Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

諍い

2012年09月29日 | Weblog

              

昨晩からカミサンはづっとご機嫌斜めである^^!

来月二週目、三連休中にカミサンの仕事関係の知り合いを家に招待するという。
理由はその人が飲食店を経営していて、何度か飲みに行って世話になったので
返礼がしたいのだだそうである。

それはよい。ヤなのは車が大好きな彼を誘う口実に、Edのことを車好きで車に
すごく詳しい、などと一緒に仕事しているもう一人と勝手なことを喋っていること
である。Edは車を嫌いではないが、マニアでもなければ詳しくもないのだ。

カミサンの仕事仲間とEdは友達でもなんでもないし、挨拶や世間話をすること
くらいやぶさかではないけれど、Edのことを勝手にそんな風に紹介するなんて
許せない。先日から気になって仕方なかった。

昨日の夕食後、いつ招待するのか訊いたあと「あなたの仕事関係の話なのに
私をあまり巻き込まないで欲しい」とクギを刺したら、怒り出した^^!

今朝からカミサンはEdに口を利かない。こっちもあえて話しかけない。
すると、いつも食料買出しは午後から一緒に出かけるのに、今日はEdが知ら
ない間に一人で出かけてしまった。ま、いいけど・・・(笑) 

Edは別に招待することに文句を言ったわけではないのに、「いいわ!招待は
お断りする!」と、捨て台詞を残して昨晩は二階へ上がってしまったけれど、
「自分は正しい」と思い込んでいるから絶対曲げないつもりらしい。

だからと言って本気で中止なんかする訳ないのに、気の強い女はホントに厄
介だなあ・・・クッソ~!

                  


臨時休暇

2012年09月28日 | Weblog

              

昨日(9/27木曜)は急に思い立って一日休ませてもらった。

というのも、勤務先は今週棚卸で、普段の仕事が休みのためEdの仕事も必然
的に少なくてヒマなのだ^^! それに明日は本社から4人も川越にやって来る
ので、狭い事務所が余計手狭になると思ったからだ。

Edはもう閑職だから、あまりシャカリキになって働いてはいけないのだけれど、
それでも朝からきちんと夕方まで毎日休まず来ていれば、本社の人たちは何か
とEdを便利屋として使ってくれる。有難いことだ。

Edは普通のサラリーマンと違って、年休というものはなく、勤め先のカレンダー
に従って働いているわけだが、それ以上の休みは年間通して殆ど要らない。
どうしても休む必要があるときは、月に2日までとってよい取り決めになってい
るけれど、それも年間通して半分もとっていないだろうと思う。
我ながら良く働く奴だわい・・・^^!

さて、昨日の休みは・・・といえば、5時から40分ウォーキング。9時ころから
ゆっくりブランチを食べながらTVのニュースを観る。自民党の総裁選挙のこと
ばっかり。下らないので二階へ上がって2時間半PCで遊ぶ。

先日八王子のムラウチ家具でみたソファーが、千葉にもあったような気がして
午後から船橋の三咲家具へ出かけた。

似たようなデザインはあるにはあったが、まるで別物。座り心地もよくない。や
はり本命はあの椅子だな・・・
カミサンは4脚のセットにしないで、両肘一人掛けを2台でいいのでは・・・とい
う。Edはゴロンとしたいこともあるのでは・・・と思うのだけれど、無駄かもしれ
ないとも思い、あえて反対しなかった。

帰り道、以前住んでいた大穴町のマンション近くにあった内装工事店に寄って
みた。二階のバンチ・カーペットの見積もりをしてみようと考えての事だけれど、
残念ながら店は廃業してしまったのか、元の場所にはなかった。

夕方4時ころ帰宅。カミサンはウォーキングへ、Edが夕飯の支度をする^^!
今日は、途中バッテラ寿司を買ってきたので、素麺を茹でて残り物のかき揚げ、
油揚げを軽く焙って葱と削りを散らした酒の肴、野菜サラダ。超簡単。(笑)

かくして、特別休暇の一日は終わった。そのうち毎日がこんな風になるのか・・・

ヤレ、ヤレ・・・

                 


UFO

2012年09月26日 | Weblog

            

ピンク・レディーのUFOが流行ったころ、我が家でもUFOが話題になっていた。
歌ではなくて本物の目撃情報である。

昨晩のTV番組でUFOの真実に迫る(第一部)という特集を観た。米国ではニュー
メキシコ州ロズウェルにUFO博物館まであり、現在も訪問客で賑わっている^^!

