Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

強くなった日本サッカー

2011年01月30日 | Weblog

           
           

サッカー・ファンという訳ではないが、外国チームとの試合となればつい惹きつけられて時間の許す限り観てしまう。相手チームに押し込まれるとハラハラ・ドキドキするのはやはり心の中で自国を応援しているせいだ。

今朝、アジアカップ決勝戦・日本対オーストラリアのTV実況放送を観戦した。キックオフは日本時間30日の午前0時だったから、いつもならとっくの昔に眠っているころである。

準々決勝の対サウジアラビア戦、準決勝の対韓国戦はニュースでダイジェスト版しか観ていなかったけれど、次第に勝ち上がってくるときのフィジカル面での粘り強さと持久力がこれまでになく強く感じられて、決勝戦は是非観てみたいという気になっていた。

オーストラリアは当然ながら高さもあるし当たりも強いから平均して小柄な日本人選手はそれだけで押されぎみな予感がしていた。確かに前半はオーストラリアが高い大きなパスを繰り出して終始日本陣に攻め込み押し気味の展開だった。後半になって日本の小さくて素早いパス回しから一気に相手ゴールに迫るスピードにオーストラリアが次第に手こずるようになり、疲労が重なって双方とも何度もゴールに迫りながら決めることができない。

特にオーストラリアは、あわやゴールか・・・と思わせるキワドイ攻撃がたくさんあったけれど、その度日本の固い守りに阻まれてしまった。彼らにとっては不運と映ったかもしれない。

0対0で終わった延長戦は、双方とも疲れが出始めてオーストラリアの長いパスも開始直後の正確さに欠けるようになった。後半粘って相手ゴール前に長友の繰り出したパスを、途中出場した李が上手く合わせてボレー・シュートを左隅に叩き込んだ。李がフリーになったのを永友が見逃さず決定的なアシストを繰り出したのは素晴らしかった。

この一点が日本の勝利に繋がったわけだけれど、合計2時間もの長丁場を全員よく走りきったものである。疲れてくれば誰しも集中力を欠いてくるものだけれど、そんな中特に本田選手は最後まで果敢に攻撃を繰り返し、チームのモチベーションを維持し続けたことは賞賛に値する。
もう一人光ったのはGK川島であろう。対韓国戦ではGK戦で完全に相手を止めてしまったし、今回も極めて危なかった場面で3回も見事なセーブを行い、日本を勝利に導いたと思う。

これまで長い間日本は得点力に欠けるといわれ続けてきたけれど、ようやくチャンスを確実にものにする力をつけてきた。先制点を許しても諦めないで追いつく粘りはホンモノだろう。改めて日本サッカーは強くなったと素人目にも感じられた。

           
           
           


2011年01月26日 | Weblog

                        

風呂に入るまえ鏡に映した己の顔と体を見てつくづく年とったなあ・・・と思う。父親はEdが小学4年生のころ55歳で他界してしまったのだから、今の自分のほうが遥かに年寄りなワケだ。母は74まで生きたけれど、その年齢にさえ後いくらもなく追いついてしまう。

”貧乏人の子沢山”の家庭に生まれ、下から二番目だったEdには「父親」の思い出が殆んどない。あるのは亡くなる前布団に横たわっていた痩せた父と元気だったころ怒って暴力をふるっていた恐い父の姿くらいで、言葉を交わしたこともなかった。

父が早くに逝ってしまったせいで、上の兄弟が下の弟妹の面倒をみる破目になったから経済的には父親の役目をしてくれた。とは言え、いくら年が離れた兄弟でも所詮は親の代わりには成り得ず、さりとて末の弟とEdはいつまで経っても子供扱いだったから、貧しいながら母にはそれなりに甘やかされて育ったような気がする。

大人になってからフト気がついたら、親・兄弟の過去がどのようなものだったのか、つまりEdが生まれる以前のことを何一つ知らない。知っていたのは終戦後の極貧生活から少しづつ少しづつ脱却に向けて懸命に働き続けてきた兄たちの健気な姿と、切り詰めた生活を必死で守っている母の姿を、子供の目で見てきたことくらいだ。

Edが中学生になったころ母は時々「兄たちに感謝しなさいよ」と末の弟とEdを前に諭すように言っていた。つまり上の兄弟の犠牲的働きで下の兄弟は飢えたり凍えたりせずに生きてこられたのだ・・という意味あいを観念的には理解したから黙って聞いてはいたけれど、ならば具体的にどうすればよいのかが分からず心の中ではとまどっていた。

