Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

犬のしあわせ

2012年01月31日 | Weblog

                   

先日、旅のチカラというTV番組で女優・浅田美代子さんがベルリンの「犬の孤児院」を訪問したときの体験レポートを観た。


知らなかったけれどドイツは動物愛護の先進国だそうである。なるほど、飼い主のいなくなった犬を預かる施設の何と立派なこと!衛生的で広々とした個別犬舎、明るい芝生の運動場、設備の整った病院、そして専門の調教師やカウンセラー・・・迷い犬や野犬は保健所が捕獲し、飼い主が現れなければ殺処分してしまうどこかの国とは大違いだ。

彼の国では、犬が虐待されているような場合は警察と獣医の判断で飼い主から引き放してこの孤児院に引き取る。そういう犬は人間不信に陥っているため、心のケアと躾をやり直し、犬が平常心を取り戻してから新しい飼い主を探すとのこと。本当の「優しさ」と命に対する「尊厳」をしっかりと守っていると感じた。

                     

ベルリンにも路上生活をする人たちは居る。ちょっと驚いたのは、その人たちも犬を飼う場合は市に犬の税金を払い予防注射もさせているとのことで、僅かな収入を犬と分け合って生きているのだそうである。まさに犬と人間が互いに助け合って生きている。
余計なことだけれど、ベルリンの路上生活者は見た目日本のバッグマンほど薄汚れた様子ではなかった。もしかして日本より実入りが多いのだろうか・・・^^!

日本では犬・猫は愛玩動物としての側面が強いけれど、ドイツでは共に生きるアニマル・フレンドという位置づけのようである。犬が人間と同じという考えではなく、犬は犬としての躾をきちんされているので、どの犬も行儀がよく、飼い主の指示に素直に従う。レストランでは食事をする飼い主のテーブルの下で静かに待っている犬たちが沢山いる。飼い主は唯厳しく躾けるだけではなくて、家庭内では常日頃から愛情をもって接している証拠であろう。

                       

ドイツではペット・ショップなどでの犬の売買は禁止されていて、犬が飼いたい人は犬の孤児院で気に入った犬を引き取るか、ブリーダーと直接取引するのだそうである。動物をお金で売買するというのも考えてみれば、命の売り買いであって決して好ましいことではない。ペットショップで売れ残った動物たちは最後どうなるのだろうか・・・保健所に送られたりしないか心配になった。

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過積載

2012年01月30日 | Weblog

 

最近は取締りが厳しくなったし、業界も世間の批判を浴びて過積載をさせない取り組みをしてきたせいか、ダンプトラックも以前のような極端な過積載は見かけなくなった。


取締が厳しくなる前は、荷台の枠を標準の2倍、4倍に高くして10トン積みのトラックに20トン、40トンを積んでいるのがザラにいた。その頃のトラック・メーカーは車が売れなくなることを恐れて、どこも必要以上に車両の強度を上げ、過積載しても壊れないようにしていた。結果的に法令違反を助長していたことになる。

Edはトラック部品の輸入販売を生業としているので多少業界には通じているのだが、その頃の東南アジア各国では日本に輪をかけた過積載天国(今でもまだ・・?)だったから、マレーシアで見たダンプトラックなどは荷台枠が見上げるような高さで、たまげた。エンジンは日本国内仕様より小型非力なのに積載重量は同等以上であったから過酷な使われ方をしていたに違いない。

先日、前を走るダンプの速度が遅いのでちょっとした登りで追いついてしまった。見ると荷台枠が標準の倍ほどもあって土砂を山盛りに積んでいる。どう見ても最大積載量の倍は積んでいるとみた。日本では大型単車の車両総重量は25トンに抑えられている。つまり車両重量が10トンとすれば積載量は15トン以下である。多分このダンプは総重量40トン前後であろう。景気が悪くなって、またまた不届き者が増えてきたのだろうか・・・

マス(質量)の大きなトラックが過積載をすれば、たとえ車自体は壊れなくともブレーキの効きは悪くなり、道路や橋を痛め、万一の時は想像を超えた破壊力をもたらす。お金になるなら何でも有りという世の中はコワイ!

