Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

家具店

2011年04月26日 | Weblog

休暇をもらった25日(月曜日)午後から大手家具店を目指して津田沼へ向かった。嘗て船橋市に住んでいたから津田沼は良く知っている(つもりの)街だった。Edは思い出せなかったのだが、カミサンは大塚家具が駅前にあるという。輸入家具のなかに気に入った「安楽椅子」があるかもしれない・・・という期待を抱いて見るだけ見てみようということになった。

ところが、迷いながら折角辿り着いた駅前には目指す家具店はない!あると思っていたビルには別のテナントが入っていて、隣りにあった丸井も知らない名前に変わっていた。考えてみれば、船橋に住んでいたのはもう20年以上も以前のことなのだ、そのままであるワケはないのだった^^!唯一ヨーカドーだけが元のままだった。

仕方なく帰り道わざわざ遠回りして途中にある輸入家具店へ寄ってみた。・・・が、その店は全店改装中らしく工事のネットで目隠しされていた。運が悪い時というのはこういうものなのだ。諦めてドライブのつもりで裏道を景色を眺めながら帰ってきた。

自宅近くに、気になっていたとカミサンがいう小さな雑貨屋さんがあり、いつも店に人が居なくて中を見られなかったので寄ってみた。すると今日は珍しく店の人がいて中を見せてもらった。カミサンが気に入った椅子とテーブルはアメリカ製で生憎売り物ではなかった。買った時の値段を訊いたらえらく高価だったからもし売り物だったとしても買えない^^!。その他ステンドグラスの電気スタンドや食器などもあったけれど見るだけ・・・で済ませた。

今日はカミサンがづ~っと運転して疲れたというので雑貨屋と並びの喫茶店に入って一休みして帰ってきた。疲れただけで何にもならない半日でした。(笑)

         
     
   


GMミニ同窓会

2011年04月24日 | Weblog

地震で延び延びになっていた元GMのミニ同窓会を昨日(5月23日土曜)新橋でやった。集まったのはNUさん、YKさん。TIさん、とEdの4人だけ。午後から生憎の激しい雨で少し駅から歩いただけで濡れてしまったけれど、久しぶりで逢ったから楽しくて話が弾み、時間が経つのも忘れて4時半まで話し込んでしまった。

NUさんとはもう10年くらい逢っていないのではないだろうか。我等3人がGMを離れたのはもう30年も前のことだけれど、NUさんは定年まで勤めあげた人だからまだ数年前のことである。面倒見が良くていつも中心的存在だった彼女にとって、GM同窓会といえば我々の知らないもっと大勢のメンバーがいるので、組織が目まぐるしく変化していくGMのようなところでは皆が集まれる同窓会をするのは結構大変らしい。TIさんは大勢集まる同窓会に乗り気らしいのだけれど、幹事役を打診されたNUさんはあまり良い返事をしなかった^^!

まあ、やるとすればGM東京ゾーン時代に一緒だったGMODCメンバーでこじんまりと集まったらよいのでは、と顔の広くないEdは個人的には思うけれど、さてどうなりますか・・・

      


白樺

2011年04月22日 | Weblog

         

家を建てたときカミサンの希望で植木屋さんに白樺も1本植えてもらった。信州の高原や北海道ならイザ知らず千葉みたいな温暖な平地で果たしてどんなもんだろうか(育つのだろうか)・・・とやや懐疑的だったのだけれど、結構普通に成長して幹周りは12cmほどになり木肌も綺麗な白になった。

数年前に
一度台風で傾いてしまった。幹に添え木をして支えてやったら一応また元通りになったふうであったが根が傷んでいたのだろうか、去年は太い枝が一本朽ちて折れてしまった。そして今年・・・新芽が一つも出てこない!例年なら柔らかで頼りなげな小さな葉っぱが風に揺れている頃なのに・・・ついに枯れてしまったのだろうか?

