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Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

年末

2010年12月31日 | Weblog
                   
若い頃は年末になると追いかけられるようにして大掃除やら正月の買い物やらに一生懸命だった。夫婦二人だけになってしまった今はもう体力も衰えたし、そういうことに対する熱も醒めて必要最低限で済まそうとするようになった。それでも新年を迎えるにあたって家の掃除くらいは一通りやる。外回りはオヤジの分担だから仕方ないが、寒いときに水を使う窓ガラスや門扉の清掃はうれしくない一日仕事であった。

そのほか長いこと気になっていた壊れたインターホンの代わりに無線式チャイムを取り付けた。こういったことは、やれば簡単なのにキッカケがないとなかなかやらない。ホームセンターに行ったら4000円で売っていたので直ぐ購入。もっと早くからやっておけばよかった・・・

大晦日は遣り残した細々した買い物、銀行の用事等を午前中に済ませてから久しぶりに車の洗車、ワックスかけ、室内の掃除機かけをやった。先日愛用のセカンド・バッグのストラップを紛失して諦めていたら座席の下から出てきた。ラッキー! バッグ捨てなくてよかった^^!

寒波で関東の太平洋岸以外全国的に雪や曇りだったが、東京近辺だけは比較的穏やかで冬にしては暖かだった。元日はまた温泉に行こうか・・・

                    

100円ショップ

2010年12月28日 | Weblog

     
MOMOのキャット・フードを買いにいった序でに、消しハン用の消しゴムを探しに安食のダイソウへ寄ってみた。それと思しきコーナーをクマナク徘徊してみたけれど無い!諦めて店員に聞いた。

「消しハン用の消しゴムはありませんか?」
「すみません、置いてないんですよ!」

即座に返事が返ってきた。(・・・ホントか? ”消しハン”ってものをホントに知ってんのか? この店員!)

ま、無いことは確かに無かった。仕方ねェ、他を当たってみるか・・・

で、その間に以前から買おうと思っていた品物を数点カゴに放りこんでおいたのでレジで清算した。ハンド・クリーム、単三電池x3、インクジェット写真印刷用紙、事務用ハサミ、マウスパッドなど5点、締めて¥525!安い!(100円ショップだから当たり前なんだけど・・・^^) 

それにしても、よくまぁこんな価格で何でも売れるもんだ。昨日食べたモスバーガー・オニポテ・セット+コーヒーの昼食代で9点も買える(笑)。
ハサミは、しかしちゃちだなあ・・・ヨレヨレな感じ。やはり機能品はメーカー品じゃないとダメかぁ。
    


2010忘年会(III)

2010年12月27日 | Weblog

今年最後の忘年会はイートンOG・OBと現役の2人を合わせて7人集まった。場所はやはり本社事務所のお膝元六本木、暫く遠ざかっていたけれど馴染みのある街だけに古巣に戻ったようで違和感がない。

10分ほど早く着いてしまったので、時間調整のためミッドタウンに戻ってイルミネーションを2、3枚写真に収めてきた。ここは先日の丸の内とは比較にならない華やかさで、歩き辛いくらい多くの人出で賑わっている・・・この辺りは相変わらずの繁華街だわい。

             

予定の時間になったので店に引き返した。居酒屋”にんにん本舗”は初めてのところだったけれど、知っているラーメン店の二階だから直ぐに分かった。入り口が狭いビルの階段一箇所なので、チンケな狭苦しい店かと思いながら中に通されたら、思いのほかゆったりとしたスペース。これなら寛げそうだ。

既にAK、TE、THさん達3人が来ていて宴会は始まっていた。Edも直ぐに参加して乾杯!暫くしてTS嬢、追いかけるようにしてHMさんも現れた。これで6人揃った。再度カンパ~イ! 料理は和風の創作(?)で味はどれも良い。メインは寒波襲来に備えて鍋にした^^!小一時間ほど遅れてKNさんも到着、7人全員揃った。かつて全員が現役だったころは、このメンバーと今回参加できなかったあと2人もを加えて一緒によく飲み、遊んだなあ・・・懐かしい! 互いの近況を話し、突っ込みを入れ、大いに笑い、別れ際にはこちらのグループとも新年会も・・・ということに。決まればまたまた参加だな^^!

