Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

タイヤ交換

2009年12月30日 | Weblog

         

6月の車検で、冬になる前に交換したほうが良いと奨められていたけれど、あれから約1万キロ走ってオドメーターは5万7千になった。まだ溝は残っているけれどかなり浅くなった。そろそろ限界かな、と思って近くのイエロー・ハットで見積もってもらった。オリジナルのToyoと同程度で、ということでYokohamaかMichelinがお奨めだという。Michelinは静粛性と耐久性に優れ、キャンペーン価格でYokohamaと略同じだったのでそれに決めた。(念のため安売り店のオートウェーブ柏にも行って、合い見積もりしてみたが反って高かった)

エンジン・オイル交換とYH会員加入金も含めた支払い総額は72000円だったから、215R60-16サイズとしては、まずまずの買い物だったのではないだろうか。
これでまた暫くは安心して走れる。

わが家の年間走行距離はマーク2のころは2.2万キロだったが、今のマークXになってからは少し減って1.6~1.7万キロ。4年/6万キロは持たせたいところである。Michelinは初めてなので耐久性に期待している。

         
         


2009仕事納め

2009年12月28日 | Weblog

                    

25日(金曜日)は今年の仕事納め。このところヒマだったので今日も一日何事もなく過ぎ去ると思っていたのに、年初に納入する部品の品質不具合で朝から対策に大童。
不思議と長い休みの直前に限ってトラブルが発生するもの。海外の工場は既に何処もクリスマス休暇に入っているので、とりあえず情報だけ入れておき、あとは年初の回答待ち。それまでは手も足も出ません^^!

仕掛りの仕事を終え、少し掃除の真似事をして無事一日が終わった。今日はGM・OBと3人で締めくくりの忘年会があるので、少々早めに挨拶を済ませて電車に乗った。6時過ぎ、赤坂「やげん亭」へ。Kさん、Iさんの二人とも先に到着して待っていてくれた。早速ビールで乾杯!夏以降逢ってないから半年ぶりだ。

Kさんは今年古希を迎えたけれど、顔の皺もないし髪もふさふさで、とても見えない。彼はホモロゲーションの達人だから輸入自動車会社から引っ張りだこで、不況知らず。まだまだ現役でいられそうだ。
一方Iさんは残りの人生をいかに楽しく生きるか、目下海外の新天地をあちこち物色中らしい。先日10日間ほどタイを徘徊してきたので、来月はマレーシアへ行く計画だとか。私がベトナムへ行きたい・・というと、彼も是非行きたいとの由。

GMを辞めてから、もう4半世紀も経つのに未だにこうしてバカを云って楽しく語らえるのも、30代後半の働き盛りで知り合ったお陰だろうか。締めくくりの忘年会に相応しい集まりだった。

いつの間にか我々が最後の客になってしまったので、急いでお愛想してもらったが3時間以上ねばって居たことになる。見送ってくれたご主人が、2月から新しい店に引っ越すと教えてくれた。これからも宜しく!

                  


忘年会

2009年12月25日 | Weblog

今年3回目の忘年会は今の会社のOG・OB4人を含む7人が集まって、六本木・朝日食堂でやった。
倉庫勤務になって以来田舎暮らしが身について、六本木の飲み屋街とはスッカリ縁がなくなってしまった^^! 
暗闇に慣れた田舎もんの目には、久しぶりの夜の六本木は眩しいわい!(笑) 元防衛庁跡地に完成したTokyo Mid Town 近辺はクリスマスの電飾が綺麗だ。

数年前リタイアしたOB・OGのうち3人は再就職して外資に勤めていたが、そのうち2人は現在そこも辞めてプータロウだという。どこも不景気で人員整理をしているのだ。2人とも生活に困ることはない身分だからいいようなものの、家庭の大黒柱だったら暢気に忘年会などといって呑んでるヒマはないだろう。
還暦をすぎて数年勤めてから辞めたOBのMさんは再就職はせず、ゴルフ三昧の日を送っておられる由、結構なことである。

年々歳々人みな同じからず、暫く会わないでいると周囲はどんどん変化していく。若かったころは変化することのほうが珍しかったように感じるけれど、この歳になってみると変化しないことのほうが珍しいのかも・・・。
以前の同僚と酒を酌み交わすのは懐かしくもあり、またむかし話を楽しく思い出すことがで、何となく暖かな気分で帰ってきた。
今年はあと一回、GM時代の呑み友達と忘年会の予定がある。何やら忙しいなあ・・・(^^)

