Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

尖閣諸島

2012年08月29日 | Weblog

            

歴史的に見れば、国の領土どころか国自体だって新たに生まれたり消滅したり常
に変化してきたわけで、時代とともに領土が増えたり減ったりするのは史実が示す
通りである。

中国は最近になって南シナ海の南沙諸島の島々にまで領土権を主張し始め、近
隣の紛争に巻き込まれたベトナムやフィリピンとも軋轢を生んでいる。

沖縄県の尖閣諸島についても中国の領土である、と日本に言いがかりをつけて
いるけれど、少なくとも戦後の経緯からすれば、中国の単なるゴリ押しという他な
く、そんな出鱈目は通用しない。


終戦後、沖縄は連合国の管理下に置かれ、1945年10月以降実質米国が統治
してきた。尖閣諸島もその中に含まれていたから、その管理は琉球政府に任され
ていた。1960年代になって、台湾人の不法入域がしばしばあったけれど、米国
が手を下さない限り外交交渉権のない当時の琉球政府は、ただ見ているより外
なかったらしい。

1972年5月沖縄は日本に返還された。したがって尖閣諸島も正式に日本に戻さ
れた訳である。以来、沖縄は沖縄県となり尖閣諸島は石垣市に属している。連合
国の一員であった中国が、今になって自国の領土だと主張するのは当たらない。

1962年、日・中・韓三国による東シナ海の共同学術調査が行われ、その結果同
海域に石油資源が埋蔵されている可能性のあることが判明した。
これを切っ掛けに
俄かに中国が領土権を主張し始めたのは明らかで、既に中国は同海域で単独で試掘を行
っている。まことにえげつないことを平気でする国である。

尖閣に関しては現在、幸い日本の実行支配下にある。今後は日本の監視・管理体制をも
っと強固なものにしていく必要がある。

先日、香港から魚船でやってきた数人が島(日本)に不法上陸して海保と沖縄県警に捕ま
ったけれど、裏で中国にそそのかされたスポンサー(成金)が船や活動資金を提供して、
反日感情を煽った「やらせ」である。

台湾も領有権を主張している。中国はいずれ台湾を自国に取り込んでしまう積りだから、
台湾に尖閣列島を領有させることが出来れば、いずれ自国のものになるから、自分たち
の手を汚さずに尖閣を領有できると密かにほくそ笑んでかもしれない。中国は国連の常
任理事国だから、本音は国際紛争の当事国にはあまりなりたくない筈である^^

いづれにしろ、ロシア、韓国、中国と隣国が領土問題をめぐって相次いで強硬な態度を取
り始めた背景には、近年の日本の経済力低下と政治の混乱が影響しているのだと思う。
戦争は避けなければならないが、平和憲法のもとに防御の備えだけはシッカリ固めて、毅
然とした対応ができる国になってほしいものだ。

             

                


竹島

2012年08月27日 | Weblog

            

韓国が、自国の領土と主張している竹島は、0.2平方キロしかない、島という
より木も生えていない岩礁である。

そもそも昔から人が住めるような所でもなく、戦後連合国に韓国は竹島を日本
が放棄する地域に含めるよう主張したが、「かつて竹島が朝鮮の一部として扱
われたことはないし、領有権も主張していなかった」として拒否されている。

にも拘らず、1952年、当時の韓国大統領・李承晩が勝手に”李承晩ライン”な
る線引きを設け、1954年以降現在まで武力による実行支配を続けている。島
の周囲は漁業資源の豊かな好漁場となっているため、かつて日本の漁船が頻
繁に韓国警備艇から銃撃を受けたり拿捕されたりして度々ニュースとなった。

日本が戦後、平和憲法を守って他国と武力で争わないことを承知で、李承晩は
強硬な手段に出たのである。しかしそれ以上に、かつて日本に国土を蹂躙され、
占領・支配された国としては、戦前の恨みを少しでも晴らしたいという、強い想い
もあったに相違なく、漁業資源確保だけが理由ではないと思う。

現大統領・李明博は、ここへきて唐突に自国領土であると騒ぎ立てているが、
次の大統領選を睨んだ、国民への人気取りパフォーマンスにすぎない。

日本の野田は「真に遺憾であり、韓国に強く抗議する」とか「冷静に話し合いで
解決したい」などと冷静さを装ったフリをしているけれど、その実日本には今とな
っては有効な手は何もないのだ。

