Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

ガードレール

2011年08月11日 | Weblog

夏休み初日の昨日(10日)はカミサンは友達と出掛けたので、エアコンつけて家の中に引きこもっていたのだけれど、流石に朝からだと退屈になり14時ごろ猛暑の中思い切って隣町の図書館へ行った。隣町といっても国道(R356)を跨いですぐ向こうだから歩いて10分ほどの距離である。

庇の大きいカウボーイ・ハットを被り、Tシャツに半パンツだからこれ以上の軽装はないのだが、それでも日陰を探して歩かないと暑くてやりきれない。R356には歩道というものがないお粗末な3桁国道である。Edの家から図書館へ行くにはこのR356を100mほど歩くのが最短距離なので、車道の脇、ほんの僅かのスペースをヒヤヒヤしながら歩く。

          

信号を渡ると、道の両側に数十メートルにわたってガードレールを設置してある。そこを歩きながら「何だ、こりゃあ・・・」と思った。普段車に乗って通るだけで気にもかけていなかったのだが、ガードレールの内側、つまり本来人間が歩くべき所にスペースがなく、民家の塀にくっついている! 両側とも同じ具合になっている。3桁とは云え、国道なのにガード・レールがガードしているのは人間じゃなくて「塀」かい? 「へえ~・・・」なんて笑ってすまされないよ。これだって国の”立派な”税金の無駄使いだ!

          

図書館では山本周五郎の大炊介始末を少しだけ読んで1時間半ほど過ごした。涼しいので思ったよりたくさん利用者がいた。避暑と暇つぶしには持ってこいの場所だった(笑)。


国は国民を守らない

2011年08月10日 | Weblog

    

NHKスペシャル「原爆投下ー活かされなかった極秘情報」を観た。
終戦間際、日本陸軍・参謀本部配下の諜報機関は米空軍の交信電波を傍受、分析を行っており、暗号解析が出来ていなかったためその内容までは分からなかったものの、広島へ原爆投下したB-29の動きは事前に察知しており、「何か特殊任務を帯びた少数機の怪しい飛行編隊」というところまで分かっていたらしい。

8月6日広島に最初の原爆が投下され、米国が原子爆弾であることを報じたにも拘わらず、参謀本部は事実を認めようとはせず「原子爆弾ではなく強力な通常爆弾の可能性がある。まだ日本は戦える」などと被害を過小評価しようとしていた。

8月8日、軍・政府はポツダム宣言を受け入れるかどうかの会議を行っていた。降伏した場合に天皇はどうなるのか、また自分たちは戦争責任を問われて裁かれるのか、といったことで話し合いが続けられていた。
8月9日、陸軍情報部は再びテニアンを発進した特殊任務のB-29飛行部隊の動きを掴んだ。広島での経験から情報部は危険を感じて、いち早く情報を参謀本部へ送る手はずを整えた。敵機が次の目標に到達するまでにはまだ十分時間があり、何らかの手を打てる筈と思ったからである。

ところが折角のこの重要情報は参謀本部に無視され、活かされることは無かった。そして二発目の原子爆弾が長崎に投下された。権力の上層部にいた連中は国民のことより自分たちの先の方がが心配だったのである。

大村基地で迎撃命令がくるのを待っていた日本軍パイロットの一人は、その後原爆の惨状を目の当たりにして、何故出撃命令が出されなかったのだろうか、と訝(いぶか)り悔やんでいたが、最後に「これからも似た様なことが起こるのではないだろうか・・・」と、指導者たちへの不審感を露わにしていたのがEdには極めて印象的だった。

国(権力者たち)は昔も今も、そしてこれからも国民を守ってはくれません!(断定)

                    


玄鳥

2011年08月09日 | Weblog

藤沢周平の「玄鳥」を読んだ。山本周五郎に次いで大好きな作家である。時代小説はやはりその当時の人々の考え方、言葉使い、時代背景や慣習などを彷彿とさせるようなものでなければ面白くない。

こういう作品を読んでいると、NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国」なんてバカバカしくて観てられない。着物を着た戦国の世に生きる人達が現代語を喋り、女性たちが面と向かって最高権力者にたてつくような言葉を吐くなんて・・・あり得ない! Edにはナンセンス映画そのもので、TVは一回目のサワリを観ただけで以後一度も観ていない。