母はとにかく倹約に倹約を重ねる生活でムダを一切しない人だった。末弟二人も全て皆独り立ちするようになってから、ある時皆で母に各自毎月一定額のお小遣いを送ることに決め。何年かしてEdがマンションを購入することになったとき、母は使わずに貯めておいた私からのお小遣いをそっくりそのまま、「皆には内緒だよ・・」と言いながら渡してくれた。「大丈夫だから・・」といって返そうとしたがガンとして受け取らず、足しにしてくれという。母の気持のなかでは末の二人はいつまで経ってもまだ心配な”子供”なのだと思った。

晩年、母は糖尿を患って長く闘病生活をしていたが、最後は老人病棟に入れられて独り寂しく亡くなってしまった。せめて最後は自宅に引き取って看取ってやればよかったのに、上の兄たちへの気兼ねからそれも出来ず、何と頼りない薄情な息子だろうかと自責の念に駆られたが後のまつり・・・

グダグダとそんな昔のことを思い出しているとき、ほぼ日刊イトイ新聞の大人の小論文教室というコラムで山田ズーニー先生が書かれた
「おかんのお年玉」を読んで、『居薬』という新しい言葉を知った。Edは母の最後を看取ってやれなかった薄情な息子の一人だったけれど、母が入院してからも車を持っていたから他の兄弟たちよりは頻繁に母のところを(自分の子供=孫を連れて)訪ねていた。入院が長引くに従って次第に表情がなくなってきた母も、その時だけは少し元気を取り戻したような顔になっていたのは、僅かながらも「居薬」になっていたのだろうか・・・

                       


盗難予防

2011年01月25日 | Weblog

                           

カミサンの友達の口コミで彼女が仕入れてきた情報によると、最近隣りの住宅団地で車の盗難が2件相次いであったらしい。

どうせ狙われるのは高級車だけだろう・・・とタカをくくっていたら、盗られたのはカムリとかの大衆車だという。年金生活になった現在、車を盗られたらもう買えない。心配になって買い物帰りにディーラーに寄って話しを聞いた^^!

インモビライザーを後付け出来ないだろうか訊ねたら、メーカー・オプションなので出来ないとのこと。けれどもディーラー・オプションで警報システムなら取り付け可能だという。ドアをこじ開けようとしたり、無線キーを使わずにドアを開けると、30秒間クラクションが鳴り続けハザードも点滅し続ける。取り付け費用は42,000円。これは警報装置なのでインモビライザーのようにエンジンを掛からなくするワケではないので、作動したら窃盗犯が止めるかどうかにかかっている。

メーカー・オプションのインモビライザーでも万全ということはなく、最近ではそれが作動しなくなる(つまりエンジンが掛かってしまう)ように車のコンピューターをその場で書き換えてしまうハイテク窃盗犯がいて、安心できない。
プロの手にかかると、普通5分から10分くらいの間に盗まれてしまうので、時間がかかりそうな車の場合は敬遠するらしい。ディーラーが薦めてくれたのはこの警報装置に加えてハンドル・ロックとかホイール・ロックなど機械式の歯止めをしておくのがより効果的だという。

もう何十年も昔イギリスでは誰でもイカツイハンドル・ロックを持っていたのを思い出したが、今時そんなゴツイものが日本で売られているのだろうか・・・と半信半疑でYHに行っら・・・ありました!。当にそのものズバリ、しかも安い(3000円!) ・・・で早速購入しました。警告ランプだけなら数千円、自分で取り付ける独立警報装置なら1,2万円でもあります。

さぁ~てディーラー・オプションにするか、安価な自分で付けるタイプにするか・・・暫し考えよう。
                     

                    ★写真は本文とは関係ありません


東京ウォーク(I)

2011年01月24日 | Weblog

ウォーキング・クラブが流行っている。大勢で同じルートをゾロゾロと歩いて10キロ、20キロと距離を延ばし、健康と歩行距離を競うらしい。主催者は予めルートを何度も歩いて下調べをし、トイレの場所、昼食の場所、訪れる旧所名蹟を決めて時間通りに行動するようだ。