イートンを辞めた人も夫々今は新しい勤め先を見付けて働いている。プーが一人も居ないのは喜ばしい。イートンは物造りの会社だけれど辞めたみんなの新しい就職先は全てサービス業なのだ。日本もいよいよ主産業が製造業からサービス業へと構造転換しつつある・・・ということか。。。


2010忘年会(II)

2010年12月24日 | Weblog

                           

Eaton”OG/OB4人会” の忘年会は、いつもの赤坂「やげん亭」で昨日22日夜6時半からだった。今回は自分が予約した手前、キッチリ5分前には到着、一番乗りでした。

ここはJinさんの親戚が経営しているお店なので、いつもとても良くしていただき安心して飲み食いできる。支払いの段になると申し訳なくなってしまうくらい安いので、もしかして私たちに見えないJinさんの影響力が働いているのだろうか・・・^^!

THさんは4年前に退職して今はグローバルな代理店事業(Agency Service)会社の親会社に勤めている高給とりさん。彼女も帰国子女の一人だから英語はNY仕込みの本物。発音とスピードは我々フツーの日本人には到底真似ができない。正月には彼女の所にシンガポールから友達が遊びにやってくるそうで、そのお世話で年明けは大忙しの休日になるらしい。

もう一人のMTさんは10数年前に一念発起、会社を辞めてアメリカの大学(West Michigan Univ.だったか?)に4年間留学したものすごい努力家。卒業後帰国して外資系のSecretaryをしていたが、縁あってTHさんの勤めている系列会社に再就職した。彼女は還暦で正社員に登用されるという快挙を成し遂げ、毎日目の回る忙しさだとか。

Jinさんは10年ほど前に退職して以後再就職せず、悠々自適のEarly Retirement を楽しんでいる。彼は資産家で裕福だから私たちのようにシャカリキに働かなくても食うには困らない人だから、みんなアヤカリタイと羨ましがっているのだ。

私が一番ビンボーで死ぬまで働いていないと食っていけない。自転車で綱渡りしてるのと一緒で、途中で止まれないのである!

4人四様、他人(ひと)夫々、皆さん自分の道を精いっぱい生きておられる。一時同じ釜の飯を食った仲だし年に何度かは逢っているから、学校の同窓会みたいなものだけれど話は尽きない。海外との接触が頻繁な彼女たちの話は新鮮で、アジアの若者たちに日本がどう映っているか、とか日本が経済の中心から外れつつある現状とか、とても興味があり面白かった。無理やり終わりにしたので、年明けにまた新年会やりましょう!・・・つーことに(笑)


                          


現物で学ぶ

2010年12月20日 | Weblog

           

定年後65歳になって今の現場仕事に就いた。
と・・言って、直接生産作業をするわけではないのだけれど、品質問題が生じたら実物を直に手にとって不具合を理解し解決策を探るという3次元での作業が必要になってきた。そうなってみると此れまで長い間2次元、つまり図面と説明文だけで理解したつもりでいた製品を、実はよく解ってなかったという事実に直面して大いに慌て、戸惑ったのだった^^!

言い訳になるけれど、今の会社ではこれまでづ~っと技術系営業畑でやってきたので製品知識の殆んどは図面や写真、説明パンフレット、プレゼ資料などから机上で仕入れてきたものばかりで、実物に接する機会は限られていた。セールス・トークと技術上の打ち合わせなら事足りていたので、製品を理解しているつもりになっていた。大いなる錯覚である(笑)

現場に出て初めてのころ、SRCという単純な組立部品が正常に作動しないというクレームで返却されてきた。サービス担当から調べて欲しいと頼まれて、先ず最初にやったことは構成部品が全て正しいかどうか調べるということ。手法としては間違ってはいないけれど、部品点数は少ないもののウンザリするほど沢山あるバリエーションのなかから、一体どれが仕様に合った正しい部品なのか探し出すのはかなりの手間だし、第一先ず目の前のSRCをバラバラに分解しなければならない。このアプローチは全く実際的ではなかった。

現場仕事の”先輩”は私のような机上の空論はやらない。返されたSRCと同じ仕様のSRCを何処からか探し出してきて二つ並べ、コントロール・レバーを動かしてみて両者が同じ動きをするかどうか確かめていたが、直ぐにその違いに気付き、内部のインナー・レバーという部品が異品であることを突き止めた。理屈だけの事務系エンジニアは面目丸つぶれだった^^!

