Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

中山公園、海産物、教会、桟橋、カルフール、パブ・・・etc.

2011年11月29日 | Weblog

2日目(25日)の市内観光は中山公園の散歩から。青島がドイツ租借地の時代だった頃作られた町並みは赤い瓦屋根の大きな建物で統一されていて、旧市街として残されている。プラタナスの街路樹と広くてゆったりした敷地のせいか、新市街のビル街より落ち着いた雰囲気である。中山公園はその旧市街の一角にあり、散歩したり、運動したり、ダンスを楽しんだりするひとで朝から賑わっていた。

 
 

次の訪問先「桟橋」へ向かう途中、干物などの海産物を扱う商店街に立ち寄った。前回訪れたメンバーに好評だった貝柱の干物が1斤(500g)180元~300元(高級品)で、皆買うのでEdもつられてビールのつまみに良いという180元の方を、土産に買った。

この店の少し先に大きな教会があり覗いてみることにした。ドイツ統治時代の建物で、石畳の広い前庭があって結婚式の記念写真を撮る格好のスポットになっているらしく、3組のカップルが熱心にポーズをとっていた^^!

          
 

その後、歩いて100年前の商業街を再現したとかいう(主に)飲食店街を訪問。新橋のガード下の飲み屋街とか札幌のラーメン横丁のような感じの一角だった。

 

最後に「桟橋」を訪問。どんなところかと思っていたら、江ノ島を小さくしたようなのような感じのところで、100m程先の岩場に祠を建てそこまで桟橋で繋げただけのもの。どうということも無い場所だったけれど、観光客で賑わっていた^^!

 

本日の昼食は点心で、昼からTsingtaoビールを1本半ほど飲んだから、いい気持ちになってホテルに帰還した。夕方まではフリー・タイムになったので皆で散歩がてらホテル近くのJuscoとカルフールを「視察」(笑)。
Juscoはテナントの商店街が中国人には高価な品揃えで客層も裕福な感じだった。一方カルフールは、日本で言えば安売り店のような様相で賑わいはイマイチだった。

夕食後、Edを含む3人はホテルに隣接のライブ・ミュージック・バーへ。残りの2人はマッサージへ、1人は部屋で休憩。こうして青島での2日目は終わった。

 
 
 


Qingdaoへ

2011年11月28日 | Weblog

 

11月24日(木曜日)朝8時、Edは成田第一ターミナル南ウィングの出発ロビーにいた。これからバイク繋がりで知り合った仲間6人と連れ立って中国・山東省・青島(Qingdao)へ3泊4日の格安ツアーで出かける(^^)

                                

青島へのANA直行便は一日一本しかない。ロビーで寛いでいて最後に搭乗したら天井の荷物入れが満杯になってしまい、スペースを探すのに苦労した^^!失敗、失敗。
飛行時間は約3時間、食事しながら映画を一本観終わるころ青島空港着陸。2009年に大連を訪問して以来2年ぶりの中国だ。

旅行会社の代理店から案内の魯さんが迎えにきてくれていて、ホテルまで3グループ11人をマイクロ・バスで送ってくれた。3グループは夫々別のホテルだったので、我々オジン・グループが一番最後になった。
我々の宿泊は「華僑国際飯店」という少し草臥れた小さなホテル。設備は一応整っていて機能も過不足ないから、格安ツアーではあまり文句は言えない^^!

 

チェックインを済ませてからマイクロバスでオプション(一人300元)の市内観光へ出た。行き先はTsintao(青島)ビール博物館。Tsingtaoビールの工場敷地内に立派な「ビール博物館」が設けてあり、見学コース終了後はビールの試飲が出来る。かなり大きなピッチャーが運ばれてきたが、我々のグループはいずれ劣らぬ大酒のみが揃っているのでアッという間に飲み干した。見ると周りのテーブルには他のグループが残していったピッチャーが幾つも余っている。片付けているお姉さんに頼んでこちらのテーブルに一つまわしてもらったが、それでも足りず、勝手に別のピッチャーをもう一つ失敬してきて都合3杯頂いた(笑)。

