中国単身赴任生活 東京浦島太郎編

10数年住んだ中国を離れて東京のサラリーマン。浦島太郎です。
今は、自転車、写真、ジュリエッタなどのブログです。

ある特集記事

2006-08-28 | 仕事
ある商社の方から、毎月「中国マンスリー」なる社内報をいただいている。

田舎町にこもってしまっている私には毎月1回全体の動きがまとめて見られて、頭の整理や法律の変更などの再確認に便利に使わせていただいている。

今月号には特集記事として、最近の駐在員には「中国プロ」が少なくなってきているというのは問題だと、言う記事があった。

私もなんだかんだと駐在歴は長くなっている。どこの町へ行っても大体知り合いを捜せるくらいになっているので「中国セミプロ」くらいは名乗ってもよさそうな経歴ではある。無論研究者として中国を見ているわけでもなく、毎日のように需要開拓やプロジェクトを追いかけている商社の方々、政府機関の人達を相手にしているような法務、総務関係の方々、ましてや大使館などの公的機関の方々のように日々違う出来事が起きるような最前線にはいない。
田舎町で300人ほどの工場管理をしているだけなので、「今の中国は。。。」とか「将来の中国は。。。」などという高尚なことは間違っても言えないと思っている。

ただ、野次馬なので世の中の出来事を好奇心いっぱいで眺めて、それに対する普通の人達の反応を楽しむという姿勢で、ここの国の人達と一緒に生活している。

「中国が好きか?」という問いには明解に「大好きです。」と回答できないが、「中国の普通の人達が好きか?」と聞かれたら「胸をはって大きな声で大好きです!」と言える。

新聞でTVで、どう日本に報道されようと、人々は自分の意見を持っていて(それが客観的に見て正しいとか、間違っているとかではなく)、会社の看板とか給料の多寡ではなく、一人の相手として人間を見て対応しようという姿勢が明確である。

特集記事に「中国が好きでなければ駐在してはいけない。」「中国語が出来るのは最低条件」ともあったが、それよりもまず「違う国、違う文化を少しでも理解しようとする姿勢がない奴は、海外で仕事をしてはいけない。」だと思う。

「嫌い」なら「嫌い」でも良い。意見がない奴よりは遙かにマシだし、どこが嫌いなのか、何が嫌なのかを見つけようとする姿勢さえあれば、人として付き合っても良いのではないかと思っている。

会社と家やホテルだけを往復して、週末はじっと家にいて日本の衛星放送を見て過ごすとか、日本人だけと付き合って時間を過ごすような生活をしているのであれば、駐在が5年だろうが10年になろうが、そんな奴の言うことは日本にいて「中国通」と言っている奴の視線と何も違わないと思う。

あと何年何ヶ月で帰国できる、と帰任を指折り数えて待っている奴もただ時間を無駄使いしている奴だと思う。

なぜもっと自分を信じて視野を広げていこうと思わないのだろうか?

不思議でたまらない。