白樺は木質がわりと柔らかで、朽ちるとボソボソになって簡単に折れてしまう。風で折れた枝が歩道にでも落ちて他人に怪我でもさせたら大変だ!残念ながらそうなる前に切り倒しておかねば・・・ 
それにしても23年の寿命とは、木にしては少し短かすぎた。やはり庭木にするには無理があるのかなあ・・・

         


ちぇあ

2011年04月21日 | Weblog

自宅で寛いでいるとき、皆さんはどういう場所でどういうスタイルで過ごしているのだろうか。独りだったら、居間で本を読んだりTVを見ながら畳の上で横になるか、ソファーや背もたれの大きいイスがあれば、そこに深く座るか寝転ぶと思う。
                          
横になるのが一番楽な姿勢だということは分かるが、畳の上というのはクセモノで長時間だと結構疲れる。ましてや腰痛持ちの身では寛ぐつもりが、かえって疲れたりする。西洋式の寛ぐ時の定番はやはりソファーやロッキング・チェアだろうか。これまで転居の折に何度かソファーやイスを買い換えたけれど、残念ながら、どれ一つとして「つかれない」「寛げる」と思ったものはなかった。安物だったからということもあるけれど、やはりこれまでは畳の生活が中心だった日本にはイスの歴史というものがないせいではないだろうか。

これからの長い老後の「何もしない」時間をより快適に過ごせる「安楽イス」が欲しい。椅子選びは、しかし大層難しいのだ!
家具屋さんでちょこっと座ってみたくらいでは良し悪しは絶対に分からない。何日か実際に使ってみて色々な状況でどう感じるかを自分で確かめないことには判断ができない。そうなると商品をモニターをさせてもらうしかないから、つまり”験しに買ってみる”、即ち”出来ない相談”なのです・・・ハハハ

で、去年は機会ある度あちこち家具屋さんを歩いては、「寛げる」イスはないかと探していたのだけれど、”これなら!”と思えるようなのは見付からなかった。一客十数万円するものでも座り心地がイマイチだったり色目が気に食わなかったりで、今は探すのを一時中断している。

勤務先の近所に以前から気になっていた注文家具の工房がある。建物自体は古びたトタン囲いの小さな工房なのだけれど、表のガラス戸が赤と白で縁取りされた洒落た欧風デザインだったせいかもしれない。

昨日、思い切って訪ねてみた。やはり椅子は注文が難しく手間ひまがかかるらしい。それでも顧客の要望を確かめる為の1/1モックアップ(ベニア板で作った実物模型)を含めて一客10万円くらいだという。工房の主は機能優先なのでデザインはあまり重視していないという話だったけれど、カミサンは「・・・私はデザインも重視するわ!」・・・だった。10万円で本当に期待通りの「寛げる」椅子が手に入るのなら安いものだけれど・・・さて^^!


パン

2011年04月19日 | Weblog

         

毎週日曜日は食料買出しの日。生協薬円台店へ行った序でに先ずエコピア(少しだけ高価な食材スーパー)で刺身や肉、果物の一部を買う。そして生協で残り必要なもの全てを買ってから、帰りの道すがら「石窯パン工房ル・マタン」に寄ってパンを買う。ル・マタンは最近通うようになった店だ。

知らなかったけれど、このパン屋さんはチェーン店だったんだぁ・・・!(千葉県内だけだけれど5店ある)入り口脇がテラスになっていて4人掛けの椅子とテーブルが5組ほどあり、コーヒーを飲みながら買ってきたパンを齧りつつ一休みできる。コーヒーは無料でコーヒーメーカーが挽きたてを入れてくれる。このコーヒーが香りも高くてなかなか美味いのだ!