米空軍のUFO研究部門(Project Blue Book)で1948年から20年間に亘っ
て公式な調査が行われ、最終的な結論としては、集められた情報の殆どすべては
科学的に証明できるもので、地球外宇宙から飛来した物体と言われるようなもの
は存在しない、というものだった。

それでも、この研究部門の初代チームリーダーは全情報の20%ほどは、信頼で
きる航空関係者からのもので、説明がつかない情報として残ると主張している。

フランスにも同様の機関があって現在も調査を続けている。国立宇研究センター
(CNES)の中の未確認飛行物体研究所(GEIPAN)という。ここでの公式発表で
は集まった情報の28%は科学的に説明のつかない、つまり未確認飛行物体であ
るらしい。

                                     

子供はまだ小学生だった。その日Edは出張で名古屋にいて、翌日戻ったらカミ
サンが早速「昨夜ベランダからUFOを見た!」と興奮気味に語ったところによると
・・・

何気に窓越しに外を見たら、同じ団地の南東の建物の上あたりにオレンジ色に
光る大きな横長に楕円形のものが空中に停止している。一体何だろうか、と思っ
て窓を開けてベランダに出た。そのオレンジの周りにはひときわ白く輝く光の帯
がゆっくり回転しているように見える。

まだ何だか不思議なものだと思いながら、同じ3階に住む隣の奥さんを呼んだが
下の階からその人の談笑する声が聞こえてきたので、一緒に見てもらうことはで
きない、と諦めた。

するとそれはゆっくりと動き始め、次第に速度を速めながら遠くなり、最後は飛行
機と同じような光の点滅をさせながら飛び去った。

夢でもみていたような不思議な経験だったけれど、現実であり、後になってから、
これがUFOと言われるものか、と改めて思った・・・

                                     

ということだった。他人に話しても誰も信用しないけれど、近所の子供の友達が
同じものを見たという話を聞いて、何だか勇気づけられ、嬉しかったという。

昨日のTVで観たGEIPANの調査に現れたUFOと大きさが異なるけれど、非常
によく似たものらしく、今また我が家ではUFOの話で盛り上がっている。(笑)

           


天災は忘れたころに・・・

2012年09月25日 | Weblog

            

3.11が起きたとき、GPSを使って陸地の僅かな歪みを定点観測していた研究
者がおられて、地震発生の少し前から歪みの進行が少なくなり、何故だろうかと
訝しく思っていたところへあの地震が発生し、その現象が歪みが限界に近づいて
いることを示す前兆だったと分かった、と話していたのを覚えている。

その方法で観測地点をもっと増やし、次に予測されている東南海地震に備えて
いるとは思うけれど、地球が相手ではやはりそれだけが決定的な予測手段なの
かどうか未だ分らない。つまり今のところ未だ”天災は忘れたころにやってくる”
という昔からの状況と大きな差はない。

以前、世の中に未来永劫続くものなどない、という意味のことを書いた。
若いころは先のことなど心配していないから、つい毎日が同じように続いてゆく
ものと漠然と思い込んでいる。

歳をとると、終りが近づいてくるせいか、今の生活が何時、どのように途絶えて
しまうのだろうか、と度々考えるようになる。

天災と同じで、何時か必ずやって来ることは分かっていても、それが何時だか
分らない以上、やはりその「怖れ」は漠然としたものでしかない。

ま、それだからこそ毎日漫然と生きてゆかれるのだけれど、心の片隅には常に
僅かな「怖れ」が残るようになったのは年齢によるものだろうか・・・

                 