        
        
        


イルミネーション

2009年12月24日 | Weblog

毎年この時期は、クリスマスのイルミネーションを観にどこかへ出かけていくのだけれど、今年はイマイチ気分が乗らない。

で、ヒマだった19日(土曜)夕方最もお手軽な、去年と同じ丸の内へ。
新丸ビルの7階で軽く食べてから外に出たら大通りの街路樹に控えめな電飾。去年わりと賑やかだった中通りへ行ってみると・・・残念、まだ電飾工事中で花壇の飾りつけにはビニールが被せたまま。もうこの時期なのに不景気のせいか何となくオザナリだなあ・・・^^;

ま、自分はクリスチャンでもないし、クリスマスの飾りつけが賑やかであろうが寂しかろうが、正直どうでもいいのだけれど、野次馬根性でいえば今年はキラキラが少なくて、つまらん!

        
        
        


大連交通事情

2009年12月19日 | Weblog

発展を続ける中国は今年、車の販売台数がアメリカを 抜いて世界第一になるという。大連市内でも車が溢れているし、VWのほかベンツ、GM、トヨタ・レクサス、ホンダ、日産などの高級車も目に付く。その一方で三輪トラック、三輪タクシー、バイク・タクシー(?)のような貧しい人向けの簡便な車両も混在している。まさに混沌の中の繁栄だろうか。

          
          
          
          

金州で見かけた大型ダンプやトレーラーは欧州車が多く、荷を満載して坂道を喘いで登っていた。建設工事が盛んなので街中でも大型ダンプを見かけるが、ひところの日本車のように荷台アオリを高くして40トン以上は積んでいるようだ。

          
          
          
          

市内電車も走っていて、真新しい車両に混じってむかし日本で使っていたような旧いレトロ車両もある。旅順方面へ向かう市街電車は欧州車らしいモダンなデザインで、現在は路線が途中で終点になっているが、いずれ全線開通するともっと便利になる。市内を走るバスはどれも比較的新しくて清潔だった。

          

道路はメイン・ストリートは歩道もあってよく整備されているが、少し脇道に入ると工事中だったりデコボコだったりして雑然としている。けれども日本のように電柱がないので街中の景観が何処もスッキリしている。電線や通信ケーブルのインフラ整備に関しては、日本のほうが遥かに後れている。

          
          
          

車の運転は乱暴で、歩行者は邪魔者扱いされている。車社会になってまだ間もないせいで、人も車も互いに慣れていないからだろう。赤信号では車は一応停まるが、黄信号は意味をなしていない。歩行者も車が近くまで来なければ信号を無視して道路を横断する。するとそれを追い散らすかのごとく車が突っ込んでくる・・・という具合。車道の横断は我々にとってはチョッとした冒険で、スリルが味わえる^^!

自転車やレジャー・バイクは殆ど見かけない。駅前やバス停でたむろしている小型バイクは皆二人乗りの長いシートを付けた「タクシー」。4日間でたった一台だけ、走っているGLを見た。相当なお金持ちなのだろう。

          
          
          ☆ケンタッキーFCの宅配自転車^^!


大連駅周辺

2009年12月17日 | Weblog

               
               

我々が宿泊したホテルは大連駅前の大連渤海明珠酒店(Bohai Pearl Hotel Dalian)で、市の中心部に位置する交通至便の場所にある。

               

大連駅は上野駅に似せた造りの駅舎で、周辺通路や反対側へ抜ける地下道の両側は小さな店と露天商で占められ、朝早くから行き交う人々で活気に溢れている。
我々のホテルがある駅南側には繁華街が広がり、正面にある迷路のように入り組んで数層に亘る地下街には雑多な店が連なり、中国人でさえ迷うほど分かりづらい。時計や婦人ものバッグは高級品の良く出来たコピーが出回っているので、もし買うならニセモノと割り切って買い叩かないと、とんでもない高値で掴まされることになる^^!

