Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

花火

2007年07月30日 | Weblog
あれは、まだ小学生の頃だったから半世紀以上昔のことになる。隣の農家の息子と遊び友達だったから、学校を終えるとすぐ隣家の広い庭先や裏の納屋とか竹やぶで遊んだ。農繁期になると、遊びがてら息子と一緒に草取りや収穫を手伝いをしたりしていたので、家族からは可愛がってもらった。
そんなある日、花火を観にいくというので一緒に連れていってもらった。当時は今のようなシャレたワン・ボックスなんか無いから、小型トラックの荷台に幌を被せただけの「即席バス」に家族全員積乗せて、多摩川の日野橋へ向かった。日本では、その当時からトラックの荷台に人を乗せてはいけないことになっていたので、子供心にも警察に見つかったらどうしよう、などと要らぬ心配をしていたが、着いた先は農家の親戚(やはり農家)の庭で、道路からは見えないようになっていた。
目の前の川原に下りたのは夕日が沈みかけたころ。花火が始まるまでの間子供達は近くの水溜りで遊び、大人達は多分酒盛りでもしていたのだと思う。やがて薄暗くなって最初の一発が上がった。目の前で大きな打ち上げ花火を観るのは生まれて初めてだし、その大きさ、華やかさ、胸に響く大きな音に圧倒され、首が痛くなるまでづーッと夜空を見上げていた記憶がある。
今では花火大会はどこでにでもある身近なものになったけれど、帰り道などで遠くに見かけると、つい立ち止まって見入ってしまうのは、子供のころの郷愁だろうか・・

   

R123

2007年07月18日 | Weblog
台風4号が通り過ぎた16日(休日)、久しぶりに青空が覗いたのでバイク引っ張りだしてショート・ツーリングに出掛けた。雲の様子をみながらR294で二ノ宮目指して北へ向かった。今日は交通量も少なく順調に1時間半ほどで「道の駅二ノ宮」到着。いつものようにイチゴのソフト・クリームを食す。まだ11時、時間は充分あるので、いつもと違うルートを通ることに決めて、とりあえず陶器の町益子を通過、茂木でR123へ出た。この二ノ宮~益子ルートを走る場合は、これまでは大抵R294を直進して空いた田舎道を流し、馬頭、喜連川あたりでUターンして益子・二ノ宮へ戻ってくる、コースが定番。今回は茂木から御前山を通って水戸へ出ることにして、道の駅茂木で一休み。初めて立ち寄ったが、花壇や裏の公園もよく整備されていて、なかなか気持ちのよい駅である。


小休止のあと御前山をめざして川沿いのR123をゆっくり走る。途中、稲妻マークのような珍しい雲を見付けたのでバイクを止めてワン・ショット。


暫く走ったところで見慣れた日野自動車の赤いマーク。御前山テスト・コースの入り口だ。ここへは数年前までは仕事でよく訪問した。ここから先は会社の車かタクシーで何度となく通っているので、見慣れた景色である。ただ道沿いの那珂川はいつもの清流ではなく、昨日の台風の大雨の影響で濁った水が川幅いっぱいに流れている。こういう時鮎は何処にかくれているのだろうか・・・


水戸市内は道路が入組んで走りづらいが、標識は割合しっかりしているので、迷わず帰路のR51へ抜けることができた。ここも交通量がいつもよりかなり少なく、あっという間に佐原まで来てしまった。時間はまだ3時だったので、目の前のラーメン屋に立ち寄って久しぶりに黒酢スーラ・タンメンなどを食して帰った。のんびりソロ・ツー堪能
の一日だった。

東京都庭園美術館

2007年07月17日 | Weblog
JR目黒駅から歩いて5分ほどの所に東京都庭園美術館がある。朝香宮[あさかのみや]邸として昭和8年に建てられたアール・デコ様式(1920~30年代ヨーロッパを席巻)を現代に伝える歴史的建物で、昭和58年(1983年)に美術館として生まれ変わった。素晴らしい内部装飾が見られると期待して行ったのだが、残念ながら展示替えのため入館できず、仕方なく庭園だけ散策してきた。
庭は真中に広い芝生の空間があり、周囲を大きな木々で囲ってあるので車の音さえなければ森の中にいるよう。庭の一角に茶室と池があってそこだけ和風の趣。嘗ては迎賓館としても使われただけあって、なかなか素晴らしい庭園である。次回は是非建物内部を是非見てみたい。消化不良なので近いうちリベンジ!