仙人

2012年09月24日 | Weblog

            

土曜日(9/22)大橋巨泉がTBSラジオの番組で面白いことを言っていた。

『戦争というのは、年寄が始めて親父が命令し、そして死ぬのは若者なんだよ。
太平洋戦争もそうだったし・・・だから、年寄は大人しくしていて欲しいなあ。

尖閣諸島をめぐる今回の日中の騒動だって、石原都知事が「東京都で購入す
る」なんて余計なことを言って騒ぎ立てなければ、政府も唐突に国有地化する
必要も無かったし、騒動にはならなかったのに・・・』

確かに言えてる。1972年に日中国交が結ばれた際、領土問題は将来話し合
いで解決するということで先送りになっていたらしい。

元々石原都知事は親台湾派で現中国(中華人民共和国)を正当な中国とは
認めようとせず、当時の日本政府は蒋介石率いる中華民国(台湾)を正当な
中国として最初に国交を結んだくらいだから、共産党率いる現中国には敵対
しているわけだ!

世の流れ、世界の現実に目を向けようとしない頑固なジジイの主義、主張な
んて国民にとってはいい迷惑だな!これも老害だ・・・^^!

ま、それにしてもあれほど中国の一般国民がムチャクチャに騒ぐのは、どうか
してるし、偏向教育の弊害と生活に不満を持つ一部の極端な人たちがネットで
扇動された結果に違いないのだけれど・・・
 
                                 

知ったようなことを書いてしまったが、Edは最近いろいろなことが何だか透け
て見えるような気がしているのだ。  これって変? 変だよね・・・

原発がどうしてやめられないか、何故アメリカはTPPを押し付けてくるか、米軍
はなぜ強引にオスプレイを沖縄に配備するのか・・・わかる?
WH(原発メ-カー)、モンサント(遺伝子組み換え食糧で有名な巨大バイオ化
学企業)、海兵隊の老朽化したヘリに代わる次期主力輸送機、など米国の産業
や国防力は、是が非でも守られなければならない。
実は日本はアメリカの隠れた51番目の州だったのさ^^!

例えば自分の健康のことでは、どこか具合がわるくなっても、大抵自己判断で
大事かそうでないか分るし、怪我とか打撲でも無闇に薬を呑んだり、付けたりし
ないで、時間をかけてジッと我慢していれば治る、といった風なことも分かって
きた。以前は大したことでもないのに、よく大騒ぎしていたなあ・・・

天候なども、個人的には猛暑の峠は9月下旬と読んでいたし、その後は急激
に気温が下がるだろうと思っていたが、その通りになっている。
(これは、当たり前かあ^^!)

カミサンは「仕事をリタイアした後、鬱(うつ)にならないでね!」というが、鬱に
はならないと思う。その頃の自分が目に映っているのだ。バイク、ハイキング、
東京散策、スケッチ、読書、PC、映画、バス・ツアー、ドライブ、家の手入れ等
々・・・やりたいことは沢山ある。お金も要るけど。(笑)

まるで仙人にでもなったような気分でいるのは、Edもいよいよ脳味噌がイカれ
てきたのかも・・・

久米の仙人は若い娘の太腿に目が眩んで雲から転げ落ちたらしいが、Edも
ハッと目が覚めたら病院のベッドの上だった・・・なんてことはないだろうな!

                   


他人の始まり

2012年09月23日 | Weblog

                  

兄弟は他人の始まりという。

Edは貧乏人の子沢山の家に生まれたから兄弟が多かった。今残っている6人も
夫々が年齢を重ね、全員棺桶に半分足を突っ込んでいる。^^!