国際法の上では実行支配が50年以上続くと一般的にその国の領土と見做さ
れるらしい。つまり李承晩は日本から竹島を盗み取ったようなものだけれど、韓
国の実行支配が続いてしまった以上、日本は放っておく以外ない。

そもそも李ラインなる勝手な線引きを行って、韓国が日本の漁船を多数拿捕し
たり銃撃したとき、自民党政府は韓国に対して毅然たる態度を取らなかった。
それによって日本は韓国につけ入る隙を与えてしまったのであり、竹島を守る
機会を自ら失ったのである。

今更韓国が「話し合い」で解決しようなどという日本の誘いに応ずる筈はない。
日本が本当に取り返したければ、武力に依る外はないだろうが、あんな小さな
岩礁を本当に取り戻す価値があるのか、また韓国と全面的に武力対決する覚
悟があるのか、よく考えなければならない。

韓国でも日本でも大多数の国民は、竹島というちっぽけな岩礁の取り合いで
両国が戦争までしようとは望んでいないだろう。

領有権問題はひとまず置いておいて、竹島近海の海洋資源開発と漁業権の
公平な取り扱いを主眼に、もっと話し合いを続けたらどうであろうか・・・

        


夏祭り

2012年08月26日 | Weblog

 

カンカン照りの続く今週末(8/25土曜)、予定通り地域の夏祭りが行われた。

金曜日はEdは仕事で手伝えなかったが、当日の朝は8時から集会所に集まり、
会場の最期の設営を手伝った。前日のうちにテントや盆踊りの櫓は組み立ては
終わっていて、机や椅子も既に会場に持ち込まれていたから、あらかた終わって
いたようなものだけれど、最期の仕上げとして、ブルーシートを敷いて机や椅子を
テントの中に運んで設置した。

住民の模擬店も6店ほどあり、本部席、来賓席、休憩所、専門業者の焼き鳥店
などが揃ったら、小さいながらも祭りの会場らしくなった^^!

1時間半ほど手伝い、あとは特にやることもないので一旦家に戻った。1時半か
ら子供神輿が出ることになっていたので、様子を観に行った。何と、子供の数は
5、6人で残りは自治会の大人だけ!

Edが十数年前に自治会をやっていた頃は、それでも子供たちは2、30人は居
たし、神輿のほか太鼓も引いていたから少しは賑やかで、「おひねり」も集まった。
今はジジ・ババばっかりで、本当に子供が少なくなったんだなあ・・・

夕方5時半から1時間は交通整理の当番に当たっていたから、指定のA地点へ
行った。一番手のMさんからバトンを引き継いだら、国道へ向かうT字路だから
意外と交通量が多く、気が抜けないという。

大人たちが祭りに顔を出すのは、日が傾きかけるころから夜にかけてだから、
Edのやった時間帯は、未だ人通りは少ないほうだったけれど、それでも車が
多くて、自転車や足の遅い年寄りには注意が怠れなかった。

持ち時間の1時間を過ぎ、3番手のSさんにバトンを渡して会場へ向かった。
予約しておいた模擬店の焼きトウモロコシを受け取り、本部で引き換え券を渡
して発泡酒を2缶貰った。丁度町の和太鼓の倶楽部(?)の演奏が始まったの
で暫く観ていたら、以前一緒に自治会の理事をやったMさんご夫婦と会った。

二人で発泡酒を飲みながら旧交を温め、近いうちにまた当時の親睦会で集ま
ろうと約束して別れた。その後、同じ理事だったTさんとEさんとも道で行き交っ
たけれど挨拶だけして家に戻った。汗で汚れて気持ち悪いし、腹も空いたので
会場から去ることにした。

明日の朝はまた、後片付けが8時から始まる。

ヤレ、ヤレ・・・

 


外壁の塗装

2012年08月23日 | Weblog

 

我が家も築後24年、外壁の初回塗り替えは12年後だったから、今年2回目の
化粧直しをすることにした。

去年、東日本が大震災に見舞われたし、近いうちに東南海で巨大地震がある
とか、首都直下の大地震があるとか予想されているので、何だか無駄になりそ
うでヤな気がしないでもない。

ま、その時はその時、いつ来るか分らないものを恐れて家の劣化を放っておく
訳にもいかない。

今年の春先、近所の知人が飛び込みで訪れた業者に頼んで自宅の塗り替えを
してもらったところ、仕事が丁寧で料金も安かったと聞いた。その業者を教えて
貰い、先々月見積もってもらった。屋根と外壁だけで69万円ということだった。

初回は住宅を建てた業者(セキスイ系列)にお願いしたので、外壁とベランダの
防水、それに床下の防蟻処理だけで120万。追加で、後から近所の塗装屋さん
に屋根だけ塗ってもらったら28万かかった。それから比べれば今回はかなり安
いのだけれど、家のメンテ費用って高いなあ・・・><!

