Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

国家機密

2010年03月31日 | Weblog
             

昨日のNHKニュース番組で、かつて日本列島を米国の防波堤となる浮沈艦扱いして波紋を呼んだ彼の中曽根Yasuセンセイが「日本の非核三原則に絡んで米国と密約はあった」と明言されたことを報じていた。

が、そんなことは今更明言しようがしまいが殆んどの国民は、歴代自民党総裁が「日本は非核三原則を堅持しているのだから、米軍に核は持ち込ませない」などと、見え透いた嘘っぱちを言ってたことは先刻承知してた。
第一、米空母や潜水艦が日本の港に寄航するときわざわざ核武装を外してくるワケないし、寄航する米艦船を臨検して「核を搭載してない」ことをチェックできるように米国と取り決めたワケでもないのに、どうやって「日本に寄航する米艦船は核を装備してない」って確認できるの?

センセイは居丈高に「どこの国にも国家機密はある!」などと国民にウソをついていたことへの「弁解」をしておられたけれど、ソレってちょっと変じゃないの?

国家機密ってものは、開示することが反って国に不利益をもたらすような場合なら敢えて秘密にしておく・・・ということじゃないの?
事実上非核三原則が守れないってことを、しかもそんなことは既に明々白々なのに敢えて「守ってます!」と国民にウソをつくことが国家機密かい・・・?

ホントのことを国民に言って困るのはウソをついてた自民党だけじゃないの^^!バカバカしい!国家機密だなんてチャンチャラおかしいわい! ま、正直に言ったら次の選挙で直ぐ負けちゃうもんね(笑)。

                

21年間お疲れ様

2010年03月29日 | Weblog

                 

今の住まいを新築したとき、エアコンは移転前に住んでいた近所の電気屋さんに頼んで4台取り付けてもらった。そのうちの一台は一階の3部屋全部一台で賄えるように、3相交流200Vを引いて営業用のものを入れた。あれから21年間何のトラブルもなく冷暖房によく働いてくれたのだが、去年の夏ついに調子が悪くなり頻繁にリセット・ボタンの助けが必要になってしまった。そして涼しくなり始めた9月初旬冷房が機能しなくなった。一旦は息を吹き返したかに見えたのだが、ついに寿命が尽きたらしい。そのまま半年放っておいた。

それで今年は梅雨になる前にこの大型エアコンを入れ替えることにした。件の電気屋さんがまだ営業を続けているのかどうか分からなかったのだけれど、買い物の帰りに寄ってみた。
日曜日だったので店にシャッターは下りていたが、お店は健在の様子だ。車を降りて裏に回ろうとしたら、丁度出かけようとしていたご主人が我々に気付いてくれて、直ぐシャッターを開けてくれた。

長いことご無沙汰していたのだけれど(お互いに歳はとったが)覚えていてくれて、暫く昔話に花が咲いた。一段落してからエアコンの相談をしたら、安くしてくれるという。それに今のエアコンは電力消費がむかしのものよりはるかに少なくなっていて電気代が下がる筈だし、今ならエコポイントも貰えるから更にお買い得だという。

20年前のことなので我が家の間取りなど覚えていないから、もう一度実際に部屋をみせて欲しいということで27日(土曜)我が家を訪ねてくれた。我々の使いかたとか希望を聞いた上で薦めてくれた最適と思われるM社の最新モデルは定価56万円だったけれど半値でいいという。量販店並である^^!

序でにTVも我が家では未だに29インチのブラウン管なので、お奨めの最新薄型TVを訊いてみたら42型Hi-Visionプラズマで、やはり量販店に負けない価格だったから即まとめて契約した。
オイ、オイ・・・ホントにいいのか!そんなに買って?

                 
                 今はもう無いNationalのマークだった^^!
                 
                コントロールもワイヤ・ケーブル式だった^^!