入院中の兄は81歳で、家族が自宅での介護を避けて近所の怪しげな病院に入
れたまま半年以上になる。血を分けた兄弟として、Edはせめてもう少しマシな治
療を受けさせて上げたいと思うのだけれど、家族ではないからあまり立ち入った
ことも言えず、ひたすらこちらの希望を”お願い”するより外ない。

昨日、兄を病院に見舞ったあと彼の自宅に弟、姉、一番上の兄にも集まって貰っ
た。皆の揃ったところで、二つだけ兄嫁にお願いする、という形で兄弟としての

し入れをした。

一つは病院ベッドでの拘束について「家族の同意」を取り下げること、二つ目は
セカンド・オピニオンをとる為他で精密検査をうけさせること、の二点。彼女は自
宅での介護はよほど避けたいらしく、老人介護施設への申し込みをしていて、そ
ちらの方ばかり熱心になっている様子だった。

同席の弟と姉からは、(電話ではEdに入院先の不満や兄の置かれている窮状
を話し、兄嫁を非難していた割には)殆ど何も発言がなかった。何だかEdだけが
独りで騒いでいるみたいで、孤立無援になってしまった。

ま、70、80の爺さま婆さまが今更騒いだって、どうなることでもないのかも知れ
ないけれど、何も云わずに黙認だけは出来ないと思って兄弟に集まってもらった
のだけれど・・・

多分、もう皆ホントの他人になってしまったんだろう。

長生きすると、しなくてもいい経験まで色々させられる、ということだな・・・

ヤレ、ヤレ・・・

                   


Piece of cake !

2012年09月20日 | Weblog

                

GM時代、勉強家のKさんが、自分が知らなかった言い回しや初めての単語に
出くわしたとき、必ずメモ帳に書き残していた。それをを見習って、イートンに転
職後Edもノートを作った。そのノートに”
PIECE OF CAKE”と名を付けてある。

一時期一緒に働いていたアメリカ人の上司、C.Armsさんから教えてもらった
米語で、日本語なら「そんなの簡単だよ!」といったところ。表題にしたのは、そ
の「簡単」な言葉の意味さえ知らなかったから^^!

最初のページに、うろ覚えで書き留めたFLY SHIT IN BLACK PEPPER
を見て、Armsさんが笑って”Picking flyshit out of black pepper と直して
くれた。こういうのはいつまで経っても忘れない。(笑)

仕事の上では、もう随分長い間英語を使ってきたけれど、何年経っても一向に
上手くはならないものだ。Edの年代は、読み書きだけで英語の勉強をしてきた
から、聴いて喋るほうは大抵の人が苦手である。

若い人の中には海外で育ってきた人もいるから、Nativeにヒケをとらないし、
最近は教育も会話に重点を置くようになってきたせいか、最近は上手な人が
多くなった。

                               

ノートには、お初にお目にかかった単語や言い回し、専門用語など手当たり次
第に書き連ねてきたけれど、整理も書き直しもして来なかったから、今見ても
サッパリわからないものもある。何のためのノートだ?・・・^^!

近頃では新しく憶えるより先に、憶えていたものも片っ端から忘れていくから、
Vocabularyの「貯金」は減る一方だ! ま、人生も終盤、もう今更何を頑張る
という訳でもないから、いいけど・・・

それでも未だ、目新しい言葉や言い回しに出会うと、ついメモしてしまうから変
だ。先日、米国に書き送ったメールで、部品が不足していた旨連絡しておいた
ら昨日返事がきた。その中でshyという言葉が使われていて、アレッと思った。

・・・O-rings were also shy となっている。辞書を引いたらshyには不足、
欠けているという意味もあったんですね^^!知らなかった。

Edのノートには又一つ易しい単語が追加されました^^!

     


 


作品

2012年09月19日 | Weblog

 
       

飼い猫の「もも」が死んで、この8月でまる一年が過ぎた。放し飼いにはしなかった
せいか、家の中は引っ掻き傷でボロボロである。

特に酷いのは居間の柱、トイレと居間の扉の枠、和室の襖などで、木部は爪で削っ
たように凹んでいるから直しようがない。サンド・ペーパーで擦っても却って目立ち
そうな気がする。木部は「もも」のゲイジツ作品として残すほかないな^^!

