「こよみのページ」http://koyomi8.com/から空の薄明り(=薄明:はくめい)について興味深い記述を読んで学ばせてもらいました。
まず、「薄明」(はくめい)を明け方のものと、夕方のものとに分ける。
明け方の薄明を:彼は誰ぞ(かはたれぞ) → かわたれ → かわたれ時と言い、
夕方の薄明を :誰ぞ彼 (たれぞかれ) → たそがれ → 黄昏(たそがれ)時ということ。
つまり、どちらも「Who is he?」だったのです。
「薄明」という言葉は明け方でも、夕方でも使える言葉ですが、どうしても厳格に区別したい場合は、
明け方の場合を:「払暁」と言い。
夕方の場合を :「薄暮」と使い分けるようです。
「薄明」の時間の長さは季節によって違い、
夏至・冬至のころに長い・・・・およそ107分ほど
春分・秋分のころに短い・・・・およそ 84分ほど
これによって「秋の日はつるべ落とし」という言葉も実感できるようです。
昨日も真ん丸お月様を見るため、日没のころの荘厳な光景を眺めるためにロングウォーキングをしてきました。
先ずは団地の高楼へ
木曾御嶽 ↓
この日も見え方はあまり芳しくはありません。
恵那山 ↓
標高2200mに少し足りないこの山にはまだ雪が積もってはいません。
中央アルプス ↓
これもスッキリとは見えてきません。
伊吹山 ↓
伊吹山は判じ物の世界で、この写真からはわかりづらいですね。
高楼からの見晴らしに見切りをつけて、鉄塔跡地のある田畑に向かって歩いていきます。
木曾御嶽 ↓
高楼から見た時にはぼんやりとしか見えませんでしたが、道路沿いから木曾御嶽の峻厳な姿が見えていたのでびっくりしました。
本日の日没は見られず ↓
太陽の沈む方角は生憎雲に覆われて決定的な瞬間は見られません。その代わりに不思議な雲の様子が見えています。
満月の出始め ↓
日没とは正反対の方角から月が昇り始めました。民家の屋根に邪魔されながら、赤い月が出てきました。
見ざる ↓
雲が目隠しをしています。
見ざる、言わざる ↓
口まで隠して「二重苦」です。
嗅がざる、言わざる ↓
今度は鼻を摘ままれてしまいました。
そして解放 ↓
満月が雲から解放されるところです。
これにて家に戻ります。帰り道は「薄明」の中、薄明を楽しんで・・・・
カメラの300ミリ望遠レンズで ↓.
直焦点撮影 ↓
家に戻り、満月を再び見ます。雲がどんどん押し寄せてきて、なかなか屈託を感じる月でした。
この後、真夜中に空を見た時に月は真上で何の障害もなく煌々と輝いていました。
次に冬のダイアモンド(カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウス、リゲル、アルデバラン)と探します。
ところが、月が存在感抜群で、明るすぎて、アルデバランをどうしても見つけることが出来ませんでした。
しかし、冬の大三角(シリウス、ベテルギウス、プロキオン)はしっかり見えていました。
まず、「薄明」(はくめい)を明け方のものと、夕方のものとに分ける。
明け方の薄明を:彼は誰ぞ(かはたれぞ) → かわたれ → かわたれ時と言い、
夕方の薄明を :誰ぞ彼 (たれぞかれ) → たそがれ → 黄昏(たそがれ)時ということ。
つまり、どちらも「Who is he?」だったのです。
「薄明」という言葉は明け方でも、夕方でも使える言葉ですが、どうしても厳格に区別したい場合は、
明け方の場合を:「払暁」と言い。
夕方の場合を :「薄暮」と使い分けるようです。
「薄明」の時間の長さは季節によって違い、
夏至・冬至のころに長い・・・・およそ107分ほど
春分・秋分のころに短い・・・・およそ 84分ほど
これによって「秋の日はつるべ落とし」という言葉も実感できるようです。
昨日も真ん丸お月様を見るため、日没のころの荘厳な光景を眺めるためにロングウォーキングをしてきました。
先ずは団地の高楼へ
木曾御嶽 ↓
この日も見え方はあまり芳しくはありません。
恵那山 ↓
標高2200mに少し足りないこの山にはまだ雪が積もってはいません。
中央アルプス ↓
これもスッキリとは見えてきません。
伊吹山 ↓
伊吹山は判じ物の世界で、この写真からはわかりづらいですね。
高楼からの見晴らしに見切りをつけて、鉄塔跡地のある田畑に向かって歩いていきます。
木曾御嶽 ↓
高楼から見た時にはぼんやりとしか見えませんでしたが、道路沿いから木曾御嶽の峻厳な姿が見えていたのでびっくりしました。
本日の日没は見られず ↓
太陽の沈む方角は生憎雲に覆われて決定的な瞬間は見られません。その代わりに不思議な雲の様子が見えています。
満月の出始め ↓
日没とは正反対の方角から月が昇り始めました。民家の屋根に邪魔されながら、赤い月が出てきました。
見ざる ↓
雲が目隠しをしています。
見ざる、言わざる ↓
口まで隠して「二重苦」です。
嗅がざる、言わざる ↓
今度は鼻を摘ままれてしまいました。
そして解放 ↓
満月が雲から解放されるところです。
これにて家に戻ります。帰り道は「薄明」の中、薄明を楽しんで・・・・
カメラの300ミリ望遠レンズで ↓.
