Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

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高尾山(1101)

2011年09月29日 | Weblog

 
 

今日(29日)は天気も良さそうだったから思い切って高尾山へ行くことにした。震災直前に再発した坐骨神経痛のせいで今年はまだ一度も登っていない。かなり脚の痺れは回復したけれど、自信がなかったから友達は誘わず、先ずは自分独りで試してみることにした。

家を出るときは雲っていたけれど11時高尾山口に着くころはよく晴れ渡って気持ちよい。ウィークデイ(木曜日)につき何時もより登山客も少ない。1号路は倒木と一部道路の崩落で通行止めになっている。我らの定番6号路は何も表示が無いところを見ると歩けそうである。
一年ぶりだ。さすがに足腰が弱ってしまってペースは上がらない。11時に歩き始めて最初の休憩ポイント(木橋を渡った先のベンチ)まで40分くらいかかった。

汗でシャツが湿ってきたのでTシャツ一枚になる。ようやく沢沿いの小川をさかのぼる地点に着いたら倒木で通行止め。結局そこから稲荷山コースへ迂回させられた。前回の台風の影響だろうか、歩けるコースもあちこち倒木があって道を邪魔している。

12時半頂上。残念ながら晴れていても遠くに雲があって富士山は薄っすらとしか見えない。小学生の集団が多かったけれど一般の人は休日ほど多くないのでベンチ代わりの石垣は空いている。木陰で買ってきたお昼を食べた。

登りでスッカリ草臥れてしまったので帰りは距離の短い琵琶瀧コースを行くことにした。外国人が多い。途中で中国人らしい若い娘さんに呼び止められた。”この道で高尾山口駅にでられますか?”という。1号路は通れないから途中で琵琶瀧コースに折れるかケーブルカーに乗るしかないと教えてあげた。

琵琶瀧コースは勾配がやや厳しいので通る人も少ない。久しぶりだったのでEdも最後のほうは脚がガクガクしてきた。瀧まで着いたらホッとした。以前はこんなではなかった。やはりこれからもっと鍛えないといけない。5時帰宅。疲労困憊だぁ^^!

 
 
 
 
 
 

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電力

2011年09月26日 | Weblog

          

東日本大震災以降、Edは国民の大多数が知らぬ間に原発がこの狭い国土に54基も造られていた、という事実を知って本当に驚かされた。福島第二原発の爆発事故で大量の放射能が東日本全体にバラ撒かれ、ようやく原発の危険性に目が覚めた気がする。

Edもそれまでは原発が危険なものという認識がなくて、むしろ無関心だった。けれども今回の事故を切っ掛けにNETで原発のことをいろいろ調べてみて愕然とした。福島以前にも度々「事故」はあったのに政府、安全委、電力会社は全て事故扱いせず唯の事例とし、公にしてこなかった。つまり真実を隠蔽してきたのだ。

原発の実体がどのようなものかは、15年前に亡くなった原発組立技術者・平井憲夫さんの手記を読めば良く分り、背筋が寒くなる。日本の技術は優れているから・・・とか、福島は例外だ・・・などとまだ思っている人がいたら是非一度読んでもらいたい。

政府・原発推進派と電力会社は「電力の1/3は原発で賄われている」とか、「代替エネルギーはまだ無い」とか「石油はいずれ枯渇する」などとよく言う。Edはすべてウソだと思っている。
この夏電力が不足すると大騒ぎし、我々は節電に努め産業界はピーク時の電力平準化に協力した。たったそれだけで真夏のピーク時を乗り切れたではないか!しかも尚、実際に稼動していた原発は54基中たった十数基だったのだ。

「石油資源枯渇」のデマは定期的に起きる、というより金儲けのため誰か意図的に騒ぐ奴がいる。代替エネルギーについては、「無い」のではなくてこれまで本気で育てていこうする努力を政府はしてこなかっただけだ。いや、むしろ意図的に増えないような仕組みにして、足を引っ張っていたフシがある。震災後東電は外部の発電事業者から1000万キロワットほどを購入したが、経産省(役人)は価格を低く抑えて買い取らせ、新規参入の発電業者に負担をかけさせていた。新規発電事業者、ひいては代替エネルギー発電の参入を阻害している。

日本は発電会社が配電まで一括して事業を行っているけれど、電力会社はまるで専売公社のごとく振舞っており、発電の効率化や安く電力を供給しようなどという努力は全くナオザリにされている。日本が世界一高い電気料金の所以である。国は早急に電力供給システムを改めて発電会社と配電会社に分社化を図るべきである。