更に、ある時トランスミッションのHi/Loレンジ・システムの切り替わりが遅いというトラブルが何件も発生した。バルブをアッセンブリー交換すれば直るので、原因はバルブ本体にあることは分かった。不良のバルブを分解して調べてみたが解らない。現場の作業員が「何だか切替時に排気の出方が遅いような気がする」というのでバルブの排気ポートをよくよく調べたら、塗料が垂れ込んで排気ポートを塞いでいるのがわかった。バルブの構造だけでなくて各部品の動きをよく理解していないから、調べているつもりでも目の前の不具合箇所には気が付かないのだった。明きめくらだ^^!

エンジニアでござい・・・などと理屈だけで物が解ったようなつもりでいた此れまでが恥ずかしいわい。ヤッパリ現物・現場を知らねば本物ではないと今にして思うがToo late!

           


クリスマス・カード

2010年12月17日 | Weblog

           

仕事上で知り合った外国人の友達数人とは今でも毎年クリスマス・カードの交換を続けている。一番旧いスイスの友人Anton Hとは知り合ってからもう35年にもなる。彼とは、互いに相手の国を訪ねた時は家族・親戚ぐるみで付き合ったから、家族のこともよく憶えている。当時はまだ一般家庭を外国人が訪問するのは珍しいことでもあり、私が彼の家に1週間泊めてもらったときは毎晩のようにあちこち彼の親戚の家に連れて行かれた。見慣れない東洋人はスイスの田舎町では動物園のチンパンジーより珍しかったのではないだろうか^^!

その代わり私も彼を親戚の家数軒に連れて行った。言葉が通じたほうが良かろうと思い中学で英語の教諭をしていた兄の家にも連れていったけれど、兄もやはり話すほうは余り得意ではなかったようで、後で彼に「お前が英語の教師をやれ」と冗談を言われた。外国人の友人なかでは歳も近いし共有した時間が一番長かったせいだろうか、スイス人のAHと最も親しい。

その次に旧いのがアメリカ人のJohn DとKurt Sの二人。JDは仕事上の大先輩で、駆け出しのころからよく面倒をみてもらい教えてもらった。Kalamazooへ行ったときは必ず自宅に連れていき、奥さんのJoyce共々夕食に招待してくれた。彼は兵役で終戦後日本の米軍基地に駐留していた経験があるくらいだから、もうかなりの年齢だろう。今年はまだ彼からカードが来ていない。元気だろうか・・・

もう一人KSはドイツ系アメリカ人で、奥さんと二人暮し。初めは仕事で何度か逢ったきりなのに、人なつこくて直ぐ親しくなってしまった。彼が仕事で日本へ来たとき、面白がって魚の生き造りを食べさせた。どうせ箸を付けまいと思ったら、案に相違して食った^^!勇敢な奴だ!(笑)と思って益々仲良くなった。
その後二人で日本へ観光旅行に来たとき我が家のカミサンも入れて4人で夕飯に招待した。以来毎年、アメリカへ遊びの来いと誘ってくれる。

後の二人はイギリス人のMartin FとPeter Mである。MFは8年ほど前リストラで会社を辞めた。その前年私は初めてカミサンと二人でイギリスを旅行したのだけれど、旅の後半彼がいろいろと便宜を図ってくれたおかげでManchesterからLake Districtへかけてのドライブ旅行はゆっくり堪能できた。最終日彼の住いがあるLymmのレストランで奥さんも一緒に4人で夕食のテーブルを囲み、以来毎年カードをやり取りする仲になった。

PMとは仕事の付き合いは長かったけれどカードの交換をするようになったのはこの2年ほどで、彼がリストラで会社を辞めてからだ。どういうわけか皆仕事を離れてからのほうがコンタクトが密になるようだ。離れると懐かしくなるせいだろうか・・・

           


イルミネーション2010

2010年12月16日 | Weblog

   

消費低迷のあおりを受けて今年も何処のイルミネーションも控えめらしい。口コミで東京ドームシティーか六本木ミッドタウン辺りがいいとのことだったけれど、一緒に行った友達が「丸の内でいいよ・・」とイマイチ乗ってこないので仕方なく2年連続丸の内・中通りになった。

