Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

体格

2013年08月30日 | Weblog

   

昨日、帰りの成田線の電車で、向かいの座席に二人連れの高校生と思しき男の
子が居た。見るからに図体が大きくて一人で1.5人分の座席を占めていたから、
持っていたスポーツ・バッグ見たらK高校SUMOU部と書いてあった。^^!

二人共もう半分立派な相撲取りで、顔つきは未だあどけないけれど手足は丸太
ん棒のように太く逞しい。

Edの年代では大きい人でも精々180cm位で、背丈はあっても肥っている人は
あまり居なかった。今の若い人の平均身長は我々年代より10cmほども高くなっ
て180cmなんてザラである。おまけに横幅だって増えているから、電車やバス
の一人分の座席は窮屈になってきたようである。

7人掛けの座席を隙間を空けて6人で占領していると、もっと詰めて座れ!と文
句を云いたくなるのだけれど、日本人も大きくなってきたから、若い人達ばかり
だったら6人位で丁度良い広さなのかも知れない。

以前英国のマンチェスターで、本社の同僚に市の博物館に連れていってもらっ
たことがある。その時展示してあった、17~18世紀頃の英国人の市民生活を
表す実物大の蝋人形は、日本人ほどの背丈しかなく、奇異に感じた。

彼曰く、昔の英国人は生活が貧しかったから現在のように背が高くなかったのだ
そうである。その時は「本当だろうか・・・」と疑念を持ったのだけれど、今の日本
の若者たちを見るにつけ、案外本当かも知れないと思うようになった。

我々の生活が今より更に豊かに進化し続けてゆけば、そのうち日本人の背丈
は白人達をも凌ほどに巨人化するのだろうか・・・^^!

まさか、ね・・・!(笑)

                  


昔の日本人

2013年08月29日 | Weblog

               

佐藤愛子さんのエッセイ本「老残のたしなみ」を読んだ。

Edより18年先輩だから、第一次世界大戦後の激動の時代に生まれ育ち、青
春時代は太平洋戦争真っただ中という、大日本帝国時代の流れをモロニ受け
てこられた方なので、鍛えられあげた強靭な精神の持ち主なのであろう。


加えて、頑固で清廉潔白な父型の祖父の血を色濃く受け継いでいらっしゃるそ
うだから、思ったことは歯に衣着せず面と向かって相手に言う。
なので、ウッカリしたことなど云おうものなら、厳しく追及されてタジタジとなる。

太平洋戦争後の貧窮生活はEdも子供の頃たっぷり味わってきたから、仰るこ
とのかなりの部分は理解できるし納得できる。・・・が、自分も耳が痛い。

                                    

例えば最近日本人は”我慢する”とか”耐える”ということが出来なくなった、と。
チョッとしたことで、直ぐ医者にかかり薬に頼り、本来人間に備わっている”自然
治癒力”というものを忘れている。風邪を引いたくらいで一々医者にかかるな!
・・・ということなのだ。

また最近の行き過ぎた衛生観、潔癖感は病的に思える、とも。あまりにも神経
質になりすぎていて子供たちは無菌状態になり、却って耐性が無くなって病気
に罹り易い。少しくらい不衛生でも気にするな!もっとバイ菌に慣れさせろ!

自分の夢に向かって突っ走る”男”がいなくなり、持っている”夢”というのが一
流大学を出て一流企業に就職し、結婚して家を持ち、平和な家庭を・・・といっ
た情けないようなものばかり!大志を抱かない!

政治家も企業も個人も、すべて金・利益追及に翻弄され、人の心などは何処か
に置き去りにされている。人間社会であるのに経済だけが全てになってしまっ
た。日本はいずれ滅びる!

人々は物事を深く考えることをしなくなった。昔の日本人は沈思黙考する余裕
を持ったけれど、今は思い付きで勝手なことばかりいう輩が多すぎる。日本人
はつくづく駄目になった・・・と。

昔の日本人のことは本でしか知りえないけれど、同感である。


             


重量物

2013年08月28日 | Weblog

                 

昨日、一昨日と二日続けて現場作業を手伝ったから、久しぶりの力仕事で老骨
に「喝」が入った。^^!

