中国単身赴任生活 東京浦島太郎編

10数年住んだ中国を離れて東京のサラリーマン。浦島太郎です。
今は、自転車、写真、ジュリエッタなどのブログです。

今年二度目の七夕

2006-08-31 | 生活
昨日は今年二度目の七夕だった。

日本の人には「ハァ?」だと思うが、お隣のこの国はいまだに太陰暦で生活している国である。したがってお月様の動きに民衆の生活が左右されるという農業国家である。
今年は閏年になるので7月が2回あって、そのおかげで7月7日七夕が2回という現象が起きる。

北京にいたときには春節(旧正月)位しか気にならなかったのだが、南の田舎町に引っ越してからは習慣の差なのか、七夕やら端午の節句やら伝統行事を大事にしていると気がつくようになった。

中国も開放されてからキリスト教文化のバレンタインデーが日本と同じようにお菓子業界、飲食業界主導で導入され、「情人節」と呼ばれているが、この田舎町では七夕も同じ「情人節」である。
つまり今年は1年に3回もの「情人節」があるのである。

商業主義主導ですので、一般大衆は直ぐに誘導されて、昨日の夜 町は人で溢れます。レストランもデパートも若者、年寄りを問わずなんだか嬉しそうな2人連れでいっぱいでした。

こんな日には自宅でゆっくりとご飯食べているのが一番です。普段混まないような店でも、お祭り騒ぎのように人が一杯になってしまいますので。


なのにこんな日に限ってアパートへ帰ってみると保安の兄ちゃんが「エレベータ壊れたので、今修理に人間を呼んでいる。」とボソッとつぶやきます。

私の部屋は20階。。。

どの位の時間でなおる? と聞くと「15分」と言いますが、傍にいたオバちゃんが「30分前から15分と言っているんだよ!」と突っ込んでくれます。

まあ経験値的には2-3時間という所ですので、あきらめて外食することにしました。結構まともなところは「情人節」で一杯でしょうから近所のラーメン屋に決定。食事が済んだ後もぶらぶらと散歩に出かけました。

最近では少し涼しくなっているので会社出勤スタイル(半袖シャツに綿パン)でも汗をそんなにかきません。

どこへ行っても人で一杯なのでしばらくして帰宅。やっぱりまだ直っていないエレベーターを横目に20階へ挑戦です。

今年の春まで住んでいたアパートでは18階まで何度登ったことでしょうか。

家に帰って30分もしないうちにエレベーターの修理は終了していました。

でも良いんです、たまの運動だと思えば!!

少し涼しくなってきました

2006-08-30 | 一般
昼間はまだまだ37℃と体温のような気温ですがさすがに8月末にもなると太陽にも疲れが出るのか朝晩はちょっぴり涼しくなってきました。

会社の私の部屋はほぼ真東を向いています。ガラス張りの建物ですので退勤時にバッチリとカーテン引いていないと翌朝出勤したときに熱帯植物園の温室に入るような羽目になってしまいます。
したがって真夏の間は一日中カーテン引きっぱなしにしておいて、翌朝の危険を回避するようにしています。

昨日どういう気分か、カーテン全開にして久しぶりに明るい部屋で仕事をしていて、そのまま帰ってしまいましたが、今朝は温帯植物園の温室程度で済んでいました。

涼しくなるのは良いのですが、会社からの帰り道、薄暗くなってゆく道を走って家に着く頃にはもう夜が始まっている、というのはなんだかもの悲しい物です。

もう8月が終わろうとしています。またあっという間に国慶節になって、あれよあれよという間に1年が終わってしまうのですね。

会社のインターネット 光回線化

2006-08-29 | 仕事
まあ日本の会社にいたら、自分の会社のインターネットがどうなっているかなんて自分で確認することはないでしょうが、何と言ってもここは中国。営業だろうが財務だろうが、法務だろうが何でも仕事と認識しなくては会社が前に進みません。