 


シロアリ

2012年01月29日 | Weblog

                 

アメリカ合衆国は日本の25倍の領土を持ち、人口は日本の2.4倍の大国である。議員定数は上下両院合わせても535人(上院100、下院435人)しかいない。それに比べて日本の国会議員は衆参合わせて720人もいる!国の政治システムが違うから一概には言えないかもしれないが、単純に考えたら現在の半分で十分だろう。

今というときは、時代の流れが大きく変わろうとしている潮目にあるのだろうか。この10年ほどの間船の船頭たる一国の総理は僅か1年くらいでコロコロ代ってしまい、国の将来を見据えた明確な進路を示せない。一般国民からすれば、少なくとも国会議員を志した者なら、日本をどのような国にしたいのか自分なりの理想や考えがあって然るべきだと思うのだが、山積する喫緊の問題すら手に余っている風にしか見えない。日本の政治家は数だけ揃った烏合の集団なのでは・・・?

民主党は政治を官僚から国民の手に戻し、省庁の無駄を省き、消費税も上げないとマニフェストに掲げて政権を取った。省庁の無駄を省くゼスチャーだけはやったけれど少しも実効は上がっていないし、相変わらず予算作成は官僚任せだから、何と国債依存の多いこと!

自民党時代からの国の借金は積もり積もって、国民一人あたり(赤ちゃんまで含めて!)800万円にもなるそうである。わが家ではカミサンを二人合わせて1600万円。そんな大金、わが家のどこを探したって出てきません^^!

野田さんは消費税増税に躍起になっているけれど、その前に先ずやるべきは無駄を省くことじゃあないんですか。増税が決まったら無駄を省きます・・・では後先が逆じゃん!

声だけデカい役立たずの政治「屋」を排除ために議員定数は今の半分に減らし、国でやっている仕事は大幅に民間に任せて役人・官僚の数は大幅カットすることが肝要では?・・・
シロアリを本気で駆除したいのなら、その温床は英断をもって断たなければ決して実現できない。口先だけの美辞麗句はもういいかげん聞き飽きたなあ・・・^^!

             

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カイロ

2012年01月27日 | Weblog

若いって素晴らしい!この寒空でも、素足で短いスカートの女子高生、スーツにマフラー巻いただけの若者・・・年寄は見てるだけで震えがきそうである^^!

電車を降りた途端、背中を丸めて貧相に縮こまって歩く奴を見てると(大抵Edと近い年齢のジジイである・・)、もチョット背筋をピンと伸ばして歩け!と尻の一つも蹴っ飛ばしてやりたくなる(笑)。

Edも若いころは今のようなふわふわ、ホカホカのダウンなんてもってなかった。スーツの上に羽織るものといえば、さして暖かくもないトレンチ・コートの一張羅。股引だって真冬にならなければ穿かないし靴下は3シーズンの薄手しかなかった。

それが今はどうだ・・・ヒート・テックの下着に厚地のシャツ、セーター、ダウンのジャケットにマフラー、毛糸のキャップ。小走りでもすれば汗ばむくらいのものだ。

                                     

                      

だがしかし、この数年如何ともし難いのが足先の血行不良だ。しもやけ状態になって指先が痛くなる。厚地の靴下2枚穿いても一向に暖かくはならないし、指先が窮屈になると余計血行が悪くなるのか、かえって痛くなったりする。

そこで・・・今活躍してくれているのが靴用カイロ!
陶板浴の店で勧められた指先が5本に分かれた靴下(指を締め付けるように固く編んである)と3シーズン用の靴下を2枚重ねにし、靴の先にカイロを敷く。朝こうして出かけると、駅に着くころはつま先がポカポカして、乗り換えで歩く度温度が上がり、南古谷で電車を降りて勤め先まで歩くとつま先は熱いくらいになる。

持続時間は10時間くらいだから、帰りに交換すれば往復ともつま先はホカホカしている。靴用カイロは当分の間手放せない^^!