                               

障子だけは、爪をかけようとする度厳しく叱られたせいか、1、2カ所しか爪あとが
残されていないけれど、今年は張り替えの時期だ。襖の張り替えと一緒にやらな
ければ・・・

本襖の張り替えは左程難しくない。引手の金具を留めている釘をニッパーで抜いて
金具をとり、次に四隅の枠を外して本体だけにする。破れがある場合は当て紙であ
らかじめ補修しておく。襖の周囲に糊を塗って新しい襖紙を張り、余分な紙はカッタ
ー・ナイフで切り取る。乾いたら枠を元通りに嵌めて終まい・・・

・・・と、簡単そうに書いたけれど、実は大昔に一度やったきりなのだ。今回は戸襖
が3枚もあり、そのうちの一枚は扉なので蝶番を外して裏表二面張り替えなくては
ならない。張り替え枚数は都合7枚となるのだ。
トホホ・・・

カミサンはEdに”Do it yourself” とけしかけていて、外注する気配がない。そうい
う訳で、この秋は表具師の真似事をする破目になった。

さて、どんな具合になることやら、結果は試してみてのお楽しみか・・・^^!

 
 


歳とったら椅子に限る

2012年09月18日 | Weblog

          

歳をとったら洋風の生活スタイルが楽でよい。トイレはもう随分前から洋式だっ
たし、布団を止めてベッドにしてからも24年になる。

畳での生活は、立ち上がるとき、どうしても「よっこらしょ!」と身体全体を床から
持ち上げ無ければならない。それにこの頃では、夕食後寛ぐ時は、大抵ゴロン
と横になってTVを観るので、身体のあちこちが痛くなったりして具合が悪い。

畳の部屋も落ち着いていいのだけれど、これからは尚一層足腰が弱くなるから
椅子の生活に切り替えることにした。

一年ほど前から、座り心地のよい椅子を探しているのだけれど、これがなかな
か難問で未だ”これぞ!”というものに出会っていない。

3連休の中日(16日)、墓参りに行った帰りに八王子のムラウチ家具まで足を
延ばした。カミサンが友人のお宅で座らせてもらった椅子が、長時間座ってい
ても疲れず、坐り心地が良かったというので、同じメーカーのものを扱っている
ムラウチを尋ねたわけである。

友人宅に有ったものは既に廃版になっていたが、同シリーズで最新のものが
あった。二人で小一時間、その椅子と周りの別の椅子を座り比べてみた。確か
に坐り心地は中で一番良かった。

両肘一人掛け、一人掛けを3脚並べた長椅子風、フット・レストの組み合わせ
と小型のサイド・テーブルがあれば、TVしか置いてない8畳の居間に丁度良さ
そうである。

二人ともこのソファーに殆ど傾いているけれど、まだ契約はしていない^^!
もう死ぬまで使うわけだから、失敗はできない。もう一度千葉県内の店を回っ
てからにしよう、ということになった。

最後だと思うと、余計慎重になる・・・^^!

 

 


革命家

2012年09月14日 | Weblog

                  

Edと
二歳違いの弟は、若い頃、世の中を根底から変えていこうと、つまり革命家
になろうと決心し、そして実際、そのようなふうに権力と対峙しながら生きてきた。

今はもう流石に若いころのように危険な行動はとらなくなったようで、いわば引退
した長老のごとく、穏やかに振舞っている。

20代前半は血気盛んだったから、デモでは常に先頭に立って官憲に激しく抵抗
していたから、母親には常に心配をかけ続けた親不孝者だった。

そんなある日、母から「私の言うことは聴いてくれない。ああいう運動はもう止める
ようにお前から弟に説教してくれ」と云われた。

どうせ直ぐ上の兄の云うことなど聴きはすまいと思ったけれど、母の手前黙ってい
るわけにも行かない。

弟には、”極一部の人間だけで世の中をひっくり返すようなことはできない。止めて
おけ”といって説得を試みたけれど、勿論Edのいうことなどに
聴く耳は持たない。
そればかりか、ノンポリのサラリーマンだったEdは「兄ちゃんのような生き方では、
俺は生きている気がしない!」と激しく痛罵された。

