Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

マッターホルン

2010年09月28日 | Weblog
                  

先日、NHK・BSハイビジョンの番組「世界のグレート・サミット」でスイスアルプスのマッターホルンを観た。この牛の角のようにそそり立つ4478mの鋭い岩山はアルプスの峰々のなかでも一際特異な姿で美しい。

スイス側の麓の町Zermattには大むかしスイス滞在中(’75年)に何度かハイキングに連れて行ってもらったので、とても懐かしく思えた。番組では女性レポーターが現地ガイドの助けを借りてマッターホルンに登頂するまでを追ったものだったけれど、あの頃は素人が登れるような山ではなくて、唯遠くから眺めるだけのずば抜けて孤高な山だったはずである。今では一部に登攀補助の鎖まで設置してあって、適切なガイドがいれば誰でも登れるそうである。

とは言え富士山より700mも高い山である。事前の高地トレーニングは欠かせないし、山小屋から早朝出発して昼ころまでには戻ってこなければならないスケジュールだから相当な体力が要る。観ていたら殆んど休憩なしで往復している。決められた時間内に頂上までいけない人は途中から下山させられていた。素人でも・・・とは云っても、やはり生半可な体力では無理だ。やはりこの山は見て楽しむ山で、我々が登るのは高尾山で十分である(笑)

                    

       ☆上の写真はフリー百科事典Wikipediaから借用

彼岸花

2010年09月26日 | Weblog
           
           
           

ウォーキング・コースの農道脇で彼岸花が咲いているのを見つけた。今年は例年より遅かったような気もするが、真夏から突然晩秋になったような肌寒さのせいか季節感が薄れて何だかよく分からない^^!
収穫あとの稲のひこ生えが青々と育っているから緑の中で紅がひときわ映える。カミサンはこの花を庭に植えたがっているが、これはどう見ても広い野原や田畑の中、あるいは精々農家の庭先に似合う花のような気がする。

今日は台風一過朝からよく晴れて清々しい。彼岸花を写真に収めての帰り庚申塚の林で大きな蜘蛛を見つけた。体長3cmはあろうか、青空に浮かぶ堂々とした姿は近頃あまり見かけない。辺りをトンボが飛び交い秋は足早に近づいている。家に戻って夏の簾(すだれ)を全部取り外した。

この夏の猛暑では簾が大いに活躍しエアコンの効率向上に役立った。わが家ではアルミサッシの枠用に板金製の簾ハンガーなるものを取り付けて、それに簾を吊るしてあるのだが、ハンガーが腐食してきて今にも折れそうになっていた。DIYで探したのだけれどなかなか見付からなかった。今日暇に任せてゆっくり探してみた。
ありました!もう夏も終わりのせいか、カーテン売り場の片隅にひっそりと簾コーナーがあって残り2パック(4個)あったので来年のために購入。今年の様なとんでもない猛暑が来年も続くとの予想なので、転ばぬ先の杖だ。

           
           

強硬姿勢の中国

2010年09月24日 | Weblog

              

尖閣諸島の日本領海内で起きた中国漁船の船長逮捕をめぐり、中国が尖閣諸島の領有権を突然強硬に主張し始めた。彼らはこれを契機に事態を更にエスカレートさせ、閣僚の日中間話し合いは行わない、観光客の日本への渡航自粛、日本の若者の親善訪問受け入れ中止、レアメタルの輸出許可見合わせ、日本人の会社員4人を軍事施設立ち入りの疑いで逮捕・・・と矢継ぎ早に日本に対する攻勢を強めている。

一方日本政府は・・・といえば、逮捕した船長の取調べを粛々と進めるというだけで、一向に中国側の理不尽な主張に対抗する姿勢を見せない。大騒ぎせず、大人ぶっているつもりかもしれないが、いい機会だから世界に向かって中国の覇権主義を厳しく批難する声明でも出したらどうか。国際貢献は途上国に金を出すだけが能じゃない。彼らの出すぎた態度に釘を刺すのもグローバルな視点からは国際貢献だ。

仙谷官房長官は、中国が日本人4人逮捕の報に「中国人船長逮捕とは関係ないのではないか」などとノーテンキなことを云っていたけれど、誰が考えたって無関係の筈がない! 「もし関係があったなら極めて遺憾だ!」位のことはハッキリ云うべきではないのか! 日本政府は弱腰外交もいいところで中国に頭を叩かれても叩かれっぱなし。情けないったらありゃしない!