行き当たりバッタリ、気の向いたほうへ行きたい”身勝手人間”Edはそういうのが苦手・・・で、22日(土曜日)Jinさんと池袋で11時に待ち合わせてオモムロに歩きだした。とは言え一つだけ目的があって、途中お隣のSさんが去年始めたラーメン店「甚九郎」へ立ち寄ること。最寄駅は地下鉄(東京メトロ副都心線)東新宿もしくはJR新大久保なのだけれど、明治通り沿いなので池袋から歩いても2,30分で行ける。

Jinさんの記憶によると池袋駅の外れに神社があったという。なるほど歩道橋の向こうに「大鳥神社参道」の看板。車一台分の狭い道を入っていくと直ぐのところにありました「法明寺」。参道には寒いのに写生をしている人が二人。バスで乗り付た南無妙法蓮華経の襷掛けをした団体さんもいる。池袋の繁華街から一寸入ったこんなところに大きなお寺さんがあったのだ。

                 

Jinさんがまた思い出した。近くに確か門前町があったという。町内案内地図で見当をつけて少し歩いたら立派なお寺ガ現れた。雑司ヶ谷鬼子母神。

                 

建物は木造、戦災にも焼け残ったものだろうか・・・。隣りの武芳稲荷の公孫樹は樹齢600年の巨木で歴史を感じさせる。裏から寺に入ったので参道を逆方向から表通りに抜けたところが都電荒川線の鬼子母神前駅だった。

                 

線路に沿って裏道を少し歩き、目白通りの立体交差を下へ降りてまた明治通りへ出た。学習院大学を右手に見て坂を下り馬場口交差点を過ぎると左手に都立戸山高校があった。我々の時代には優秀な進学校の一つだった。

ツタヤ・ビルに着いたので「甚九郎」を探したけれどラーメン店らしいのが見当たらない。道を少し戻ったらおとなしい甚九郎の赤提灯と歩道の置き看板がありました! 一寸ラーメン店らしからぬ店構えで見過ごしてしまったのです^^!
中へ入ると普通のラーメン屋のような長いカウンター式ではなく椅子とテーブル席。ラーメン専門店というより食事処といった感じである。”甚九郎・味噌ラーメン”と餃子一皿、ビール一本を注文。もう沢山は食べられないのでJinさんとシェアした。ラーメンも餃子も美味しかった。

店を出て新大久保駅方面へ寄り道。韓国料理店、食材店、スーパーが一角に寄り集まっていて大賑わいである。老いも若きも圧倒的に女性が多い。韓国映画隆盛のお陰か・・・ TV番組で観たのだけれど、韓国通の女性たちは憶えた韓国料理の食材をここへ買いにくるのだそうだ。日本のスーパーでは見かけないようなモロモロが棚に沢山陳列してあった。

喧騒で少し疲れたので明治通りに戻って近くのコーヒー・ショップに入り、トイレ休憩。都心の散歩では休憩の場所に困ることは無い。

その後花園神社に立ち寄り、新宿を抜けて竹下通りを横目に、明治神宮まで歩いた。原宿から帰途についたが、東京は足で歩けば好い所がまだまだ沢山あるなあ・・・

                 
                 

今回は大した距離を歩いたわけではなかったけれど、なぜか足より腰が痛くなった。次回はJinさんのご近所にある旧所名跡を訪ねる予定。


駝鳥

2011年01月21日 | Weblog

                           

駝鳥が見直されているそうだ。近年の世界的な異常気象で乾燥地帯が洪水に見舞われたり穀倉地帯が旱魃で壊滅的な打撃をうけたり、で60億人が住む地球上に深刻な食糧不足をもたらすのだという。

小麦や大豆、トウモロコシが不足するとどうなる?人間が食べる分が不足してくれば次にそのシワ寄せは家畜の飼料や工業用の材料にむけられる。家畜飼料が不足してくると肉の供給が減り値段も上がる。風が吹けば桶屋が儲かるのたとえではないが、そうなったら貧乏人には肉が回ってこなくなる。すき焼きも生姜焼きも鳥のカラ揚げも好きなモンとしては、やだなぁ・・・と思う。

そこで登場するのが救世主「駝鳥」。何しろ高価な配合飼料なんぞ要らない。その辺に生えてる雑草や牧草、落ちた果実などなど文句も言わずに食べてくれる。その上食べる量は牛の10分の1以下、且つ成長が早く、2年で200Kgほどにもなるのだそうだ。飼育効率が極めて高い動物といえる。

卵は鶏の20個分以上あり(一人じゃ食えねえ・・・)、年70~200個くらいを40年間に亘って生み続けるのだそうだ。(駝鳥は長命だねえ。80年くらい生きるらしいよ)。肉は柔らかくて臭みは無く(まだ食べたことないけど・・・)、低カロリー、低脂肪、低コレステロール、高鉄分の健康食品!お肉の優等生!これからは牛、豚は金持ちに任せて貧乏人は駝鳥を食おうね!