2年ほど前にADSLで常時接続になった会社のインターネットですが、事務所のPC台数の増加ともう一つの理由で、最近ではものすごく悪い環境になっていました。

PC台数は約3倍増です。2年前には各部課に1台、みたいな状況だったのですが、それでは仕事にならないと今ではほぼ全員に1台という事になっており、事務所はPCだらけになっています。

もう一つの理由は、悪名高きウイルスのおかげです。

この国はハッカーとウイルスの天国、そのうえ社員は「会社のPCだし。。。」と真面目に対策しようとはしません。かくして社員のPCはウイルスばかり。社員から届くメールが一番感染率が高いという非常に情けない状況が続いていました。

色々と腹の立つ経過をすぎて、先週末には事務所の中にまで光ファイバーが敷設されていました。服務機(サーバー)も交換し防火壁(ファイヤーウォール)も今回から登場です。

で、昨日午後に切替。 お約束のようにトラブルです。

サーバーなどを構築するにあたってシステム屋さんと契約、年間保守をしてもらうことになっていましたが、従来の機器を撤去、新しい機器を接続して、さあ中国電信のサービス係の到着を待つばかりになって。。。。

来ません。。。 携帯電話に電話しても話し中ばかり。。。

ようやく約束の時間を30分以上過ぎて電話がありました。

「前のお客でトラブっていて今日はそっちに行けない。明日の朝10時。。。」

では仕方がないと(この段階で相当頭に来ていましたが。)元の接続に戻せと言うと、パスワードがわからなくて設置できないと言う。

以下その後のやりとり。

私「誰がパスワード知っているんだ!」
システム屋さん「中国電信だが、連絡しても新しい光のパスワードはわかるが、前のADSLのパスワードはもうわからない、と言われた。」

私「ふざけるな!呼んでこい!」 
シ「もう遅いから明日の朝10時に行くと言われた。」
私「まだ4時半だ、何が遅いんだ!これから来いと言え。」

シ「携帯電話に誰も出ない。」
私「24時間サービス係に電話して、明日朝9時の出勤までに繋がっていなかったら契約違反で損害賠償請求の訴訟起こしてやると言え!」

シ「出来るだけ何とかすると言われた。」
私「出来るだけ、だと! ふざけるな!」

久しぶりに この国らしい、対応に出会ってしまいました。

うちの会社の総務担当は間に入って困っています。ただ総務担当も成長しましたねぇ。以前ならシステム屋さんと同じ様な言い訳を並べてその場を凌ごうとしておりましたが、最近では無駄な言い訳を重ねてこっちを怒らせるだけと言うことは無くなりました。(ただ単に私への対応が上手になっただけという話もありますが)

けさ9時前に来たら総務担当とシステム屋さんが既に出社しており、中国電信の奴もちゃんと来て作業をしておりました。

光になって、ちょっとだけ早くなったような気がします。防火壁の効果は如何ほどでしょうか? 