国民の不安を省みない政府、電力会社は定期点検で停まったままの原発を再稼動しようと必死になっている。・・・まだ福島の事故の収束すら覚束ないというのに・・だ。
今こそ脱原発に向けて大きく舵をきり、早急に代替エネルギー発電の開発と普及に取り組まなければならない時なのではないだろうか。


   ☆写真は「NAVERまとめ日本で稼動中の原発一覧」より美浜原発☆
ここでも2006年8月に腹水配管からの蒸気漏れ事故で5人死亡、6人重軽傷の大事故を起こし、大量の冷却水が漏れ出して一時原子炉溶融の危険に晒された。

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ウッカリ忘れる

2011年09月25日 | Weblog

お隣のKさん宅はEdの家と道路を挟んだ向かい側である。去年旦那さんを亡くされたので今は奥さんの独り住まいである。

先日Edが車を出そうとしてフと見ると、そのお隣のKさんが車を半分出しかけた状態で車庫の伸縮式門扉と何やら必死に格闘している。Kさんと目が合った。どうやら手助けをして欲しい様子。

傍へ行ったら事情が飲み込めた。車庫から出かかったところで車が蛇腹式門扉を外へ押し出すようにして停まっていて、門扉が大きくカーブした状態のままなので、Kさんがいくら力づくで蛇腹を縮めようとしたって縮まるものではない。どうやらウッカリして伸縮式門扉を開けるのを忘れて車を出そうとしたらしい^^!

Kさんに「エンジンは掛かりますか?」と訊ねたら、掛かるという。 蛇腹が車のバンパーに少し食い込んでいたので、Edが蛇腹を車から離すように押さえておいて、Kさんに車を元の駐車位置まで戻してもらった。

伸縮式門扉は壊れることなくもとの姿に戻ったし、車もリア・バンパーに少し傷がついた程度で大事には至らなかった。

Kさんは恥ずかしそうに「・・・うっかりして、門扉を開けずに車を出そうとしてしまって・・・^^!」とご自分の頭を叩いていたけれど、”うっかり”は歳をとると誰でもだんだん増えてくる。他人ごとではない、Edも気をつけねば・・・

           

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振り替え休日出勤

2011年09月25日 | Weblog

 

土日が振り替え出勤日となって3ヶ月、今回(24日・25日)が最終回である。慣れてしまえばどうということは無く、むしろ銀行や役所など窓口に用事があるときは返って都合が良かったりする。通勤は朝夕とも電車は空いていて楽だったし、勤め先では、あれば何時もてんてこ舞いさせられる顧客からの電話は殆んど無かった^^!

週一の陶板浴も普段の日は(特に男性用)はガラガラで、何となく引退後の生活を試してみたような気分だった。これで本当に電力使用のピークが下がって需給が平準化されるなら(原発廃止のためにも)このままづっと続けても個人的には一向に構わない。

唯一呑み友達にとってはチョッと不都合だったかも。だってEdの希望日は華金ならぬ華水だもの(笑)。水曜日の夜じゃあ土日休みの人には「何だかなあ・・・」と感じたんじゃあなかろうか。
だけど飲み屋だって普段の日は金曜より空いていて無闇に騒々しくなく、良かった。

そんなこんなで振り替え休日出勤も終わって10月からはまた元通りだ。
飲み友達の皆さん、また宜しくね^^!

 

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台風一過

2011年09月23日 | Weblog

 
 

紀伊半島ほか関西各地に大きな被害をもたらしたノロノロ台風12号に続き、15号も九州・四国沖でグズグズして大雨を降らせていたが昨日ようやく本州を縦断して北の海上へ抜けた。

一昨日(21日・水曜)の朝、Edは電車は止(や)めにして車で出勤した。予報では昼から風雨が強くなるということだったし、傘は使えそうもないから歩けばズブ濡れになるのは目に見えていた。

午後2時ころ会社から仕事を切り上げて早めに帰宅するように、との指令が来た。後片付けをして3時ころ川越の勤務先を出た。風が相当強くなってきたし時折横殴りに大粒の雨が混じる。普段の帰宅時間より大幅に早かったから道路は空いていた。視界も悪いし突風を恐れてか前を行く車は大型トラックも含めて皆ゆっくりで走っている。飛ばさなくても4時半すぎには濡れることなく無事帰宅できた。