仕事は製品(トランスミッション)の仕様をA社からB社へ変更する、というものだ
けれど鋳物ケースに2ヶ所ネジ穴をあける追加工があったため、懇意の加工業
者に来てもらって手作業でネジ穴を切ってもらった。

このネジ穴の位置はトランスミッションの底部にあるため、保管中横に寝かせて
ある350Kgの本体を垂直に立てなければ加工ができない。

”垂直に立てる”と一口に言っても簡単ではない。垂直に吊り上げる為の専用工
具は無いので後部メインシャフトに仮のフランジを取り付け、フランジの穴にフッ
クを引っかけてチェインブロックで引き上げた。重量が半端ではないので、落とし
たり手足を挟まれたりしたら一大事!作業はゆっくり慎重にやった。

勿論一人ではできないから相棒と二人で、最初は時間をかけて試行錯誤しなが
ら3台分を2時間ほどかけてやった。残り3台は人数も3人にして、慣れた分早く
なり、30分で完了。

加工そのものは専門業者の仕事だから、傍で見ていればいいのだけれど、最初
にハンディー・グラインダーで鋳物ケースの表面を平面に加工する。これが見事
で、何気にやっているのだけれど我々素人には決して真似できない。

勿論、機械に載せて加工したわけではないから表面はそれなりに粗いけれど、
加工前斜めになっていた座面は見事に平面に仕上がっていた。

最初に一か所だけセンター・ポンチで穴位置を決めてドリルで下穴を開け、タッ
プでネジ山を切る。次にこのネジ穴を使って、隣のネジ穴の位置決めができる
治具を固定し、一気に次の下穴を開ける。もう一度タップをねじ込んでネジを切
り完成。一台当たり凡そ40分ほど。一日で6台全部完了した。

垂直に立てたトランスミッションは、また元通り横に寝かせるのだけれど、立て
る時よりは楽で、一台当たり5分も掛からなかった。

あとは取り付け部品を20点ほど交換するが、その作業は専属のT自動車の仕
事なので全てお任せ。力仕事の手伝いはこれにて終了。年寄には程よい緊張
感と心地よい疲労が残った。^^!

        


自然の肌触り

2013年08月26日 | Weblog

                   

アルミ鍋の柄がまた壊れた。木製だから長い間にはアルミと接する部分が炭化し
て、固定してあるビスが外れてしまう。炭化が酷くなければ柄をクルッと半回転さ
せてビスの位置を変えてやればもう少し長持ちする。

前回、捨てようとした鍋なのでもう相当年季が入っているのだけれど、手製の柄
を付けてやったら、カミサンが新しいものより握り易くて使い勝手がいいと愛用し
ていた。

Edは庭の大きくなったモミジの剪定をした際、手頃な太さの枝を適当な長さに切
って何本か残しておく。一年も経つと乾燥して水気もなくなり、鍋の柄に丁度よい
具合になる。ナイフで先端を少し削って鍋の穴に合わせ、ビスをネジ込めば出来
上がり。^^!

市販の綺麗に加工された木製の柄は、握ったときの感触が良くないのだそうで
ある。自然の木肌をそのまま残した粗末な手製は、見た目綺麗ではないけれど、
何故か使い易くて、ついこればかり使ってしまうとか・・・

人間の手は、目で見ては分らない微妙な感触というものを敏感に識別する能力
があるので、例えば金属の精密な平面を1000分の1単位で仕上げるような場
合は匠の技として、職人が掌で触診しながらケガキ作業で行うし、我々素人でも
表面の微細な傷は目視で判別し辛いと、手の指や爪で確かめる。

鍋の柄からとんでもない方へ話が飛躍した。(笑)

         


血圧

2013年08月25日 | Weblog

          