中国は、普天間基地移設問題をめぐって日米関係に軋みが出ているのを好期と捉えて、一気に尖閣諸島を手に入れようと目論んでいるに違いない。日米安保条約があったって、どうせアメリカは日中の領土問題なんぞに頭を突っ込むつもりはないのだから、自分のことは自分で守る以外に無い。この際尖閣に自衛隊を常駐させ、ヘリの基地くらい造ったらどうだ!奴らは公海上でも勝手に石油は掘り出しているし、日本と共同開発だなんて端からするつもりはないのだ。自分勝手なことばかり主張する国に温厚な態度で臨むなんて愚の骨頂だ!

アメリカ追従外交しかやってこなかった日本は、外交下手で世界に知れ渡っていて強かな国々からはすっかり甘く見られている。ロシアだってここへ来て突然北方4島に領土問題は存在しない、などと言い出した。政府はこれに対してもダンマリを通していて、あたかもプーチンの云うことを暗黙に認めてしまったみたいだ。

北朝鮮拉致被害者の問題が一向に解決されないのは、中国が裏で彼の国を支援しているせいだし、核開発だって北朝鮮が世界中の批難を無視して進めているのは中国の後ろ盾があるからだ。アメリカが幾ら強がって彼らに圧力を「かけてもムダだったのだ。

ま、どうせそのうち中国もバブルが弾けてオタオタし始めるに違いない。今は精々強がっていなさい!

レアメタルなんて要らない新技術がきっと確立されるさ。騒がしくて行儀のわるい中国人観光客なんて来なくて結構!清々するわい!

                


ぶどう狩り

2010年09月23日 | Weblog

23日は休日出勤として代わりに22日を振り替え休日にしてもらったので、4輪で山梨へぶどう狩りに行った。

ウィークデーなので高速は空いているだろうと気楽に出かけたのだが、案に相違して中央道は朝8時ころで調布から8Kmの渋滞。一宮御坂ICまで2時間もかかってしまった。
山梨市に着いたのは中途半端な11時になってしまったので早めの昼を食べようと、知人から紹介されたレストラン「和菜屋 宴」を探して万力公園の周囲をウロウロしてみたが見付からない。
近くのスタンドで訊ねたら直ぐ教えてくれたけれど、分からない筈だ!住宅街の真ん中の引っ込んだ一軒家を改造した和風レストランで表通りには看板の一つも出ていない。で、ようやく入り口を見つけて入ろうとしたら”水曜日・休み”の表示!ガ~ン!折角見つけたのに残念。

        
        

仕方なく笛吹川ぶどうパークへ。公園の中にレストランはあるにはあったけれど食事はカレー・ライスかスパゲティだけ!山梨で食事といえば、直ぐ「ほうとう」を思い出すが、1000円も出してあんな煮込みうどんは食べたくない。我が家ではお袋が山梨産だから、食糧難の時代には毎日のように「ほうとう」ばっかり食べさせられてい。「ほうとう」では食指は動かない^^!
カレーで我慢して土産物コーナーへ行ったら産直野菜がえらく安い!完熟トマトが一袋8個入って500円。土産に一袋買った(笑)

食後は目指すぶどう園「ツルタブドウパーク」へ。場所はすぐ分かったけれど、駐車場の狭いこと!ようやく車をこじ入れて入ったら客は我々だけ。ぺらぺらよ喋るくオヤジがいろいろ説明しながら何種類か試食させてくれた。ただ甘いだけでなくワインのような味わいのあるもの、とかサッパリした控えめの甘さのもの、皮ごと食べられる果実の食感があるものなど・・・一口にぶどうと言っても多種多様なのだった。

何種類か取り混ぜて4房と珍しい1種類は房が小さいのでオマケにしてもらい2500円ほど払った。蔓から切り取ったばかりの新鮮なブドウだから案外高い買い物ではないと思う。来年は9月の初旬に来てくれとのことだったが、さてまた来るかどうか・・・^^!