走行中ラジオを聴いていたら、Edが利用している武蔵野線も成田線も全線止まってしまった。今回の台風は上陸後速度を速めて急速に北上したから、普段より少し早めの4時ころ帰途についた都心部の人たちは足を奪われて大変だったようだ。大震災以来の帰宅難民である。多くの企業は時間を惜しんだのか台風を甘くみたのか、判断が悪かった。もっと早く正午頃に帰宅指令を出していれば大多数の人が帰宅難民とならずに済んだのに・・・

Edは自宅の雨戸は全部閉めて日除けの簾も外して台風に備えておいたが、幸い風が少し強かった程度で何事もなく過ぎ去ってくれた。翌日は雲が切れて青空が広がり清々しい朝となった。久しぶりに台風一過を絵に描いたような朝だったから写真を撮りながらのウォーキングとなった。

 
 
 
 

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義捐金はどうなった・・・

2011年09月22日 | Weblog

                               

政府もNHKも民放各社もその他メディアも震災直後はこぞって大々的に義捐金を募った。6ヶ月経った今もNHKなどは義捐金をまだ受け付けていますと更に国民の協力を要請している。

それはよい。問題は「その後」である。Edが知るかぎり各団体で集めた義捐金が一体どれくらいあって、それが何処へどのように配られたのか調べても皆目分からない。ことに日本赤十字社並びに共同募金会など大手が集めた義捐金は(EdがNETで調べた数字では)8月初めの時点で総額3000億円あまりあったはずで、そのうち2600億円が被災15都道県へ一次、二次分として配られたらしいが、それらの大部分が未だに被災者へは届いていないようだ。配分方法が難しいという理屈もある程度は理解できる。しかしそれならそれで、現状はどうで今後どうするということを政府(各自治体?)は国民に説明しなければならない。

全国民の善意の義捐金を、集めるだけ大々的に集めておいて、集めた後は知らぬ顔では済まされない。責任ある政府、団体、NHK、大手マスコミなどは明確に集計結果を国民に説明しなければならないし、途中で定期的に行うべき経過報告すらきちんと行っていない。これでは全くの一方通行ではないか!

こんないい加減なやり方では”更に義援金を!”と云われてもEdなどは、これ以上寄付しようという気が起きない。被災地の窮状を見るにつけ、もう少し寄付金を送ろうかと考えている方も多いと思うけれど、現在のような一方通行で説明責任を果たさない募金集めは、善意の足を引っ張る。

                                 

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さようなら原発1000万人アクション

2011年09月20日 | Weblog

敬老の日の19日(月)明治公園へ出かけた。大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さん等著名人9人が呼びかけ人となっている「さようなら原発集会」に参加するためだ。

ライブが始まるのは13:00時だったからそれまでに着けばよいと思い、12:40ころJR中央・千駄ヶ谷駅に降り立った。何と、駅ホームは人が溢れていて改札口を出るまで20分以上かかった!

            

改札を出ても更に、公園までの道が人で埋まっていてなかなか前に進めない。ようやくのことで公園へ辿り着いても人、人、人・・・で何処に何があるのかサッパリ分からない。人波を「掻き分け掻き分けして外周から少し内側へ潜り込んだらようやく遠くの方5、60メートル先にステージが見えたけれど、蒸し暑さと人混みで到底その近くまでは辿り着けないと諦めた。

           
           

周囲を見回していたら千葉県の教員やら企業グループの幟が数本かたまっていたので、また人波を掻き分けて近づいてみたけれど、勿論知ってる顔なんてある筈もなく、疲れてその場でそのまま暫く突っ立っていた。

見たところグループ参加が多いようであるがEdのように個人参加だってかなり沢山いると思う。しかし当日配布されたプログラムはEdが到着した頃は何処で配られているのか、あるいはまだ残っているのかいないのか皆目分らず、従って会場がどのように区分けされているのかなんて、後から到着した我々には知る由もない。

もう少し早く来るべきだったと後悔したけれど、事務局もせめて案内係りを多く配置するとか、会場のあちこちに参加者の区分け表示でもしておいてくれれば良かったのに・・・と愚痴もでる。
後でニュースで知ったのだが主催者発表で6万人だったそうだ。・・・ホントか知らん。それにしても明治公園では会場が狭すぎたよ!