先日、飛蚊症の検査で左目の硝子体(眼球内部)に”コレステロール状のもの”が
飛散してると言われたので、近所の掛かりつけのクリニックで血液検査をお願いし
てきた。

町の定期検診は受けていないと云ったら、一通り成人病について調べて見ましょう
ということで、血を採り、尿検査もしてくれた。尿検査の結果は特に問題ありません
とのことで、血液検査の結果は月曜日夕方以降になるので来週土曜日に再来院
することにした。

                                     

看護婦さんから「血圧が高いですね」といわれた。150あるという。少し前生協の
店に備え付けの測定器で測ったときは、120くらいで”正常”という結果だったか
ら最近になって悪くなったのだろうか・・・

「薬で下げられませんか?」といったら、一度測定しただけでは判らないので、継
続して測って高いとなれば薬を出しますという。血圧計は高価じゃないので購入
して自宅で調べられますよ、というのだけれど・・・毎週生協へ買出しに行くので
そこで測って暫く様子をみることに。

若い頃、勤務先の上司が毎日同じビル内のクリニックで血圧を測っては、グラフ
に書き込んでいたのを思い出した。そうまでしながら、彼はある日脳梗塞(?)で
倒れて半身不自由になってしまい、数年後亡くなった。

脳梗塞で倒れるのは嫌だから、そうのうち血圧降下剤のお世話にならざるを得な
いのかもしれない。困ったもんだ^^!

                                       

ついでに無呼吸症候群の検査を、と頼んだら専門医でないと診断ができないので
専門医のいる病院に紹介状を書いてくださるとのことで、佐倉市の病院を紹介して
くれた。


先日近くの日医大に電話で問い合わせたときは、専門の先生がいる日に来てくれ
といわれ、その日を訊ねたら毎月第1、3、5火曜日の午後とのことだった。無呼吸
症候群の専門医は数が少なくて、あちこちの病院を通いで掛け持ちしながら対応
しているらしい。

そういうわけで、来月は医者通いが多くなりそうだ。

ヤレ、ヤレ・・・

                 


タイヤ・ドロ

2013年08月23日 | Weblog

         


最近は身近で耳にしたことがなかったのでスッカリ忘れていたのだけれど、駐車し
ている車のタイヤを4本そっくり外してしまう窃盗は後を絶たないようである。


先日、例の洗濯屋のクマさんが彼の隣家の車を指さしながら、「ホラ、あれ見てよ。
未だ買ったばかりの新車だけれど、昨日の晩タイヤ盗まれたんだって!」という。


なるほど、真新しい車は軽量ブロックと簡易ジャッキに支えられて見事に宙に浮い
ていて、タイヤが無くなってブレーキ・ディスクが剥き出しになっている。

一頃タイヤ盗難が多発していたけれど、当時は主に団地の広い駐車場だったり、
静かな郊外の住宅地などが狙われていた。こんな、交通の頻繁な車道に面した
戸建ての庭先みたいな駐車場でやるとは、何と大胆な奴だろうか・・・

メーカー純正のアルミ・ホイールだから4本で2~30万は下らないだろう。盗られ
た方は飛んだ災難である。新車の場合は、多分保険で救償してくれるとは思うけ
れど、自費で好みのホイールに履き替えたような場合だったら、諦めるほか無さ
そうである。

                                       

警察は、こういう謂わば”小さな”窃盗事件に対しては、殆ど取り合ってくれない
か届けても真剣に捜査してくれる・・とは思えない。

執念で、証拠写真を用意したり盗品を買い取った業者を突き止めて、自ら犯人
を追いつめた人も中にはいるけれど、警察は全く助けにならなかったと憤って
おられた。

窃盗ではないけれど、以前自宅の駐車場に停めておいた車に、夜間大ぶりの
ガラス瓶を投げつけられて運転席ドアとガラスを破損されたことがあった。悪戯
だろうとは思うけれど、腹の立つこと夥しい。

警察に届けたら、警官が検分には来てくれたけれど、それだけでお終い。捜査
をしてくれたのか、しなかったのか・・・その後何の音沙汰もなく泣き寝入り。仕
方なく車は自費で修理した。

昔は、それでも警察は些細な窃盗事件にも真面目に取り組んでくれたけれど、
今は他の職種の”公務員”と同じ感覚になってしまったらしく、全て事務的な対
応で済まそうとする。