お互い仕事帰りだから夕方6時過ぎ東京に着いた。思ったとおり去年と少しも変わらず両側の街路樹に無色の電飾がしてあるのみで何処にも華やかさがない。ま、それはそれで落ち着いた”大人の雰囲気”と云えなくもないけれど、人も少なくてやはりチョッと寂しいかな・・・

そういえば、ひところ我が家の近くの住宅街でもこの時期になると、結構一般家庭が競ってイルミネーションの飾りつけをしていたけれど、近年は少なくなってチラホラとしか見かけなくなった。みんな景気先行きが不透明だから電気代も節約しているのだろう。

東京駅から3ブロックほど安田明治生命ビルまで歩いた。MYPLAZAのB2に本日の友人お薦めレストラン「麓屋」があったからで、時間が早かったせいか予約なしで席がとれた。ここは信州の料理旅館が出した蕎麦をメイン・ディッシュにした創作料理屋さんとか。4400円のコース料理を頼んだが、高級感もあり、味付けも上品で、いろいろ出てきたから終わってみればお腹一杯だった。後で知ったのだが、ここ丸の内店は12月末で閉店らしい。最後のチャンスだったワケだ^^!

 
 

腹ごなしに、ビル正面入り口の電飾を見てからまた東京駅まで散歩。外は風が強くなって気温が急激に下がっていた。これで
本格的な冬に入るのだろうか・・・

         
         
 


寿命か・・・?

2010年12月14日 | Weblog

                   

朝は速攻スープとドーナツなどでBFとしてるから必ず湯を沸かす。今週はカミサンが仕事だからキッチンの流しやレンジが片付いてないとウルサイ。昨晩自分が食べた食器類も洗っておく。そうしておけばカミサンが朝起きて直ぐ弁当やら自分の朝食やらの準備にストレスなくかかれる、というワケだ。

で、洗い物を済ませてケトルに少々水をいれガス・レンジにかけた。点火レバーを押したが火がつかない。電極にスパークしてない。三口なので隣りを見たらちゃんと火花が出ている。・・・ウン?少し火花弱いかな?と思いながら、こちらの点火レバーを押したら着火する。どうやら一つだけ火花が飛ばないようだ。念のため電池を新しくしてみたが事態は変わらず。

時計をみたら6時、そろそろ家を出る時間だ。しかしこのまま放ったらかして会社へ行ってしまったら、カミサンが困るのは目に見えている。何しろ故障したのが一番使用頻度が高くて火力が強い一口だから、炒めものなんか出来ない。よし!この際だ、仕事休んでも今直しておこう・・・と決めた。

暫く掃除をサボっていたから火口は煤と錆で真っ黒!レンジの受け皿も汚れ放題で我ながら触るのも気持ちわるい。工具箱からワイヤ・ブラシを出してきてガス・バーナーの上蓋を掃除した。オリジナルの鉄肌が現れて少しキレイになった。組み付けてトライしたが、火花が飛ばない!
次に電極をみたら細い針金先端が何やら黒く汚れている。サンドペーパーが見当たらないのでこれもワイヤブラシで擦ってみた。少しは汚れ落ちたみたい。再度トライ、今度は着火。なんとか直ったみたい。

もう10年ほど使っているからバーナーも上蓋も傷んでボロボロになっている。そろそろ寿命だな・・・ 次はIHにしたいけれど高そうだなあ・・・

とりあえず本格的な掃除は後まわしにして、ザザット大まかに受け皿の汚れを落とし、アルミ・ホイルで目隠し。急いで家を出た。普段より凡そ30分の遅れ。幸い武蔵野線も川越線も大幅遅れで運行されていたから、自分の遅れは目立たなかった^^!

                        ★上の写真は本文と無関係です


オジンライダーズ納会

2010年12月13日 | Weblog

今年のオジンライダーズ走り納めツ-リングは11日(土曜日)那珂湊まで。丸徳旅館で豪華な3,475円也のアンコウ鍋ランチを皆で揃って食した^^!