これで100万元がパー

2006-08-29 | おもしろ記事
昨日新聞に「ネタ」記事が載っていました。

最近仕事も親会社のおかげで絶不調、あれやこれやと問題が続出している状況ですので、こういう記事を見てちょっとホッとしましょう。

まあ当事者にとってみれば「ホッと」するどころではないでしょうね。

北京空港で駐機しようとタキシングしていた777に、スポットからプッシュバックして出発しようとしたエアバス330が衝突したとのこと。

これで修理金額だけで100万元(約1500万円)がパーだそうです。


過去上海空港でJ○Lが誘導路間違って主翼を損傷するという間抜けな事故を起こしたことがありますが、今度の事故もかなり間抜けです。

管制官が間違えたか、プッシュバックする車の運転手が何も見ていなかったか、でしょうね。

いずれにしても両方の飛行機に乗っていた方、無事に下りるまで相当時間を無駄に過ごす羽目になったことでしょう。

乗っていなくて良かったです。

ある特集記事

2006-08-28 | 仕事
ある商社の方から、毎月「中国マンスリー」なる社内報をいただいている。

田舎町にこもってしまっている私には毎月1回全体の動きがまとめて見られて、頭の整理や法律の変更などの再確認に便利に使わせていただいている。

今月号には特集記事として、最近の駐在員には「中国プロ」が少なくなってきているというのは問題だと、言う記事があった。

私もなんだかんだと駐在歴は長くなっている。どこの町へ行っても大体知り合いを捜せるくらいになっているので「中国セミプロ」くらいは名乗ってもよさそうな経歴ではある。無論研究者として中国を見ているわけでもなく、毎日のように需要開拓やプロジェクトを追いかけている商社の方々、政府機関の人達を相手にしているような法務、総務関係の方々、ましてや大使館などの公的機関の方々のように日々違う出来事が起きるような最前線にはいない。
田舎町で300人ほどの工場管理をしているだけなので、「今の中国は。。。」とか「将来の中国は。。。」などという高尚なことは間違っても言えないと思っている。

ただ、野次馬なので世の中の出来事を好奇心いっぱいで眺めて、それに対する普通の人達の反応を楽しむという姿勢で、ここの国の人達と一緒に生活している。

「中国が好きか?」という問いには明解に「大好きです。」と回答できないが、「中国の普通の人達が好きか?」と聞かれたら「胸をはって大きな声で大好きです!」と言える。

新聞でTVで、どう日本に報道されようと、人々は自分の意見を持っていて(それが客観的に見て正しいとか、間違っているとかではなく)、会社の看板とか給料の多寡ではなく、一人の相手として人間を見て対応しようという姿勢が明確である。

特集記事に「中国が好きでなければ駐在してはいけない。」「中国語が出来るのは最低条件」ともあったが、それよりもまず「違う国、違う文化を少しでも理解しようとする姿勢がない奴は、海外で仕事をしてはいけない。」だと思う。

「嫌い」なら「嫌い」でも良い。意見がない奴よりは遙かにマシだし、どこが嫌いなのか、何が嫌なのかを見つけようとする姿勢さえあれば、人として付き合っても良いのではないかと思っている。

会社と家やホテルだけを往復して、週末はじっと家にいて日本の衛星放送を見て過ごすとか、日本人だけと付き合って時間を過ごすような生活をしているのであれば、駐在が5年だろうが10年になろうが、そんな奴の言うことは日本にいて「中国通」と言っている奴の視線と何も違わないと思う。

あと何年何ヶ月で帰国できる、と帰任を指折り数えて待っている奴もただ時間を無駄使いしている奴だと思う。

なぜもっと自分を信じて視野を広げていこうと思わないのだろうか?

不思議でたまらない。

また一軒好きな食堂が潰れました。

2006-08-27 | 生活
今のアパートに引っ越すときに近所に「東北料理」の店があって、結構キレイそうだったのも実は大きなポイントでした。

なのに、昨日行ったら、福建味海鮮料理店 に変わっていました。

ビルの2階にあるので、階段上がっていくときに「なんか何時もと違って凄く賑やかな感じだなぁ。」と違和感があったのは確かです。

田舎町の人達は、地元味の料理が大好きで「東北料理」のように塩辛くて油多め、と言う物は「食べれらない!」と拒否します。
北の方の生活が長かった私は逆に、地元味 が苦手です。
この町に来てから3年半ほど経過していますが、今では仕事の宴会でも結婚式でも、食べたくない物には全くと言っていいほど手を出さなくなっています。

普段は自炊が多いのですが、東北料理屋のそばに引っ越してからは結構外食が増えて来つつあったところです。

なのに、1週間日本に帰っている間に潰れてしまいました。わずか4ヶ月ほどの糠喜びでした。

福建味海鮮料理屋に入ってしまったので、仕方なく魚1匹と野菜一皿で夕食にしました。味はまだ許せる範囲だったのですが(もちろん「砂糖は料理に入れるな!」と強く要求し、料理人が調理場から出てきて、「砂糖を入れないとうまくないが本当に良いのか?」と確認される1工程を踏んでいます。)あまりの喧噪にそうそうに逃げ出し、多分もう二度と行くことはない店に認定してしまいました。