”捜査権”という特別な権限を与えられている警察は、他の公務員とは異なる
存在であるのだけれど・・・

                  
  ↑(写真は直接関係ありません)


戦争への恐怖

2013年08月22日 | Weblog

           

Edは日本が太平洋戦争で敗戦を迎えた時点(1945年8月15日)で、3才10ヶ
月だったから当時の記憶は殆ど無くて、僅かに記憶として残っているものも、後
から姉や兄の話を聴いて自分の記憶だと思っているだけかも分らず、全てが朧
で明確なものはない。

B29による空襲の際は、親か上の者に抱かれたり手を引いてもらってあちこち
逃げ回ったハズだけれど、”恐怖”というものの記憶がない。家族で怪我をしたり
死んだ者はいなかったから、多分本当に危険な目には遭わなかったのだろう。

しかし・・・防空壕、住宅の焼け跡、焼夷弾のカラ、コンクリートに残された機銃掃
射の跡、片腕を失くした友達のお母さん、傷痍軍人・・・等々、戦争の生の傷跡は
身近にいくらでも横たわっていたから、実体として明確な記憶に残っている。

更に・・・食糧、物資の不足については子供だったから、調達の苦労こそしなかっ
たものの、ひもじくても不味くて食べられない食べ物、継ぎ当てだらけの衣類、不
衛生且つ不便な日常・・・等々、今では想像もできないような貧困生活。

その後長ずるにつれ、本で知った原爆の恐ろしさ、戦地へ送られ勝ち目のない
戦いで無残に殺された無数の兵士、満州に置き去りにされた一般の人々、一般
人まで自殺を強いられた沖縄戦、零戦で死地へ向かわされた若者たち・・・等々
人間が理不尽に死ななければならない戦争というものが、いかに恐ろしいものか、
戦後の困難な生活にも裏打ちされて身に沁みている。

                                      

戦争の実体験が全くない人達ばかりになってしまい、(太平洋)戦争に対する
真摯な反省と歴史に学ぶことを意識的に避けてきた歴代自民党政治は、今また
安倍内閣という軽率で危険な思想を持つ政権を作ってしまった。日本は今まさに
重大な岐路に立たされているのだと思う。

明治時代、日露戦争では崩壊間近だった帝政ロシアにかろうじて勝利を収めた
けれど、当時の(明治の)軍人はそれ以降の人間とは違って、謙虚で慎み深く
「勝てたのは、天佑である」とし、戦争というのは勝っても負けても空しいもので
あると、しっかり事実を見据えていた。

軍備を強化し、強権国家を造ることが国を強くすることだと思っているらしい、幼
稚で的外れな現政権とそれを支持している人達は、もう一度明治以降の日本の
歴史を勉強し直してもらいたいものである。

戦争と軍事強化に賛成するひとは、自分や親戚の子供たち、孫たちを死地に追
いやるだけの覚悟があってのことなのかどうか、よく、よく考えて欲しいものだ。

                 


富裕層

2013年08月21日 | Weblog

 

NHKスペシャル「新富裕層」の海外移住ルポを観た。事業に成功し、巨大な資産
を有する現代の「新・富裕層」と呼ばれる一握りの人たちが、更に利益を上げ蓄積
を増やすために、より事業に有利で税の安い外国に流出しているのだという。


人数は少なくとも、その巨大な個々の資産故に各国とも黙って見逃すことが出来
なくなりつつあって、税体系を一国内だけに留めず国際的な新しい枠組み造りも
関係国で模索し始めた。


富裕層はやはり米国と日本に多いらしく、従ってその影響力も強大だから政府は
富裕層への課税強化には相当気兼ねしている風である。

日本は隠蔽体質の国だから、一般人には知らせないで裏で内々に富裕層と接触
して決めるに違いないが、政治がオープンな米国ではオバマ大統領が「国家の

政再建に協力して欲しい」という名目で富裕層に増税を要請する形をとっている。

彼の地の富裕層は、闇雲に反対とは云わず、増税を呑むからには使途を明確に
せよと迫っており、税金の使い方は自分たちもキッチリ見張ってゆくと理にかなっ
た主張をしている。日本と違って物事をウヤムヤにせず、政府の出鱈目は許さな
いという姿勢は、当に大人の対応である。庶民感情とも反するところがなく、立派!

