろ
の部分の曲がり具合を調整して、計15分ほどで済んだ。軽くて装着感はいい
けれど、肝心のレンズは今までのものより少し強い矯正になっているせいか、
慣れるまで視界の歪みが大きいように感じる。

そのあとカミサンの買い物に2時間ほど付き合わされて、その方がEdには余
程大変だった。彼女が目指すものを探したり、店員と話している(Edにとって
は)長~い空白の時間は、彼女の近くで他のブースをウロついたり、休憩用
のイスを探して本を読んだり、とにかく所在なく過ごす。

こういう時Edが”一時行方不明”になったり、買い物を急かしたりすると、ご機
嫌斜めになるので、SPの身辺警護の真似事をしていなければいけない。^^!
実(ゲ)に女の買い物のお供はせまじきことなり・・・

疲れたぞ!

              


最初で最後

2013年04月05日 | Weblog

                                    

人間生まれるてくるときの記憶は無いから、初めて肺呼吸したとき、果たして恐
怖とか苦痛とかといことを感じていたのか、あるいはそういう感覚が存在してい
たのかどうかさえ定かでない。つまり、その瞬間は今生きている自分にとっては
「無」に等しい。


死というものを段々身近に感じるようになってきた故か、老後、終末、葬式、遺
言などに関する記事やブログに直ぐ目が行くようになった。他人が書いたもの
を読んでいると、”生きるということは大変である”という人が多い。

「死」は生まれる前と同じ「無」に等しいとEdは考えている。”生きるということは
大変である”と他人がいう、そのことをもう少しよく考えてみると、どうやら死を迎
える直前を「生きる」ことが「大変」なのだ、と云っている風にEdには聞こえる。

しかも最近は核家族社会だから、独りきりで最期を迎えるひとが多くなったので
余計そう感じるのかも知れない。生まれるときも独りなら死ぬときも独り、とはよ
く云うけれど、生まれてくるときと違って、終末を迎える時は自分の「意識」や「感
情」が残っている場合が多いから、考えているよりも実際は大変なのだろう。

                                      

終末は自宅で家族に見守られて死ぬのが最も幸せだとEdも思う。それは無理
として、独りでもいいから、
せめて病院ではなく自宅で最期を迎えたいとは思う。
Edが子供の頃は近所にかかりつけのお医者さんがいて、家族の誰か具合が悪
くなると家まで往診に来てくれた。今またそういう医療方式を模索している地域も
あり、是非復活させて欲しい。

日本では、病院にしろ介護施設にしろ、北欧のように設備や人材が十分整った
、心のケアまでしてくれるような所はないし、あっても金持ち以外は入れない。
最期はせめて自宅で、と願うのは贅沢なのだろうか・・・