生ぬるい性格のEdは、そのときの弟の余りに激しい気性にたじろいでしまい、二の
句が継げなかった。彼のその一言は、その後もずっとEdの心の片隅に突き刺さった
トゲのように、今でも残っている。

                                   

思えば弟もEdも、親子ほども年の離れた兄たちが、呑めば口角泡を飛ばして政治
批判をしていた中で子供時代を過ごしてきた。知らず知らず革新的な方向へ考えが
傾くのは当然だったかもしれない。

気性の激しい弟は、そのまま兄たちの権力批判の精神を素直に受け継いでしまっ
たけれど、生ぬるい性格のEdは幸か不幸かプチブルな生活を求めて生きてきた。
だから、Edは子供のころ受けた”教育”が不燃焼のまま、今でも時々思い出したよ
うに政治批判を書いてブログを汚しているのだと思う。

先日、入院中の兄のことでその弟とやり合った。彼は入院先の兄の窮状をEdに知
らせて来はしたが、その後何も動こうとしない。Edが兄嫁に会って話しをしようと誘
っても「どうせ家族が冷淡なのだから、話しても無駄だ」と彼はいう。

世の中を変えようとまで騒いだ奴が、身内のことすら・・・とEdは腹が立った。
「無駄かも知れないが最初から諦めて何もしないというなら、他人にも”冷淡”だなど
という資格はない!」と云ってやったら、弟は黙ってしまった。

結局、自分の非を認めた弟は、日が決まったら一緒に行くということになった。
どういう生き方をしようと自由だけれど、他人に対する優しさは忘れないで欲しい。


                   


曖昧な記憶

2012年09月13日 | Weblog

       

前回この店で飲み会をやったのは4月中旬だったから、あれから未だ5ヶ月しか
経っていないのに、秋葉原の駅改札を出たら分らなくなった。

前回は電気街口から出て駅の外側を半周して店に来た。帰りは店を出て直ぐの
改札から駅に入ったから、今日はその逆を辿って中央口から外へ出た。

・・・が、・・・れれれ??
確か改札を出て直ぐ前に目指すビルがあった筈だが・・・と思いながら、辺りを
10分ほどウロウロ^^!
元のところに戻って周囲を見回してみたけれど、それらしき建物はない!

さて困った! 道を尋ねようと、Kさんの携帯にかけてみたが、何も喋らないうち
プッツンと切れてしまった。仕方がない、もう一度辺りを良く見て前回のルートを
思い出してみた。

・・・そうだ、反対側出口から左周りに電車のガードを潜って直ぐ左だった・・・と思
い直して、ガードの近くへ来たら、店の看板と入口のエスカレーターがありました!

ヤレ、ヤレ・・・

方向音痴丸出しだぁ・・・(ハハハ^^!)

予定より15分遅れて店内に入ったら、すでに3人来ていました。

「やあ、やあ、暫く、暫く・・・」
皆さん元気そう。

それから延々3時間、早めに引き上げよう・・・なんて思っていた最初の「積り」は
スッカリ忘れてしまい、気が付いたら10時!

上野発10時09分の常磐快速で我孫子に着いたら、わずか2分前に成田行きは
出たばっかり!次の電車まで何と35分待ちだあ!・・・ぎぇ~~!

久しぶりに午前様の帰宅。
乗り過ごさなかったのが、せめてもの救いだ^^!

今朝は眠いの何のって・・・連日午前様だった昔は、ウソみたいだなあ・・・

     


職場の同窓会

2012年09月12日 | Weblog

               

学校でも職場でも、卒業や定年退職で別れたあとも、気の合う仲間同士では同窓
会をよくやる。

流石に別れてから30年も経つと、むかしの職場の仲間とも次第に疎遠になって
いつしか音信も途絶えがちになる。そりゃあそうだ、年齢を重ねてお互いあちこち
身体が云うことを利かなくなってくれば同窓会どころではなくなる^^!