                                       

日本人の転出先はシンガポール、マレーシアなど。国策として富裕層を積極的に
招致し、雇用と税収の自然増を狙っているらしい。

しかし海外でのビジネスが必ずしも国内より成功し易いとは言えず、起業しても
四苦八苦している人も勿論居る。成功している富裕層の多くは株式売買、投資、
IT関連などのようで、雇用が特に増えるわけではない。

なにやらかつて話題をさらった、ライブドアの堀江氏のような人達が富裕層として
取り上げられていたけれど、バブル経済を上手に泳いでいる人達という感じがし
ないでもない。

フェラーリはおろか、ついにクラウンにさえ手が届かなかった我々貧乏人とは無
関係な世界の話だったけれど、唯一”税金の使途はシッカリ見張っていく”という
点だけは賛同できた。(笑)

                   


真に豊かな国

2013年08月20日 | Weblog

 

学校が夏休みのせいか朝夕の電車が普段よりづっと空いていて助かる。猛暑
の中いくら冷房が効いているとはいえ、ひしめき合って乗るのは敵わない。願
わくば来月からは猛暑が収まって欲しいものだ。^^!

                                                                   

日本はこの狭い国土に、しかも利用できる平野部が極限られている中で、1億
000万人もの人間が正に”ひしめき合って”暮らしている。

米国は、あの広大な国土にたった3億5000万人しか人が住んでおらず、山岳
地帯は少なくて殆ど平野で覆われている。英、独、仏などヨーロッパ先進各国も
国土の面積は日本と大差ないけれど、人口は夫々凡そ5000万人前後であり、
且つ平野部が多いから、日本のように”ひしめき合って”暮らしている感じはない。

平均的な日本人の生活が、欧米先進各国のそれと比べて常に見劣りするのは、
多分に狭苦しい住環境と、無秩序な開発と乱雑に造られてしまった都市空間の
せいであると思う。日本には(特に街造りにおいて)周囲とのバランスとか、全体
空間の美しさといった価値観が全く忘れ去られてしまっている。

常々思うのは、頭上に張り巡らされているむさ苦しい蜘蛛の巣(つまり電線)で
見苦しいこと夥しい。頭上から電線が無くなっただけでも、どれほど町の空間が
スッキリすることだろうか。

国会、地方議会を問わず、これまで議員と名のつくバカどもが歳費を使って「海
外視察」という名の物見遊山に数限りなく出掛けていったけれど、誰一人として
日本のインフラ整備の貧しさを指摘したり、改善しようとした奴はいない。欧州各
国の街並みの美しさに、気が付きもしないのだろうか・・・

                                      

日本はこれから人口減少期に入る。政府、資本家は労働力の減少、即国力の
低下と短絡的に結びつけ、何とか食い止めようと躍起になっているけれど、Ed
は、個人的には日本のような狭い国には現在の半分、多くても5~6000万人
で充分ではないかと思う。

人口が多ければ、どうせ偉くなれない我々一般人は安給料でコキ使われ、戦争
でも始まれば消耗品のように戦地に送り込まれるのが関の山なのだ。人口は少
ない方が大事に扱われる・・・筈だ。(笑)

太平洋戦争で日本は零戦という運動性能に優れた素晴らしい戦闘機を作った
けれど、人間(パイロット)を守る防護壁は一切なかった。対する米国の戦闘機
グラマンは操縦席に厚い装甲を張って運動性能は落ちたけれど、無闇に人を
殺すような愚は犯さなかった。

命を平気で犠牲にする国、日本。命を大切にする国、アメリカ。
精神論だけが頼りの無謀な戦争・・・始める前から結果は分っていたのに。 

                                      

戦後日本は平和に徹し、もの造りだけは抜きんでたかもしれないけれど、我々
一般人の生活は本当に豊かになったのでしょうか。雑然とした街造りと狭いア
パート、車だけは道路に溢れ、他人に対する思いやりは薄れ、自己中心の生
き方・・・

我々一般人が、欧米並みの豊かな住空間で生活そのものをエンジョイできる
ようになるまでは、そして国民が幼児性を脱却して、強権国家など許さない真
ともな国になるまで、日本は先進国たりえないと思う。

                 


連休最終日

2013年08月19日 | Weblog

 

11日もあった長い連休も、終わってみればアッという間だった。^^!