                   


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Hammer of Eden

2012年01月26日 | Weblog

                                 

義姉からもらった時代小説単行本も全て読み終えてしまったので、久しぶりに図書館へ行った。ケン・フォレットの「ハンマー・オブ・エデン」を見付けた。サイズが単行本より一回り大きく、厚みも4cmくらいあって持ち運びにやや不便かな・・・と思たが借りてきた。

冬はマフラーだの毛糸のキャップだの手袋を着けたり脱いだりするので、普段の小さなセカンド・バッグはやめ、大きいショルダー・バッグを肩にしているお蔭でこの本も電車の中で読んでいる。

まだ途中だけれど、ダム工事計画で水没の危機に瀕した山間の名もないコミュニティーを救うため、カリフォルニア州知事にダム計画を中止しなければ「人工で地震を起こす!」と脅迫する。FBIの女性敏腕捜査官が捜査に乗り出す・・・

奇しくも去年東日本では大震災があったから、人工地震が脅迫の手立てになるとは思ってもみなかったストーリーの展開である。そういえばカリフォルニア州では過去に何度も大きな地震で被害を受けたことがあるのを思い出した。プレートとかサンアンドレアス断層とか地殻の歪や
蓄えられたエネルギー・・・などとまことしやかに出てくる話は、知識として持っている我々には現実味をもって迫ってくる。読み始めると一気に読み進んでしまう、いつもの面白さである。

欧米作家の手になる小説の面白さに気付かせてくれたのは、友人のJinさんである。ジェフリー・アーチャー、シドニー・シェルダン、ケン・フォレットなどは、いづれも最初にJinさんから貰った本を読んで初めて知った。それまでは”翻訳ものなんて・・・”という偏見から敢えて手を出さなかった。が、今では図書館で探すまでになった^^!吾ながら勝手なものである(笑)。

                     

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小雪

2012年01月25日 | Weblog

                    

昨日は通勤の足が「小雪」に乱されて参った。

出勤直前の朝6時のTVニュースでは、中央線以外東京近郊の電車に遅れは無かったので安心して家を出た。しかし、新松戸で降りたら武蔵野線はどことかで木が線路内に倒れかかったとかで、上下線とも運転見合わせ。

耳も遠くなったせいか駅のアナウンスも何を言っているのかサッパリ聞き取れない。こういう時は即決に限る、と赤羽経由にルートを変えて再び常磐線で日暮里へ。日暮里から京浜東北線の大宮行(各駅停車)に座れたので、そのまま鈍行で大宮まで行こうか、と迷ったのだが大宮でまたまた川越線に乗り換えるのがメンドイので、赤羽で降りて通勤快速・川越行き(埼京線)を待った。

電車を一本やり過ごしたあとホームの電光掲示板には8時04分発の川越行。しかし、到着が10分ほど遅れたその間に、な、なんと突然大宮行に変更されてしまった。川越線への直接乗り入れは中止だそうである。ようやく来た電車は混み合っていて座れるどころではない。ようやく大宮までたどり着いたが、もう一度乗り換えて南古谷まで。普段より小1時間余計にかかってしまったw。
・・・ったく、もう!

いつも思うのだが、高々数センチの雪で東京近郊の電車はすぐトラブる。いくら雪に慣れていないと云ったって、ちょっとお粗末すぎるのではないかえ?