開店直後の割引期間中(3割引+ビール飲み放題でした)と言うことで、店は満員。私にとっては不幸なことに店に入ったときにちょうど1組客が出ていったばかりでテーブルが空いていたのですが、地元の人達でスゴイ音量です。地元の人達はまあとにかく大声なのです。もともとどうしてここまで大声でしゃべるのか?と聞きたくなるくらいの大声に飲み放題のビールが追加されて、大変でした。


この町の人達はとにかく独立したがります。ちょっと小金が貯まると「食堂やろう!」「洋服屋始めよう!」と不足する金額は親類縁者から借りまくって商売を始めます。

無論何の経験も見込みもありませんので、開店するときには周囲にあるような店と大して変わらない種類の店が出来上がります。人通りや住んでいる人々の市場調査などするわけもありませんので、地元民の居住ブロックに「東北料理」が」できたり普通の所得層の住居ブロックに突然高級ブティックが開店したりします。

真面目に調べたわけでもありませんが、3ヶ月、長くても半年ほどで店が変わっていきます。開店した途端から「この店は長くて3ヶ月!」なんていう予想が出来てしまう店も中にはあります。


というような話をほぼ毎週一緒にいる中国人の友人にゴルフをしながらしていたら、「この町の商店街は、田舎から出てきたばかりの按摩屋のお姉さん達とナイトクラブで働く高給取りのお姉さん達の購買力で成り立っているんだ。」と笑っています。確かに彼らは働いたお金を実家に送金するだけではなく、自分たちも一生懸命買い物をします。週末に繁華街へ行けばどこを歩いても若い女性ばかりです!


いずれにしてもまた東北料理屋を探さなくてはいけません。それと四川料理屋!家族が上海にいた間は、「上海に行けば!」というのがあったのですが、日本に帰ってしまって上海に行くチャンスが激減した今は、結構切実な問題になっています。

日本と中国と台湾と

2006-08-25 | 一般
今年はほぼ毎月のように日本と中国を行ったり来たりしています。

日本に帰ったら毎回のように新幹線に乗って出張したりもしています。
今回は私の会社の台湾人も連れて日本に行きました。

連れて行った台湾人はまだまだ若い30代。

一緒に新幹線に乗って出張して、商社の人達と宴会して、私の親会に工場見学に行って、と4日間一緒に過ごしました。

無論中国に帰って来れば部下ですので一緒に出張したりもしますが、ここまで2人で一緒の行動というのはこれまで例がありませんでした。

たった1回の4日間の行動ですが、やっぱり台湾人でも世代が離れると、日本の若者のようにおとなしく思えてしまいます。
中国人の若者連れて行くと(オジサンでもほとんど行動は変わりませんが)、あそこへ行きたい、あれをしたい、と好奇心むき出しです。新幹線乗っていても、よっぽど疲れていない限りは、こっちが堪らなくなるくらいに「あれは何だ、あそこには何があるんだ、今どこだ。」と見るもの全てに興味津々です。

台湾と日本というのは、台湾人から見ても非常に似ている雰囲気です。そういうせいも、もちろんあるのでしょうが、非常に淡々としていました。

私なんか好奇心の塊(というか野次馬なんでしょうが)初めての所行ったら、空いている時間は街角探検隊!デジカメ持ってなにか面白いことはないかと散歩に行きます。

日本の電車に乗る度に、若者がほぼ全員携帯電話と戯れており、非常に外の社会に対して好奇心が薄いのではないかと、思っていましたが、台湾人でも同じでした。中国人と一緒の時の方が、お互いに刺激になって面白いなぁ、と感じてしまうのは私だけでしょうか???

悲しいこと

2006-08-15 | 生活
日本でほぼ同じ年の知り合いが交通事故でなくなりました。

私などはこの国で10年以上生活してきて、この恐ろしい交通事故大国でわずか2度しか交通事故にあっていない(そのうえ怪我は一度もしていない)という強運ですが、ここに比べれば遙かに安全な日本で交通事故で亡くなるというのは、もの凄くショックでした。

病気と違ってなんの心の準備も家族の準備もしていない状況で、さぞかし本人も家族も無念で辛い思いをしていることでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。