使う塗料のグレード、工事の手抜き・・・など我々に見えないところで業者は儲け
る手があるのだろうが、こういう仕事は時間が経ってみないと結果が出ないから、
客は業者を信じる外ない。数年で退色したり、カビが出たりしたらクレームを付け
たいところだが、小さい業者は果たしてその頃まで続いているかどうか・・・

                                

8月のいつか・・・という極めて曖昧な工事予定だったが、2日まえに突然「明後
日、足場を組みます」と連絡があった。

昨日の朝、慌てて玄関の三和土に停めておいたバイクを出勤前に下へ降ろし、
橋に使うアルミの踏み板やブロックを駐車場の脇に一塊にして片付けておいた。

足場は半日で組みあがったが、塗装工事が始まると暫くの間家の中が暗くなり、
風通しも悪くなるから、エアコン付けっ放しになるな・・・

ヤレ、ヤレ

 


ウィンザー・ホテル洞爺

2012年08月20日 | Weblog

  

千葉へ戻る日の前日、洞爺湖のウィンザー・ホテルで一泊する予定にしてあった。

14日朝、真駒内からバスで千歳空港へ行き、予約してあったトヨタ・レンタ・リース
でヴィッツを借り出した。最繁忙期とはいえ、待たされること1時間・・・ようやく駐車
場へ案内されて車に乗り込んだ。

・・・さて、走り出してはみたものの、初めての道だからすぐ近くの高速入口まです
ら分らない。

NAVI(・・・これも使ったことがない^^!)に行先を入力してもらったのだからNAVI
の云う通りに走ればいいものを、道路標識に直進「道央道」と出ているのに、NAVI
は左折しろと云うので、つい「そんなバカな・・・!」と直進する。

すると又、NAVIは変なところで左折、左折を繰り返させて、もと来た道へ戻そうと
する。それに構わず道路標識の「道央道」に従って暫く直進してみたが、高速入口
らしきものは現われない。仕方なく今度はNAVIの云う通りに右折、左折を繰り返し
ていたら、目指す千歳ICへ出た。何だよ・・・!(笑)

トヨタ・レンタを出てから30分くらい、高速入口の周りをウロウロしていたことになる。
ま、急ぐ旅ではないけれど、不慣れなNAVIに持て遊ばれて、とんだ時間の無駄をし
てしまった^^!

  

ウィンザー・ホテルは山の頂上にあるので、眺望は素晴らしい。東は洞爺湖、西は
噴火湾の海が広がり、周囲を遮るものがない。

手前の屋外駐車場へ車を停めて、正面入り口へ向かったらスタッフが飛び出して
きて荷物を引き取り、「地下にも駐車場がありますので、お車を移動しておきます」
という。キーを渡してチェック・インをしようとフロントへ向かったが、今度は女性の
スタッフが近づいてきて名前だけ訊き、ロビーのソファーに座らされた^^!

すぐ前の小さいステージではピアノと笛の生演奏をしている。何だか全てが大仰だ
なあ^^!・・・と思いながら待っていると、部屋の掃除にもう少し時間がかかるので、
外を散歩してこいという。

云われた通り廊下を抜けていくと建物の東側、つまり午後の日陰のコースへ出た。
2007年?だかの洞爺湖サミットの写真が掲示してある。独メルケル、仏サルコジ、
米ブッシュ等に混じって日本・福田の顔も・・・どうでもよい。

建物を一周して正面玄関へ戻ったら丁度30分、先程とはまた別の女性スタッフが
やってきて我々を部屋に案内してくれた。

歩きながらカミサンが、ロビーに飾ってある生花を指さしたら、「あれは、夏の夜の
夢とか名づけた生花飾りなんですがねえ・・・良く分りませんけどね^^!」とあっさり
自分のホテルの飾り付けをコキオロシてしまった(笑)

更にカミサンが、建物を外からみると船に似ていますが・・・と水を向けると、
「ハイ、豪華客船をイメージしたデザインらしいです」
何方か有名な方の設計ですか?
「い~え・・・そんなあ・・・大した建築家じゃあありませんよォ~!」

とこれまた簡単に切って捨ててしまった(爆笑)

どうやらこのホテルは、宿泊客を殿様気分にさせたい積りらしいが、その前にスタッ
フに余計なことを喋らせないよう再教育したほうがいい^^!