Tsingtaoビールは元々はドイツの植民地時代に始められたビール会社だったものを、第一次大戦後日本の統治下で発展させてきた会社(大日本麦酒株式会社?)だとかで、現在では中国一のビール会社らしい。アルコール含有率が3.3%の軽いビールで口当たりもよい。

 
 
 

かなりいい気持になったところで、再びマイクロバスに乗って今晩の夕食場所へ。我々の希望で一般の中国人が利用する庶民的な店に連れていってもらった。ビールはもう充分飲んだので、Edは温かい紹興酒にした。
夕食後ホテルに戻ったら、まだ6時半!暫く休憩してからオジンライダーさん、シロウちゃん、Edの3人は近くの飲食店街を散策、適当なもう一軒の店に入って呑み直した。いや~、一足早い忘年会のつもりで来たとはいえ、よく呑んだなあ・・・

 


介護

2011年11月22日 | Weblog

                   

随分むかし(十数年前?)になるが、介護の一日講習を受けたことがある。どのような経緯でその講習会に参加することになったかは覚えていないのだけれど、兎に角車椅子の使い方から、ベッドに寝ている人の起こし方、シーツ交換の要領、包帯の巻き方、松葉杖の種類と使い勝手、其の他介護用品の種類と案内など色々盛り沢山の内容だった。

その時は多分具体的にどうこうという事ではなくて、何かの役に立つかも知れないといった軽い気持で参加したのだと思うけれど、我が家は二人の子供たちとは遠く離れて別々に暮らしているから、いずれどちらかが「老老介護」しなければならず、遠からず実際にその知識が必要になってくる。

Physical面での技術は講習会とか訓練を通じて比較的容易に学ぶことは出来そうであるが、Mental面での取扱方や対処法などは、日本ではまだ忘れられがちであり、老人介護先進国(北欧など)と比べて立ち遅れていると思われるので、学びたくても難しいのではないだろうか。

身動きが不自由なってしまった人間の精神的苛立ちや本人の望んでいることを、介護する人が充分理解し、適切に対応出来るかとなると一般的には甚だ難しい。しかし、その人の人間としての尊厳を守った上で介護するためには、精神面でのCareがより重要になると思う。介護される人が今何を望んでいるのか、どうして欲しいと思っているか、など心の中を読んで対処してあげるというのが先進国のやり方らしいから、日本の一般的介護施設では望むべくもない。

夫婦の「老老介護」なら他人より少しはマシだろうが、それでも相手の思う通りに何でも対処できるかどうかは分らない。せめて元気なうちにお互いに心がけておくことぐらいだな・・・^^!

                


七五三

2011年11月20日 | Weblog

 

北海道にいる息子夫婦から孫の七五三祝いの写真が届いた。末(長女)が3歳、次男が5歳。今年は北日本大震災や原発事故の影響で、残念ながらG・Baは孫たちと逢う機会を逸した。来夏は是非逢いに行かなければ・・・

普段はとても質素に暮らしている息子夫婦たちなのだが、こういう節目には奮発して(?)「豪華な」記念写真を撮って送ってきてくれる。孫は3人とも健康でのびのび育っていて、遠くに住んでいてもG・Baには安心して見ていられる家族である。

  


Gallaudet Univ.

2011年11月18日 | Weblog

 

ellyこと、「今井恵理子」さんは沖縄出身の歌手・女優さんで、彼女の7歳になる息子の礼夢君は生まれついてのろうあ者である。音が聴こえないはずの礼夢君が素晴らしいリズム感の持ち主であることに気付いた今井さんは、ある日ヒップホップ・デフ・ダンス・グループ「WILD ZAPPERS」の存在を知り、彼等に会うために米国を訪れた。