                     

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夢判断

2012年01月22日 | Weblog

                   

前にも書いたけれど近頃よく夢をみる。人によっては夢の中でも花の色とか青空とか色付きであったり、ストーリーを明確に記憶していたりするらしい。残念ながらEdの場合夢の中では殆ど色がないか、あっても記憶していない。それより、自分が年をとったことと関係あるのかどうか分からないが、ストーリーの記憶はかなり良く残ることが多くなった。
もっとも中身は支離滅裂、相変わらず
ツジツマが全然合っていないのだけれど・・・

Edの夢は、出勤途中どこかの駅で電車を乗り換えようとしていたり、旅行の途中でどこかのターミナル駅で次の列車を待っていたりする場面で、ホームを間違えたり間に合わなくて乗り遅れたり、大抵時間に追われて焦っているケースが多い。学者の研究によれば、夢は通常目が醒める数分前に見るそうだから、きっとオシッコでもしたかったのかも知れない^^!

                 

また別の場合では、海か湖の水の中であったり、流れる川の中だったりする夢が度々あって、これは寝覚めがよくない。
というのは、「大水の夢はお金に困ることの知らせだ」などとよく言われることが記憶に残っていたからである。しかし考えてみたらお金に困っているのは今に始まったことではないし、ない袖は振れないから心配する必要はないのだった。ハハハ・・・

初夢は今年もみなかった。随分むかしのことだけれど、蛇の夢をみると大金が入ると誰かに言われて内心大いに期待した。カミサンにも喋らずに宝くじも買ったけれど、大金どころか1万円すら当たりゃあしなかった。(笑)

そういう夢のない夢より、眼が覚めるともう一度見たくなる夢というのがある。空を飛ぶ夢だ。過去に2度ほどみたけれど、眼が覚めてしまったのが惜しくてもう一度眠ろうとしたがダメだった。鳥のように思い通りに、木や家や人を眼下に飛び回る心地良さは格別だった。あの頃は未だ若くて仕事も面白く、全てが順調に推移していた。毎日が楽しくて仕方なかったのだろう。あれ以来もう空を飛ぶ夢を見なくなったのは、毎日の生活から夢がすっかり消えてしまったせい?・・・

                   

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40にしてマドモアゼル^^!

2012年01月21日 | Weblog

             

先日車の中で、久米宏の「ラジオなんですけど」を聴いていた。番組ではオヤジ・ギャグ特集をやっていて視聴者が電話で自分のギャグを披露するのだけれど、タイトルのギャグには思わず笑ってしまった。

オヤジならぬ女性の方が作った駄洒落なのだが、実にしゃれていて「お見事!」と、冗談の云えないEdはいたく感心してしまった。これは云わずと知れた論語の一節「40にして惑わず」を上手に文字って笑いを誘っている。

親友のJinさんは記憶力抜群で、中国の歴史小説にも造詣が深いから、よく好きな漢文の一節を口ずさんだりして皆を感心させる。

Edが高校のときクラス担任は漢文の教師だった。その影響か当初は漢文が嫌いではなかったのだが、ある事をきっかけに担任を尊敬できなくなり、以後漢文も嫌いになってしまった。けれども卒業までに一通りは習ったおかげで、本で読んだりJinさんが口ずさんだりする有名な一節は聴けば思い出す。

論語は孔子とその高弟たちの問答や教えを後に高弟たちが書き残したものだそうだから、必ず子曰くで始まる。

子曰
吾十有五而志迂干学
三十而立
四十而不惑
五十而知天命
六十而耳順
七十而従心所欲不超矩

孔子は74歳で亡くなったから残念ながら八十以降の教えはない^^!

                 

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Good timing

2012年01月20日 | Weblog

  

ものごとには潮時というものがある。仕事を辞めるにしたって、転職するにしたって自分自身にとって、あるいは相手にとっても都合の良いタイミングがある。

関西電力が国に提出した大飯原発3、4号機の安全評価(ストレステスト)に対して、経済産業省原子力安全・保安院が妥当とする判断を示したという。

どうせ政府、産業界は端から原発再開を目論んでいた筈だから、驚くにはあたらない。福島原発事故では、先ずSPEEDIによる放射能拡散予測を(米軍には開示して)国民には隠し、チェルノブイリ事故より遥かに大量の放射能を撒き散らしておきながら程度は軽いとウソをつき、核燃料のメルトダウンはないと言い張ったけれど実は事故後2、3日で溶けだしていたし、海には誰も予測できないほど大量に放射能が流れ出てしまった。更には、「原発が無ければこんなに困るぞ!」と、やらずもがなの計画停電でNegative Campaignを張り、結局夏のピーク需要は大騒ぎしたほどには誰も困らずに終わった。