直焦点撮影 ↓
家に戻り、満月を再び見ます。雲がどんどん押し寄せてきて、なかなか屈託を感じる月でした。
この後、真夜中に空を見た時に月は真上で何の障害もなく煌々と輝いていました。
次に冬のダイアモンド(カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウス、リゲル、アルデバラン)と探します。
ところが、月が存在感抜群で、明るすぎて、アルデバランをどうしても見つけることが出来ませんでした。
しかし、冬の大三角(シリウス、ベテルギウス、プロキオン)はしっかり見えていました。
やってますね!
見てますね!
空を眺めていますね。
空の薄明りについて勉強、探求していますね!!
ハイ参考になりました。
昨晩は満月、やや雲のかかった月を見ることが出来ました。
そして、今朝ラジヲ体操でもその”残月”を見ました。体操仲間の隣の人が、昨夜は満月、ホラその残月が西の空に輝いていると教えてくれた。
・ 残月や西の空にぞ朝寒し(縄)
シバシ楽しみました。
真っ赤な月もなかなか見られるものではないですね。
大気の浮き上がりで楕円形になっているのがわかります(大気差と言います)。
昨日の夕方だと思いますがその時半影月食でした。
300mm望遠だと左上が多少薄暗くなっているのがわかります。
なかなか遠くへは外出しづらい雰囲気になってきましたね。
青春18きっぷでも買おうか‥‥という気持ちも萎えてきています。
そんな中ですのでせいぜい空でも眺めて過ごそうかというところです。
薄明りについての考察はなかなか興味深いものがありました。
昨晩の満月は雲にいろいろな場面で邪魔されましたね。
しかし、深夜に念のために外に出てみると満月が真上で煌々とあたりを照らしていました。
この月が夜明けに西の空に沈むので、早起きさんならこういう月見も出来るのですね。
今朝のラジオ体操はかなりの寒さでしたでしょうね。
でも、必ず三文の得にありつけるようですね。
昇り始めの月は雲にいろいろなちょっかいを出されて、小癪なことでした。
月が赤く見えたりするのですね。それほどいじったわけではないのですが、いまさらながらその赤さにびっくりです。
楕円形に見えるという実感は持てませんでしたが、やはり違うものですか?
半影月食という言葉は昨日のNHK天気予報の時間に初めて聞きましたが、これも放送後に画像を見直しましたがとても実感できませんでした。
この記事の画でもそれが感じ取れたのでしたか?
御身はかなりの高次元の知識のようですね。
月と星の観察、日課になりましたね。
当方はどうしても花や木の方がメインになっていて、なかなか天体観測は進みません。
29日にしまなみ海道沿いの島にある山に登りました。
帰り道で日が暮れて、ちょうどそのころ見えてきた月がとても綺麗で、満月かな?と思ったりしましたがちょっとだけ真ん丸とは違うような気がしてましたが、十五夜だったのですね。
そして、翌30日が満月だったのですか。
NHKの当地の放送で半影月食だと話していましたが、残念ながら当地では雲があって見られないとのことだったので、外に出ませんでした。
半影月食とは初めて聞く言葉でした。
青春18きっぷの季節になったのに、コロナが再び感染者が多くなったようで、悩ましいですね。
小生の場合は、やむを得ずに太陽や月・星を眺めることが日課となりつつありますが、これもあまり熱心にやると夜型になり、生活が不規則になってしまうようです。
山歩きは早起きが基本ですので、あくまでもそちらを主体にしておきたいと考えております。
それに比べれば、主婦業のほかに山にも出かけて、菜園や草花の面倒ををきちんとやっている御身は立派すぎます。
島並みの山から眺める夕日はきれいでしたでしょうね。もちろん月だってそれに負けないことでしょう。
十五夜の月でしたらほとんど真ん丸ですよね。
昨晩は十六夜の月でしたが、これも真ん丸でした。
満月を挟んで3晩は真ん丸の月を楽しめるといったところでしょうか。
半影月食という言葉は耳に新しすぎましたね。しかもハッキリとはその現象が見えず、食い足りませんでした。
青春18きっぷはすでに発売になっていますが、昨日菅・小池会談後にあんなコメントが出てきてしまい、65歳以上である小生たちは狙い撃ちされた感があります。
お陰で、切符購入意欲がすっかり殺がれてしまいました。
5日ころから再びISSが見えだしますし、はやぶさ2の成果がオーストラリアに落とされますね。
その期待でしばらくの間は楽しみが持続しそうです。