通された部屋は海側。部屋は広くゆったりしている。ベッドはセミダブル、バス・ル
ームも広くて清潔。備え付けの紅茶で一服しているうち、夕日が紅く染まり始めた。
写真を撮ろうと窓に近づいたら、窓ガラスが酷く汚れている。

高級感を演出してはいても、こんな目につくボロを出すようでは・・・やっぱり田舎の
ホテルだな!

夕食はギリガンス・アイランドでコース料理を予約しておいた。7時45分からの約
束だったけれど、ここでも15分ほど待たされた。料理は懐石風のフランス料理で
カミサンはメインの肉をオマール・エビに変更。出てくる料理はすべて美味しく、こ
こは合格^^!

オーストラリア・ワイン(白)を1本頼んでカミサンと二人で空けて、ほろ酔い気分
になって部屋に引き上げた。

2012・北海道の旅は終わった。

  


土産

2012年08月19日 | Weblog

札幌へ来るとき、孫たちへの土産は何も買ってこなかった。その代わり、欲しい
ものを一緒に買いに行く約束をしてあった。

5日目は雨模様だったので、息子の車で札幌駅前のビッグカメラ玩具売り場まで
先ず下の孫二人を連れて出かけた。

真ん中の孫は迷わず組み立てロボットのコーナーへ直行、迷った末に2体式3モ
ードなるものを選んだ。下の孫はBaと一緒に女の子らしいオママゴト・セットに傾
きかけていたが、真ん中の孫が勧めた別の玩具に決めた。

  

後でわかったのだけれど、末の孫は玩具の包装だけからでは中身が何だかよく
解からないので、兄(真ん中の孫)の勧めるままの物を買ったのだが、実は彼自
身も遊んでみたかった玩具だったらしい。(・・・ズル賢い兄だ^^!)

二人とも嬉しくて、大きな箱の入ったビニール袋を引きずる様にして手放さない。
暫くそのままにさせておいて二人とも疲れたころを見計らって「Gが持ってあげる
から」と水をむけたらようやく自分の手を離した(笑)。

一旦家に帰ってお昼を食べたあと、今度は上の孫と一緒にスポーツ用品店に出
かけた。親も行ったことがない初めての店で、予めグーグル・マップで詳しく調べ
ていたが、直ぐに発見。駐車場がないので息子は車を離れられず、孫とG二人だ
けで店に入った。

最初は遠慮したのか「僕は何も要らない」とか云っていたのだが、サッカー・シュ
ーズとウェアはどうか、とGが提案してみたらその気になったらしい。Gがいいと
思って勧めてもなかなか首を縦に振らない。どうやら拘りがあるらしい。

そっと訊いてみたら、Mizunoのイグニタスとかいう銘柄がいいという。店の人
が応対に出てきてサイズと色をいくつか出してくれた。直ぐ履けなくなるから、と
少し余裕のあるサイズに決めた。

「あとは?」と訊くとこれだけでいいと言う。「ボールは?」と更に訊くと「・・じゃあ
ボールも」という。中学生になって少し”大人”になったから、遠慮ということを覚
えたらしい。(笑)
 
  

                                 

東京の親戚数軒には、地元の人たちが行く市場で毛蟹と花咲蟹を買い、宅急
便で送っておいた。カミサンはタラバ蟹を送ろうと思っていたらしいが、味は毛
蟹や花咲蟹のほうが遥かに良い。値段は安いが、花咲が一番美味しいと思う。

   


キャンプ

2012年08月18日 | Weblog

 

11日、12日は家族でキャンプに行くというので、G、Baも孫たちと一緒に連れて
行ってもらった。

行き先は噴火湾北岸の豊浦町礼文華キャンプ場。札幌からは一般道(R230)で
中山峠を越え凡そ2時間半のドライブ。札幌市街を抜けたら後は渋滞のない一般
道で目的地までスイスイ!北海道の良さだ。

途中のコンビニでパンと飲み物を買い、走りながら車の中で軽い昼食となった。
街道筋とはいえ、山と畑ばかりの自然に囲まれた3桁国道だから気の利いた食
堂やレストランがある筈もなく、道の駅かコンビニが唯一の休憩所なのだ。