これだけ国民を騙し、危険にさらし、根拠のない収束宣言を出したって、実際これから先何十年もの間福島原発20~30キロ周辺には住めないし、そのまたさらに遠く離れた汚染地域だって十分な除染なんて出来っこないのだ。つまり政府・東電は汚染の実態を故意にウヤムヤにしてしまい、ある日突然「お宅のマンションの地下から高い濃度の放射線が・・・」などと多少騒ぎはあっても、そのうち善良な国民は忘れてしまうさ、とタカをくくっているに違いない。

自民党時代に推し進めてきた今の原発政策は、電源三法に基づく莫大な金額の税金(販売電力1000Kw/時当たり425円)を電力料金の中に潜りこませ、それらは電源開発とは名ばかり、全て原発推進のために地方自治体や大学その他にばら撒かれてきた。原発をすぐに再開したい首長や何とか大学の御用学者が多いわけだ。何のことはない、我々国民は好むと好まざるに関わらず国の原発推進に加担させられているわけである・・・今現在も!

それなのに、東電は原発事故で大赤字だから電力料金を上げるという。政府は先ず電源三法による税金徴収を即やめさせるべきだ。東電は値上げなどとトボケタことを言う前に自分たちの資産は全て吐き出し、それでも足りないというのなら国の管理下に入ればよい。
土台、発電、配電、売電まで昔の専売公社のようなことをいつまでも続けて来たのが間違いのもとで、儲からない自然エネルギー開発や促進なんて今の電力会社がやるわけがない。

原発はトイレのないマンション。事故が起これば取り返しのつかない事態になることを我々福島で十分承知したではないか。この上まだ原発を続けようという理屈がEdには理解できない。脱原発へ向けて今が潮時なのに・・・

                    
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寒さに怖じける

2012年01月19日 | Weblog

              

去年2月までは四季を通して4時起きの早朝ウォーキングを続けていたが、丁度3.11震災のころ坐骨神経痛(2度目)が出て凡そ3か月休んでしまった。

略回復した5月中旬から再開して暮れまでは頑張って続けてきたのだけれど、ここへきて寒さが一段と厳しくなっているので普段の日は止めにした。土日・休日だけは時間に余裕があるので、7時前後に遅らせてやってはいるけれど週2回では何だかなあ・・・

今のところ今年は未だ神経痛の兆候は出ていないけれど、過去2回はいづれも寒さのピークを過ぎた2月~3月ころだったから油断はならない。

寝ても覚めても腰の奥の方で感じるあの独特の痛みと、触っても感覚が半分無くなってしまったような脚の痺れ感はヤなものだ。更に悪いことに、発症すると最初の1、2か月は痛さでロクに歩けなくなる。駅までの道程に普段の倍は時間がかかるから、見ている人はきっとカタツムリのようだと思うにちがいない。

半年前から陶板浴に通い始めたのも、云ってみれば神経痛再発防止のために藁をもつかむ気持ちだったけれど、果たして効果があるものなのかどうか。

カミサンに「もう歳なんだから、冬だけは早朝ウォーキング止めときなさいよ!」と言われて、何となく従ってしまったのは確かに歳とった証拠かもしれない。去年までは、何を云われても聞かぬふりして続けていたのだから・・・

そういうわけで、この冬は運動不足になり、唯でさえ脂肪が付き始めた胴回りはもっと太くなって、ヨロケル回数も多くなりそうである。困ったもんだ^^!


