中国単身赴任生活 東京浦島太郎編

10数年住んだ中国を離れて東京のサラリーマン。浦島太郎です。
今は、自転車、写真、ジュリエッタなどのブログです。

立体交差が日常

2020-05-04 | 一般

私の住んでいる街には立体交差があふれています。

住所は横浜市ではありますが、イメージされるヨコハマとは全く違う街です。

40年ほど前に会社入って働き始めた街ですが、当時はこの街に住んで、というのは想像もしなかったし、どちらかといえばあんまり住む気がしなかった街。

1926年開業という長い歴史を持ちながらメジャーにはなれない鶴見線がトコトコ走っています。

一部の鉄道マニアには有名な「国道駅」ですが、会社に入ったころに初めて見て、なんじゃこりゃ!でした。

今もほとんど何も変わっていませんが (笑)

100年近く前に国道をまたぐガードがあって、アーチの入り口をくぐって階段を上るとホームがある、当時の最先端モデルですね。

ちなみにこのガードの下の道が旧東海道。

今はすっかり減ってしまいましたが、魚屋さん、貝屋さん、玉子焼き屋さんなどが立ち並び、東京の寿司屋さんなどが朝から仕入れにやってきていた由緒正しき市場。

今でも(コロナなければですが)月一で朝市と称して、アナゴ丼や海鮮売ったりして地元の人でにぎわいます。

生麦事件の碑というのももう少し歩いたところにありますね。

東京と横浜をつなぐ大動脈の道路だったり、鉄道だったりというと一緒に生きてきた街ですので、古い街なのに合理的。

鶴見線の始発駅鶴見駅自体が、1872年の新橋横浜間の日本初の鉄道開業と同時にできた駅だったりしますが、大きな駅にはなれなかった駅。

東海道線、横須賀線、貨物線、京浜急行線、に加えて以前は鶴見で貨物扱いがあったりもしたので、線路全部をまたぐには100m近くもある踏切や跨線橋を越える必要があって、街は海側と山側に大きく分断されています。

高齢者の多い街でもありますので、こんな長い踏切を一気に渡れなかったりすると踏切事故になりますし、それ以前の問題として朝夕のラッシュ時に踏切が開かないという状況。

 

3年前にそんな街にまた一つ、というか4つというか、街の海側と山側をつなぐ高架がかかりました。

首都高の横浜北西線、横羽線と湾岸線と第三京浜をつないでしまった大工事。

今年には、その先の横浜北線も開通したので一気に東名高速までつながってしまいました。

高速道に併設して一般道路と歩道もできたので、山側からトンネルと高架を越えると、線路の束と国道も一気に越えてしまうという荒業。(笑)

私も毎日この高架使って自転車通勤していますが、踏切も跨線橋もなくてとにかく便利。

その代わり愛想も何もありませんし、古い街と工業地帯を一気につないでいるので、商店街も何もありません。

途中川沿いの道を使ったりするせいもありますが、家から会社までの約5㎞の間に通過する商店は、スーパー一軒とコンビニ一軒という徹底ぶり。

東京から25kmほどの東海道線沿いで、こんな環境の場所は他にないでしょうね。

下の道路は国道15号線(第一京浜)かかっている古い鉄道ガードは、高島駅(貨物駅)方面へつながる貨物線。

その上にかかる横浜北西線。

北西線は、この写真左側に並ぶ京浜急行やJR各線の線路を一気に越えて、台地の横腹にあけたトンネルを通って、国道1号線(第二京浜)、またはそのままトンネルを通って新横浜へ抜けて第三京浜、東名高速へつながります。

土地の高低差と住宅地のせいでほとんどが地下トンネルです。

今年の2月に開通したばかりの馬場出入口なんかも、横浜線の切通しのすぐ脇にトンネル掘ってというめちゃくちゃ難工事。

機会があったら走ってみてください。

お勧めは横羽線を東京方面から生麦JCTで分岐して、第三京浜方面へ。

間違ってもトンネルの中でスピード出さない方がいいですよ。

パトカーの宝庫ですから。

トンネルといえば、JRの貨物線も鶴見駅の先(横浜より)から地下に潜って、新羽の方までトンネルで抜けていますね。

というような具合で我が街は、凸凹しているうえに穴だらけ、高架橋だらけです。

コロナのせいでご近所ウロウロが増えたので、あらためて気づいた事でした。