「こんにちわッ、テディちゃでス!
ああァ~…ばくはつゥしちゃッたでスゥ~…」
「がるる!ぐるるるるがっる……」(←訳:虎です!5秒間の夢だった……)
こんにちは、ネーさです。
日本初の民間ロケット『カイロス』の爆発に、
串本の少年少女さんたちと同じく、嘆息いたしました……。
いや、きっと《次》があるさ!これからが本番さ!と信じつつ、
さあ、読書タイムですよ。
本日は、こちらの文庫作品を、どうぞ~♪
―― 日本の裸体芸術 ――
著者は宮下規久朗(みやした・きくろう)さん、
2024年1月に発行されました。
『刺青(いれずみ)からヌードへ』と副題が付されています。
日本の裸体芸術、というと……
ははぁ、あの問題ね、と思い巡らせる方もおられましょうか。
明治28年(1895年)、
画家・黒田清輝さんが京都で発表した裸体画作品は、
大評判となりました……悪い意味で。
さらに、明治34年(1901年)にも
黒田さんが描いた裸体画は
作品の画面下半分に海老茶色の布を巻きつけて覆う
『腰巻事件』の被害に!
「あちゃちゃッ!」
「がるぐるるるる~!」(←訳:ワケわかんない~!)
いまとなっては苦笑するしかないこの出来事が、
日本人と裸体芸術の出会い?
その疑問へ、
いやいや、そうでもないんです、と
明解に答えてくれるのが
著者・宮下さんです。
そもそも、明治以前の日本では
裸体は珍しくありませんでした。
浮世絵に、学術書の解剖図、
リアルすぎる生人形。
弓を射るときは上半身を露わにすることもありますし、
港湾で働く人足さんのように力仕事をする人は、
しばしば肩脱ぎをする。
そういった裸体風俗を取り締まろうとしたのは、
外国人の視線を意識した明治政府であったと、
宮下さんは指摘します。
「ぶんめいィかいかッ?」
「ぐるるるるがる!」(←訳:ヘンテコな開化!)
この御本では、
序章『ヌード大国・日本を問い直す』
第1章『ヌードと裸体—二つの異なる美の基準』
第2章『幕末に花開く裸体芸術』
第3章『裸体芸術の辿った困難な道』
第4章『裸体への視線――自然な裸体から性的な裸体へ』
第5章『美術としての刺青』
終章『裸体のゆくえ』
と、時代ごとに、
日本の裸体芸術がどのように捉えられ、
人びとに受け入れられ、或いは拒まれながら、
現在に到ったのか、
詳細に語られています。
特に、第5章と終章の、
江戸期の刺青と現代のタトゥーに関する思索は
他に類を見ないものと申せましょうか。
「ふむむゥ! そのォほんしつはァ~」
「がる?」(←訳:呪術?)
遡って、弥生時代のころ。
宮下さんによれば、当時の日本人が刺青をするのは
水に潜って漁をするときのまじないのため――
つまり、身を護るまじないであった、と。
海図も羅針盤も、
酸素ボンベもウェットスーツもない、
古代の危険な海。
果敢に海中へ潜ってゆく漁師さんたちの、
肌にはどんな絵柄が描かれ、刻まれていたのか。
はるかな海辺へ、
江戸のお風呂屋さんへ、
明治の展覧会場へ、
想いをはばたかせながら、
アート好きさんも
歴史好きな活字マニアさんも、
ぜひ、一読してみてくださいね~♪