お盆休み中につき、キャンプ場の混雑を予測して息子は今朝、皆を急き立てて早
めに出発したのだが、到着した10時頃には前泊組のテントで海側の空きスペー
ス殆ど埋まっていた。

それでも敷地は広いので、我々は入り口近くで水場とトイレに便利な川側の場所
を確保してテントを張った。

 

年に数回はキャンプに来るという息子は、大きな家族用テントを手馴れた手つき
で設営し、椅子やテーブル、BBQのコンロなどを準備。その間G,Baは下の孫二
人を連れて海岸へ散歩に出た。

ここは海水浴場ではなく、遊泳禁止になっているけれど砂浜では何人かが水に
入って遊んでいた。孫たちは貝殻を集めるのに夢中で、浪打際から離れた場所
を歩き回っている。曇り空で時々日が差す程度だったから外で遊ぶには丁度よ
い具合だ。

  

テントに戻ると冷やしたビールとワイン、酒の肴が用意してあって、早速乾杯^^!
自然の中で、昼間から呑むとは何という贅沢・・・
予め息子が買い込んで冷凍しておいた肉や魚の食材と、来る途中の道の駅で
買った野菜で昼食はBBQを愉しんだ。

G,Baは腰掛けたままで殆ど何もせず、食べて呑んで孫たちと遊ぶだけの至福
タイムを過ごした。

 

夕方早めに後片付けして、車で豊浦の温泉へ行き汗を流してきた。戻ってきたら
周囲のテントは殆ど皆静かになっていて、夕食をしている家族は見当たらない。
時計を見たら9時、一寸気が引けたけれど我々はこれから夕食だ^^!

考えてみたら、温泉へ行く前、釣の好きな息子が孫を連れて近くの漁港まで釣
りにゆくと云うので、Gも付いて行った。直ぐに一匹だけ釣れた後はサッパリ・・・
Gは下の孫二人を連れて先にテントへ戻ったのだが、息子と上の孫はそれから
更に1時間以上も皆を待たせて遊んでいたから、後の予定が全部
遅くなっって
しまったのだ。


  

夜は昼と違った食材でまたBBQ。流石にG、Baはもうあまり食べられないので
夜はスナックとビール、ワインがメイン(笑)

子供たちはそろそろ眠くなったので、皆で手早く後片付け。年寄りを気遣って、
G、Baにはフルフラットにした車の中にエア・マットを敷いてベッドを用意してくれ
た。息子家族は5人でテントに。夜は冷えてきて、寝袋にもぐって寝た。

翌朝はまた曇り空。朝食は嫁がスパゲティーを用意してくれ、息子がコーヒーを
沸かしてくれた。食事のあとG、Baは留守番をしているから、と家族揃って海岸
へ出かけていった。

10時ころから雲行きが少し怪しくなってきたので、急いでテントを畳み、装備品
を纏めて車に積み込んだ。狭いスペースに上手に収納してあり、カミサンが舌
を巻いていたが、もうスッカリ手馴れている風にみえた^^!

帰りの車の中で、今晩の夕食は外食を勧めたのだが、小さい子供たちがいて
落ち着かないから、と息子が譲らず結局家へ帰って手巻き寿司をすることに。

嫁は車の運転で疲れているだろう、とG、Baは心配だったのだが、息子はクル
クルとよく動いて食事の支度を手伝っていたから、嫁は大変だったが割と短時
間で用意が整った。孫たちにとっては良かったのかもしれない・・・

G、Baにとって忘れられない夏休みの思い出になった。

 


約束

2012年08月17日 | Weblog

    

札幌に来る2週間ほど前、孫たちとスカイプで話し、1日はG、Baと一緒に遊びに
行くと約束した。

着いて2日目、息子は仕事で丁度予定が空いたので、午前中は上孫(中一)の
サッカー練習試合を嫁の運転する車で観に行き、帰りに札幌で降ろしてもらって
真ん中と下の孫二人を連れてG、Baはビッグカメラの玩具売り場へ!

真ん中の孫はゲーム機コーナーへまっしぐら。100円玉が沢山要る遊びだから
親は偶にしか連れてきてくれない^^!下孫は夢中になってゲーム機のハンドル
やスイッチを操作するが、Gにはサッパリ解からない。

途中で何度かコインを入れてくれというので、手持ちがなくなり1000円札を両替
した。あらかた使い終わったころ、カードも貯まって満足したのか止めた。

下孫は、Baを連れて幼児向け玩具コーナーへ行き、そこで大好きなアンパンマン
のぬいぐるみを一つ選んで、あとは遊びのコーナーへ。中の孫も組み立てロボット
のお試しコーナーで暫く張り付いて離れない^^!

