ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

11/30日の満月と山の眺め 「薄明」について

2020-12-01 10:48:42 | 草花
「こよみのページ」http://koyomi8.com/から空の薄明り(=薄明:はくめい)について興味深い記述を読んで学ばせてもらいました。

まず、「薄明」(はくめい)を明け方のものと、夕方のものとに分ける。
明け方の薄明を:彼は誰ぞ(かはたれぞ) → かわたれ → かわたれ時と言い、
夕方の薄明を :誰ぞ彼 (たれぞかれ) → たそがれ → 黄昏(たそがれ)時ということ。
つまり、どちらも「Who is he?」だったのです。

「薄明」という言葉は明け方でも、夕方でも使える言葉ですが、どうしても厳格に区別したい場合は、
     明け方の場合を:「払暁」と言い。
     夕方の場合を :「薄暮」と使い分けるようです。

「薄明」の時間の長さは季節によって違い、
夏至・冬至のころに長い・・・・およそ107分ほど
春分・秋分のころに短い・・・・およそ 84分ほど
これによって「秋の日はつるべ落とし」という言葉も実感できるようです。

昨日も真ん丸お月様を見るため、日没のころの荘厳な光景を眺めるためにロングウォーキングをしてきました。
先ずは団地の高楼へ
木曾御嶽 ↓

この日も見え方はあまり芳しくはありません。



恵那山 ↓

標高2200mに少し足りないこの山にはまだ雪が積もってはいません。



中央アルプス ↓

これもスッキリとは見えてきません。



伊吹山 ↓

伊吹山は判じ物の世界で、この写真からはわかりづらいですね。

高楼からの見晴らしに見切りをつけて、鉄塔跡地のある田畑に向かって歩いていきます。

木曾御嶽 ↓

高楼から見た時にはぼんやりとしか見えませんでしたが、道路沿いから木曾御嶽の峻厳な姿が見えていたのでびっくりしました。



本日の日没は見られず ↓

太陽の沈む方角は生憎雲に覆われて決定的な瞬間は見られません。その代わりに不思議な雲の様子が見えています。



満月の出始め ↓

日没とは正反対の方角から月が昇り始めました。民家の屋根に邪魔されながら、赤い月が出てきました。



見ざる ↓

雲が目隠しをしています。



見ざる、言わざる ↓

口まで隠して「二重苦」です。



嗅がざる、言わざる ↓

今度は鼻を摘ままれてしまいました。



そして解放 ↓

満月が雲から解放されるところです。

これにて家に戻ります。帰り道は「薄明」の中、薄明を楽しんで・・・・


カメラの300ミリ望遠レンズで ↓.


直焦点撮影 ↓

家に戻り、満月を再び見ます。雲がどんどん押し寄せてきて、なかなか屈託を感じる月でした。

この後、真夜中に空を見た時に月は真上で何の障害もなく煌々と輝いていました。
次に冬のダイアモンド(カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウス、リゲル、アルデバラン)と探します。
ところが、月が存在感抜群で、明るすぎて、アルデバランをどうしても見つけることが出来ませんでした。
しかし、冬の大三角(シリウス、ベテルギウス、プロキオン)はしっかり見えていました。
コメント (6)
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三河八橋の無量寿寺参拝 帰途入日と十五夜の月を眺める。 

2020-12-01 07:06:13 | 草花
今回散策の目的地としていた三河八橋の無量寿寺に着きました。
無量寿寺の起源は704年の創建で、別の場所で別の山号寺名であったそうですが、821年にこの場所に移り山号は東海山無量寺となったのですが、まだ、変遷があります。
902年にやっと現在の八橋山無量寿寺と改称されました。
宗派も随分変わってきています。創立当時は台密の二宗を兼学(真言宗・天台宗)であったが、後に真言宗の学頭となり、栄えていたと伝えられている。 室町時代の初めの延文5年(1360)慧玄禅師住し、次いで文安5年(1448)禅源大済禅師により復興されました。その後、宝永8年(1711)に現在の臨済宗妙心寺派になりました。

本堂にはご本尊として高さ1mの聖観世音菩薩像(木造)、本尊の右側に高さ112cmの業平公の立像、その右側に弘法大使の坐像が安置されている。本尊の左側には、業平公の父である阿保親王あぼしんのう(平城天皇の皇子)像と母である伊都内親王いとないしんのう(桓武天皇の第八皇女)像などが安置されている。

ところで「伊勢物語」の成立年代については不詳ですが、大雑把に西暦900年から1050年頃ではないかと推察されています。このお寺さんに在原業平が立寄ったかどうかについては、小生の中で疑問符付きです。

クチナシ ↓

境内でクチナシの実を見ます。



本堂 ↓

本堂の直近まで車が入ってきています。これはお寺さんの格式上はちょっと考えものですね。
それはさておき、目指してきた最遠点でしたので本堂にお参りをします。


松尾芭蕉の連句碑 ↓

境内の石碑に「かきつばた我に発句の思ひあり」とありました。これとてもこの場で詠んだ句かどうか判断しかねます。鳴海(現在は愛知県名古屋市緑区)のお弟子を訪ね、そこでの句会で連句をした時の、これが皮切りの句のようですから・・・・・

境内から出ていきます。

振り返って ↓

山門・参道・本堂にお暇します。



畑地で眺める十五夜の月 ↓

空は未だ明るくて、月も添え物のような感じです。



日の入り ↓

新幹線の橋梁の下に日輪が沈んでいきます。



残照 ↓

日没直後のあたりの光景です。



夕空の月 ↓

夕焼け空に浮かんだ十五夜の月です。



暮れてからの月 ↓

こちらはカメラの望遠レンズでの十五夜の月で、月齢13.9.



直焦点撮影 ↓

こちらは天体望遠鏡の対物レンズの画像です。
コメント
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