従米植民地政権・菅直人続投こそ政治的混乱そのものだろう。
文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』より
菅直人は、今度の参院選における民主党惨敗を前提にしるかのように、
いかにして敗戦責任を誤魔化し、敗戦の政治責任から、
いかにして逃げるかという見苦しい悪足掻きを始めているが、
自民党との連立工作や「みんなの党」との連立工作で笑いものにされたかと思うと、
今度は、「総裁を頻繁に変えることは、政治的混乱をもたらす・・・」とか、
「菅直人続投こそ安定をもたらす・・・」とか、つまり「混乱か安定か」が、
今度の選挙の争点だと言い出しているらしいが、
この言葉こそ、恥も外聞もなく「地位」に未練がましくしがみつこうとする菅直人という政治家の、さもしい根性を露呈した言葉であって、「語るに堕ちた」と言うべきだろう。
言うまでもなく、総理就任との交換条件に米国に魂を売った菅直人の続投こそ、
日本国民にとっては「混乱」そのものであって、選挙において国民から「no」という烙印を押されても、まだ総理総裁の地位にしがみつこうとすれば、それこそ「世界の笑いもの」になるだろう。
ところで、総理総裁が頻繁に変わることを悪いことのように言う人が少なくないが、
しかし国民からの信頼をなくした総理総裁がいつまでもその地位にしがみつくことこそ、
国民の不幸であり悲劇である。
むしろ、国民の信頼を失った総理総裁は即刻、その地位から去るべきであって、「頻繁に変わること」が一概に悪いわけではない。
たとえば、郵政選挙に圧勝した小泉政権は、警察権力まで行使して、政治的な乱暴狼藉を繰り返した挙句、選挙での国民の審判を恐れ、選挙を回避し続けているうちに長期政権となったが、
その長期政権の間に日本は底なしの泥沼に落ち込むことになったのである。
しかも小泉政権以後も、自民党政権は選挙を回避し続け、挙句に完全に国民から見放され、結局、任期切れ寸前の選挙で「政権交代」という結末を迎えてしまうことになったのである。
「総理総裁が頻繁に変わること」を恐れてはならない。
少しも恥ではない。むしろ、「ご主人様」に忠実な植民地支配の代理人と化した総理総裁の続投こそ、つまり菅直人のことだが、日本国民としては恥ずべきである。
総理総裁の首を頻繁にすげかえることを恐れてはならない。
文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』より
菅直人は、今度の参院選における民主党惨敗を前提にしるかのように、
いかにして敗戦責任を誤魔化し、敗戦の政治責任から、
いかにして逃げるかという見苦しい悪足掻きを始めているが、
自民党との連立工作や「みんなの党」との連立工作で笑いものにされたかと思うと、
今度は、「総裁を頻繁に変えることは、政治的混乱をもたらす・・・」とか、
「菅直人続投こそ安定をもたらす・・・」とか、つまり「混乱か安定か」が、
今度の選挙の争点だと言い出しているらしいが、
この言葉こそ、恥も外聞もなく「地位」に未練がましくしがみつこうとする菅直人という政治家の、さもしい根性を露呈した言葉であって、「語るに堕ちた」と言うべきだろう。
言うまでもなく、総理就任との交換条件に米国に魂を売った菅直人の続投こそ、
日本国民にとっては「混乱」そのものであって、選挙において国民から「no」という烙印を押されても、まだ総理総裁の地位にしがみつこうとすれば、それこそ「世界の笑いもの」になるだろう。
ところで、総理総裁が頻繁に変わることを悪いことのように言う人が少なくないが、
しかし国民からの信頼をなくした総理総裁がいつまでもその地位にしがみつくことこそ、
国民の不幸であり悲劇である。
むしろ、国民の信頼を失った総理総裁は即刻、その地位から去るべきであって、「頻繁に変わること」が一概に悪いわけではない。
たとえば、郵政選挙に圧勝した小泉政権は、警察権力まで行使して、政治的な乱暴狼藉を繰り返した挙句、選挙での国民の審判を恐れ、選挙を回避し続けているうちに長期政権となったが、
その長期政権の間に日本は底なしの泥沼に落ち込むことになったのである。
しかも小泉政権以後も、自民党政権は選挙を回避し続け、挙句に完全に国民から見放され、結局、任期切れ寸前の選挙で「政権交代」という結末を迎えてしまうことになったのである。
「総理総裁が頻繁に変わること」を恐れてはならない。
少しも恥ではない。むしろ、「ご主人様」に忠実な植民地支配の代理人と化した総理総裁の続投こそ、つまり菅直人のことだが、日本国民としては恥ずべきである。
総理総裁の首を頻繁にすげかえることを恐れてはならない。