Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

ヒロシマ・ナガサキ

2011年08月07日 | Weblog

                    

今から66年前(1945年)の8月6日広島に原子爆弾が落とされた。それから三日後、今度は長崎で二つ目の原子爆弾が炸裂した。たった一発の爆弾で広島では9万人以上、長崎では7万人以上が瞬時にして亡くなったそうである。そして8月15日、日本は敗戦を迎えた。

米軍が使った原子爆弾は広島はウラン型(リトルボーイ)、長崎はプルトニウム型(ファットマン)であった。非人道的な爆弾を使用したことに対するその後の日本や良識ある米国人からの批判・非難に対して、米国は「戦争を早く終結させるための止むを得ない選択だった」と弁解している。

けれども実際には原子爆弾を搭載したB29一機の他に、爆弾の効果を確かめるために先導の1機を含めて3機随行している。それに広島と長崎で異なる核物質(ウランとプルトニウム)を用いた爆弾を使った訳は一体何だったというのだろうか。

戦争は人間を狂気に駆り立てる。平時には想像すら出来ないような残酷な蛮行を平気で行ってしまう。日本軍による細菌兵器研究のための人体実験(石井四郎率いる731部隊、戦後幹部は戦犯を免れる条件付きで米軍に研究資料を極秘で引き渡した)、ドイツ・ナチスによるユダヤ人大量虐殺(アウシュビッツ)など、我々年寄りの記憶にまだ生々しい。そういうことを考えると、当時の米軍が原子爆弾の実効効果を確かめるため広島と長崎で「人体実験」という蛮行を行ったのではないかという疑いは、Edにはむしろ確信に近い。

                                  

3.11で福島原発は被災し、「安全」であるハズだった原子炉は見る影も無く爆発・破損し、5ヶ月経った今尚収束の目処が立たない。原子力は今の人間の技術では未だ充分に制御・管理できない危険なエネルギーであり、且つ使用済み核燃料を含む放射性廃棄物の安全な最終処理方法すら見付かってはいない。

それなのにまだ原発は必要だと声高にマスメディアで喚く「専門家」とか「識者」といわれる人達が後を断たない。世の中には我々一般人には見えない「裏の世界」があるのも事実だと思う。そういう裏社会から派遣された「専門家」や「識者」のウソは我々一人ひとりが判断し、見抜くしかない。マスコミ報道には各自が常に疑問を持ち、且つまた勉強を怠ってはならない所以ではないだろうか。

我々の後の世代に負の遺産となるような危険なものを残してはならない。そうでなくとも赤字国債はすでにGDPの軽く2倍を越えているのだから・・・(また、誰かに「上から目線だ!」って叱られちゃうかな^^!)

                    

☆写真はWikipediaより: リトルボーイ(上)とトファットマン(下)