彼等がどのような方法で、一流のプロ・ダンサーとしてのリズム感と踊りを身に付けたのか、是非知りたいと思ったのだ。今井さんは勿論手話が出来るけれど日本語である。彼等との通訳には、運よく英語手話の出来る日本人女性の(Gallaudet大学)留学生に助けてもらった。
今井さんは彼等とのコミュニケーションを通じて、彼女がこれまで抱いてきた疑問の一つ一つが解けてゆく。彼等は音楽を、音圧と振動を介して身体でキャッチしているのだ。低音域は足の裏で、高音域は頭蓋骨で感知している。だから練習中は大音量でミュージックを流す。今井さんはそこで彼等と一緒に練習を体験しながら身体で理解し、いつか礼夢君の将来に役立てたい、と母親としての熱い思いでいっぱいになったに違いない。

ところで、WILD ZAPPERSのメンバーは全員Gallaudet大学の卒業生なのだが、この大学は世界で唯一つの「ろうあ者の為の」専門大学だという。設立は1856年で、最初は寄付により土地と校舎が建てられ、当初12人のろうあ者と6人の盲人を受け入れた。その後学校は次第に大きくなり、1956年Colledge(単科大学)へ、1986年University(総合大学)へと昇格し、現在では世界各国から学生を受け入れているが、運営は主に寄付によって賄われているらしい。

こういうところがアメリカという国の懐の深さ、大らかさである。余裕のある人々にとって「寄付」は当たり前のこと、名誉なこととして捉えられている国ならでは。なかなか真似の出来ないことではなかろうか。

 
 


ラプラドール・レトリ-バー

2011年11月17日 | Weblog

                     

昨晩のTVニュースで、犬に助けられた3歳の女の子と爺ちゃんのことが繰り返し報じられていた。北海道で祖父の運転する車が雪の中で土手下に転落し、壊れて横転した車の中で3歳の孫と寒さに震えながら一晩過ごしたのだけれど、飼い犬のラプラドール・レトリーバーが一緒だったので女の子を寒さから守ってくれ、二人とも軽い凍傷だけで済んだのだという。

朝になって発見され、二人が救出されたあとも心配そうに車の方を見ている犬の目が何ともいえず優しげで、人間顔負けの表情がとても印象的だった。
この犬種は大型で図体に似ず極めて大人しく、散歩しているのを良く見掛けるけれど、吼えたり騒いだりするのを見たことが無い。おとなしい性質と力が強いことから盲導犬や介護犬として最も多く、人間の役に立っている。

人間はお金のために他人を平気で騙したり殺めたり、果ては幼い我が子が泣き止まないといっては殺したり何ともおぞましい。こういう動物たちの純粋で人間に忠実な姿を見ていると、何だか人間より、彼等のほうが数段気高い精神の持ち主ではないだろうかと思えてしまう^^!

残念ながらEdはもうこれから犬・猫を飼うことは難しい年齢になってしまったけれど、いつも離れたところから「可愛らしいなあ・・・」と思いつつ眺めている。

                

 ☆ 写真はウィキペディァより


歳相応ということ

2011年11月16日 | Weblog

                    

ご近所のSさんは50代後半と思われるが見た目とても若々しい。出かける時の格好も、だから極めて若い。七分丈のパンツにTシャツとラフなジャケットをはおり、大きなカバンを肩から斜めにかけ、素足にスポーツ・シューズを履いて颯爽と駅に向かう。まるで20代、30代の若者みたいだな・・・とEdは唯単純に思って見ていた。
が、カミサンはもう少し覚めた目で見ていたらしく「自分の歳考えてないんじゃない?」と極めて手厳しい。実際の年齢とあまりにもかけ離れた格好は、「若い」を通りこして「寧ろ変だ」という。

今朝、乗り換え駅で電車を待っているとき隣りの離れた列に若い女性が並んだ・・と思った。細身のジーンズにキティーちゃんのマークが入ったバッグ、腰には小さな縫いぐるみ二つ。髪は茶色に染めている。ところが、その女性がふとこちらを向いた瞬間、驚いた!顔はシワシワでどう見ても還暦前後・・・何だってそんな娘みたいな格好してるんだろう・・・@@;