春は足踏み・・・

2010年03月28日 | Weblog
この土日は桜が開花・・・と先週末は思っていた。それが今日の寒さはどうだ!真冬スタイルで朝のウォーキングに出たけれど、厚地手袋を通してくる冷気はなかなか指を暖めてくれない。

例年花見客で賑わう小林牧場の桜並木もまだ蕾のまま。折角人出を当て込んで開いた露天商も手持ち無沙汰の開店休業状態。
それでも垣の赤芽は新芽を出し木瓜の花は満開。春は最後の一歩を踏み出し損ねているかのようだ。

ダウンのハーフ・コートは洗濯に出してしまい、めったに着ないトレンチ・コートを引っ張りだした。そろそろ要らなくなるだろうと備蓄を使ってしのいできた灯油も、今日また買い足した。ヤレヤレ・・・^^!
温暖化で早まると見られていた桜の開花も、結局は4月にならないと駄目らしい。自然は人知の及ばないところで季節を牛耳っている。






米軍普天間基地移設

2010年03月26日 | Weblog

               

一旦は日米国家間で合意した案通り移設計画を進めるべきなのか、あるいは政権が代わったのだから合意案は見直すのが当然なのか難しい問題ではある。
鳩山政権は沖縄県民の意向に配慮しつつ米国との新たな合意を目指して苦慮している、というのが現在の姿であろう。

しかしマスコミがこぞって日米関係の悪化を懸念したり、米国側の主張におもねるような論調を繰り返すのは納得できない。
新しい政府は従来の自民党政権による日米関係を見直すと言っているのだし、これまでの従属的な日米関係から、より対等な関係を築いていこうと努力している現政権の方向性は国民の意向を反映している。
マスコミの方が従来の固定観念から抜け出せず、新たな関係構築に向けた動きに怖れているかのようだ。

何しろ沖縄県の米軍施設の多さ、巨大さは異常である。日本に置かれている米軍施設全体の面積の実に22%があの狭い沖縄に集中しており(一番広い北海道でも33%)、その他の県では静岡の8.5%を除けば数%からコンマ数%にすぎない。更に日米地位協定に基づいて有事の際に一時利用される土地を加えた米軍専用施設の74%が沖縄に集中している。沖縄は戦後60年を経た今でもまだ米軍に”占領されたまま”の状態なのだ。

(米軍への基地提供の見返りとして)日米安保条約により日本は米国の核の傘の下で安全を守られている、と歴代自民党政権は主張し続けてきた。本当にその通りなのだろうか? 
米国が真に守りたいのは当然のことなから日本から遥か離れた米国本国であり、日本やEUに強力な米軍を配置しておくのは自国本土を防衛するのにより安全且つ都合がよいからではないのか?
要するに日本は沖縄を犠牲にて、米国の安全の”おこぼれ”頂戴しているだけではないのか?

今朝の日経は又もや暗に核の傘の必要論を展開しているが、NATO加盟5カ国ではソ連の脅威が消えて20年にもなり、米国の戦術核の意味は薄れたとして撤去を求めている。日本は欧州と事情が異なるなどと簡単に片付けてしまっているが、日本も「核の傘」なるものが本当に必要だったのか、またこれからも従来通りでよいのか冷静に判断する時期にきている。
その意味で、米軍普天間基地の移設問題は我々が新たな日米関係を模索していく上でよい機会なのだ。

日経が主張するような古色蒼然とした従来通りの考えでよい筈がない!

                


年度末の道路工事

2010年03月24日 | Weblog
                           

役所の年度末になって、やたらと道路工事が目につく・・ような気がする。裏の農道、直ぐ目の前の国道、多古~佐原間の農面道路等々バイクでちょっと走っただけで5箇所も6箇所も舗装工事中である。

以前と比べれば年間通して行われる様になっている、というのが役所の言い訳らしいのだが、下々の感触としては相変わらず3月に工事が集中している・・ような気がする。長い間の自民党政治による弊害がまだ尾を引いているのだとは思うが、不要・不急の工事は改めてほしいものである。税金のムダ使いじゃ!

何しろ自民党政権の時は景気浮揚のために、現場の都合は無視して「予算を使え」と役所に命令してくるのだそうで、期末近くになって予算が付いたところで使い切れないため、必要かどうかではなくて、工事が出来るところがあればやるのだそうだ。要するにやらなくてもよい工事をしてでも予算を使い切ることが”国策”に沿っているというワケなのだ。

国民の血税がこんな使われ方をしていたのではたまったものではない。本当に必要なところに必要なだけの予算をつければ、たとえ年度内に工事が終わらなくても翌年度に繰り越して完成させれば済むことなのに、何故予算は単年度で使い切らせようとするのだろう?
公共工事を通じて美味い汁を吸う奴がいるから、毎年予算をつけて工事が増えるほど分け前が大きくなるからそうしているのに違いない。要するにこれまでは主権者たる国民不在だったのだ!