結局楽しみにしていた大江健三郎さんの話は聴けず、落合恵子さんや鎌田慧さんなど他の著名人たちも見ることは出来なかった。足腰が弱った老人は帰りの電車の混雑が心配になり、予定の時間がきても一向に出発しないパレードには参加せず、一足早く個人で原宿まで”パレード”して帰ってきてしまった。根性なしのEd爺でした(笑)

                

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一芸

2011年09月18日 | Weblog

物造り、歌、俳優、文学、芸術、スポーツ・・・どんな世界、どんな分野にしろ、「これだけは他人に負けない」あるいは「一流だ」と誰もが認めるような一芸に秀でた人はそう多くない。

天才は別にして、持って生まれた才能が花開くのは、大抵永い時間をかけて一つのことにたゆまぬ努力を払ってきた結果で、同じような努力を払って「一流」にはなれなかった「その他大勢」の人達より、ほんの僅か余計に努力したか、工夫をしたか、あるいはチョッとだけ幸運だったかであろう。

サラリーマンの世界ではたとえ或る分野で「一流」になったとしても、それだけを頼りに一生歩き続けるということは出来ない。サラリーマンというのは”目指す”という類の職業ではなくて、食べていくためには最も手っ取り早く、誰でも特別な才能も要求されずに出来る気楽な”労力提供”職業だから仕方ない。

それでいて事務職のサラリーマンたちは鳶、左官、大工、職人など現場での汚れ仕事を一段低く見て嫌う傾向があるけれど、Edなどは今にして考えると、大工の棟梁に丁稚奉公して建築職人になったほうが良かったかな・・・と時々思う。

先日NHKアーカイブス「あの人に逢いたい」で去年亡くなった女優・北林谷榮さんを見た。歳とってからお婆さん役に嵌まり、映画に舞台に大活躍した方だから子供でも知らない者はなかった。彼女がそうなるまでには、他人の見ていないところで常に人間観察の弛まぬ努力と役づくりへの大いなる拘りがあった。

あるとき若い人から「どうしたら北林さんのように上手にお婆さん役が出来ますか?何かコツのようなものがありますか?」と訊かれたけれど、そんな旨い話は何処にもありませんよ、と笑っていたけれど、とにかく老人の仕草、ものの考え方をジックリ観察し、些細なことでも決して見逃さないよう集中したという。更に役で着る物への拘りも強く、現実にお婆さんが普段着にしていたものをそのまま譲ってもらったりするのだそうである。今まで着ていたその方の匂い、体臭を感じると、演技をしているにも拘わらずウソには思えなくなってくるのだという。

北林さんは一芸に秀でた女優さんだったから98歳で亡くなるまでづ~っと現役で通された。
素晴らしい!

                 

                 ☆写真はNHKアーカイブス「あの人に逢いたい」番組案内より

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長寿

2011年09月17日 | Weblog

                  

震災で春の彼岸には墓参りをしなかったので、昨日近くに住む義姉夫婦と連れ立って行ってきた。いつもの通り最初は小平霊園次いで国分寺の祥応寺へ廻った。誰か最近訪れてくれた人がいたのだろうか、どちらの墓も雑草は殆んど生えていなくて掃除が楽で助かった。曇りで時たま陽が出る程度だったけれど外の作業は蒸暑くて叶わない。早々に切り上げてカミサンの実家へ向かった。

墓参りのあとは決まって4人姉妹で実家の長姉の家に集まり、何時果てるとも知れないお喋りになる。Edも義兄も辛抱強く終わるのを待つだけだから食事のあとは退屈この上ない。そういう訳でEdは予め単行本を一冊携えていったから終わるまで読書で過ごした。

この姉妹も何時しか皆年取って、改めて年齢を確かめあっていたから聞くとはなく聴いていたら、上から順に86、80、74、68である。体力は落ちてきているものの皆まだまだ元気だ。二番目の義姉だけは独りになってしまったが、残りは3人とも旦那は健在!日本人は長生きになったものだ・・・^^;
長姉の旦那は確か88であるが、俳句の先生をしていて弟子が2、300人いるので年中忙しくあちこち動き回っている。そのせいか少しも老いた素振りがなく、兄弟の中で一番元気かもしれない。自分の好きな道を歩きながら何がしかの収入もあり、生き甲斐になっているのだろう。

ここまで来ればカミサンたち姉妹の中で”若い”とか云っても五十歩、百歩!誰が一番先になっても不思議はないけれど、見たところ全員まだまだいけそうである(笑)。女性たちは頑張って長生きしてくださいね。