食パン「ル・マタン」の他、Edの朝食用に「スイート・クロワッサン」とカミサンのおやつに「メープル・ラウンド」などを。いろいろ試してみたけれど、今はこれに落ち着いている。コーヒーの”受け?”にはプリンとかシュークリームが甘さ控えめで、よい。傾きかけた陽の光のなかでボ~ッとしながら暫し時を忘れる・・・

        
        


スペースシャトル

2011年04月18日 | Weblog

 

16日(土曜)の日経にスペースシャトルの任務終了の記事が出ていた。最期の打ち上げはこの6月にアトランティス号で行われる135回目だそうである。

繰り返し地球と宇宙の間を往復できるようにするため、まt宇宙から帰還する際は通常の飛行機と同じように水平飛行で滑走路に着陸するシステムのため、他国の一般的なロケットとは異なる独特の形状をしている。巨大なオレンジ色の燃料タンクに本体の軌道船(オービター)が張り付くようなかたちで搭載され、両脇には真っ白い補助ロケットを2機抱えた形である。

打ち上げの際オービターの3基のメインエンジンと2基のブースター・エンジンから目も眩む光の束を残してゆっくりと地上を離れていく姿は、実物を観たわけではないけれど、何度見ても壮観で手に汗にぎる光景である。70、80年代は日本の技術力、工業力が大いにもてはやされ家電や自動車などは米国製を凌駕する勢いであったけれど、こと航空、宇宙産業においては遠くアメリカの足元にも及ばないという感が強かった^^!


チャレンジャー号が打ち上げに失敗したのは、もう四半世紀も昔のことなのだけれど、あの時の光景は今もEdは鮮明に覚えている。順調に打ち上げられたかに見えた発射73秒後、機体は爆発炎上まるで花火のように高空で四散してしまったのでした。犠牲となった7人の乗組員の中に幼い子の母親でもあった女性がいて、見守っていた家族の目の前で亡くなってしまったことが一層哀しくショッキングであった。その後安全対策が採られるまでの間凡そ2年ほど打ち上げは中止されたけれど、再開されて以降は順調に打ち上げが繰り返されていた。けれども再び15年後(2003年)今度はコロンビア号が地球へ帰還する際、発射のとき損傷した耐熱タイルの剥離が原因で空中分解してしまい、再び乗組員7人全員が亡くなっってしまったのでした。

しかし大量の貨物、大勢の人間を一遍に乗せることが出来るスペースシャトルは、その後100回を超える飛行を繰り返し宇宙ステーションの建設、巨大なハッブル望遠鏡の打ち上げなど、大活躍したのですが、ついに老朽化で間もなく退役するというニュースはEdには少し寂しい。

下の写真は(以前も当ブログに載せたことありますが)、MTさんの米国の友達の友達の・・・友達がコロンビア号に乗り組んでいて撮ったものだそうである。イギリス、スペイン、アフリカ・・・がくっきり。


カンカラ

2011年04月15日 | Weblog

                      

カンカラ(空き缶)を蹴っ飛ばせばカラ、カラ、カラ・・・と空疎な音がしてどこへでも転がっていく。缶総理の頭は空っぽだった^^!
長いこと自民党のデタラメ、腐敗政治に辟易させられ、ようやく民主党に政権が移り、そのマニフェストに大いに期待していたのだけれど、缶総理になった途端に180度方向転換してしまい、何のことはない、またスッカリ自民党時代の政治に逆戻りだわい・・・

事業仕分けは中途半端のろくでなし、大幅に省くハズの役人の無駄は一向に減らせず、議員定数の削減なんて端から忘れちゃってる!
尖閣列島や北方領土では中国とロシアにいいようにコケにされ、普天間基地移設ではアメリカの圧力にヘロヘロと崩れ折れ、一体どんだけ日本の威信と国益を失ったと思ってんだい?(何も思ってないか・・!)

大震災では唯オロオロとして腰定まらず、こともあろうに敵対する谷口クンに自分勝手に助けを求めるテイタラク!リーダーシップどころか一国の長としての自覚も資質ありゃあしない。・・ったく、もう!!
こんな時だからこそ、自ら最高責任者として緊急対策チームの中心になって被災現場へ乗り込むべきじゃあなかったんですかい? 10日も経ってヘリでのこのこ視察に行ったってなあ~んの役にも立ちゃしねえ!