政権が民主党に移って半年、まだまだやるべき事が多くてこれからだろうけれど、ガンバッテこれまでの弊害は出来るだけ早急に断ち切ってほしいものだ。

                

                 ☆写真、イラストは無料素材集より

東京スカイ・ツリー

2010年03月23日 | Weblog

強風が去った翌日曜日(22日)は、予ねてから考えていた東京スカイ・ツリーを見に出かけた。Jinさんとよく行く飲み屋「とりせん」で先日”良く見える場所”を尋ねたら南千住の都立航空工業高校辺りがお奨めだと言うことだったけれど、Googleで調べたら浅草から数百メートルだったので手軽な浅草へ向かった。

  

吾妻橋をアサヒビールの本社ビルを見ながら向島側に渡る。スカイ・ツリーは直ぐ近くなのだけれど目の前の建物が邪魔になってなかなか全体を見られる場所がない。東部浅草線の陸橋に沿って200mほど近づいたら下町の戸建て住宅街に出た。もっと近づくことは出来るけれど、建物が邪魔しないポイントとしては限度かな・・・と考えてカメラを構えた。

  

  

もう高さ320mは越えていから丁度今東京タワーの先端くらいはある筈だけれど図体がデカイせいか、それほど高く感じられない。足元は一辺が68mの3角形をしており、上に行くに従って徐々に丸味を帯びた断面形状に変わり、更に上で真ん円になる構造。完成時は634mなので今はまだその半分!高所恐怖症でなくても450mの展望台は足がすくむかも・・・^^!

満足してビール会社のところまで戻ってきたら、隅田川の対岸に水上バスを待つ沢山の人が見えた。川沿いの桜はどこもまだ蕾で、少しだけ咲いている小さな木もあったけれど今週末まで待たねばならないだろう。花見が出来ないので、まだ乗ったことがない水上バスに乗ってみようと思い立ち、チケット売り場に並んだ。30分から1時間待ちだというので、とりあえず日の出桟橋まで切符を購入、浅草の繁華街へ戻ってお昼を食べた。

        
        

1時35分の水上バスに乗り込んだ。中国人観光客や欧米人がかなり大勢目に付く。二階席の一番前に座ってガイド嬢の説明を聞きながら一時間ほどの「大川(=隅田川)」の船旅を楽しんだ。時代小説をよく読むせいか、その昔江戸が水路で張り巡らされていたという名残(神田川、浜離宮辺り)が僅かながら垣間見られて、興味深かった。

        

日の出から徒歩でJR浜松町まで出た。まだ帰るには早いので映画を観ていこうと思い、携帯で調べたら藤沢周平・原作の「花のあと」を丸の内TOEIでやっていた。この小説はまだ読んでいないけれど、藤沢周平は好きな作家だったから入ってみた。北川景子演ずる女性剣士「以登」が、初めて淡い恋心を抱いた江口孫四郎が悪徳上司の罠にはめられて自害させられた事件の仇を討つというストーリー。例によって淡々としてあまり肩の凝らない藤沢作品であり、娯楽映画としてそれなりに楽しめた。この映画のために相当竹刀を振って鍛えたという北川景子さんに拍手^^!


さくらの山公園

2010年03月20日 | Weblog

灯台もと暗し。成田の隣町に住んでいながら成田空港から飛び立つ飛行機を直近で観察できる絶好のスポットを知らなかった。

        
        

K44沿いに成田市のさくらの山公園がある。滑走路の北端に面していて、風向きによって変わるけれど北風だったら離陸する飛行機が目の前で観察できる。今日は生憎南風だったので、飛び立つ後姿しか見られなかったけれど、離陸待ちでスタンバイする飛行機が行列をなしているので、好きな人は望遠を構えて飽きず眺めていた。

        
        
        

公園にはまだ桜は一本も咲いていなかったけれど、菜の花が満開で噎せ返るような香りを放っていた。滑走路の反対側端にも観察スポットがあるらしいが、今日は午後から風が強くなる予報だったので、場所の探索は次回に譲ることにして、いつもの農面道路で八日市場から海上を通って銚子に抜けた。
昼過ぎにR356に出たら風が強くなり、横風でバイクが流されるようになったので、早々に帰路についた。途中、佐原でまた「昔ながらのタイ焼き」を買って帰った。タイ焼きが焼けるまでの間に古本屋でケン・フォレットの「レベッカの鍵」、養老孟司の「バカの壁」、ビートたけしの「女につける薬」を買った。3冊100円だった^^!