琴川ダムへの道はこのブドウ園の前を真っ直ぐ登れば行けるはずだったが、崖崩れで閉鎖されてしまい一つ先の別ルートへ回らなければならない。時計をみたら2時半。帰りを急ぐわけでもないので行ってみることにした。かなりキツイ山道を12キロほど走って上りきったところにダムがあった。見晴らしが良いとの話だったけれど、ダムから更に50mほど高い峰に登らなければならないので止めにした。来年までとっておきます(笑)

         
         
         


お彼岸

2010年09月20日 | Weblog

           

墓参りに行った。自分以外の兄弟は皆多摩近辺から離れずに住んでいるのだが、わが家だけ多摩から遠く離れて千葉県の北の外れに住み着いてしまったせいで余計気になるのか、春と秋の彼岸と正月の年3回は墓参を欠かさない。別に信心深いわけでもないのにおかしなものである。

私の生まれ育った家庭は絵に描いたような「貧乏人の子沢山」の環境だった。親父は自分がまだ小学生の時に早々とあの世に逝ってしまったから、戦後の物資の乏しい時代にお袋は年端も行かない小さい子供達を抱えて途方に暮れたことだろう。

その分、年長の兄弟達は年下の兄弟姉妹のため働かざるを得ず、高校、大学とも夜間にしか行かせて貰えなかった。我々年下の兄弟と比べて大いにワリを食ったことになる。そんな風に苦労を共にしてきた兄弟姉妹だったから、さぞかし今は仲が良いかと思いきや、まるで違って私の兄弟は皆テンデン・バラバラ仲の悪いこと夥しい。お袋が生きていたらさぞ嘆くことであろう^^!

そうした仲ではあるけれど、75歳になる長姉がここ数年身体の具合が悪いと云って年に一度の集まりにも顔を出さなくなってしまったので、墓参りを済ませた帰りに立ち寄ってみた。彼女は、歳をとるとなり易いらしい「腸の癒着」をおこして、長時間家を離れて出かけることが出来なくなったのだという。最近は近所へ買い物に出たり長い時間でなければ出かけることも出来るようになった。逢う前に電話で話した時は相当重症かと心配したが、それほどでもなくて良かった。

彼女の旦那つまり義兄は数年前に亡くなって、今は娘夫婦の家で孫たちに囲まれて住んでいる。多少健康に不満はあるものの普段の生活そのものは幸せそうだった。姉は身内に対しては、男のようなサッパリとして少々乱暴な口を利くが、姪っ子たちには人気があって慕われ、何かとややこしい相談を持ち込まれて、近頃では持て余し気味らしい。ま、相談を持ち掛けられればツイ親身になって聞いてしまう根が優しい性格だけに、これからもづ~ッと姪たちの相談事に煩わされるに違いない。

3時間ほどゆっくりしてから姉のところを辞したが、思ったより元気そうで一安心した。

            


乃木坂

2010年09月17日 | Weblog

                             

勤務先が今の川越になってからは本社事務所のある乃木坂や六本木で夜呑む機会が殆んどなくなった。ごく稀に友達と赤坂の「やげん亭」で集まることはあるけれど、それも年に数えるほどだ。思えばこの界隈は4,5年前まではよく呑みに通ったものである。

今週は中国工場からエンジニアが二回我々の川越物流センターを訪問し、そのうちの品質担当者YYと乃木坂での飲み会に誘われtたので同僚数人と一緒に参加させてもらった^^!

YYとは殆んど毎日のようにコンタクトがある間柄なのだけれど、顔を会わせるのは今回が初めてだった。彼は我々日本サイドのとても良き理解者であり、そして極めて協力的である。同じアジア系ということもあるかもしれないけれど、欧米系が概して我々の品質クレームをなかなか受け入れようとしないのに対して、彼はいつも我々の言うことを信じて即応じてくれるので大いに助けられている。これからは更に話が通じ易くなるに違いない。

海外の人間とメールや電話でコミュニケーションをとる際、お互いに顔見知っている場合と初対面とでは大違いで、顔が分かっている相手だと双方とも相手の言うことが理解しやすく、また互いにより親身になってやれるものなのである。だから機会があれば用があっても無くてもできるだけ会って握手し、二言三言でも言葉を交わすように努めている。まして一緒に酒を飲む機会でもあれば躊躇せず付き合う^^!