「玄鳥」はツバメの巣の扱いをめぐる些細な日常の変化を象徴的に捉え、主人公「路」の身の回りに起こる様々な出来事を通して無情な時の流れを描いた短編で、何事もなく過ごしている今の我々の日常も二度と戻ることはない時の流れの中にあることを思い起こさせてくれる。藤沢作品も読んでいない作品がまだまだ沢山あるからこれからも楽しみである。

                                

ところで昨晩帰宅したら、元同僚のMTさんが送ってくれた桃が届いていた。朝、彼女からのメールで「信州へ行ったので皆さんに桃を送った」という連絡があったから、明日辺り届くものと思っていたら嬉しい誤算だった。ダンボール箱に大きくて立派な桃が沢山詰まっている。MTさんありがとう!遠慮なくいただきま~す(笑)

           


2011年08月08日 | Weblog

 

昨日は帰りがけ夕方5時頃、Edの勤務先川越付近は猛烈な落雷(カミナリ)で30分ほど会社で足止めを食った。雨は降らなかったものの引っきりなしに近くで落雷があり、稲妻と耳をつんざく雷鳴で屋外に出るのを暫し躊躇させられた。

暫く待ってから、ようやく少し遠のいたかに思えたので表に出て歩き始めた。駅手前の県道踏み切りまで来たら、手前で通過待ちの車が次々Uターンし始めた。見れば遮断機が下りたままで歩行者も大勢溜まっている。大型バイクもエンジンを切って待っていたが我慢できなくなったらしくUターンして行った。駅ホームには下り電車が止まったままで、反対側川越方面200mほど先には上り電車が止まっている。Edも5分ほど踏み切り際で待っていたけれど一向に電車は動く気配がない。

このまま遮断機が上がるのを待っていては、途中で止まっている上り電車が動き出したらそれには乗れない! 大粒の雨もパラついてきたので、Edは意を決して降りている遮断機の隙間から線路の反対側に渡った。(・・・ホントはいけないんだから良い子は真似しないでね^^!) 真似する人がいないかチョッと心配したけど他には誰も付いてこないようだった。(ヨカッタ!)

駅に着いたら5分ほどして止まっていた上り電車がホームに入ってきた。それに乗ることが出来たので、辛うじていつも乗る成田線の電車に間に合った。遠距離通勤は楽じゃないのです^^!

 


ヒロシマ・ナガサキ

2011年08月07日 | Weblog

                    

今から66年前(1945年)の8月6日広島に原子爆弾が落とされた。それから三日後、今度は長崎で二つ目の原子爆弾が炸裂した。たった一発の爆弾で広島では9万人以上、長崎では7万人以上が瞬時にして亡くなったそうである。そして8月15日、日本は敗戦を迎えた。

米軍が使った原子爆弾は広島はウラン型(リトルボーイ)、長崎はプルトニウム型(ファットマン)であった。非人道的な爆弾を使用したことに対するその後の日本や良識ある米国人からの批判・非難に対して、米国は「戦争を早く終結させるための止むを得ない選択だった」と弁解している。

けれども実際には原子爆弾を搭載したB29一機の他に、爆弾の効果を確かめるために先導の1機を含めて3機随行している。それに広島と長崎で異なる核物質(ウランとプルトニウム)を用いた爆弾を使った訳は一体何だったというのだろうか。

戦争は人間を狂気に駆り立てる。平時には想像すら出来ないような残酷な蛮行を平気で行ってしまう。日本軍による細菌兵器研究のための人体実験(石井四郎率いる731部隊、戦後幹部は戦犯を免れる条件付きで米軍に研究資料を極秘で引き渡した)、ドイツ・ナチスによるユダヤ人大量虐殺(アウシュビッツ)など、我々年寄りの記憶にまだ生々しい。そういうことを考えると、当時の米軍が原子爆弾の実効効果を確かめるため広島と長崎で「人体実験」という蛮行を行ったのではないかという疑いは、Edにはむしろ確信に近い。

                                  

3.11で福島原発は被災し、「安全」であるハズだった原子炉は見る影も無く爆発・破損し、5ヶ月経った今尚収束の目処が立たない。原子力は今の人間の技術では未だ充分に制御・管理できない危険なエネルギーであり、且つ使用済み核燃料を含む放射性廃棄物の安全な最終処理方法すら見付かってはいない。

それなのにまだ原発は必要だと声高にマスメディアで喚く「専門家」とか「識者」といわれる人達が後を断たない。世の中には我々一般人には見えない「裏の世界」があるのも事実だと思う。そういう裏社会から派遣された「専門家」や「識者」のウソは我々一人ひとりが判断し、見抜くしかない。マスコミ報道には各自が常に疑問を持ち、且つまた勉強を怠ってはならない所以ではないだろうか。

我々の後の世代に負の遺産となるような危険なものを残してはならない。そうでなくとも赤字国債はすでにGDPの軽く2倍を越えているのだから・・・(また、誰かに「上から目線だ!」って叱られちゃうかな^^!)