最寄の集合場所が常磐道・守谷SAだったので、私は下道で丸徳旅館へ直行することにした。那珂湊へは家を9時に出れば十分間に合うのだけれど、丸徳旅館は初めてなので大事をとって8時半に出発した。

天気は上々、つま先だけ少し冷たいけれど日差しの中は暖かく、走りなれたR51~北浦~R51のルートはいつも通り渋滞がなくスムーズ。この分では予定よりえらく早く着いてしまいそうだったので、全工程飛ばさずゆるゆるとノンビリ走行した。
大洗磯前神社脇のパーキングへ入って時間調整。何しろ約束の丸徳旅館11時半までにはまだ1時間もある。目の前の砂浜では小春日和に誘われて波打ち際を散歩してるひともチラホラ見える。写真を撮り、ベンチで持って来た単行本を読む。独りで日差しの中、ボケ~ッと過ごす至福の時間だ。

               
               

やおらしてオジンライダーさんから携帯に電話がかかってきた。
「今どこですか?」
「水族館手前のPAにいます」
「あ、大洗ね。我々は途中で常磐道から来る仲間を待っているので、Edさんは先に旅館に向かってください」
「了解です」

更に30分ほどそうしていたけれど、目指す旅館はここから近いとは言え場所をまだ地図の上でしか確認してなかったので早めに出発した。案内の地図を見ながら海岸沿いを数キロ走ったところで道路が山側へ向かう。この辺りかなと・・思いながらY字路へ出たので右手の細い道を見たら丸徳旅館の看板が見えた!当たり!

旅館の駐車場にはまだ誰もいない。隅っこに止めて少しウロウロしていたら下の方からバイクの爆音が。オジンライダーさんを先頭に次々全員現れた。今日はFさんの新車”ヤマハMidnightStar”(1900cc)のお披露目を兼ねているので、早速拝見。いや、デカイ!高そう!車重350キロ!羨ましいなあ・・・ Edにはもう新車を買う余裕はありません^^!

               
               

一頻り皆さんのバイクを眺めてから下の浜辺へ降りた。日が燦燦と降り注いで暖かい。ウェット・スーツを着ている人がいる。サーファーらしい。いくら暖かくても水は冷たかろうにと・・いうのはサーフィンをやらない人の考え。バイクの好きな我々だって寒風の中、手足を凍えさせながら走っている。みんなどこそこおバカなのである(笑)


まだお昼少し前だけれど、旅館に上がって食事会。アンコウ鍋、釜飯、蕎麦、刺身、アン肝、アンコウ唐揚げ、など等全部平らげて満腹。お酒が欲しくなるような御膳だった^^!

               
               

食後は旅館の前で記念撮影してから那珂湊魚市場へ。Edは真鯛の刺身とブリの切り身、ワサビ海苔をお土産に買った。
帰りは高速に乗って1時間で帰れるか・・と思ったけれど桜土浦の近くで事故渋滞。すり抜けて何とか阿見・牛久ICへ辿り着いたところで1時間。更に利根川の栄橋で渋滞、結局行きと同じ2時間かかってしまった。走行200キロ、今年最後のツーリング納めでした。


根負け

2010年12月10日 | Weblog

               

昨日は久しぶりに仕事で遅くなって帰宅が10時過ぎだった。シャワーも浴びたし休肝日明けでアルコールも少し入ったので床についたのが11時半。で、今朝は流石に4時には起きられず5時でようやく起き上がった。夢遊病者のようにノソリ、ノソリ身支度して「もも」の散歩はサボりと決め込んだ。

ところが・・・ミャ~ミャ~、ミャ~ミャ~鳴き声が一向に収まらない。それどころか、だんだん大きく激しくなってくる。
ミャ~~ミャ~~ミャ~~~ミャ~~~・・・
ミャ~!ミャ~!ミャ~~~ミャ~~~! ! !

負けた!

もう出勤する時間なのだけれど首輪を付けて外にだした。それから凡そ30分、散歩途中のご近所の柴犬2頭とすれ違ったり、遊歩道へ潜り込んだりして過ごすうち気が済んだらしく、大人しく家に戻ってきた。

毎日の習慣になっているから我慢できないらしい。
嫌いな雨でも降っていれば、出しても直ぐ戻ってくるのだけれど・・・^^!

・・・ンニャロ! サボれないや・・・ 
お陰で40分遅刻したゾ !