更にさらに、馴らすと人を乗せて高速で走るそうだ。豚や牛に乗るよりは見た目も良いし(・・・でしょ?)道路では軽自動車扱いらしいから経済的だしね。みんな、これからは一家に2、3匹駝鳥の時代だよ!(笑)

                         

                       ★写真はWikipediaより


蜜柑

2011年01月20日 | Weblog

大好きです。手で皮を剥くだけで食べられるし、ジューシーでビタミンC豊富だしね!そういう手軽さの点では苺や葡萄も好きですが、サイフを気にせず安心して沢山食べられるのはヤッパリ蜜柑です。

               

・・・が、この冬はそうばかり言っていられません。今が最盛期の筈なのに値段が高いのです!どこのスーパーでも判で押したように一袋6個前後入って400円ないし500円です。箱で買おうと思って2,3軒探してみましたがどこも箱売りしていません。去年夏の猛暑で、蜜柑の収穫が例年より大幅に減ってしまったのが原因らしいです。値段が高いのは自然の成行きだから、ま仕方ないか・・・

正月用に暮に4500円で買った箱(10キロ)はとても美味しかったので、2人で1週間しか持たなかった。あちこち走り回って駅前の八百屋でようやく箱売りを見つけた。値段は2600円から5500円まである。粒が少しデカ過ぎるから大味かな・・・と思いながら10キロ、3000円の箱を買った。ビタミンCのサプリメントと思えばいいや・・・と期待せずに持ち帰ったら、これが大当たり!美味しい。袋売りよりかなり得したかも・・・^^!


脆性破壊

2011年01月18日 | Weblog

                         

金属では一般に柔らかい材質ほど外からの力に対しては一定の範囲内であれば変形によって力を吸収するため強く、堅い材質ほど弾性が減って脆くなるので磨耗や繰り返しに対して強いけれど一定の範囲を超えると壊れ易くなる。人間の皮膚も若いうちは柔らかくて弾力性に富み破れにくいけれど、年取ってくると表面が角質化して硬くなりガサガサにひび割れたりする(・・・アカギレ^^!)

先日来親指の爪の根元にヒビ割れが生じ、割れ目がなかなか塞がらない。僅かな傷なのにシャツのボタンをはめたりジッパーの上げ下ろしの都度チクリとして指に力が入らない。濡れると沁みるし、カットバンを張ると指先が滑りやすくなるし傷口がいつまでも乾かない。始末が悪いよ。

一昨年は踵(かかと)がひび割れて往生した。今は用心して風呂に入る度軽石で擦って角質を薄くしているのでどうにかアカギレが出来ずに助かっている。
子供のころ、ジサマが踵のアカギレにご飯粒を詰め込んでいるのを見たことがあるけれど、あれは一体どういう効果があったのだろうか・・・^^! 割れ目を接着剤で塞ごうという魂胆だったのなら、気持ち的には解らないでもないが、米粒が固まったら反って痛くなりそうである(笑)

表に現れている皮膚だけでなく、目に見えない体の内部も我々年寄りは弾力を失って脆くなっている。筋肉だってだんだん堅くなってくるし骨もちょっとしたことでポキッと折れたりする。痛みを感じる神経があまり走っていない内臓や血管も、ある日突然脆性破壊をおこして本人の予想外にお陀仏になることもあり得る。願わくば”脆性破壊”で気が付いたら死んでた・・・
みたいなのがいいなあ~(笑)

                          


羽田国際線ターミナル

2011年01月17日 | Weblog

             

日曜日(16日)、去年開港した国際線ターミナルを見学に羽田空港へ行った。地元成田では羽田が国内線専用空港から国際線へ路線を広げたことで、成田が将来衰退するのでは・・・と心配する向きもある。

朝でがけに雪がチラついていて2,3cm積もっていたから足元に注意しながら駅まで急いで行ったら、案の定電車は遅れて来た^^!しかし我孫子に着くころは雪は止んで都心部は良い天気になった。

             
             