                    

☆写真はWikipediaより: リトルボーイ(上)とトファットマン(下)


夢(Night-mare)

2011年08月06日 | Weblog

                   

最近よく夢を見る。それも何かに急かされている夢が多い。昼間体力を使って動き回ることが無くなったせいか、眠りが浅いのかも知れない。

友達の誰かと旅行に出かけようとして電車の席をさがしている。なかなかいい席が見付からず、適当なところに座ろうとすると、友達が難色を示す。仕方なく更に先頭車両のほうに進むうち、残っているのは寝台車のような席になってしまい、そして終いにはいつの間にか布団を敷いた旅館の部屋になっている。

諦めて乗る電車を換えようとしている。目指すホームを探して長い地下のコンコースを急いでいる。工事中だったり行き止まりだったりして、迂回のため迷路のような階段を登り降りしているうちに自分でも一体どこに向かおうとしているのかサッパリ判らなくなった。唯やたらに気持は急いていて、今度は大事なチケットを忘れてきてしまったことに思い当たり、益々焦って家に引き返そうとしているところで目が覚めた。

Edの夢はいつも脈絡がなく、場面がいつの間にか今までと全くちがう場面に変わってしまったりして訳が判らない(Edの脳ミソはもう壊れかかっているのかも・・・@@;)。覚めてから「アレは一体誰だったのだろう?」とか「取りに戻ろうとしたのは一体何のチケットだったんだろう?」「焦れば焦るほど、どうして行こうとしている所から遠ざかってしまうのだろう」などと考えるのだけれど、今見たばかりなのに夢の記憶は既に曖昧藻子となってしまい定かには思い出せない。

こんな風に目覚めたときは眠ったあとの爽快感はなく、眠ったのに何となく疲れた感じが残る。死の間際に、朦朧とした意識のなかで見る夢というのは、もしかしてこんな感じなのではあるまいか・・・ふとそんな気がした^^!

                  


夏本番?

2011年08月05日 | Weblog

                 

また蒸し暑さが戻ってきた。俄か雨が上がったあと網戸に蝉がとまった。庭に出てみたらムッとする湿った外気の中、アゲハ蝶やトンボも舞っていた。今年は蝉の鳴き声がしないという世間の専らの噂だけれど、気がつけばアブラ蝉の鳴き声もしている。

伸びすぎた芝生や雑草は芝刈り機を受け付けないので、先日来すこしづつ鋏で刈り取っているが何しろ電動式ならぬ手動式だから1メートルも進まないうちに手が動かなくなってしまう。今日も雨上がりに鋏を持ち出して、少しだけやった。手足に虫除けスプレーを吹き付けてあるのに、鋏を持ってしゃがんだ途端ワッと蚊が群がってくる。スプレーがかかってない首筋と顔を狙って煩く纏わり付いてくるが、我慢して1メートルほど刈り取った。残りはまた来週だ^^!
電動式を買いたいのだけれど今月はもの入りで予算がない。電動鋏が買えるころはもう秋風が吹いているかも・・・(笑)

一昨年は大連でバイク仲間と忘年会をやった。今年はまた同じ仲間と11月末に、今度は青島へ行くことにした。全てコミコミの格安ツアーだけれど今回は前回の倍の旅行代金である。昨日ようやく溜めたへそくりから8万円あまり振り込んできた。チョッと贅沢な忘年会になってしまったなぁ~^^!

           
           


二十数年ぶり

2011年08月04日 | Weblog

                    

長兄が狭市に住んでいる。勤務先の川越からは車なら3、40分の距離なのだが電車だと簡単には行けない。その兄嫁、つまり義姉が6月に肺癌の手術をしたことを、つい先日知った。
彼女は去年の暮にも胃癌の手術をしたばかりなので半年で二度も大手術をしたことになる。高齢だし医者も迷ったらしいが、早期発見だったので比較的少ない肺の切除で済むという判断から決めたらしい。

そんなわけで、昨日(3日・水曜)は思いきって車で出勤し、帰りに狭山に寄って見舞いに行ってきた。長兄の家を訪れるのは二十数年ぶりで道は凡そ覚えていたが周囲は住宅が立て込んでしまい、朧気な記憶を頼りに、それでも迷わず辿りついた。