                  

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鳥目

2011年09月13日 | Weblog

                       

夜が明ける時間が大分遅くなってきて今は日の出が5時20分くらい、Edがウォーキングに出る4時頃はまだ真っ暗だ。昨日の朝は霧が深かったから田圃道はポツン、ポツンと見える街灯だけが頼りである。

用水路に沿って歩いていたら、いきなりバタバタッと羽音を立てて大きな鳥が飛び立って闇に消えた。アオサギか中サギらしかったが一瞬のことだし暗くて良く分らなかった。鳥はEdの足音に吃驚したらしいが、静かにしていれば人間は気がつかなかったものを・・・と思いながら、ハテこんな真っ暗闇に飛び出して彼等は一体目が見えるのだろうか???ふと疑問に思った。

鳥目というくらいだから、夜目が利かないのではないだろうか・・・そう思ってGoogleで調べたら、どうやら知らない人間の思い込みにすぎないらしい(笑)

昼間動き回っているサギやカモなどは人間より夜目が利くらしいのだ。一般的にキジやその仲間の鶏など地上の生活が主な鳥は夜目が利かない「鳥目」で、飛ぶことが得意な鳥や特に渡りをする鳥は視覚が優れていて夜でも良く目が見えるそうである。知らなかった。

考えてみたら、夜川に入って餌を探していること自体、目が見えている証拠だったw^^!

                

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チャレンジと摩擦

2011年09月11日 | Weblog

五木寛之の「親鸞(上・下)」を読み終えた。予備知識は全く無かったものの吉本隆明氏と糸井重里さんの対談(ほぼ日刊イトイ新聞)を読んで、親鸞は持って生まれた釈迦のような飛び抜けた存在という、漠然としたイメージを抱いていた。

                       

しかし五木寛之の描く親鸞像はそれとは異なり、優れた頭脳と不屈の精神力を持った人ではあるけれど、あくまでも真実を追求する哲学者のごとく、既存の教えに妥協することなく己の信ずる道を普通に生きようとした純粋な人間だった。”破戒僧”のごとくなったのは、比叡山で学問に励み苦難の修行を積み重ねて尚、仏とは、浄土とは、悪人とは、善人とは・・・など真実を求めれば求めるほど分らなくなり、悩んだ末に最期の師となる法然に巡り逢った後のことであった。師の法然も、親鸞も仏の前では貧富・善悪の区別なく全ての人が平等であり、貧しい人達こそ救われるべきなのに、善行を行い喜捨すれば極楽往生が叶うという従来の教えは間違っているのではないか、という考えで一致していた。法然が選択(せんちゃく)によって辿り着いた「南無阿弥陀仏」という念仏行の教えに親鸞は帰依し僅か4年後に法然から自分の後継者して認められる。

法然は比叡山を離れて市井の聖となって後も最後まで山での戒を捨てきれなかった。そこにまだ旧い教えを完全には切り捨てられない迷いがあった。けれども親鸞はあくまでも己の信ずる真実を追求するがために決然として乞食坊主となる道を選んだ。だから法然は親鸞こそが自分の真の教えを理解し、いづれ自分の後を継いで更に教えを発展させられる人間だと信じることが出来た。


南無阿弥陀仏と唱えるだけで誰でも極楽へいけるという教えは次第に広まり、これまでの仏門の総本山たる比叡山は大いに恐れた。そのため機を窺っていた比叡山は後鳥羽上皇の私憤を利用して念仏行を禁止させ、主だった法然門徒はことごとく処刑されたり流罪にされてしまう。親鸞も俗人として越後に流されるところで小説は終わっている。

                       

時の権力者というのは自分たちの既得権を守るためには、あらゆる手立てを使って都合の悪い相手を貶めたり抹殺しようとする。これは今も昔も全く変わらない人間の業の深さかもしれない。

丁度今、平野貞夫の「小沢一郎完全無罪」(特高検察が犯した7つの大罪)を読んでいる。検察が自分たちの”裏金”問題を隠蔽するため、官僚政治からの脱却を目指す小沢一郎の追い落としを執拗に図り、ありもしない不正政治献金問題をでっち上げ、元秘書の石川議員を強引に逮捕したり、事務所で働く子供のいる女性秘書を騙して呼び出し9時間も拘束して恫喝するなど、デタラメの限りを尽くしているようだ。厚生労働省の元課長村木敦子さんの冤罪事件はまだ昨日のことのように耳新しい。正義であるはずの検察がこんなあくどい不正を働く腐敗集団であっては日本に将来はない。