                    

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富士山で遭難か

2012年01月18日 | Weblog

                 

仕事で来日していたEdの勤務先の米国本社エンジニアが、先週末(13日)から富士山へ行くと言って出かけたまま予定の16日(月)になっても戻らない。

会社では行方不明の届を出し、捜索協力のため同僚が一昨日(16日)富士吉田市へ向かった。現地の警察と連絡をとっているが、今のところ本人との連絡は途絶えたままである。五合目駐車場には彼が置いていったレンタカーが見付かっているので、山に登っていることは確かであろう。しかし持っていった彼の携帯から応答はないらしい。

下山予定から今日で3
日目、滑落でもして動けなくなっているのだろうか・・・米国の親御さんからは毎日心配で日本に頻繁に電話が入るそうであるが、何も進展がないまま焦りだけが募っている。

それにしても、いくら山登りに慣れているとはいえ冬山へ単独登山とは・・・彼は富士山を甘くみてしまったのではないだろうか。万一の時に、独りではどうすることもできない。以前大阪のバイク仲間の女性が夏山で、それも普段誰でも登れるような山で道を間違えて夜になってしまい、遭難しかかったと聞いた。幸い二人連れだったし、携帯が2台だったので両方の電池が切れるまえにどうにか連絡がついて地元の人に助け出された。

彼もどこかで雪穴でも掘って救助を待っていてくれると良いのだけれど・・・

               

 


電車の網棚

2012年01月17日 | Weblog

              

通勤電車やバスには頭上に手荷物を置く棚が設けてある。込み合う通勤時間帯では大きな手荷物は邪魔だし周囲の人の迷惑にもなるから、Edはなるべく手荷物は網棚に乗せるようにしている。

ところが最近、網棚を利用している人のほうが稀で大きな手荷物は足元の床に置いたり、肩に背負ったままだったりで、周りの人の迷惑などまるで意に介さない風である。朝の通勤時、足元にデカい鞄やスポーツ・バッグを置かれると、降りようとしてドアに近づく通路は塞がれてしまい、唯でさえ足元が怪しくなっているジジイは蹴っ躓いたり、足が前に出せない。そういう輩に限って携帯に夢中で他人の迷惑なんてお構いなしだから、自分の荷物を動かそうともしない。

もう一つ癪なのは、背中に背負ったままのリュック・サック(バック・パックなど)である。あれは本人は両手が自由になるから携帯でも読書でも出来ていいだろうが、周りの人にはエライ迷惑だ。混んでくると足元は空いているのに、背中のサックが邪魔になって胸元だけ押されるし、無頓着に動かれると周囲の数人に迷惑が及ぶ。電車に乗ったら背中の荷物は降ろすのが常識というものだろう。

しかし座席に座っているときは網棚も安心してはいられない。先日も本を読んでいたら、突然ペット・ボトルが降ってきて危うく本を落としそうになった。Edはその時唯ただ吃驚して一瞬何が起きたのか分からなかったのだけれど、目の前のオバサンが「スイマセン、スイマセン」と謝るのでようやく合点がいった。

Edには頭髪というクッションがもう無いから他の人より余計怪我のリスクが大きいのだ(笑)。気をつけてよ、オバサン・・・^^!

                   


成人の日

2012年01月15日 | Weblog

                    

連休後の最初の一週間は長く感じる^^!9日(月)が成人の日だったおかげで、仕事初めの週は4日しか無かったのに次の土日が待ち遠しかった(笑)。

成人式の模様はTVニュースでも再三流れていたから様子は大体分かっていたが、今朝サンデー・モーニングで改めて観て一つ感じたことがある。被災地の成人式で、あるいは被災して避難先での新成人たちの話や抱負を聞いていると、他の地域の新成人たちと何処か少し違って見えた。相変わらず騒いで暴れるこが成人式の伝統のようになってしまった沖縄、どこか遊び心中心のその他地域の新成人たちと比べて、真剣に自分たちと故郷の将来を考え困難に立ち向かおうとしている意気込みがよく伝わってきた。