しかし流石に後半は退屈してきて、早く休みが終らないかなぁ・・・などと思ったり
した。TVも飽きるし、本もそうそう続けざまに読めるものではない。

心待ちにしていた休暇や旅行、飲み会などの愉しみというのは、それが始まる直
前までが最高に心弾む時間で、イザ始まってしまえば案外あっけなかったりする。
本当は始まるまでの期待感が「楽しい」のかもしれない。

最後の日曜日(昨日)カミサンから頼まれていた、玄関の靴べらを架けておくフッ
クを探してホームセンターを小一時間ウロウロした。考えていたような適当なデザ
インのものが見つからず、別のHCにも行き、最後は妥協してありきたりのフック
になってしまった。

ついでに前日買いそびれたリンゴ、キウイ、メロンを隣のSCマルエツで仕入れ、
時計を見たら未だ12時である。家に帰っても仕方ないので千葉県民の森「房総
の村」まで足を延ばした。

                                       

先日もここへ来て暫く過ごしたけれど、大きな樹に囲まれた林の中は涼しくて、
木陰に居れば30℃を超える外の暑さも苦にならない。エアコンなんてなかった
むかし(Edが子供だった頃)は、夏は木陰と団扇だけで過ごせたし、寝苦しい夜
だって戸障子を明け放して蚊帳の中で寝られた。

今は街から緑が少なくなり、皆でエアコンを回すから余計気温が上がるのでは
ないだろうか。近くに森や林が有れば、大きな樹の下でアイスコーヒーでも飲み
ながら本でも読んでいれば1時間でも2時間でも平気で過ごせるのに・・・

生活が便利になった分自然が少なくなり、却ってこの地上を住み辛くしているの
かもしれない。

便利な生活に慣れきった身体は、暑さにも堪え性がなくなったのか、ほんの少し
高温の外気に当たっただけで、すぐエアコンの効いた部屋に戻ってホッとしたり
する。TVは朝から熱中症に注意しろと大騒ぎである。

暇な一日、試しに、エアコンを点けずに濡れタオルと扇風機で過ごしてみた。
一階は二階ほど暑くはなく、窓を開け放しておけば結構我慢できるものなのだ、
と分った。こんな日に、陽の当たる外で作業をするのは論外としても、日陰で静
かに過ごししていれば大騒ぎするほどのことはない。


原始の生活には戻れないまでも、偶には便利さから一歩距離を置いてみるの
も良い事かもしれない。

                 


戦後レジーム

2013年08月17日 | Weblog

             

司馬遼太郎の「坂の上の雲」は巻7まで読み進んだ。残るは最後の巻8だけに
なった。明治維新以後、日本がどのようにして欧米先進諸国に追いつこうとし、
そして軍主導による昭和の浅はかな大東亜共栄圏構想へと繋がっていったの
か、よく理解できる。

日清、日露戦争で辛うじて戦勝国になったとはいえ、日本は借金で戦費を賄うと
いう云わば”賭け”のような危うい国家運営を行った。戦いの実態が如何に薄氷
を踏むようなものであったか、その真実を知っていたのは最前線で戦う軍人たち
だけであり、政治家も東京にいる軍中枢部も”戦勝報告”という結果だけで自分
たちを過信してしまった。

同時に当時のメディア(新聞)は真実を伝えられる能力も情報網もなく、現在の
御用新聞同様、政府発表だけを記事を流したから一般庶民は無邪気に”戦勝”
という言葉に浮かれた。