時計を見たら1時。お腹も空いたので4人で地下の食堂へ。孫は二人ともケンタッ
キーがいいというのでナゲットを買い、G、Baは隣のモスバーガーでハンバーグを
買った。

食後は、大丸デパ地下へ行き小豆やもち米、コーヒー豆、お土産のケーキなどを
買って帰ろうとしたら、真ん中の孫が「帰る前に、僕の行きたい所がある」という。
しかし、行きかたが分らないという・・・問題だあ^^!

嫁に電話して訊いてみたら「多分東急の屋上にある遊園地だろうと思う」とのこと。
そこへ連れて行くと二人とも目を輝かせて外の乗り物コーナーへ飛び出していっ
た。またまた財布の100円玉が底をついて両替機へ。

乗り物が飽きたら、今度は屋内の遊具広場へ移動。そこでは他の子供たちと一
緒になって30分以上も走り回り、汗びっしょりになったが未だ止めない。帰りは
電車
なので遊びは途中で止めさせ、帰途についた。

電車は乗り継ぎなしなので楽だけれど、下車駅に着いたら下の孫はグッスリ眠っ
てしまった。起すのも可哀そうなので、手荷物はBaと真ん中の孫に任せてGが
自宅まで背負って帰った。・・・ふ~っ、疲れた!

ヤレ、ヤレ・・・孫と遊ぶのも一苦労だわい^^!

    
    


成田発で札幌へ

2012年08月16日 | Weblog

             
             

9日から昨日(15日)まで札幌で孫たちと夏休みを愉しんできた^^!


これまでは専ら羽田からだったのですが、今回初めて成田発の便を使ってみまし
た。わが家から成田までなら、車で30、40分の距離なので有料パーキング・ロッ
トに車を預けておけば、荷物を持って空港までの行き帰りが楽なのです。

今回はお盆休み中につき、通常の大幅割引チケットが入手し難くかったので、行
きはスカイマーク、帰りはANA(株主優待割利用)で2ヶ月前に予約しておいた。

スカイマークは初めての利用。成田発の国内便は少ないこともあってか、一社だ
け受付カウンターが一階の端っこ^^!大手とは明からさまに差別されている・・・
搭乗口もサテライトは利用できず、今どきバス利用!

機内サービスは一切なし!飲み物は有料。一時間半の極短い飛行だから、これ
で十分ではあるが・・・

千歳空港には孫たちが迎えに来てくれてい、息子のワンボックスで自宅へ向かっ
た。下の孫は生まれたばかりの時に逢ったきりだから、彼女にとってG、Baは初
対面だ。スカイプで何度か会ってはいるけれど、DNAのなせる業か直ぐになつい
てくれて、Gが抱いてもいやがらない(^^)

晩は家族揃って近所のレストラン(飲み屋?「つぼ八」)で夕食。もう少し気の利い
た処を予約するように息子には頼んでおいたのに、何だか小さい子供を交えて飲
み会のようになってしまった^^!

ま、何はともあれ皆元気で再会できて良かった(^^

               


マグロ型

2012年08月08日 | Weblog

         

マグロという魚は高速で泳ぎながら口から入る海水から酸素を取り入れていて、
止まると酸欠になって死んでしまうそうだ。つまり寝るときも含めて一生づ~っと
泳ぎ続けていなければならない因果な生き物らしい^^!

一方その対極に、マンボウのようにゆ~っくり、ノ~ンビリ、一生散歩でもしてい
るかのような奴もいる。魚の世界も人間と同様多種多様なのだ。

                               

Edは子供の時から「少しもジッとしていられない、落ち着きのない」子だった^^!

その性格はそのまま大人になっても変わることがないから、老いた今でも、偶の
休日カミサンと一諸に過ごしていると、「・・・少し静かにしてられないの!何か動
き回るから、私が落ち着かないよ!」といつも叱られる。(・・・困ったもんだ)

去年、Edは古希を迎えてしまったのだ(笑)けれど、未だに週5日、片道2時間
以上もかけて仕事に通っている。

他人は「・・・え~!未だ働いてんの?」とか「元気だねえ!」とか呆れたり吃驚し
たりしてくれるけれど、本人とすれば、身体が何処も悪くないのに家で何もせず
ゴロゴロしてたら、それこそ退屈で死んでしまいそうである。

振り返ってみると、自分は考えるより先に動き出してしまうタイプの人間だった。
早とちりで、オッチョコチョイだったのは多分その故であ      

マグロがオッチョコチョイかどうか知らないが、Edは生まれついての”体育系”な
のだろう。じっくり考えて落ち着いて行動することが苦手な性質で、謂わばマグロ
型人間だった。

性格が変わることは無い以上、これからもづ~っと死ぬまで”動き回る”ことに

るのだろうか・・・!? ・・・だろうなあ^^!