優先席

2007年07月10日 | Weblog
電車の優先席? ありゃ邪魔で目障りなだけ。とっとと取っ払ってくれや!

俺様は現在の日本人を代表するモラル欠如人間だあ! ガハハハ・・・!
毎日車内放送で繰り返し優先席の目的やら利用方法を英語まで交えて説明してくれてるが、あんなものは折角だが耳障りなだけで聞いちゃいねえよ!
馬の耳に念仏、馬耳東風ってことよ!
ドアが開いたら他人を蹴飛ばしたって真っ先に乗り込み、優先席だろうとなかろうと一旦座ったら、前に誰が来ようが絶対席は譲らねえよ。
狭いのは嫌いだから大股開いて二人分は占領し、ゆっくり新聞広げて眠くなったら隣に寄りかかって転寝さ。どだい甘っちょろい車内放送の呼びかけ程度で、折角手に入れたこの席を簡単他人に譲ってなんかやるもんかい。期待したって無駄だよ。「優先席」だからって色分けしたってヘッチャラさ。気にしちゃあいないよ!

俺様が云うのもなんだけど、「優先」の席が車両の端っこにあるってのも笑えるぜ!ヨボヨボのジジイ・ババアや身体の不自由な連中に、わざわざ端っこまで行かせるってのは、手の込んだイジワルじゃねえのか? まあ、俺様は構わねえけど。
それにしても、モラルをかなぐり捨ててからというもの、些細なことで随分小競り合いが増えてきたわい。先日もモラル欠如の若造と殴り合いをやって、少々痛え思いをした。自分勝手も程々にってことかな・・・
ガハハハ・・・!

因みに阪急電鉄グループと横浜市営地下鉄は優先席を廃止して、全車両の座席を優先席扱いにしている。正しい! 俺様の思うつぼだ!

競輪選手

2007年07月03日 | Weblog
早朝軽いランニングをしていることは以前書いた。
走り始める時間は一年を通じて大体5時前後だから、同じようなことをしている人が他にいれば大抵どこか途中で遭遇する。犬と散歩する人、ランニングする人、早出勤務で出勤する人などなど。
中で、殆ど毎日のように顔を合わせるのが7~8人の競輪選手の一団である。コースの丁度中間あたりに、彼らの合宿所と思しき大きな家があり、其処から2グループに分かれて出てくる。年配のインストラクター(監督?)はバイクに乗って後のグループを引っ張るようにしながら、先行する前のグループを追う。(そのように自分には見える)
合宿所(と思しき家)はインストラクター氏の自宅らしく、敷地内には車が何台も入る大きな駐車場と選手が寝泊りできるプレハブもある。彼はいつもヘルメット姿なのでよくは分からないけれど、歳のころは50歳半ばと思われ(一度、昼間一人で歩いている時見かけた)、ガッシリした身体つきから、嘗ては選手だったことを伺わせる。
そのインストラクター氏は、いつの頃からかすれ違うとき私に挨拶してくれるようになった。くたびれた爺さんがゼイゼイいいながら、それでも毎日モタモタ走っているのに
共感を覚えてくれたか、それとも哀れみを感じたかは分からないけれど、とにかく遇えば「おはようございます」という。こちらは、もうその頃は息が弾んでしまって声も出せない状態だから、黙って頭だけ下げる。毎日の儀式である。
それにしても、すれ違う選手達の見事なほど逞しい筋肉隆々の脚を見るにつけ、若さに圧倒されてしまうのである。まだ半分残っているコースをヘロヘロになって走りながら、自分が家にたどり着くころ彼らは一体どの辺りを走っているのだろう・・・などと、つい余計なことを思ったりする。
歳をとると何をやっても、若いころの数倍疲れる気がするなあ・・・(笑)