何をするにも全部他人任せで、一体政治家としての実行力とか自分自身のアイデアは持ち合わせてないのかね!専門家の知恵を借りるのは当然のことだけれど、せめて「大局的見地からご自分で纏める」みたいな気概が一向に見えてこないよ。

まだある!原発事故では初動対応が極めて大切なのに、稚拙で後手後手。東電にいいように振り回されてブツクサ独り言。「情報がちゃんと来ないし・・・遅い!」なんて怒ったところで唯の泣き言。東電の隠蔽体質なんか東海村の放射能漏れ事故のときに先刻ご承知だったハズ。もうお忘れだったかい? 政府の発表は東電の言うまま。これじゃあ、ACの広告と一緒だよ・・・大丈夫?っていうと大丈夫っていう漏れない?っていうと洩れないっていう、安全?っていうと安全っていう。こだまでしょうか。いいえ缶総理です!

その上、これだけ国民に迷惑をかけている悪徳東電に、もう資金援助だの補償費不足は国が出すだの手厚い支援表明! その前にやるべきことが山ほどあろうのに・・・このぅ~っ!カンカラメ!

放射能バラ撒いた責任を、早く全国民と外国に謝罪しろ!
総理なんて、おととい(一昨日)辞めろ

                    


つい駆け出してしまう・・・

2011年04月14日 | Weblog

                          

この一ヶ月左脚の脛(スネ)の痛み(神経痛--;)に悩まされてきたけれど、暖かくなるにつれ少しづつ痛みが薄らいできて、今は駅までどうにか途中一遍も立ち止まらずに歩き通せるようになった。正真正銘、誰にも負けないジジイに成り下がったな、ハハハ・・・^^!

普段は10~15分あれば十分歩ける距離なのだけれど、休み休みだと倍はかかる。それで朝は30分前に家を出ていた。それが今週は略途中立ち止まらずに駅まで歩けたせいで一本早い電車に乗れた。従って乗り継ぎ時間にも当然普段より余裕があるわけだから、ゆっくり人混みの後から行けばいいはずなのに、ついいつもと同じように先を競って階段を上がり、電車がホームに入ってくるのが見えると痛みも忘れて走ったりする。バカだねえ・・・急ぐことがスッカリ習い性になってる!

そうやって、兎に角3回乗り換えても有難いことに、どの電車でも大抵朝は”座れる”というのは、不断の「努力^^!」と、かなりの「運のよさ(・・図々しさ?)」のタマモノか・・・
今朝も全線座れました(笑)


                              


余震頻発

2011年04月13日 | Weblog

                    
               ☆上の写真は和歌山自然博物館のHPより借用

4月10日で東日本大震災から丸1ヶ月経った。ようやく少し余震が収まってきたかな・・と思っていた矢先の11日夕方、南古谷駅で帰りの電車を待っていたら携帯が緊急地震速報を知らせる警報!

やがてホームがゆらゆらとゆれ出し、電車の架線が大きく波打ち始めた。女性客がキャアキャア騒いでいる。かなり大きくて長い時間ゆれた。
川越線は20分ほど遅れ、武蔵野線も少し遅れたけれど略時間通り新松戸に着いた。しかし千代田線のダイヤが大きく乱れており、またまた成田線が止まってしまった。ニュースで成田線が止まったことを知ったカミサンが迎えにきてくれるというので、千代田線で天王台まで行った。もう何回こんなふうに迎えに来てもらったろうか・・・早く収束してほしいものだ。

今回の巨大地震は太平洋プレートと北米プレートの境界で起きた縦横500Kmx200Kmほどの広い範囲を震源域とするプレートの崩壊らしい(プレート・テクトニクス?)。本州の東半分にかかる応力が大きく変化したとかで地震学者は収束するまでに数年かかるだろうという人もいる。気象庁のデータで見てみると3・11以降M4以上の地震はその範囲に集中しているのが分かる。