繁栄の真っ只中にいる中国人はお金持ちだ!日本側で接待するつもりで開いた酒席だったのに彼が全部支払ってしまった。サンキュー、謝謝、ご馳走様!(笑)

         


受信レベル改善

2010年09月14日 | Weblog

         
            

BSチャンネルの受信レベルが低いために、特に民放BSの映りが悪かった問題で先日ケーブルTV会社の営業担当S君の手を煩わせたが、一昨日電気屋が持って来てくれた新しいBSアンテナを取り付けたところ一遍で問題解決。これまでのスッタモンダは一体何なんだよ!

結局アンテナが旧くて感度が低かったわけだ。これでブースターは不要だということが分かったのだけれど、考えてみればこんな田舎で大きな建物もないところだから、殆んど日本の真上にいる衛星からの電波が邪魔されたり、キャッチできないわけは無いのだ。

これからはもう民放のBS番組を録画する度、モザイクが入ってしまったり、途中から画面が消えたり、あるいは全く録画できていなかったり、という不具合は無くなる筈で、カミサンからぶつくさ文句を言われなくて済むだろう。やれやれ・・・

         


スニーカー代替

2010年09月10日 | Weblog

2年半まえ買った”お買い得”のナイキのスニーカー(¥2900だった^^!)が、いよいよヨレてきてつま先が口を開け始めた(笑)。

         

平均して週に5日以上はランニングやらウォーキングで2年半も酷使したのだから結構永持ちしたなぁ。それでもまだ、つい先週まで”早朝ウォーキングで履くだけだからいいや!”と、しつこく使っていたのだけれど、時々路面の凹凸に引っかかってタタラを踏むようになった。これでは少々危ないので捨てた。長い間ご苦労様でした^^!

しかし代替を買う前に捨ててしまったので今週は必然的に朝のウォーキングはサボりになってしまった。どうせ安物、何処で買ってもいいようなものの前回は牛久のスポーツ用品店で買ったので、またあそこへ行ってみようかと思案中。カミサンはブランドものが好きだから、また「ンブロ」とか「リーボック」とか高いやつを薦めるんだろうか・・・

今回は・・・これだ!

          
(安物代替二世・・・¥2.999 Reebok)


久々の雨

2010年09月08日 | Weblog

           

猛暑続きでゲンナリしていたのは人間や動物ばかりではない。庭木や草は日中の厳しい陽に焼かれて茶色に変色したりシオ垂れてしまったものもある。何しろ朝たっぷり散水しておいても翌日にはもう土がカラカラに乾いていて鉢植えの風知草は葉っぱが丸まってしまう。

今朝は空がどんより曇っていたけれど、どうせまた日中はテラテラと陽が射して暑くなるのだろうと、いつものようにホースで散水した。出勤前に天気予報を見たら一日中雨で激しく降る時間帯もあるとか・・・水道代が無駄になった^^!

なるほど出勤途中から降り出し、最寄り駅から勤務先までの歩行10分ほどでズボンの裾がシッカリ濡れた。久々の雨で地面は乾燥し切っていたから最初のうちは雨は路面にたちどころに吸収され、気化熱のせいか歩いていてもいつもと違って涼しかった。

昼前までは雨脚が相当強かったから会社の駐車場にも水溜りが広がり、雨滴で跳ねる水面を珍しいものでも見るように暫く眺めてしまった。
勤務先の倉庫ではこの2週間ほどで事務所建屋の内外装を塗り替え工事していたのが昨日ほぼ終わったから、雨の中足場を片付けを始めていた。現場の人にとっては陽に焼かれて作業するよりも久々の雨に濡れてする作業のほうがいくらか楽だったに違いない。