”過信”はその後の日本の針路を大きく狂わせ、武力をもってアジアの一大経
済圏を造ろうなどという無謀で浅はかな構想の下、アジアの国々を侵略して行
った。

昭和16年、やがて日本は米国という超大国に勝ち目のない戦いを挑み、戦死
者300万人を超える未曾有の犠牲を払って敗北した。

戦後、連合国による東京裁判で戦争犯罪人として裁かれた

                                    

戦後68年、日本はこの過去の惨禍を反省し、二度と戦争をしないという誓いの
下に平和憲法を制定した。この憲法のお陰で日本は経済大国へと成長し、長く
平和が保たれてきた訳である。


安倍信三がいう”戦後レジームからの脱却”とは一体何なのか、いつもながら
具体性のない修飾辞ばかり並べた”新しい日本”だとか”元気のある国”だとか
いうだけでサッパリ分からない。

つまり衣の下が鎧だからハッキリものを云わないつもりなのだ。安倍・石場コン
ビで画策している自民党改憲案の中身は、戦前の大日本帝国憲法へ先祖帰
りしたいかのような国家の強権化を目指した内容であり、国民の自由と権利は
制限する危険な方向に大きく傾いている。

戦後レジームからの脱却というなら、今の日本が有する平和国家の概念を
世界に向かって
大きく広げるように、日本政府が主導的且つ積極的に各国
に働きかける、というのなら諸手を上げて支持するのだけれど・・・

米国は裏で日本に対してもっと自由な軍事協力を求めている。日本は米国に
対して卑屈になるのでなく、もっと対等な日米関係を求めて行くべきではない
のか。沖縄はいつまで経っても米軍の支配下に置かれたままである。

                  


SAS

2013年08月16日 | Weblog

           

先日の一泊ツーリングで、同室だったシロウさんに鼾(いびき)で大迷惑をかけて
しまったけれど、この連休中昼間でも静かになると直ぐウトウトしてしまい、今朝
などは良く寝て起きたつもりだったのに、もう酷く眠い。

カミサンに起されて、これは少し
ヤバイかな・・・と自分でも感じて、無呼吸症候群
(SAS)の治療を扱っている病院を調べてみた。

近所にも簡易治療のクリニックは数多くあるようだけれど、設備の整った大きな
病院となると少し遠くなる。中で比較的近い日医大北総病院なら車で15分くらい
なので電話してみた。

循環器内科の看護婦さんに症状を話して、これから診てもらえるか訊ねたら担当
の先生が毎月1、3、5週の火曜日午前中なので、その日を選んで来て欲しいと
いうことだった。何と・・・SASの患者はそう多くはない、といことか?

とりあえず近くのクリニックで簡易検査だけでもしてもらおうか・・・

腰痛、飛蚊症、SAS、それらに纏わる諸々の不具合、いよいよ老化が本格的に
押し寄せてきた。もう今更治療でもない歳なのだから、放っておいても良さそうな
ものだが、イザとなると直ぐ”病院”である。

自ら「長生きはしたくない、と云いつつ医者通い」、では洒落にもならない・・・^^!

              


ノンアルコール・ビール

2013年08月14日 | Weblog

                  

呑めなくなってしまった飲み友達を、明後日皆で見舞いに行くつもりでノン・アル
コール・ビールを8本買った。冷蔵庫で半分凍らせておこうと思い、冷凍室に放り
込んだまま忘れて一晩経った。

今朝取り出してみて吃驚!アルミ缶が膨らんで上下の平面が球面状に盛り上が
ってしまった。^^!