               


ライオン

2010年12月09日 | Weblog

                      

ビア・レストランではない、本物のライオンのことである。

一昨晩NHKのBSハイビジョンでアフリカ・セレンゲティ国立公園のライオンの生態を捉えた記録映画を観た。猛獣の頂点に立つライオンといえども、その生き様は過酷なものである。

何頭かの雌ライオンの群れと一頭の雄ライオンが王として一つ生活集団が成り立っている。王となる雄ライオンは群れの雌ライオンと自分の子孫たる子ライオンを守るために外の雄ライオンより常に強くなければならない。その代わり食料は雌ライオンが提供する。狩りには、したがって雄は参加せず専ら雌が餌をとってくるのだ。

王が外の雄ライオンに負けると大変である。群れの小さな子供たちには災難が降りかかる。新しく群れの王となった雄ライオンは前王の子孫たる子ライオンは生かしておかないからだ。残酷に見えるけれど、人間も昔は(今でもか・・?)一旦権力を握ると前の権力者の子孫は殺すか隅へ追いやってしまうのだから同じことである。

王になれない周囲の雄ライオンも楽ではない。食料は自分で獲らなくてはならず、しかも狩りが下手なので、腹が減ると他の動物の食べ残しや雌ライオンなら手を出さないような小動物まであさって食べる。猛獣の頂点にある威厳などない。惨めなものだ。刀を持っていても職にあぶれて食い扶持のない
江戸時代の浪人みたいだ・・・

そういう単独雄ライオンが沢山いて、数少ない王の地位を虎視眈々と狙っているわけだが勝者はほんの一握りで、残りは殆んどは野垂れ死にだろう。

圧倒的に強い動物というイメージがあるだけけに、彼らの本当の生態を知ると反って惨めな動物に思えてきた。もしかして大人しい草食動物のほうがシアワセな生き方をしているのかもなあ・・・

                        


模様替え

2010年12月07日 | Weblog
                 

我が家では模様替え(家具の配置変え)をよくやる。その度重い家具の移動を手伝わされる^^!
現状の配置で特別不都合や不便を感じていない自分としてはそのままで一向に差し支えないのだけれど、敵は「もっと使いやすくしたいから」という理由で始める。本音は気分転換なのだろうけれど、こちらに”被害”が及ぶのは全くもってオモシロクない!

一旦変えると、そのまま一度で新たな位置に収まることは先ずなくて、二転、三転してまた元通りになったりする。地震で倒れるのを防ぐベルトを張った大物や中身を全部出さないと動かせないヘビー級は、一旦動かしたら二度とやりたくないと思う。しかし気に食わないと必ずやり直しになる。ヤダ、と一旦はゴネても翌日、翌々日と日を変えてこちらを懐柔してくるので、結局また手伝わされる。

今回は飾り食器戸棚である。こいつは3面が透視ガラスで背面は鏡だからクソ重い。それに倒れ防止のベルトも吊ってあり、天板には電話のモジュールやPCの無線ラン・ルーターも載っている。だから配線も体裁よくまとめてあるのだ。それらをまた一からやり直すのは「勘弁してよ~!」なのだが、動かした翌日また移動命令がきた。ヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤダー!・・・とガキのように喚いたのだが敵は知らん顔。「・・・フン、どうせやることになるさ!」と背中が笑っていた。チクソー!

こういうバヤイ気をつけないと最悪「部屋のバランス悪いから小抽斗一つ買う」などと言い出したりする。この上出費が増えるのはゴメンだ!2、3日ゴネたらヤッパリまた移動に手を貸すか・・・

助手席

2010年12月06日 | Weblog

              

老いては子に従え、運転はカミサンに任せろ!
というわけで買い物に行く時は、昔は必ずオヤジが運転していったけれど、今では専らカミサンに任せてオヤジは助手席で外を眺めている。
らくち~ん^^

ヒマだから普段よく見もしなかった看板に気がついたり、自動車販売会社の建物が取り払われてサラ地になっていたとか、中古車屋に黄色いビートルが置いてあった、などと役にもたたない新発見をして独りで楽しんでいる。

若い頃はカミサンの運転にケチをつけてよく車内で口喧嘩していたけれど、最近は上手くなってきてヘタすればオヤジの運転をけなす勢いだ。尤も車は殆んどカミサン専用みたいなもので、どこへ行くにも車で出かけているようだから地元県内の道路はオヤジより遥かに詳しい。

こうなったら、もう下手なアガキは止めて一緒に出かける時は敵に全て任せるに限る。正直、最近は飛蚊症が酷くなってきて夜間や雨の日は運転したくないのだ。時代は代わった^^!