               
               

駅からそう遠くない市内のあちこちに、旧日本統治時代の建物が残されている。それらは唯頑丈に造られているだけでなく、重厚であるため今なお市政府の役所などに使われたり、内部を当時のまま保存して観光に供されていたりする。日本人の住んでいた住宅も、新しく建てる中国の建物よりシッカリ出来ているので、外回りを塗り替え内部を改装して高級住宅として生まれ変わっているという。

大連は港町なのでフェリーの埠頭も近い。ルートが多いので駅ならびに駅の周辺にはフェリーの切符売り場があって盛んに呼びかけている。現在新しい港が半島の裏側に建設中だそうで、完成すると中国一の巨大な港になるとか。大連の駅からは大分離れてしまうようだけれど・・・

               
                

夕食後毎晩、我々は駅前の一軒の大衆食堂へ出かけた。最初は行き当たりバッタリで入ったのだけれど、兎に角なんでも安くて焼き餃子(中国は水餃子が主)が美味しい。ビールは大瓶6元(¥90)、バイチュウ(コーリャンから作った42~48度の強い蒸留酒)500ccほどの小瓶が12元(¥180)、餃子一皿10元(¥150)ほどで、ほろ酔いになるまで呑んで一人20元(¥300)前後である。日本の大衆酒場での相場のざっと10分の一といったところだろうか。
こういう店こそ、中国の一般大衆がフトコロ具合をあまり気にせず呑める場所なのではないだろうか・・・と、フと思ったりした。

                
                
                


劉(リュウ)ちゃん

2009年12月16日 | Weblog

12日(土曜)から4日間中国・大連を訪れてオジンライダーズのオフ・ミーティングを楽しんできました。
何しろ旅行代金が、一人締めてわずか3万円強という「超豪華」パック・ツアーなので、最初はどんな安ホテルで何を食わされるのか・・・と少々心元なかったのだけれど、案に相違してホテルは四つ★、夕食は市内では名の通った大きなレストラン、移動と観光はすべて専用マイクロ・バスで、という至れり尽くせりの超お得ツアーでした^^!

       

大連空港に到着すると、現地旅行代理店のツアー・コンダクターが迎えに来てくれていて、そこから先は日本語の達者な彼女が全て取り仕切ってくれた。彼女の名前は「劉(リュウ)」さん、28歳。日本の大学を出て今は日本人相手のツアー・コンダクターをしているお嬢さんだ。
彼女は明るい性格で、絶え間なくよく喋り、且つ質問や疑問には的を得た答えを即座に返してくる。とても頭のよい娘だと見受けた。旅行中の4日間で我々年寄りともスッカリ打ち解けて、人気者になった。

大連は戦前まで40年ほど日本に統治されていたから、旧満州鉄道の本社跡や旧大和ホテル、日本人街の建物などが残されていて、観光用に整備されたり大連市の役所・施設に再利用されたりしている。50kmほど西の旅順には日露戦争で有名な203高地があり、今は観光スポットとして整備されている。尤も我々よりもう少し旧い年代でないと、何も感慨は沸かないのだけれど・・・

リュウちゃんは、そういう日本人向けの記念碑的施設を案内するときも、我々の知らない細かなことまで実によく知っていて、相当勉強していることを伺わせる。

リュウちゃんのせいではないけれど、唯一残念なのは、この種パック・ツアーでは必ず付いて回るお土産屋訪問である。不要なものを安くもない値段で売りつけるアクドイ商法はいい加減でやめて欲しいものである。押し売りのようなことをしなくても、良い品物を普通の現地価格で売れば、外国人は黙っていても必ず買ってくれるのに・・・

とはいえ、リュウちゃんが買って欲しいという車内販売のお土産品だけは、みんな一所懸命な彼女への「はなむけ」として数千円分は購入していた。
こころ優しき日本のジイサン、バアサンよ!

        
        
        
        


レ・ミゼラブル

2009年12月07日 | Weblog

                              

遠藤周作の「侍」を読んだ。日本の統治権力が秀吉から家康に移った徳川幕府初めのころの話。

キリスト教徒の迫害は秀吉の時代にも行われたが、家康の時代に移ってからまだ間もない頃、江戸を離れた関西や北陸ではまだ布教活動は大目にみられていた。江戸でライ診療所を開くスペイン人宣教師べラスコは江戸で捕らえられて北陸に追放される。長崎の他に関東の北にも貿易の拠点が欲しかった幕府は、北陸の或る小藩に送り込み彼を利用して大船の建造技術習得とメキシコとの直接貿易をさせようとした。

彼は日本人のように策を弄する一筋縄ではいかない国においては、布教活動にも策をもって臨まなくてはならないと考えていたので、利を求める藩主の誘いに乗り協力することを約束する。