この雨は関東では明日朝まで続くらしいが、これを潮に猛暑が終わって欲しいものだ。

        
        


稲刈り

2010年09月05日 | Weblog

          

通常はやや涼しくなったころから稲刈りが始まるのだが、今年は例年とは違って千葉のこの辺りでは猛暑の中8月の末から刈り取りが始まって、9月に入った今では7,8割かた終わってしまった。

台風に遭うこともなく順調に育って早い収穫を迎えたわけだから、農家は喜んでいるかも知れないけれど、端からみていると例年の季節感が損なわれてしまうばかりか、これも異常気象の影響かと要らぬ心配をしてしまう。
数日早く刈り取りの済んだ田では、既に切り株からは新しい葉(ひこばえ)が青々と育っているものもある。まるで二毛作でもできそうな勢いだけれど、日本が赤道直下のような気候になってしまうのも何だかなあ・・・^^!

新聞やTVの報道によれば、実は海でも既に地球温暖化の影響が出始めてきていて、これまで本州近海では観られなかった熱帯系の魚種が関東辺りまで北上してきているとか、秋刀魚が獲れなくなったとか、異変は始まっているらしい。

ま、老い先短い自分が心配しても始まらないから、自然相手のことはもうなるようにしかならないと腹をくくって、この先どんな風に変化して行くのか半分楽しみにして観ていてやろうと思う。

           


川口町

2010年09月01日 | Weblog

先日のツーリングで帰路R117をMOMOさんと走った際、新潟県の川口町を通過した。国道17号と交差する少し手前で、信越線(?)の古びた鉄橋を見てアッと思った。この景色に見覚えがあるのだ。あの時確かR17のこの辺りを何度か自分のバイクで通った記憶がある。

2006年5月新潟県中越地震がこの辺り一帯を襲い山古志村や川口町に甚大な被害をもたらした。その10年ほど前に阪神淡路大震災があり、そのころから一般人のボランティア活動が大いに盛んになった。阪神淡路では関西人の友人も参加していたというのを聞いていたし、父親の田舎が新潟県であったことから、意を決して土日の二日間だけ川口町の災害ボランティア活動に参加したのだった。

地震発生後1週間ほどして高速道路の応急修理が済み、川口町ICまで走れることが分かったので早速出掛けたのだが、被災地に近づくにつれ、道路は大きく波打ち、崖は崩れ、家々は傾いたり倒壊したりで、巨大地震の激しさを初めて目の当たりにし、自然災害の怖さを実感した。

ボランティア活動そのものも初めての経験だったから、最初は何をしてよいか分からず唯災害救助センターの中をウロウロするだけだった。そのうちセンターで求めている仕事の案内しているコーナーあることを知り、自分に出来そうなことがあれば手を挙げて参加する、という仕組みが分かった。30分ほどして「何方か調理師の免許お持ちの方はいませんか?」という案内。誰も手をあげる様子がない。何をするのかも分からないまま「ハイ!」と手を挙げた。めくら蛇もいいところ、今思っても冷や汗ものである^^!

連れて行かれた先は山間の避難所。小学校の体育館で70人ほどがいた。そこで2日分の惣菜の献立と調理を任されたのである。ご飯と味噌汁だけは自衛隊が用意するので惣菜だけ2~3品創ればよいのだけれど、何しろ免許はあっても家庭料理しかやったことがない「俄か調理師」だから、70人分と聞いて面食らった。・・が、やるしかない。
前任者から手元の食材の説明を受けながら、またまた困った。インスタント・ラーメンや缶詰のようなものばかり溢れるほどあっても、肝心の野菜や調味料などは種類が限られて量も少なく。肉など生ものは一切ない。兎に角ありあわせの材料で夕食2回分と朝、昼各一回分の献立を作りどうにか凌いだ。

しかし調理の手伝いをしてくれる若いボランティアの女性たちが沢山いて、よく働いてくれたのにはとても感心した。中には泊り込みで1週間も働いている方もいて2日間しかやれない自分は肩身がせまく感じたものである。日本もまんざら捨てたものではないのだ。

ツーリングの途中でフッとむかしのことを思い出したのでした。