                     


からし明太子

2010年12月05日 | Weblog

                  

Jinさんにお願いしてあった福岡のからし明太子が届いたというのでので、金曜の夜受け取りがてら西日暮里で一杯やった。

場所は例の赤ちょうちん「鳥せん」で6時半に待ち合わせた。川越の勤め先で出がけに急ぎの仕事が入ったため、30分ほど遅らせてもらったら早めに着いて10分ほど独りで飲んでいた。やがて現れたJinさんは何時ものくだけたスタイルではなく、ブレザーでビシッと決めてきた^^!

人気者の彼は田舎に帰るといつもあっちこっちへ引っ張りだこらしく、今回も2週間近く東京を離れたままだった。こまめな人だから、独りで行っても奥さんの実家にも如才なく顔をだして挨拶してくるし、自分なぞ真似もできず感心するほかない。気配りの行き届いた人だから、みんな彼と一緒にいると居心地がよいのだ。

彼とは、私がGMで働いていたころからの知り合いで、ディーラーで働いていた彼は細かな技術的なことはともかく他人との折衝能力抜群だったから、(彼に言わせると)”威張りくさっていたGM”(サービス担当)との普段の折衝を任されていた。個人的には”仏の〇〇と云われた”自分は、威張るという意識は全然なかったのだけれど、逆にディーラーは過剰と思えるほどGMに気を使っていた。
その傾向は地方へいくほど強くて、我々が宿泊するホテルには果物籠が届いていたり、朝食以外食事はいつも接待されていた。いつからそうなったかは知らないけれど、そういう両者の関係が出来上がっていたのだと思う。

勿論今では単なる思い出話なのだが、呑むと「GMは威張っていたからなあ・・・」と何かにつけて彼が
云うのは、それだけ当時のGMとディーラーの関係はゆがんでいたのかも知れない。

しかし彼がその後Eatonで一緒に働くようになったのはGMでの縁があったおかげで、彼の他人を引き付ける人間性はその後も遺憾なく発揮された。辞めて10年以上経った今でも当時知り合ったSD女とは文通を続けているし、Eaton OGたちとも年に数回は飲み会をやっている。人と人との間にあって
潤滑材のごとき役割を果たしてくれる、真に稀有な人柄というべきか・・・

            


Lottery Wheel

2010年12月03日 | Weblog

今年もそろそろあちこちの小商店街でガラポンをやる時期が近づいてきた。

                        

宝くじから比べれば地元商店街のガラポン(Lottery Wheel)の方が1等に当たる確率は遥かに高いと思うのだが、それでも上位当選はなかなかめぐって来るものではない。過去に1度だけ若い頃、立川駅前商店街の歳末大売り出しでコタツを買ってガラポンを引いたら、2等だか3等が当たった。・・が、貰った商品はまたコタツだった。ははは・・・だ!。これじゃあ運が良いんだか悪いんだか分からない^^! 二つあっても仕方ないので当たったコタツは電気屋さんで引き取ってもらい、何がしかに換金した。

年金生活に入る以前の15年間くらいは宝くじに結構投資していた。と言っても年間せいぜい1~2万円くらいのものだったろうが、下一桁の当たり券で戻される10%を除いて全額宝くじ運営会社に吸い取られた。今はジャンボ籤だけしか買わない。それも1500円(5枚)以下である。本来は1枚でいいのだけれど、見栄があって売り場でなかなか「1枚!」とは云い辛い。確立が10倍になったところで、元々限りなくゼロに近いのだから意味ないのだけれどね・・・(笑)

ジャンボ籤だけ買うようになってから、一度だけ1万円が当たった。その時は5枚のうち3枚が当たり券で10,600円貰った。それ以外は相変わらずカスばっかり、夢はいつまでも夢のままである。この年末もまた「当たれば殿様、お姫様!」と期待して懲りずに買うのだけれど、バカだねえ・・・;^^)