今まで押さえ付けられていた地下の応力がプレート崩壊で一気に解き放されたような感じなのだろうか?観測データによると、宮城県牡鹿半島辺りで陸地が16m(?)ほど東へ移動し、数十センチ(?)沈下したそうだから、文字通り本州の半分(東日本)が動いたのである^^!
地下の力のかかり具合が大きく変化したため余震だけでなく、関連していない別の地震も起き易くなっているので更に警戒が必要・・・などと云われるとますます身構えたくなる。

それにしても本震のあった日、倉庫に保管してあった段積みの部品やトランスミッションがよく一つも崩れたり落下したりしなかったものである。今更ながらホッと胸をなでおろしている。何しろ一個150Kgから300Kgはある大中型T/Mがラックの上やベタ置きで4~6段積み上げてあったのだから、落下していたら、そしてもしも人が居たら、大変なことになっていただろう。今のうちに背の高いラックは、隣り合わせに抱き合わせて補強したほうが良いかもしれない。クワバラ、クワバラ・・・

                 


花見はどこででも・・

2011年04月11日 | Weblog

     

いい季節になった。いろいろな花があちこちで咲いている。目の前の遊歩道も桜が満開になったし、我が家の庭ではボケやコデマリが咲き誇っている。

車で数分のところに桜並木の名所「小林牧場」がある。毎年露店がずらりと軒を連ねるので花見客でごった返し、この時期地元の住人は車で傍を通る時は渋滞を避けてわざわざ遠回りする。今年は震災の影響で人出は少ないのではないかと思っていたけれど、10日(日曜)はかなり渋滞していた。
花の下で座って宴会するのでもなければ、桜はどこででも楽しめる。日本は街中でも桜の木が多く植えられているから、いつもの買出しで薬円台の生協店へ行く途中にもいたるところ桜が見られる。これほど桜が大好きな国民もないのではないだろうか・・・

震災のドサクサと花見の混雑の合間を縫って統一地方選挙が終わり、東京は石原慎太郎知事があらかたの予想通り4選された。「我々は贅沢になりすぎた」とか「パチンコ店のようなムダな遊びに電気を使いすぎている」とか「いたるところにある自動販売機なんて必要ない」などと庶民受けするような節約案なのか唯の個人的な意見なのか分からないことを勝利に酔って喋っていたけれど、条例で本気で廃止する決意なのだろうか?それとも唯の放言??

気になることは、福島原発事故の際東京で使う電力を他県の発電所に依存していて申し訳ないようなことは云っていたけれど、「危険な原発は止めよう」とか「原子力エネルギーは見直すべきだ」など、まともな意見は聞えてこなかった。やっぱり東京さえ放射能汚染されなければいいと考えてるんだろうな・・・本音は^^!

        


忍耐強い日本人・・・

2011年04月10日 | Weblog

                           

今朝のTBSサンデー・モーニングで被災地の人たちの我慢強さ、忍耐、冷静さといったことが海外で驚きと尊敬の目で見られていると報じていた。ハイチの地震、アメリカの巨大ハリケーンの災害では略奪や盗難が横行した、と彼我の違いを引き合いに出していた。

自分の生活は自分で守るというのが生きていくうえでの基本になっている国と、歴史的に”お上”が全てを取り仕切ってきた国では、自ずと人々の生き方、考え方は違ってこよう。それに戦前の日本は一部の特権階級を除いて一般的に貧しかったから、貧乏人はお互いに助け合わなければ生きていけなかったという歴史的な背景もある。多分日本人の多くが根っこの処でそういうDNAを共有しているからではないだろうか・・・とにかく権力にたいして極めて従順である(・・と私は思う)。自然災害を含めて「逆らえないもの・絶対的なもの」に対してはジッと我慢する(・・より外ないのだけれど)。

だから、(海外評価に水を差すつもりはないけれど)日本人の精神性がそのように高く評価されているというのは何やら誇らしくはあるのだけれど、反面何処か買いかぶられているようでコソバユイ。つい「本当だろうか?」と思ってしまうのだ^^!