彼は通詞として働き、北陸に於ける布教活動の許可と引き換えに、日本が求める西洋の造船技術と太洋の航海技術習得の橋渡しを引き受ける。完成した船に多数の日本人商人と船乗りを乗り込ませ、メキシコへの使節団として、藩の召出し衆と呼ばれる最下層の武士4人を同道させる。使節団の使命は日本との独占的貿易をメキシコに認めさせることであった。

日本人たちは初めての太平洋横断とメキシコとの直接折衝や商取引に苦労する。利に聡い商人達は取引を成立させるためべラスコの勧めに従って洗礼をうけ、表向きはキリスト教徒の仲間入りするが、潔癖な思想の武士たち4人は拒む。

しかし苦難の末に折角辿り着いたメキシコで、使節団はメキシコとの直接貿易の許可は貰えず、更にスペインまで行かなければならないと分かる。商人たちと別れた使節団の侍3人はべラスコと共に更に大西洋を越え、苦難の末スペインに辿り着く。法王に謁見するためには洗礼を受けて、形だけでもキリストに帰依したほうが良い、というべラスコの勧めに、3人は大いに逡巡するのだが結局「お国のためになるなら・・・」と、本心からではない洗礼をうける。

けれども彼らの心の苦しみや努力も空しく、結局は日本を出発するとき命じられた使命を果たすことは叶わなかった。それは、その後日本で布教の完全な禁止とキリスト教徒の処刑や国外追放が幕府より正式に発表されたという報がスペインにも届いていたからである。

失意の中で一人は帰国途中で自害し、残る2人はようやく日本に辿り着いたというのに、国許の藩に戻ってもまるで罪人のような扱いをうける。彼らが日本を留守にしていた数年の間に幕府も藩も政局が大きく変わってしまい、彼らのこれまでの努力は全くの徒労に終わってしまった。のみならず、最後は仮にも洗礼を受けてキリストに帰依したことは使命のためとは云え重大であると咎められ、理不尽にも藩からも追放されてしまう。

     * * * * * * * * * * *

お上の命を受けて外国へ送りこまれ、お上を信じて使命を全うするべく全力で戦ってきたのに、帰ってきたら罪人とされ、ただ「お前の運が悪かった」だけで済ませてしまう政(マツリゴト)・権力者の世界の非情さは、江戸時代だったからだけではなく、現代にも生きている権力構造の恐ろしさであろう。

「召出し衆」に順ずる我々一般国民は、支配者層つまり政治家とか企業経営者たち権力者たちに騙されないよう、常に用心して付き合わなければならない。

因みに、スペインまで行かされた召出し衆3人は実在の人たちであるという。

                              


都心散歩

2009年12月02日 | Weblog

何方かの写真で神宮外苑の銀杏並木の黄葉が紹介されていた。
数年前までは勤務地が乃木坂だったので、絵画館前の銀杏並木通りは車でよく通った。29日(日曜)、思い立ってデジカメもって銀杏並木を観に行った。

         

JR信濃町で降りて絵画館前から軟式野球場まで来たら、遠くの広場に幟がたくさんはためいているのが見えた。通りに沿って銀杏並木に出たら広場には模擬店がズラリ、中央では大道芸人のパフォーマンス、と何やらえらく賑やか!後で知ったのだが今年で13回目になる「いちょう祭り」だった。

         
         
         

朝の予報では曇天だったけれど、薄日もさしてポカポカ陽気に。佐世保バーガーを頬張りながら地ビールを軽く一杯。良い気持ちになった。酔い覚ましに、折角ここまで歩いてきたのだからと、これまで一度も訪ねたことがない青山墓地まで足を伸ばしてみた。流石に歴史のある墓地だけに大きくて造りの立派なお墓が多い。静かだし通路もよく整備されていて散歩には持って来いの場所だ。中央の道は桜並木なので春は花見で賑わうのだろう。

         
         ★ローラースケートで桜並木を行く女性
         
         ★墓地で日向ぼっこのノラ

今日のもう一つの目的は映画である。「母なる証明」という韓国映画が面白そうだったので是非観たいと思っていた。監督はヒッチコック以来と云われる韓国の鬼才ボン・ジュノ。一人息子が殺人事件の犯人として逮捕され、絶対の無実を信じる母が警察にも弁護士にも見切りをつけて、たった一人で真犯人探しに翻弄されるサスペンス映画。
思いもかけない結末にアッと驚かされたが、そこはやはり儒教の国の映画「親子の愛」だけに重たい。ヒッチコック映画のような「怖さ」を楽しめるような娯楽性はあまり感じられなかった。