 


99.9%

2010年03月18日 | Weblog

               
今朝通勤途中の電車の中で若い娘さんから親切にされた^^!
しかし、そのことに気付いたのはそのお嬢さんがその場を離れた後だったから一言のお礼も言うことが出来ず、何だか申し訳なかった。

新松戸で武蔵野線に乗りかえた直後、ドアが閉まりかかったころ目の前に座っていた若い女性が急に立ち上がった。新松戸で降りそこなったのかな・・と思いながら空いた席に座った。
・・・が、彼女は車内を移動していって私から離れたところでつり革につかまった。あれれ・・・?どうやら私に席を譲ってくれたものらしい。

そういえば、私が彼女の前に立ったとき一瞬目があったので、そのとき”年寄り”が乗ってきたと彼女は思ったに違いない(^^!
そういうワケで私はお礼を言い損なってしまったのだ。

毎日電車に乗っていて常々感じているのは、他人への思いやりの無さで、老若男女を問わず2人分の席を占領して詰めようともせず、転寝したり携帯やゲーム機に熱中している自分勝手な連中が殆んどだから、自分が他人から親切を受けることなんてことは99.9%あり得ないと思っていた。それなのに今朝はその残りの0.1%に当たってしまったらしい。超ラッキーというべきか!

世の中捨てたもんでもないのだ。いまや”絶滅危惧種”並に少なくなってしまったと思っていた心優しい人は、どっこい生き残っていてくれた。
何だか少し希望が湧いてきたなぁ・・・^^! 
               


添加剤

2010年03月17日 | Weblog

先日わがLC(バイク)をいじくった際、エア・フィルターを序でに外したら受け皿の底にオイルが溜まっていた。そのことを自動車整備のプロ(高橋自動車)に雑談で話したら、湿式フィルターならオイルで濡れているけれど若しかしたらオイル・アップかも知れない・・・とのことだった。

その日の帰りがけに彼から、「これあげるよ」と言って渡されたのが和光ケミカルの中古エンジン用添加剤”RF”だった。うたい文句は”中古エンジンの機能回復と維持に最適”というものだったから、この週末にでも・・と思って引き出しに仕舞っておいた。

                        

今日、取り出して説明書きをよく読んでみたら「湿式クラッチ付きの車両には使用しないで下さい」という注意書きが! ありゃりゃ・・・!
これはバイクには使えないや。ウッカリ入れたらクラッチをお釈迦にするところだった^^!
折角なので会社の中古車、レガシーにでも使っていただこう・・・

むかしから添加剤の類はいろいろ売り出されていたけれど、考えてみれば先代の我が家の車マーク2は添加剤など入れた試しはなかったけれど、29万キロも走って手放したときエンジンはまだ健在だった。その代わりオイルだけは半年ないし1万キロ毎に小まめに交換していた。LCも5000キロないし1年毎にオイルは交換してきたから(現在の総走行キロ数は約6万)、多分エンジンはまだ大して磨耗はしていないだろうと思う。

それよりも、エア・フィルターを早めに交換したほうが良さそうである。


スパーク・プラグ交換

2010年03月15日 | Weblog
        

先週購入しておいたバイクのスパーク・プラグを13日(土曜日)半日かかりで交換した。部品代は安いのだが、何しろ左右のトップカバーを外してからNo.1シリンダーの右ヘッド・カバーとNo.2シリンダーの左ヘッド・カバーを外さないとスパーク・プラグにアクセスできないから、手間のかかること! こういうものは一般的に、分解するときは楽なのだが再組立で手こずることが多い。

        
        

心配していたスパーク・プラグの焼き付き固着はなく、前後とも何なく弛んだ。前後(No.1、No.2)ともカーボンの付着はあったものの略正常に焼けており、ギャップも見た目新品よりやや広がった程度で、4万キロ使ったにしては良好な状態を保っていた。
折角トップ・カバーを外したので、序でにエアーフィルターも外してみた。汚れがかなり進んでいて交換したほうが良かったのだけれど、部品の準備がなかったので取りあえず再取り付けした。後日また再挑戦だ!