浜松町からモノレールに乗り快速で15分、最初のターミナル駅が新しく開港した国際線である。品川からは京浜急行も来ている(こちらも約15分)から確かに都心からのアクセスの良さは成田の比ではないだろう。それに国際線から国内線への乗り継ぎはターミナル間の移動だけだから、国内路線の便数が少なくて限られている成田に比べて極めて有利である。

現在は未だ国際線といっても東南アジア、中国、韓国が主で欧米路線は数えるほどしかないから、成田に比べてインターナショナルな雰囲気が感じられない。将来もっと国際線の便数が増えてターミナルが拡張されれば、成田は今のままでは衰退してしまうかもしれない。

ロンドンには一番大きなヒースロー(世界への玄関口)と、2番目に大きいガトウィック(欧州線主体)、そして格安航空会社主体のステンステッドの3空港あって夫々上手く住み分けしているように見える。
日本は国の航空行政がデタラメで国家戦略もなにもないからテンデン・バラバラ、地方空港は採算無視でめったやたらに造ってしまったから客は閑古鳥で運営も覚束ない。日本がモタモタしている間に韓国やシンガポール、中国など遅れてきた国々が今や立派なハブ空港を完成させている。成田も羽田も世界の表玄関としては小さくてひどく見劣りがする。

ちょっと小粋な江戸時代風街並みのショッピング・モールもいいけれど、もっと羽田と成田の将来的な位置付け、役割分担などが見えるような骨太の提案や計画はないのだろうか?戦略らしきものがまるで見えてこない今の内閣では期待するほうがムリか^^!

屋上の展望台に上がってみた。周りは目の細かいフェンスで囲まれてしまって視界が邪魔されロクに写真も撮れない。流石に気が咎めたかフェンスの数箇所に申し訳程度カメラのアクセス用小窓を開けてあるが、殆んど用をなさない。何でこんな無粋なフェンスで折角の展望台をぐるり目隠ししなければならないのだろうか・・・?

ま、羽田もハブ空港化するにはいかにも狭い!それに東京の空域は米軍に広く管理されていて民間機が自由に飛べる空域はかなり狭
められているとか。国の防衛がらみで未だに日本の表玄関に空の自由がないなんて何かおかしいんじゃないのかぇ!?

             
             
             


趣味

2011年01月14日 | Weblog

                             

このところバイクと自転車から遠ざかっている。毎日こう寒くては正直その気も起こらない。最大の敵は手足の指先の凍えである。それ以外は着込めば何とでもなるけれど、指先だけは痺れて最後は感覚がなくなってくるので如何ともしがたい。
そうでなくとも最近は血のめぐりが悪くなって、情けないことに普段からつま先はシモヤケ状態である。歳はとりたくないとつくづく思う^^!バイクは暖かくなるまで暫く冬眠だ!


先日英国のPeter Mからメールで新年の挨拶がきた。”まだバイクに乗っているのか、絵は描いているか”などと訊いてきた。バイクはともかく、彼に絵のことなんか話したことあったっけ・・・?
記憶にないけれどEdの趣味を憶えていてくれたらしい。そういえば暫く絵を描いてないなあ・・・ もう十分歳とったから、これからはあまり動き回らなくて楽しめる趣味に移行してもいいかな・・・

Peterが絵を描いているかどうかは知らないけれど、仕事で物の説明をするときサラッと描く断面図や外観図はとても上手くて解り易かった。彼もきっと絵心があるのだと思う。

彼はEatonを辞めたあとゴルフ・カートのメーカーに就職し、現在そのアフター・サービス部門で働いている。去年のRyders Cup(欧州~アメリカの由緒あるゴルフ・マッチ?)でCeltic Manor Resortの世話役に参加したとか。Edはゴルフが出来ないのでRyders Cupがどれほどのものなのか全く知らないのだけれど、世界的に有名なゴルフ・ミーティングらしいのでそのお世話をするというのは、よほど名誉あることなのかもしれない。

英国にもゴルフ場は沢山あってプレーを楽しんでいる人も多いと思うけれど、Edが知った限りでは同じ会社でやっている人はそれほど多くはなかったように記憶している。むしろ日本人のほうがゴルフを趣味に挙げるひとが多い。
ある日のこと、泊まったホテルのゴルフ・コースでイギリス人がプレーしているのを見ていた。ルールなどは結構いいかげんらしく、ボールを打つことだけで楽しんでおり、日本人ほどプレーにムキになっていない印象をうけた。