今日は、現在の勤務先を退社していったOG、OBと今なお現役で務め続けている
人との混成で7、8人集まる同窓会がある。

Edは田舎住まいで遠いので、翌日が休める金曜日がベストなのだけれど、メンバ
ーには夫々の都合があるから仕方がない。嫌なら不参加にするのだけれど、それ
でも都心まで出掛けて行くのは、久しぶりに会う仲間との語らいが楽しいからだ。

この集まりでもEdが最長老である^^!若い人は自分の子供と同年代だけれど、
結構話は通じるものなのだ。ま、彼らが気を使ってくれているからだろうが・・・
その点、ツーリング仲間はEdと年齢層が近いから年はあまり気にならない。

こうした集まりに顔を出せるのも、働き続けていればこそだ!
健康と恵まれた環境にカンパ~イ^^!

              


人権・・・その後

2012年09月11日 | Weblog

           

入院している病院と兄の住まいがある富士見市のHPから、人権相談の窓口を
探し出して先週電話してみた。

事情をできるだけ詳しく話し、行政側から病院への立ち入り調査とか改善命令
のようなことができないか尋ねてみたが、答えはノーだった。
というより、人権問題として市で扱えるような類の話ではないということらしい。

電話を切らずに暫く待たされてから、医療安全相談窓口というところへ相談し
てくれ、と電話番号を教えてくれた。そこで週明けに電話してみた。

県庁の機関だという。また一から説明して同じように何か対応策があるか、と訊
いた。身体拘束は必ずしも違法ではないとのことで、まして家族が同意している
場合、病院側にクレームを付けても応じないだろうという。

兄の場合、その家族が病院の説明を鵜呑みにして(あるいは積極的に?)か、
とにかく病院の拘束に同意してしまっている以上、周りがいくら騒いでも仕方が
ないようなのである。やはり根本は、扶養・介護義務がある彼の家族の考え方
と対応の仕方に問題があるのだ。

                                  

治療方法に対する国の指針では、身体拘束はゼロにすることになっていても、
実態は病院の都合まだでかなり行われているらしい。必要な場合でも最小限
に、とか他に替わりうる方法で、とか拘束をめぐる裁判の判例も出されている
けれど、良識のない「さくら記念病院」などは、表沙汰にならない限り馬耳東風
だろう・・・

現状では今のところ、Edは手も足もだせない。あとは兄の家族を説得して同意
を取り下げさせるか、この病院から早急に退院させるほかない。

それにしても、兄のような老人は通常3か月で退院させられる筈なのに、何故
この病院では6ヶ月もそのままなのか・・・

多分、身体拘束しておけば一日数回の下の始末だけで手がかからないから、
病院は儲かるのだろう。そもそも入院初期から診断の結果があやふやで、病名
さえ二転、三転して本当は何なのか分らない、ということ自体十分に怪しい病院
の証拠である。

近いうち、兄弟に親族会議を呼びかけようか・・・

                    


北へ

2012年09月10日 | Weblog

外壁塗装のため、玄関の三和土(たたき)から下へ降ろしたままになっていたバイク
を、仕舞う前に少し走らせておこうと思っていた。

先週末は天気が悪くて果たせなかったが、この日曜(昨日・9日)は朝から天気が安
定していて絶好のツーリング日和となった。

今回はバイクを三和土から降ろす”儀式”がないので(笑)、カバーを取ればすぐに
出発出来る。なので、カミサンがまだ寝てるうちに(6時半)家を出た。

最初、アンダーシャツ+半袖の上から夏用メッシュのジャケットを着てみたが、腕が
汗でベトつき、ジャケットのインナーにくっ付いて気持ち悪い。素肌に長袖のカッター
シャツ一枚だけに急いで着替えて出発。

 
               R356を跨いだ圏央道

 
                 北浦大橋は塗装工事中

昨日の晩からどこへ行こうか考えていたが、震災以降は茨城、福島方面はなんとな
く敬遠していたので、久しぶり(2年ぶり?)に道の駅里見を目指すことにした。

流石に日曜のこんな早朝から走る車は少なくて、利根川土手沿いのR356も海沿い
のR51も快適に飛ばせる。1時間半でR6に出て水戸市内に入った。

日立製作所の前を通過して暫くしたら高速入口の標識。左折してから気が付いた!
一つ手前の那珂ICの標識だった^^! 失敗!いつもなら、もう一つ先に日立南太田
ICの標識で左折するんだっけ・・・