                        

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ステーキ

2011年09月10日 | Weblog

                

先頃思いがけず肺炎と診断されて10日間ほど寝たり起きたりしていたカミサンも、ようやく回復して今週は仕事に出ている。肺炎を患って彼女の得た結論は「やっぱり体力つけなきゃダメね!」だった。

もともと和食好きだった上に歳をとって益々肉から遠ざかりつつあったカミサンだったが「たまには年寄りも肉を食べよう」と言い出してステーキを買うことにした。

スーパーや生協の牛肉は安いけれど臭みがあるのだという。Edは臭いに鈍感だから安いほうがいいと思うのだけれど、どうせたまに食べるのだからと奮発してEcopeerで一切れ1700~1800円のステーキを買ってきた。このところの放射能汚染の問題もあって牛肉の人気はイマイチらしいけれど、一切れ100gにも満たないステーキにしては高価だ。しかし塩コショウしてバターで焼いたら流石に柔らかくて美味かった。

ビールでは合わないので少し冷した赤ワインにした。こういうチョッと気取った食事だとリラックスして酒も食もすすむので多少過ぎる嫌いはあるが、翌日は仕事を控えているから程ほどで終えた。なのに翌朝目覚めたら何となく胃が重い。普段食べつけないものを食べたからだろうか、それとも老化で消化機能が衰えたのだろうか・・・いづれにしろ、年寄りが体力をつけるのも簡単じゃあないのだった(笑)。

                     ☆写真は本文とは関係ありません。

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バイク虫干し

2011年09月09日 | Weblog

        

バイクに乗る機会も最近めっきり減った。6月に信州へ行ったきりづ~っとカバー被せたまま真夏をやり過ごしたから、また蜘蛛の巣でも張っているだろうと思い、久しぶりに爽やかに晴れた昨日(8日・木曜)重い腰を上げた。”橋”を架けるのも億劫だったけれど、気合を入れて玄関のたたきからバイクを下ろした。

前回乗ったとき掃除も十分してなかったからよく見ると細かいサビが、これまで綺麗だったフロント・サスペンションやハンドル・バーにまで浮いてきた。あ~ぁ・・・いよいよ乗り手同様、全体がポンコツになってきた(笑)
メッキ部分は一当たりウールで磨き、レバーやフット・ペダル可動部分にはKURE5-56で潤滑してやった。皮パンはさすがにまだ履く気にならずジーンズと夏用ジャケットを着た。エンジンは最初だけブスブス云っていたけれど、難なく始動してくれた。やはり”ご老体”だわい・・・

        

裏の田圃道からR356へ出た。震災後一度も銚子を訪ねてないので見ておきたいと思ったのだ。ウィークデイだし時間も10時では道は空いている。利根川は茶色く濁って何時もより水嵩も高いようだ。千葉県有数のこの辺り下総穀倉地帯は黄色に光って米の刈り取りが始まっている。

一持間半でいつもの君ヶ浜へ着いた。銚子市内に入ったら、味噌やら、魚の干物、磯などの雑多な匂いに満ちていて、いつもと少し違う気がした。海岸線はどうなっているかと、目を凝らしたが以前と変った様子はない。海縁のレストラン「一山いけす」も営業しているようだ。この辺りは津波の被害は限定的だったようだ。
砂浜へ出たら、辺り一面打ち上げられたら流木とゴミが散乱していて、綺麗な砂浜は波打ち際だけだった。市では公園の清掃にまで手が回らないのかもしれない。

日差しが強くなってきたので30分ほどだけ過ごして、来た道を引き返した。
途中、佐原市内の二車線道路で内側レーンを走っていたら、外側レーンの真横にいた車が道路左のレストランへ入ろうとしていきなり左折を始め、危うく引っ掛けられそうになった。Edが死角に入っていたらしく、お互いにヒヤッとしたが間一髪事故を免れた。いや~・・・もうてっきり当たった!と思った。アセアセ・・・

近所のスタンドでガスを充填してから帰宅。今回は仕舞う前にバイクをすっかり掃除した。来月末ころRLC・AAMで一泊ツーリングの計画がある。

         
         
         
         
         