ヤレ、ヤレ

              


                                              

明日から暫く札幌へ行く。マグロ型人間にとっては、退屈しないでいられる至福
の時間になるハズである(笑)


土曜日

2012年08月06日 | Weblog

        

早稲はもう穂が実り始めて垂れ下がってきたが、遅稲はまだ穂が出てもツンと
突っ立ったままである。
田植えの時期が一月ほどもヅレていたようだから育ち
方に差が出るのだろう。

                                  

普段より少し遅い5時ころウォーキングに出たけれど、誰にも遭わない。大抵一
人か二人は見かけるのだが、陽が登り始めるとすぐ暑くなってしまうからなあ・・・

カミサンは陽が落ちてくる夕方からだし、人によっては少し遠いけれど、こんもり
した林に囲まれた小林牧場の小径へ行くらしい。

今朝は白鷺が何羽もかたまって田圃の畔や水路に群がっている。鳥たちは皆
警戒心が強いから20mも近づかないうちに逃げてしまう。写真を撮ろうとした
けれどEdのコンデジは仕事用だからズームは精々6、7倍しかない。最大に引
き寄せても豆粒くらいにしか映らない^^!

今日も暑くなりそうだ。明日はEdの班は大きな公園の掃除当番に当たっている
から、曇ってくれるとありがたいのだけれど・・・

                                

9日から札幌の孫たちに逢いにゆくので、かさばる荷物は纏めて先に宅急便で
送ることにした。息子がキャンプに連れてゆくというので、寝袋やコーヒー・セット、
携帯ガス・コンロ、カミサンの靴、孫たちへのお土産などいろいろ段ボールへ詰
め込んだ。

上の孫にはサッカーの本2冊、真ん中にはトミカの自動車2つ、下は女の子だか
らアンパンマンのキャミソール^^! 少し前、スカイプで話したから孫たちの欲し
いものは大体把握してあったから、金曜日に会社の帰りに買い求めておいた。

カミサンは「これからは、もう度々は行かれないから、帰りは少し贅沢して一晩
だけいいホテルに泊まりたい」という。

彼女の指定は、洞爺湖のザ・ウィンザー・ホテル。お金持ちの友達が二人いて、
二人とも絶賛していたらしい。Edはそんな高級ホテルなんぞに泊まりたくはない
のだけれど、反対するとご機嫌斜めになるので、先月予約をいれておいた。

LCCも増えたし、シーズン・オフを狙えばこれからだって北海道はもっと気軽に
行けると思うのだけれどなあ・・・

ヤレ、ヤレ・・・暑い夏が余計暑くなりそうだ・・・

 
 


記憶力

2012年08月03日 | Weblog

              

先だって亡くなったJinさんが、彼の書きかけた「私の履歴書」を残していった。
彼の子供の頃から働き盛りの40代ころまでで、彼の確かな記憶力には感心
させられたのだが、さて自分はどうか・・・?

終戦の年Edは4才だった。空襲が最も激しかったころは、まだ3才半だったか
ら、母親か上の姉に抱かさって逃げまどっていたに違いないのだが、落ちてく
る焼夷弾とか街が焼ける様子とか、防空壕などの記憶は無い。

戦争の記憶は、もう少し大きくなってから大人の話を聞いたり、焼け跡や赤土
の防空壕、コンクリート壁に残された機銃掃射跡や六角形の焼夷弾跡をみて、
戦争の爪痕として自分の記憶に残った。

定かではないが、Edの最も幼いころの記憶は多分5才頃、痩せて背の高い男
が大声で「早く出て行け!」と怒鳴っている足元で、母親にしがみついてビービ
―泣いている自分の姿である。

後から考えて、あれは住んでいた家を大家か債権者に追い立てられていたの
だろう。それから暫く経って、我が家は焼け野原にポツンと一軒粗末なバラック
を建てて移り住んだ。Edが小学校に入学する少し前だったと思う。

                                 

衣食住すべてが足りない貧しい中、それでも雑草のように育ち、病気一つしな
いで学校を終えた。

最終学歴は短大だったから20才で働き始めた。現在の小松ゼノアの前身で
ある古い貧乏会社で従業員は1000人くらい、バイクのエンジン、農機具、軽
自動車などの製造・販売、航空機のエンジン・オーバーホールなどが生業だっ
た。

毎日、残業に次ぐ残業でカツカツ食える程度の安給料だった、結婚して5年ほ
どした頃、ついにカミサンが音を上げた。これじゃあ家族4人食べていけない、
どこかもっと好いところへ転職して欲しい!