3.11震災と原発事故は被災地に計り知れない損害と人々に深い悲しみと心の傷跡を残していったけれど、若しかして試練を与えた人々には不屈の闘志と心の成長をももたらしたのかも知れない。

日本は戦後65年、戦災から復興し経済的には豊かな社会を築き上げたけれど、我々は豊かさの中でヌクヌクとした安易な生活に浸りきってきた。政治もこれまでの社会制度も混迷し、行き場を失いかけているように見える。何もしない何も出来ない人間に、時として「自然」は神に代って「人」に大きな試練を与えるのかも・・・

番組(サンデー・モーニング)では、30年前に行政改革を進めた故・土光敏夫の寿玉のことば”個人は清貧に、社会は豊かに」を伝えていた。政治家だけでなく我々個々人も、もう一度先人の言葉を噛み締めてみるべきなのだろう。

                  


友人の闘病

2012年01月12日 | Weblog

                     

これまで毎月2、3回は逢って酒を呑み、たまには高尾山へ行ったり下町散歩を一緒に楽しんだりしていた親友のJinさんが12月中旬に大腸癌で入院してしまった。今彼は終日病院のベッドの上で過ごしながら点滴と抗癌剤の投与を受けて闘病中である。

Jinさんが腸閉塞の疑いで突然入院したのは去年10月のことで、化学療法(薬)だけでは治らず結局手術をして3週間後に退院した。後は回復を待って元気になったらまたこれまで通り飲み会をやろうや、と話しあっていた。

ところが退院後、担当医から「一応癌の検査もしておくので、折をみて結果を訊きに来てください」と言われていたのを思い出して、11月下旬病院を訪ねた。すると思いもかけず医者から「大腸癌だ」という宣告を受けて彼は驚いた。「播性転移」でレベル4だという。彼は別の医師からもセカンド・オピニオンを受けたけれど、結果は略同じだったらしい。暮れも押し詰まった12月中旬、Jinさんは再び入院することとなり、そのまま正月は病院のベッドで迎えた。

一回目の抗癌剤投与は12月27日、2回目は来週だという。本人は薬が効いていないような気がするそうだが、微熱が出始めたのは副作用のせいかもしれない。
まだ点滴を止められないので生活の自由度が少ない。薬が効いてくれれば化学療法以外にも、漢方や食事療法など始められるのだが・・・

Jinさんの闘病はまだ始まったばかりであるが、彼には何としてもまた元通り元気になって欲しい。ガンバレ、Jinさん!

                    


阿見プレミアムアウトレット

2012年01月11日 | Weblog

          

学園都市筑波から圏央道が延びてきたせいか、茨城のこんな田舎町にまでアウトレット・モールが進出してきた。我が家から車で40分ほどの阿見東IC脇の「阿見プレミアムアウトレット」。

頂いた商品券があったので、正月休み最終日(9日)ジーンズでも買おうか・・と出かけてみた。周囲を里山と畑に囲まれた緑の敷地の中につき、駐車場は広いのだけれど正午には建物に近い殆どのスペースは埋め尽くされていて、ショッピング・モールから遠い所に停めさせられた。リーヴァイス、エドウィン、ディーゼル、ラルフ・ローレンなど一通り店はあるのだけれど、どこも品揃えが不十分で、Edのような短足・ずんぐりの古代人に合うサイズは見付からなかった^^!

店員の対応もイマイチで、これなら街中のジーンズ専門店のほうがよほど気が利いている。ま、皆さん我々同様「・・・アウトレットでも行ってみるか!」とやってきたのだろうが、人の数だけは多くて2時間近くも歩き回ったGさんと」Baさんはすっかり草臥れてしまった。

往路は稲敷方面からR408で一直線に来たので、帰りは牛久経由で通いなれた道から戻った。途中カミサンお気に入りの喫茶店TamTam(?)に寄ってコーヒーを飲んでから帰宅、午後4時だった。何となく連休最後の一日が終わったなあ・・・