        
        

今回の組み立てで最も手こずったのは、No.1シリンダーのヘッド・カバーで、熱害対策のシートと高圧ケーブルが邪魔してボルトがなかなかネジ穴に噛んでくれず、ここだけで1時間以上費やした。その後は割と順調で、昼過ぎにはLEDランプの取り付けも含めて全部終わった。完成後エンジンをかけてみた。一発で始動。来週、天候を見ながら少し走りにいこうか・・・


人間は「間違える」葦である

2010年03月12日 | Weblog

                

「人間は考える葦である」といのは、17世紀フランスの思想家・数学者パスカル先生がノートに書き残した言葉だそうである。
人間を何故「葦」に比喩したのかというモンダイは、その後の多くの研究者の解明により、今では次のようなことが定説になっている・・・らしい。

河畔に生える葦は少し風が吹けば容易く曲がるけれど、風が止めばまたすぐ元にもどる。逆境のなかで一見弱々しく屈服したかのようにみえる葦は、しかし根元から折れることもなく又元通り復元する柔軟性を持っている・・・と言うのがその理由らしい。ナルホド云われてみれば人間ほど強か(したたか)な生き物もいない。

そうではあるけれど、人間はまた常に「間違える」動物でもある^^!
糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞のコラム「言いまつがい」には毎日笑わせてもらっているが、笑えないのが仕事上の間違いだ。

卑近な例で申し訳ないが、勤務先の倉庫でも注文のあった品物を棚からピックアップして出荷する、という極めて単純な仕事ですら再三再四間違いを繰り返している。一つ間違いが生じる度、顧客からクレームがきて何らかの対策とするのだけれど、次には別の理由でまた同じような間違いをする。真にエンドレスである。

つい先日も”グリス・ニップル”という部品の注文に対して”半月キー”という似ても似つかない部品を間違えて送ってしまった。
直接の原因は作業者が部品番号とその保管位置を確認しておきながら、イザ部品を取り出す(ピックアップ)段になって”間違って”一段下の箱から品物を取り出してしまった。加えて作業者に部品の知識が十分になく、従って部品名称からそれがどのような物かを想像する能力に欠けていたことも一因であろう。

ま、こうしてまた一つ何らかの対策を講じて、数ヶ月後には再び性懲りもなく類似の”間違い”を繰り返すのだ。人間は「間違える」葦である・・・Edパスカル^^!

             

            △写真は無料イラスト・素材写真集より


歳甲斐もなく・・

2010年03月09日 | Weblog

                

彼の有名な医学博士で作家の渡辺淳一先生が先日、ラジオの対談番組で面白いことを仰っていた。

歳をとったら”歳甲斐もない(と言われる)”ことをしなさい。そういう生き方をして下さい・・・と。そこで対談相手のコメンテーター氏から、53歳の女性からの相談事が紹介された。

彼女は夫のある主婦で、アルバイトの勤め先の35歳になる男性を好きになってしまった。どうしたものか・・・という悩み相談である。
渡辺先生は言下に首肯され、「それはとても素晴らしいことです。その気持ちを大切にしてそのまま進んだらよいのです」と。

するとコメンテーター氏が「ご主人にはどのように対応したら・・・?」と突っ込みをいれた。先生は迷わず「そこは、ご主人には分からないように注意して!」と。
何だか”浮気の勧め”みたいで運転しながらひとりで頬が弛んでしまったが、もしご主人がこれを聞いたら怒るよ!きっと・・・(笑)

その次の話題は”異性との友情はありうるか?”という大昔からある疑問。渡辺先生はこれにも即答、迷うことがない!
「ありますね、特に仕事で知り合った仲とか同級生の場合はあるでしょう!」。更に続けて、「好きになって深い関係になったような場合でも、別れて10年も経ってから友情と云うか、いい関係が出来ることもありますね」と、先生の面目躍如である^^!

するとまたまたコメンテーター氏が畳み掛けた。
「先生にはそういうご関係が・・・?」
「いやいや、私はまだそこまで人間が出来ていませんから・・・*×▲?◎×」と、その時だけは歯切れが悪く、何だかワケの分からないことを先生は呟いておられた。
ホントは先生にもその経験は無いのかもね・・・(笑)

                


長持ち

2010年03月07日 | Weblog

明治生まれの母親に育てられ、貧乏な家庭で育ったせいか物がなかなか捨てられない。それも高価なものならイザ知らず、安物の何時捨てても惜しくないような物まで、しつこく買い換えない^^!