確かにカミサンの云う通り、歳相応の格好というものがあると思った
。いつまでも元気で若々しいことはいいことだけれど、姿形までいつまでも若いわけが無い。他人のフリ見て我がフリ直せ!Edも自分の年齢をあまり意識しないほうだし、衣服にも無頓着なほうだから心して注意せねば・・・

                   


案ずるより・・・

2011年11月14日 | Weblog

生むが易しだった。
晴れて暖かくなった13日(日曜日)先日買っておいた自転車のタイヤを交換した。自転車を裏返して車輪を固定している左右2個の袋ナットを弛めたら、車輪は何の苦もなくフレームからスポッと外れた。

          

さて次は、老化したタイヤをリムから外さねば・・・ 
昔、実用車のパンクを修理した時は、確か中のチューブだけ引っ張り出してやっていた記憶がある。しかしサイクリング車はタイヤが実用車より遥かにスリムで、最初に片方のタイヤ・ビードを引っ張り出すのに往生した。プラスチックの専用工具がないので、リムを傷つけないよう注意しながらプライヤーの柄で持ち上げておき、歯ブラシの柄を差し込んだ。最初に10cmくらいビードを引き出せたら、後は歯ブラシをリムに沿ってクルリと一週させればよい。次に反対側のビードを同様にリムから分離させればタイヤは外れる。

次に新しいタイヤの取り付け。
先ず片方のビードをリムにはめ込む・・これは簡単。そしてチューブのバルブをリムの穴に差込んで位置を決め、チューブがズレないよう、且つ捻ったり挟んだりしないよう注意しながらタイヤの内側に収納してゆく。最後にもう片方のビードを、バルブの反対側からリムに沿って嵌めこんでいく。最後の15cmくらいが固くなってEdの非力な指の力ではなかなか押し込めない。それでも傷をつけたくないので工具は使わず、どうにか最後まで押し込んだ。ヤレヤレ・・・

空気を少しいれ、チューブの納まりに異常が無いか様子を見ながら一杯まで充填。車輪を元通り取り付けて完了。凡そ2時間ほどかかったが、素人にしてはまずまずだな・・・^^!

          
          


閉塞感

2011年11月13日 | Weblog

                        
米国経済の低迷、世界同時株安、巨大投資ファンドの迷走、ギリシャの経済破綻、EU経済の低迷、日本を襲った大震災、福島原発崩壊と放射能拡散、タイの大洪水、各国政治の指導力低下、人口膨張、食料不足の危機、人口構成の老齢化、貧富の格差拡大・・・・・・・・

一握りの権力者たちによって「自由」の名のもとに支配されてしまった現代資本主義社会は、もう既に破綻しかかっているのではないだろうか・・・

我々が住んでいる日本だけ考えてみても、今は世の中全体が変しくなっているように感じているのはEdだけだろうか・・・

大手企業は相変わらず利益を十分従業員に還元しないし、人材派遣業という名のピンハネ会社が益々大手を振って歩いているし、若者でさえなかなかまともな仕事に就けず社会保障からもスピンアウトしてしまい、働く若者が減って年金システムは将来立ち行かなくなる惧れがあり、折角政権交代した民主党も指導力を発揮できるロクな人材が出てこないし、マスコミは真実を報道しない御用TVと御用新聞と化し、官僚は己の利益のためだけに巧妙に国民を騙し続けているし・・・結局、非力な我々は唯黙ってみているしか仕方ないのだろうか・・・・

今朝のTBSサンデー・モーニングだけが、辛うじてまともな番組を組んでいた。震災後8ヶ月経って、最初は日本を好意的に見ていた海外メディアも、次第に日本を厳しく見るように変った。真実を明かさない政府と福島原発事故の重大さをことさら過小にみせようとする東電、世界は今、事実を覆い隠そうとする日本政府と日本人を信用できない国という醒めた目でみている。福島原発事故の収束には最低30年以上もかかるというのに、未だに脱原発に踏み切らない政府、そして無関心で愚かな大多数の国民・・・、次第に世界から相手にされなくなる日本と日本人・・・