Peterは今ゴルフカートの仕事にかこつけて日本を訪問する機会を窺っているようだが、なかなか目論み通りに事は運ばない。それでもいつかまた日本で逢えたら楽しいだろうなあ・・・



将監川

2011年01月11日 | Weblog

                  
                  

Jinさんからもらった山本周五郎小説全集27(葦は見ていた/新潮社)がそろそろ読み終えるので、隣り町の小林図書館へ行ってみようと思い立った。外は日差しはあるものの少し風があって、しかも冷たい。歩いても10分あまりだから散歩がてら将監川沿いの遊歩道を東へ行き大橋を渡った。

我が住宅団地はウォーター・フロントという言葉が流行ったころ、将監川の北側堤に沿って造成された450戸ばかりの細長い小規模住宅地で、団地の西の端から東の端までおよそ1.5キロに亘って川沿いに遊歩道がある。
将監川はその昔利根川の本流だったらしいが、現在の利根川はここから1.5キロほど北を流れていて、将監川は”川”というより両端が水門で閉ざされて水位が上下するだけの細長い池のようになっている。嘗てはヘラ鮒の名所と言われた川だけれど今では外来の草魚のような大きな魚が巾を利かせている。週末になると朝早くから釣り人の車が路上駐車して近所の道路は走りにくくなる。

近年水質が悪化して(冨栄養化して)いるせいか水草が巨大な動く島のような態をなしており、青サギなどがよく羽を休めている。一見長閑に見えるけれどここに長く住んでいる我々にとっては巨大な水草の塊は目障りこの上ない。20年前には無かったものだし、片付けようにも簡単にはいかずなかなか厄介な代物なのだそうである。

橋の袂から遊歩道を逸れて橋を渡り、国道を横切って100メートルほど先にある図書館に着いた。ありゃりゃ・・・お休みだっ!考えてみたら10日は休日だった。チェッ!

                  
                  


寒くなった

2011年01月09日 | Weblog

             

今朝(9日)は冷えた。この冬一番だったかもしれない。各地で寒波のため大雪に見舞われるなか東京近辺だけは安定した晴天が続き気温も冬にしては割合高めだったが、今朝はベッドを出てすぐに”寒い!”と思った。
日曜日につき朝寝したので起きたのは7時。ウォーキングに行くつもりで身支度をしたが、体感的には普段の朝4時半をも下回る冷たさ!つま先はホカロンで凌げるが手の指先だけは手袋2枚重ねても痺れてくる・・・と思ったら怖気ついて、今日はヤメにした(*^^!

昨日は暮から気になっていた西側の垣根が伸び放題だったので、赤芽を刈り込んでおいたからゴミ袋3つに詰め込んだ。町のゴミ収集は暮れの28日を最後に明日10日まで再開しないので、わが家の焼却ゴミも大小混ぜて7袋も溜まってしまった。明日はゴミ置き場は黄色い袋でてんこ盛りになるに違いない。

                      

田圃の導水路は筑波おろしで凍えて氷が張っている。枯れ草とようやく干からびた稲(ひこ生え)が霜で白く光っている。これからが冬本番。世界的な異常気象だから、これからどうなるのか本当のところ誰にも分からないのだろうけれど、地球は閉じられた一つの小世界なので、どこかが大洪水なら他が大干ばつ、どこかが猛暑なら他が寒波でバランスするのだそうだ。何となく分かるような気もする。

先週、YHで車のオイル交換した際待ち時間に店をウロウロしていたらタイヤ・チェーンが目に付いた。前のマーク2までは鉄製チェーンでなくてスパイク付きのプラスチック製を使っていたが、この辺りでは多少積雪があっても表通りは直ぐ解けてしまうし、折角滑り止めを付けても車道ではゴトゴト振動が出るだけで殆ど意味を成さなかった。もう若いときのように車で雪道を走ることも無いからタイヤ・チェーンは要らないな・・・雪が降ったら歩けばいいや(笑)

             
             


年賀状

2011年01月07日 | Weblog

          

大昔(若い頃)は挨拶文を書くのがメンドイので毎年版画を彫っていた。そのうち全部メンドくなって業者に印刷を注文するようになった。しかし結構費用が高くつくので馬鹿らしくなり、そのころ流行り始めたPCの筆まめソフトで自前に切り替えた。今はNETで無料素材サイトからダウンロードしたものを使っているが、正直マンネリで我ながらツマランと思っている。