29歳のとき初めて外資の会社に転職した。日本ブラウン・ボべり(株)という
スイスの重電機・産業機械メーカーの日本支社だった。

この会社のお蔭でEdは”聞いて話す”英語というものを、OJTで身に付けた。
給料もこれまでの倍以上になり、ボーナスを含めた年収は3倍になった。
戦後25年ころの日本企業の給与レベルは未だ外国企業と比べて格段に低か
ったのだ。

Edが若かったこともあり、BBCでは上司、先輩からとても良くしてもらった。
全てが順調に周り始め、仕事が毎日楽しくて仕方なかった頃で、Edにとっては
人生の中で最も青春を謳歌していた時代だったかもしれない。

空を鳥のように飛ぶ夢を良く見たのは、このころである^^!

もうあれから40年も経つのに、BBCで一緒に働いた人の名前は殆ど全員憶え
ている。記憶力のないEdにしては何とも不思議な気さえするのだけれど・・・

Mr.フルッキガ-、Mrエッター、Mr.ビンダー、岡田さん、並木さん(鬼籍)、
中井さん、赤岩さん、伊藤さん、黄さん、増沢さん、村越さん、湯浅さん、柴崎さん、
寺村さん、加藤さん、喜多さん、白鳥さん、佐藤さん、井上さん・・・

その後、他社との合併で社名はセアトBBCに変わってしまったから、会社が存
続しているか否かもわからない。一緒に働いた皆さんは今も健在だろうか・・・

            


右往左往

2012年08月02日 | Weblog

               

この暑い中、JR武蔵野線と京浜東北線のポイントやら信号トラブルで、一番人
が集中する朝の出勤時間帯に右往左往させられた・・・><;

最初は、成田線の車内電子掲示板で、武蔵野線の南越谷駅でポイント故障の
ため上下線で運転見合わせ、というテロップが流れた。

我孫子で千代田線に乗り換えたら、社内アナウンスで、武蔵野線は吉川美南と
西船橋間で折り返し運転しているが、他の路線での振替え輸送を利用して欲し
いという。復旧見通しも立たないということだったので、赤羽経由、埼京線で行こ
うと決めた。

日暮里で降りて、乗り換えの京浜東北線を待つこと15分、やっと来た電車は止
まったまま一向に動かない。大宮で信号機の安全確認をしているので、電車が
各駅に止まっているのだという。

やがてドアが閉まって動き出したので、ホッとしたのも束の間、ノロノロと走って
は止まり、走っては止まって隣の西日暮里まで来たが、それ以上は動かない。
・・・ったく、もう!

仕方がないので、駅のアナウンスに従って上野まで引き返そう、と反対側の山
手線に乗った。しかし山手線は「混雑のため」という理由で、これまたサッパリ
前に進まない。今日は一体全体どうしたことだろう・・・日暮里辺りでウロウロす
るばかりで、時間だけが過ぎてゆく。

ようやく日暮里駅に着いたので、待っていた常磐線快速に飛びの乗ったら・・・
あちゃ~~~!反対方向へ向かう下り電車だよ!

もう何から何まで歯車が狂ってしまった。三河島で上り電車に乗り換え、上野
へ着いたら8時20分。普段なら、もう南古谷へ着いてる時間だ。

高崎線・宇都宮線ホームへ行くと、32分発の宇都宮行きが待っていた。大宮
までは30分もかからず、大宮から川越線に乗り換えて、9時40分に下車駅の
南古谷へ着いた。

ヤレ、ヤレ・・・朝から飛んだドタバタ騒ぎだわい!

しかし、一つ学んだのは、赤羽、大宮方面は高崎線、宇都宮線が便利なこと。
赤羽へは日暮里で降りて京浜東北を使うより、上野まで行って高崎、宇都宮線
の方が早いのだった^^!