水は凍るとその体積を増し、冬季水道管が破裂したりする。これでは中身の氷が
解けてもアルミ缶は元には戻らないだろう・・・ 
それにしても見事な変形ぶりではある↓(笑)

                                   

今日も東京地方は35℃を超える猛暑日という気象庁予報。この暑さが、いつま
で続くのか分からないけれど、今年はお盆休みの連休と重なってくれて、仕事の
ある身にとっては有難い。

車で出かけるときは呑めないので、外で友達と一杯やるときは電車に限る。カミ
サンと一緒の場合はどちらかが”犠牲”になって、呑まないかノン・アルコール飲
料で我慢する。”アルコール大好き人間”としては、横で飲んでいる奴を尻目に
食い物だけ摘んで帰ってくるのは何とも味気ない。

今回も、見舞いに行く友達の所へはEdは車だから、必然的に呑めない。なので
公平に全員ノン・アルコール飲料とした。ツマミは途中でピザ、KFCもしくは寿司
でも買っていこうということになった。

ノン・アルコール・ビールも最近はかなり美味くなっていて、種類も多い。とりあえ
ずキリンとアサヒを買って一本飲んでみた。ウン、なかなかいける! これなら
少しは呑んだ気になれそうだ・・・(笑)

        
        


真夏の陶板浴

2013年08月13日 | Weblog

               

陶板浴に通い始めて7月で丸2年になった。カミサンは”陶板浴のお陰だ”という
のだが、兎に角以前のように坐骨神経痛で歩くのが苦痛になるようなことはなく
なった。腰が痛いときはあっても、少し身体を動かしてやれば我慢できる程度で
収まっている。

この夏は尋常の暑さではない。35℃を越えるような日は、陶板浴の設定温度が
42℃だから外気とさして変らない。こんなに行くのは躊躇してしまうのだけれど、
カミサンは”夏こそ陶板浴に行かなくては・・・”といってきかない。

お盆休み中ということもあってか、やはり来ている人は普段より少ないようだ。
一度に50人くらい入浴できる大きな陶板浴なのだけれど、我々が入った時は
10人くらいしか居なかった。

                                    

川越の洗濯屋のオヤジKさんは、相変わらず腰が痛いとウルサイので陶板浴を
勧めている。しかし彼はPCやインターネットとは無縁の人なので、川越近辺に
ある陶板浴が何処かなんて自分で調べようとはしない。

竹屋の受付で同業者一覧を調べてもらったら、大宮の「いはら」が近くて良いだ
ろうとのことであった。休み明けにでも彼に教えてあげよう。

最初のうちEdは、「陶板浴なんて・・・」と斜に構えていたのだが、いつの間にか
カミサンに感化されて、内心”腰痛に効果があるみたいだ”などと思うようにな
ってしまったらしい。^^!

ま、理屈は分からないけれど、効果があるなら良しとしよう。

自分も案外騙されやすい性格かもしれないな・・・(笑)

 


お中元

2013年08月12日 | Weblog

         

毎年この季節になると佐原の梨農園に出掛ける。我が家のお中元は梨と決めて
いるからで、贔屓にしているS梨園とは10年来の付き合いである。

送っている親戚からはいつも、”美味しい”と好評なのを真に受けて毎年そうして
いる。一つには息子が大の梨好きということもあって、カミサンが仕事を通じて知
り合ったS梨園の梨を送ったのが始まりで、以来お中元は梨と決まった。(笑)

今年はこの辺りも6月、7月の雨量が少なかったけれど例年通りの出来だとか。
試食してみた。甘さが不足気味だろうか、やや物足りない気もしたが、まずまず
の味だろう。

                                   

先日思いがけず、友人のMTさんから大きな李(すもも)「貴陽」を送って頂いたの
で、お返しに彼女にも梨を送った。梨なんて別に珍しいものではないけれど、”もぎ
たて
新鮮”ということだけで勘弁してもらった。^^!

宅急便の伝票にMTさんのあて先を書いていてハタと困った。そうだった、携帯の
住所録には電話番号の記載が無かったのだ!
「家に戻ったら直ぐ調べて電話します」、と告げて梨園を後にした。

家に帰り着く直前、今度はカミサンが自分のバッグがないと騒ぎだした。そして思
い出した・・・ウッカリして梨園に置き忘れてきたらしい。帰宅早々梨園に電話して、
これからバッグを取りに伺いますと伝え、トンボ帰りで又梨園に。

ヤレ、ヤレ・・・佐原二往復!

猛暑の中、車だから良かったようなものの、もし電車だったら・・・(苦笑)