去年、フとしたハズミで消しハン(消しゴム版画らしい・・)作家の”巨匠”猫田ぼーいちクンを知り、Web友になってもらった(勝手に^^)。彼女のブログ「サイの角をなめたい」は実にオモロイ!本文もそしてコメントのやり取りも!今では「サイ・・・」の大ファンで毎日覗いては独りで笑っている(当ブログにもリンクを張ってあるので、笑いたい方は覗いてみてくださいね)。

そのご本人から今年は”特注”消しハン年賀状を頂いた(上の写真)。消しハンは素晴らしい出来栄え!ハガキの表には宛名と一言・・・”明けましておめでたいデス!”とあった(笑)。
暮に彼女のオリジナル作品”うさぎ”がアップされたので拝借して孫向けの年賀状に使わせてもらった(下の写真)。カミサンもえらく気に入って「わぁ!シャレてるわぁ~全部これにすればよかったあ・・・」

来年は”巨匠”の消しハンを使わせてもらおうかな・・・

                        


紛失

2011年01月05日 | Weblog
                    

3日の朝、何気なく健康保険証を入れてある小引き出しを開けてみてドッキリ!
保険証がない。確か半年ほど前にパスポートの申請をしたとき念のため保険証も持っていった・・・と思い出して財布の中を調べてみたが無い!セカンド・バッグ、パスポート入れ、机の引きだし・・・何度も何度も調べたけれど出てこない!
以前、カミサンの保険証と一緒に入れておいた小引き出しもひっくり返したけれど勿論あるはずは無い。失くしたのだ!

持ち物を整理していて間違ってゴミと一緒に焼却してしまったのならまだしも、もしどこかに置き忘れたり落としたりして誰かに悪用されたら困る。それに、もし急に病院へ掛からなければならない場合には自前で支払わなければならなくなる・・・
参ったぁ!再発行してくれるだろうか?

翌日(4日)朝、町役場へ電話したら今日から平常業務だという。早速窓口へ出向いて事情を説明したら直ぐに再発行してくれた。もし元の保険証が出てきたら、それを返却すればよいということで一件落着。しかし役場の窓口からは、念のため警察へ紛失届けを出したほうが良いと勧められたので帰りに自宅近くの交番へ立ち寄って届けをしておいた。ヤレヤレ・・・

正月早々嬉しくないオトシダマだった。

                    

2011正月

2011年01月04日 | Weblog



大晦日はNHK紅白を観ていたので寝たのが0時を過ぎていた。”観た”といっても前半だけで後半はPCイタズラしながら酒も入っていたからTVの前で横になっていて、気が付いたら転寝していた^^!

なんせ、紅白は面白くない!年々益々面白くない!(毎年本気で観ているワケでもないけど・・・)今年の司会はゾロゾロ6人も出てきて女性一人に男5人のグループ、ときたもんだ・・・おまけにテンデン・バラバラ纏まりのないこと夥しい。騒々しいだけの民放の下らないタレント集団番組とちっとも変わりゃあしない。歌番組だったら大勢の砂利タレをキンキン・キラキラ飛び回らせるだけじゃなくて、もっと心に響くホンモノの歌を聞かせろっ!(笑)

元日は今年も爽やかな晴天になった。朝は例年どうり温泉へ浸かりに行く。久しぶりに福島の湯遊ランド塙へ行こうか?・・・と昨晩までは考えていたのだが、やっぱり早起き出来なかったので手頃な下妻にした。道路も温泉も空いていてゆっくり1時間ほど湯に浸かって家に戻ったら1時だった。

一通り年賀状を見て、出し忘れていた人から頂いた何枚かに返信を書いた。元日は義姉夫婦の家に招待されているので、食事はせずビールだけ飲んで出かけた。お互い年金生活だから贅沢はせず、質素なお節と日本酒で正月を祝ったのだが時間を忘れて喋っていたら11時になってしまった。流石に夜になると冷えて家まで身を縮めて急いで帰った。

翌2日はわが家へ義姉たちを招待する日なので、朝は軽く掃除をして昼ころからテーブルとお節の準備。こちらも質素に、飲み物だけは豊富に準備して待った。この日も3時半ころから始めて10時過ぎまで呑んで喋った。最後に北海道の孫たちの最新ビデオを観てから帰っていった。

今年も変わらず良い年でありますように!