日本は既に崩壊しつつあるのか・・・

                       


朝は朝星・・・

2011年11月11日 | Weblog

 

・・・夜は夜星、遠距離通勤してると冬は暗いうちに家を出ることになり、帰宅も暗くなってからということになる。

Edが勤めに出る時間は季節にかかわりなく6時だから、冬至の前後では日の出の小一時間(49分)も前になる。今現在千葉県のこの辺りで、日の出時間は6時12分。駅のホームで電車を待っているころ朝日が昇る。

夏と同じ時間なのだが感覚的には冬は随分早い時間のような気分だ。帰りもこの調子だから仕事は早目に切り上げる。もう歳だから昔のように根詰めて働かなくてもいいのだ。リタイアしたら自然に従って、明るくなったら起きだし、暗くなったら寝る生活に戻るのだろうか・・・

今週はどうしたわけか(手伝いで)「仕事」が忙しかった(笑)。というより、頼まれた訳ではないのに一人で奮闘していたYMさんの手伝いを買ってでただけなのだけれど、Edも偶には忙しく立ち働きたい欲望に駆られるわけだ(笑)。人間はそうやって汗を流していると何となく充実感が味わえるものらしく、不思議と夜も良く眠れた。性格にもよるだろうが、Edもヤッパリ机の前に座っているだけの仕事は直ぐ飽きてしまう。どちらかというと動き回っているほうが好きだ。

そういえば家でTVを観ながら寛いでいるときでも、カミサンに「少しもジッとしていなくて忙しない!」とよく叱られる。困ったもんだ・・・^^!


 


2011年11月08日 | Weblog





車の運転には余りありがたくない霧だけれど、普段見慣れた景色も幻想的に一変させてしまうから面白い。白く塗り込められた背景の中に、近くの木や家だけ黒っぽく輪郭が浮き出て、まるで墨絵のよう。目の前の道は数十メートル先で霧の中に溶け込んでしまい違う世界に迷い込んだみたいだ。暫く歩いているとシャツやまつ毛にも小さい水滴ができる。
既に陽が昇ってきているのに太陽は濃い霧の中で光を吸い取られてしまい、まるで朧月だ。車がヘッドライトを点けて近づいてくる。視界は50mくらいか・・ゆっくり通り過ぎていった。

昔スイスで同僚(スイス人)の運転する車で濃い霧のワインディングを走った。早朝だし行き交う車は殆んど無い、とは言え視界が極端に悪いのに猛烈にすっ飛ばすので肝を冷やした。彼には慣れた道だったのかも知れないが、エンジン・ブレーキを利かせて坂道を駆け下る彼は、緊張して足を踏ん張っている東洋人に運転技量の高さを見せつけようとしたに違いない。霧に隠れた視界が目の前にきて初めて開ける、そのスリルに酔っていたのだ。彼もEdもその頃はまだ若かった^^!




自転車タイヤ

2011年11月06日 | Weblog

           

一ヶ月ほど前、自転車で駅前スーパーまで行った。最近自転車は物置へ入れっぱなしで、乗ろうとする度空気を入れてやらないと、タイヤがいつもペシャンコになっている。

買い物を終えて、さて帰ろうとしたら後ろのタイヤの空気がもう減ってる!ゴトゴト言わせながら家に戻って良く調べたら、タイヤが老化でヒビ割れしている。もう寿命だな・・・

そんなわけで物置には仕舞わず、近いうちにタイヤを交換しようと思って玄関前に置いたまま延び延びになっていた。休日だった3日、ようやくホームセンターでタイヤを買ってきた。
「予算はいくらくらいで?」というから「2~3000円だ」と云ったら「・・それなら一番安いものですね」ときた。おおきなお世話だぃね!
タイヤが2,980円、チューブが980円、締めて3,960円だった^^!