よく云われる東北人の我慢強さ、冷静さは日本的美徳ではあろうが、戦後の米国式民主主義教育で育ったEdは、旧い日本人の「お上」意識とアメリカ式の自己主張のハザマで揺られながら生きてきた。どちらかと言うと、権力に対しては及び腰ながら楯突く気持ちが強いのは民主主義教育のお陰だろうけれど、反面ジッと我慢の忍耐力にはやや欠ける。

だから今回のような震災で、もし直接自分が被害を受けたとすれば、政府の後手後手の対応や行き届かない救済・復旧支援対策などにはきっと不平・不満を云っていたにちがいない。

ましてや人災とも云うべき原発事故の放射能漏れに対しては声を大にして国と東電を非難します!防ぎようがない自然災害とは違って、原発の事故は「想定外」などという言い訳は許されない問題だからです。この不祥事にたいしては我々は(Edも)空気や水や農産物を汚された被害者であり、絶対に我慢などしてはいけないのです!

                                                 


一ヶ月ぶり

2011年04月09日 | Weblog

            

地震以来成田線の電車が運行本数を減らしたままだったから、我孫子から先が不便で呑んで夜遅く帰る気分になれなかった。それがようやく今週の火曜日から略平常に戻ったので、金曜日の夕方Jinさんと久しぶりに西日暮里の何時もの焼き鳥屋「とりせん」で落ち合った。

イートンOGのTHさんも参加したので今回は3人で飲んだ。もう震災の話はお互い飽きるほどしてきた筈なのに、集まるとまたその話になった^^!

あの日Jinさんは自宅、THさんは会社(晴海?)、Edも会社(川越)で夫々かつて経験したことの無い大きな揺れに遭遇した。Jinさんは自宅から目の前の川で流れる水が揺すられて波立っているの初めて見たそうである。THさんはオフィスが38階(?)だかの高層ビルだったから、揺れが増幅されて気分が悪くなったそうだけれど、皆で階段を駆け下りたそうだ。上司が直ぐ帰宅しなさいというのでタクシーに乗ったけれど、渋滞で戸田まで4時間、1万5千円かかったそうである。あの日帰宅できなかった人や長距離歩かされた人が多かったから、彼女もラッキーな人の部類である。

JinさんもEdも震災被害にあった知人や親類はいなかったけれど、THさんの親戚には津波で亡くなった方がいたそうである。合掌。

Edは暫く晩酌を控えていたせいかビール一杯と焼酎お湯わり一杯でいい気持ちになってしまった。友達とお喋りしながら呑むのはやはり楽しい。次回はもう一人のイートンOG「MTさん」を交えて4人で赤坂「やげん亭」に決まった。次回はもう震災の話は控え目にしようね(笑
)・・・


余震に吃驚

2011年04月08日 | Weblog

                   

7日の夜はベッドに入ったのが10時半だったから、寝付いて1時間ほど経ったころ、夢うつつに携帯が鳴っているのを聞いていた。やがてベッドが、次いで部屋全体がミシミシ揺れだして目が覚めた。すぐ収まるのでは、と高をくくっていたらますます酷くなり、飛び起きた。電気を点けたらネコがテーブルの下でうずくまって固まっている^^!
なかなか収まる気配がないので階下にあるガラス食器戸棚が心配になり急いで階段を降りた。戸棚の前まで行ったらようやく揺れが小さくなってきたのでホッとした。

こんなに酷い揺れだから震源は千葉県沖だろうか・・・と想像しながらベッドに戻って寝た。しかし今度はなかなか寝付けずウトウトしながら夜が明けてしまった。
TVをつけたらM7.4で宮城県沖が震源だった。Edの住んでいる辺りは震度4くらいだったけれど、寝てる時だったのでビックリさせられた。それにしても、余震でM7.4とは・・・!今回の本震がいかに巨大なものだったか改めて思い知らされた。