突然の訪問だったから吃驚させたかも知れないけれど喜んでくれた。義姉は思ったより元気そうで、まだ痛みがある筈なのにそんな気ぶりは少しも見せず気丈に振舞っている。長兄は耳が遠くなってしまい、義姉は兄を一人にしておくのが心配で、術後僅か9日で無理に退院させてもらったのだという。長兄には以前から補聴器を着けたらどうかと再三勧めているけれど、大昔に試したものが思わしくなかったということで、未だに頑なに嫌がる。新しいことに挑戦しなくなったのは年とった証かも知れないのだが・・・

義姉は退院後ようやく最近になって食べられるようになったとかで、顔色は悪くなかった。兄もまだ畑(野菜作り)をやっているせいか元気そうだったが、流石に80を越えた今は「・・・年とったなあ!」と感じる。ま、何はともあれ二人とも無事でよかった^^!

                   


山田屋

2011年08月02日 | Weblog

                  

久しぶりにJinさんの地元、王子で降りて山田屋へ行った。

ここは「大衆酒場」という旧い言葉がぴったりの飾り気の無い飲み屋で、中は広くてゆったりしているが椅子は相変わらず堅い木の椅子だ。長居は出来ない^^!。壁にはべたべたとメニューが貼ってあり、客はそれを見ながら注文する。しかし生ビールは今時発泡酒ではない本物だし、料理は安くてどこか懐かしいお袋の味。海老フライなんか皿からはみ出すほどデカイ。お洒落な店じゃないけれど大手も侮れない!

Edは生ビールのあと焼酎のお湯割りを注文した。店の兄ちゃんが”いいちこ”のボトルと分量を量る小さいグラス、それに空のコップとお湯の入ったポットを運んでくる。小さいグラスに並々と注いでコップに移した。湯は自分で好きなだけ入れて飲めというわけである。心憎いばかりにフェアである。日本では結構”適当”な「目分量」がまかり通っているけれど、本当はこうありたい^^!山田屋の生ビールはジョッキに満たしたあとの上部のアワは測ったように同じ位の厚さだ!エライ!(笑)

                  

イギリスのパブではジョッキに注いで出来たビールの泡は捨てている。口元まで並々と液体で満たしておかないのは違法らしい。日本のビア・ガーデンなどでは(泡で風味を守っているとか屁理屈を捏ねて)半分近く泡で満たしたジョッキをもってくるところもある。山田屋を見習って欲しいものだ。

Jinさんと突き出しのポテト・サラダをつつきながら先ず乾杯。アラ煮、焼いた鰊、揚げ茄子をつまみに(二人で)ビール3杯、お湯割り1杯飲んで、合計2千数百円!吃驚するくらい安い^^!今日はカミサンが出かけて留守なので、Jinさんと駅前でラーメンを食べて別れた。


首都高

2011年08月01日 | Weblog

           

常時混む・・・というイメージが頭の中に刷り込まれていて、西へ向かう時もなるべく首都高は通らないようにしているのだけれど、今回(30日・土曜)は法事があってどうしても中央高速に乗らねばならなくなった。

あきるの市西多摩霊園11時半の集合時刻に遅れないよう、大幅な余裕をもって7時半に自宅を出た。いつものように常磐道柏ICから高速に乗り、今日は三郷JCTを直進して首都高C2に入り小菅JCTから横に走って板橋JCTに抜けようと思っていた。・・が、三郷の掲示板は八郷から小菅まで既に赤の渋滞表示。やむを得ず三郷で右に折れて外環道・川口JCTを目指した。

川口から江北JCTまでは順調、しかし王子辺りからびっしり数珠繋ぎで板橋JCTまで40分以上かかった。板橋JCTから先の山手トンネルに入ったら渋滞はなくなり、すんなり初台へ抜けた。ヤレヤレだ!
中央道は八王子手前まで順調だったけれど、料金所を抜けても一向に走らない。ノロノロ8キロほど走ってようやく八王子JCTで圏央道へ出たら、後はスカスカで日の出ICまで一直線。約束の一時間前に霊園に着いた。

首都高も最近は選択ルートが増えて、渋滞もかなり緩和されたけれども、やっぱり余り走りたくないなあ・・・枝分かれが多くて曲がりくねっているから年寄りには目がチラチラしてかなわん!

                

             ☆写真と地図は首都高速(株)のHPより借用