テディちゃとネーさの読書雑記

ぬいぐるみの「テディちゃ」と養い親?「ネーさ」がナビする、新旧の様々な読書雑想と身辺記録です。

~ ヒトの歴史と、身体芸術 ~

2024-03-14 22:03:16 | ブックス

「こんにちわッ、テディちゃでス!

 ああァ~…ばくはつゥしちゃッたでスゥ~…」

「がるる!ぐるるるるがっる……」(←訳:虎です!5秒間の夢だった……)

 

 こんにちは、ネーさです。

 日本初の民間ロケット『カイロス』の爆発に、

 串本の少年少女さんたちと同じく、嘆息いたしました……。

 いや、きっと《次》があるさ!これからが本番さ!と信じつつ、

 さあ、読書タイムですよ。

 本日は、こちらの文庫作品を、どうぞ~♪

  

 

 

          ―― 日本の裸体芸術 ――

 

 

 著者は宮下規久朗(みやした・きくろう)さん、

 2024年1月に発行されました。

 『刺青(いれずみ)からヌードへ』と副題が付されています。

 

 日本の裸体芸術、というと……

 ははぁ、あの問題ね、と思い巡らせる方もおられましょうか。

 

 明治28年(1895年)、

 画家・黒田清輝さんが京都で発表した裸体画作品は、

 大評判となりました……悪い意味で。

 さらに、明治34年(1901年)にも

 黒田さんが描いた裸体画は

 作品の画面下半分に海老茶色の布を巻きつけて覆う

 『腰巻事件』の被害に!

 

「あちゃちゃッ!」

「がるぐるるるる~!」(←訳:ワケわかんない~!)

 

 いまとなっては苦笑するしかないこの出来事が、

 日本人と裸体芸術の出会い?

 

 その疑問へ、

 いやいや、そうでもないんです、と

 明解に答えてくれるのが

 著者・宮下さんです。

 

 そもそも、明治以前の日本では

 裸体は珍しくありませんでした。

 

 浮世絵に、学術書の解剖図、

 リアルすぎる生人形。

 弓を射るときは上半身を露わにすることもありますし、

 港湾で働く人足さんのように力仕事をする人は、

 しばしば肩脱ぎをする。

 

 そういった裸体風俗を取り締まろうとしたのは、

 外国人の視線を意識した明治政府であったと、

 宮下さんは指摘します。

 

「ぶんめいィかいかッ?」

「ぐるるるるがる!」(←訳:ヘンテコな開化!)

 

 この御本では、

 

  序章『ヌード大国・日本を問い直す』

  第1章『ヌードと裸体—二つの異なる美の基準』

  第2章『幕末に花開く裸体芸術』

  第3章『裸体芸術の辿った困難な道』

  第4章『裸体への視線――自然な裸体から性的な裸体へ』

  第5章『美術としての刺青』

  終章『裸体のゆくえ』

 

 と、時代ごとに、

 日本の裸体芸術がどのように捉えられ、

 人びとに受け入れられ、或いは拒まれながら、

 現在に到ったのか、

 詳細に語られています。

 

 特に、第5章と終章の、

 江戸期の刺青と現代のタトゥーに関する思索は

 他に類を見ないものと申せましょうか。

 

「ふむむゥ! そのォほんしつはァ~」

「がる?」(←訳:呪術?)

 

 遡って、弥生時代のころ。

 宮下さんによれば、当時の日本人が刺青をするのは

 水に潜って漁をするときのまじないのため――

 つまり、身を護るまじないであった、と。

 

 海図も羅針盤も、

 酸素ボンベもウェットスーツもない、

 古代の危険な海。

 果敢に海中へ潜ってゆく漁師さんたちの、

 肌にはどんな絵柄が描かれ、刻まれていたのか。

 

 はるかな海辺へ、

 江戸のお風呂屋さんへ、

 明治の展覧会場へ、

 想いをはばたかせながら、

 アート好きさんも

 歴史好きな活字マニアさんも、

 ぜひ、一読してみてくださいね~♪

 

 

コメント
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