さて作業はいつにするか!後輪はチェーンが付いてるし、簡単そうに見えても(外したことないから)案外手間なのだろうか? ま、どうせ急ぐわけじゃないからゆっくり愉しみながらやるとするか。

昔は自転車のパンク修理なんて誰でも自分でやっていたもんだ。昨今ではチョイト面倒なことになると何でも他人任せだからなあ・・・ 

          


2011年11月05日 | Weblog

                    

人の縁とか相性というのは不思議なもので、今もづっと交流が切れずに続いている友達というのは必ずしも長い交友期間があって親しくなったわけではない。むしろ最初に知り合った時点で何となく決まっていたような気がする。多分相性の良し悪しは最初の出会いでお互いに感じるものらしく、そういう相手とは無意識のうちに互いの心が開いていて警戒心が無くなっているのだろう。

これまで長く生きてきた中で沢山の人達と巡り会う「えにし(縁)」があったのだけれど、心底友達として長くお付き合いさせてもらっている人はそう多くない。
学生時代は別にして、社会人になってからは三つ目の会社(GM)で知り合った友達が一番多くてもう30年以上の長い付き合いである。しかも3度の転職で4つの異なる会社に勤めた中ではGMで働いた期間が最も短く、5年足らずだった。真に不思議な気がする。

そのOG・OB4人でこの4月に集まって以来半年になるので、久しぶりに一杯やろうと、YKさんに誘いの携帯メールを送った。早速返事が来て11月2日に即決。話が早い!赤坂「やげん亭」で楽しい2時間を過ごした。

                    


下調べ

2011年11月02日 | Weblog

今週は晴天が続きそうなので3日(文化の日)は紅葉狩りに行こうかと思い、昨日はあちこちルートを練ってみた。新潟・山形まで足を伸ばせば美味い魚が食べられるかも・・・と考えたけれど、シーズンだから渋滞するに違いないし、日帰りでは無理と諦めた。やはり小布施近辺までが無難だろうと、安曇野、小布施、山田牧場のルートを選んで下調べした。

カミサンは美味しいものが食べたいとの強い希望だったので、山田牧場のRedwood Innでフレンチか小布施の街中で気の利いた和食レストランを探すしかない。ネットを徘徊してようやく手頃な店を2箇所ほど候補に選び詳しい道順を地図に書き込んだ。

予約を入れたほうが良かろうと、一応電話番号は控えておいたが、さて問題は時間だな。渋滞すれば遅れる可能性大だし、渋滞を避けて夜のうちに家を出ればとんでもなく時間が余りそうだし、う~む結構悩む。本来ならウィークデーに行きたいところだけれど、そう度々会社は休めないし、ここは帰ってカミサンと相談してから決めよう!

予約は明日でもいいとして、夜帰宅してからカミサンに話したら”即却下”だった^^!山の中では「美味しい魚は食べられないでしょう」というのが理由でした。ゴモットモ・・・ですっ。チッ!


2011年11月01日 | Weblog



農家の庭先や畑の片隅に植えられた柿の木には今年も実が生って紅く色付いた。

今年は去年より数が少ないような気がするけれど、それでも鈴なりには違いない。この辺りの農家ではみんな鳥たちに食べさせてしまうのか、沢山柿を植えている割には人が収穫しているのを見たことがない。それとも渋柿で渋抜きの手間を厭うせいだろうか。

亡くなったお袋は熟してとろけるような柿が大好きだった。田舎育ちで菓子など余りなかった時代の人だから熟した柿は唯一女性の好きな甘味だったのかもしれない。

或る時お袋が高校生だったEdに「柿を英語でなんと言うか知ってるかい?」と笑いながら訊ねた。英語なんてまるで習ったことのないお袋だから彼女の唯一知っていた単語だったかもしれない。「知らない!」と答えると、得意げに「パーシモンだよ」と教えてくれた。Persimmonはお袋にとって余程お気に入りの果物だったのだろう(笑)

柿の紅い実を見ながらウォーキングしていたら死んだお袋を思い出した。
 



セイタカアワダチソウも見慣れるとそれなりに綺麗だ・・・^^!