ま、新しいルートが見つかるかも・・・と、そのまま進み適当なところで見当をつけて
右折、突き当りでまた右折、すぐ左折・・・と繰り返しているうち方向が分からなくな
った。(笑)

Edは”方向音痴”だ、とカミサンからいつも笑われているから、ま、こんなもんだろ
うと思いながら、大きめの交差点の標識を見たら「直進、30Km竜神橋」とあった。
当たり!

直進して暫く行くとR349の表示。後で分かったけれど、R349のバイパスへ出た
のだった。Edにしては上出来である^^!

信号待ちしていたら、お行儀の悪いHDの一団が右折車線から先頭に出て行く。
Edの横に来た一台がこちらを見て挨拶していった。Edの乗っているスズキ・HD
モドキを本物のHDと間違えたに違いない。(笑)

R349へ入ったら急にバイクが多くなった。あまり混まない山間の一本道だから信
号も少なく、ツーリングにはもってこいの道だからEdも気にいっている。目指す道
の駅までは凡そ30分で着いた。まだ9時である。

 
 
 
                  道の駅里美にて

人影もまばらで食堂もまだ開いていない。ソフトクリームが買えないので、自販機
でアイス・クリームを買った。この辺りへ来るとやや標高が上がったせいか、日陰
に入ると涼しい。ベンチに座ったり写真を撮ったりして30ほど休憩し、早めに帰途
についた。

水戸のR6に出る手前で信号待ちしていたら、左折車線でEdの横に小型トラック
が止まった。見上げたら、職人さんらしきオジサンがEdにVサインを送ってくれた。
何の意味だか分らなかったけれど^^!取り敢えず挨拶を返したら窓ガラスを下ろ
して話しかけてきた。

「どこまで行くの?」
・・・これから千葉へ帰るところです
「何処へいってきたの?」
・・・この先の道の駅里美です
「気を付けてね!」
・・・ありがとう

若い者かと思ったが、よく見たらジイサマだったので、「頑張ってるなあ・・・」とで
も思ったのかしらん・・・(笑)

帰りも道路は空いていたが、R51では前に小型バイクの大集団がいてノロノロ
運転を強いられた。それ以外はストレスなくツーリングが楽しめた。

一日の走行280Km。

       


涼しくなったら

2012年09月08日 | Weblog

           

向こう2、3ヶ月の間に来客の予定が三つできた。日にちが確定しているのは未だ
一つだけで、後の二つはお客の返事待ちではあるが・・・

最初はEdの勤め先の人で、定年後川越で働くようになったとき、その方はEdお処
遇についてとても有利な口添えをしてくれた。そのことをカミサンもいたく感謝してい
て、いつか家にご招待してお礼を言いたい、と思っていたのだけれど機会がなかっ
た。

先日その人に会った際誘ったら、快く応じて下さった。”Ed酒場”で酒の肴に何をお
出ししようか、今からカミサンと思案している^^!

           

次はカミサンの姉(実家の長女と次女)二人。もう二人とも”お年頃”だし遠いので
近所に住む義兄が車で迎えに行き、わが家で一泊して翌日カミサンが車で送って
ゆくことになっている。

                                  

三つ目はカミサンの仕事がらみの飲み友達ということで、Edは逢ったこともなく、
カミサンの話しでしか知らない。

そのこと自体Edは一向に構わないのだけれど、ヤなのは勝手にEdをその中に
引き込もうとしているカミサンの魂胆である。正直言って、まだ一面識もないその
人や彼女の仕事関係の人たちと飲んだって楽しくない。お互い気を使うばかりで
疲れるのだ!

「放っといてくれ!」と云いたいところだけれど、そんなことを云ったら大変、また
大喧嘩になる。我慢して付き合う外ないな・・・^^!