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応急処置

2011年09月07日 | Weblog

先日(木曜日)デジカメのスイッチが機能しなくなったので、近所のY電気へ修理に出そうと思って出掛けていったところ生憎店がお休みだった。仕方なく持ち帰ってきたが、このままだと修理が更に又一週間も遅れると思い何処が悪いのか調べてみた。

以前、バッテリー固定用の爪(所定位置まで押し込むと横からプラスチックの爪が出てきてバッテリーの隅をカチッと押さえる)が折れたことを思い出した。その時は、そのままバッテリー・カバーを締めてみたら何事もなく普通に作動したので、今日まで忘れていた。

念のためカバーをしない状態で指でバッテリーを所定位置に押さえておき、スイッチを入れてみた。すると、スイッチは問題なく作動する!
ということは、バッテリーが爪でロックされていないので下のスプリングで浮きあがり電極が充分接触してなかったのだ。

応急処置としてはバッテリーとカバーの隙間に何か詰め物でもしてやればよい。やや厚みのある両面テープがあったので、小さく切った小片をカバーの裏側に貼り付けてみた。成功!
カバーはスライド式だから動きは渋いけれど一旦閉めてしまえば問題ない。これで当面は使える。ヤレヤレ、窮すれば通ず、暫く応急処置のままで我慢しよう^^!

   

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白頭翁

2011年09月05日 | Weblog

Edがリターン・ライダーとなったのは、たしか56、7だった。最初の半年か一年ソロで走って近場の温泉めぐりをしていたが、飽きてJAB-NET(Japanese アメリカン・バイカーズ・ネット)の仲間にいれてもらった。インターネットで知ったグループだから、何しろ逢ったこともない見ず知らずの人達ばっかりだから、最初はオッカナビックリだった^^!

                   

JAB-NETは全国ネットだからいくつかの支部に分かれてい、Edは当然関東支部だった。最初のミーティングでオジンライダーさん、ゴン太さん、ZOOMさん、いちさん他数人の方とお会いした。皆大人しい良識のある人達ばかりでEdの当初の心配は杞憂に終わった。以来十数年つかず離れずJABで知り合った皆さんとの親交は今に続いている。

特にオジンライダーさんとは同い年ということもあって、二人で還暦祝いに能登半島一周したり、北海道は二度2004年と2009年に一緒に走った。彼が現役を退く65まではバイクを離れたオフ会でも、ケントスで踊ったり秋葉原や上野で遅くまで飲み歩き、終電が無くなって翌朝始発で帰ったことも何度かあった^^!彼のおかげで老若男女たくさんのバイク仲間と知り合うことができた。感謝!

                  

バイク繋がりで、もう一つ忘れることが出来ないのは同じスズキLC乗り(台数が極めて少ない)で親しくなった面々で、Vienaさん、MOMOさん、Turboさん、Tobiuoさん、のりPさん、John Inchさん他数人。
Edは最初乗っていたホンダ・スティード600
は2年半で手放し、その後スズキLC1500に乗り換えた。ところがこれがクセモノで、最初はクラッチ・フルード、次いでブレーキ・フルードが、いづれもベーパー・ロックでクラッチが切れない、ブレーキが効かないというトラブルに見舞われ往生した。そこでメーカーに強行な苦情を申し入れた結果、エンジン熱害対策として遮熱材と補助冷却ファンを取り付けてもらい以後再発してない。初めは手こずった奴なのに直ったら乗り心地はいいし、力はあるし次第に愛着が出て今年で11年目である。

似たようなトラブルの経験談は同じバイク同士だから余計親近感が湧くのだろうか、この集まりは結束が固い。メンバーが関西と関東に跨っているので、集まりは年に何度か泊まりがけですることになる。これは楽しい!
さらにさらにAAMと名づけられた集まりで、大阪の女性ライダーズ・グループ「Karenai's」との合同ミーティングもあって、こちらは一層華やかである^^!

                  

ところが最近、徐々に周囲の状況が変化しつつあるようなのである。バイクを乗り換えてしまったり、健康を害して降りてしまったり、新しい趣味に転向したり・・・と昔の仲間がバラけて来つつあるらしい。ま、Edは最長老の一人だし物事がいつまでも続くと思ってはいないのだけれど、そのような周囲の変化に「いつの間にか充分過ぎるほど歳をとってしまったのだなあ」、と気付かされるのである。

年々歳々花相似たり 
歳々年々人同じからず 
言を寄す全盛の紅顔子 
応に憐れむべし半死の白頭翁 

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