  

ドライビング・グローブが右手だけ手の平が破れてきて、もう用を成さなくなっていたが、そのまま数ヶ月使い続けていた。しかし今日はめてみたら、殆ど千切れそうになっていたので流石に捨てることにした。YellowHatでさがしたら同じような安物が2000円であったから早速購入。捨てた方はボロボロだったけれど手に馴染んで使い易かったが、新しいのは皮が突っ張るしツルツルして滑りやすい。長年使い込んだ物というは値段に拘わらず良くなってくるものらしい・・・

そういえば、先日MOMOさんがスパーク・プラグを交換したと云っていたが、自分のLCはもう4万キロも交換してなかったのを思い出して、ジョイフル本田の自動車部品売り場に行ってみた。バイク用だからなぁ・・・と思いながら探したら、ありました!NGK製DPR7EA-9、一本378円(X2)!
翌日交換するつもりだったが、朝から冷たい氷雨で風もあり、怖気づいて止めにした。来週末晴れたらやろぅっと!

        


不幸な親子

2010年03月05日 | Weblog

                 
食事を与えず4歳なる自分の子供を餓死させる、という痛ましい事件が昨晩のニュースで報じられた。体重が僅か6.4Kgしかなく、同年代のこどもの1/3しかなかった。母親は「嫌いな亭主に似ていたから可愛くなかった」と虐待の理由を述べたそうだけれど、折角この世に生を受けながら、実の親から理由もなく疎まれ、殺されたのでは死んだ幼児は浮かばれない。

近所の人が役所に何度か通報もしていたらしいし、幼児を定期健診に連れてこないので親には町から問い合わせもしたけれど、その度ウソの理由で言い逃れ、行政も「・・それ以上は・・」と腰が引けてしまったらしい。まだ親から完全に庇護されて然るべき幼児を、その親が陰で折檻していていたのでは事実を見付け難いだろうし、役所では対応に限界があるかもしれない。

戦後日本に民主主義が根付いたのは良いが、表面の”自由”ばかり声高に叫ぶくせに、背中合わせの”義務”は忘れている”自分勝手”な人が多くなった。この鬼親に限らず、年齢さえ”大人”になれば誰でも自由に結婚はできる。そうすれば子は自然に産まれ、親にはその子を当然育てる”義務”が生じるというのに・・・この親はガキの精神構造のままで”親”になってしまったのだろうか。

自分が子供だった半世紀以上前の日本では、生活は貧しかったけれど親が子を虐待したりすれば、ジジババや隣近所の誰かが黙ってはいなかった。役所へ訴える以前の些細な問題として身内だけ、あるいは隣近所でブレーキをかけられたのだけれど、親子二世代で住む家庭さえ少なくなってしまい、隣人との接触さえ避けて通るような現在では望むべくもないことなのかもしれない。

大人はもっと”こども達”を誰彼なく見守ってやる必要がある。我々「高貴」高齢者はもっとお節介になって、他人の子供たちにも干渉しよう!

                


Olympic Games

2010年03月03日 | Weblog

Vancouver冬季オリンピックが終わった。毎度のことながら、始まる前にマスコミが煽りすぎるから期待感だけが先行してしまい、終わってみれば日本のメダル獲得数の何と少ないことよ・・・^^!

参加選手の皆さんは全員選び抜かれた方であり、それなりのレベルに達している方ばかりなのだろうけれど、入賞はおろか最下位のほうに近かったような選手もいた。そのときだけ偶々成績が振るわなかったのか、あるいは最善を尽くしてその結果だったのかは分からない。が、こういう場合、世界レベルで比較したとき、果たして最初からメダルを争える位置に居たのかどうか甚だ疑問である。

これは多分「選手」というよりは、「参加種目の選択」に問題があるのかもしれない。今どき「参加することに意義がある」などとノーテンキな理由だけで決めたわけでもないだろうが、参加するなら「世界のトップ・レベルと覇を競える」ことを選択の明確な判断材料に加えてほしいものだ。

そんな中で女子のフィギア・スケートだけは唯一、最初からメダルの期待がもてる種目として観ていて楽しめた。体操と同じく勝敗が審判の評価で決まるだけに、もとより我々素人には難しい専門的なことは分からないけれど、キム・ユナがノーミスで演技を終え、真央ちゃんが2度ほど僅かにミスをしたことは分かった。

演技の難易度からいえば真央ちゃんのほうがハイ・レベルだったらしいが、素人目にはやはりミスがなくて柔らかく舞ったユナのほうに、いくらか分があったのだと納得させられた。

銀メダルを取って尚、悔し涙をながす真央ちゃんは、さすがだと思う。以前マラソンの誰かが「一着以外は皆同じです!」と云ったことがあったけれど、真にトップを狙う人は勝利への貪欲さと心構えが違うのだ。
4年後のソチではきっと彼女が優勝するだろう。

            
          △ 写真は岩手日報より借用