                  


義捐金と海外からのメッセージ

2011年04月07日 | Weblog

                    
義捐金の寄付窓口は多種多様且つ沢山あるけれど、殆んどの窓口の行き着く先は日本赤十字社と日本共同募金会(赤い羽根)である。集まったお金は配分委員会を経て各被災地へ効率的、公平に配分されるという決まりになっている(国の防災基本計画)らしいが、今回は広範囲に亘って複数県が被災しているため配分委員会の構成すらまだ決まっておらず、被害状況も掴めていない現状では被災地(宮城、岩手、福島)の3県合同委員会の設立もままならないようである。

4月5日(火)現在で日本赤十字社に集まった義捐金は約1400億円だそうである。配分委員会は被災地の地方公共団体が赤十字や報道関係の窓口団体と合同で組織することになっているらしいが、今回はやはり国が取り纏め役を担って早急に委員会を結成してやらないと、折角集まった義捐金が直ぐには役立たないおそれもある。

寄付は額の多寡ではなくて各人の気持が大切ではあるけれど、裕福な人達が我々一般人とは異なり、それなりに大きな金額を出してくれると、何だか見直してしまう。
ソフトバンクの孫正義社長、ファーストリテイリングの柳井正CEO、楽天の三木谷浩史CEO、もとニュースキャスターの久米宏さんなどが100億、10億、2億など・・・いくらお金持ちだと言っても、出来そうでなかなか出来ないことだと思う。そういう点で日本人のお金持ちたちは、(稼いだのは自分だから・・・思っているせいなのか)世の中に還元しようという意識は欧米人に比べて低いような気がする・・・

地震直後、海外(欧米人)の友人たちから、Edのところにも心配して直ぐメールが5通ほど来た。外国人だけれど他人を思いやる優しい気持が感じられてとても嬉しかった。

今朝のTVで、ホームステイ先の福島県の家庭と米国人の少年との心温まる交流を報じていた。最初は電話がなかなか通じなかったから心配で少年の目には涙が光っていた。ようやく繋がってオトウサンが出た。「大丈夫ですか?」と少年がいうと、オトウサンは「みんな元気だ、OK、OK」と言ったきりで後は何も言わず直ぐに「バイバイ」と切ってしまった。英語が苦手なオトウサンの唐突さはチョッとご愛嬌でしたが、折角アメリカから心配して電話くれたんだから日本語でいいから、もう少し何か喋ってあげたら良かったのに・・・^^!
少年はホッとした様子だったけれど、尻切れトンボみたいに終わってしまった会話に苦笑いしてた(笑)。

今回世界各国から沢山の緊急支援や寄付が届けられ、また温かい応援メッセージに勇気付けられた。ありがたいことである。

                 


マスク

2011年04月05日 | Weblog

          

Edは花粉症ではないので、また身体が丈夫でめったに風邪も引かないのでマスクは長いことしたことがない。昔はマスクといえばガーゼだったから、最近の花粉症にも効果のあるという紙(?)のマスクは経験がない。今朝初めてその”最近の”マスクを着用して出勤したのだけれど、家から駅まで歩く僅かの間に内側に結露(?)して水滴が出来るくらいだったから結構息苦しく感じた。

何故急にマスクかといえば、昨日の福島原発事故の放射能チリ飛散予測データで、5日から7日の3日間に日本全域に飛び散るとのことだったので、なるべく肺の中に吸い込まないための予防である。ほんの気休めかもしれないけれど、みすみす国のデタラメな原子力政策と東電や利益集団の餌食にされたくない、というささやかな抵抗でもある。国家が国民を守ってくれない以上、自分の身は自分で守るより外ないのだ。ネットで得られる情報を観ていると、TVで放映される情報は真実をゆがめ、物言わぬ国民を危険に晒していることがよく分かる。Edにとってマスクはささやかな抵抗の徴なのです^^!

あと2日、明日と明後日もマスクで出勤します(笑)