ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

回想の山路 1993年6/26~6/27日 至仏山と尾瀬ヶ原:オゼソウ ユキワリソウ ホソバヒナウスユキソウ ミズバショウ 

2017-01-29 09:50:38 | 草花
会社の仲間たちと尾瀬に行ったのは今からすでに24年近く前のことになってしまいました。
この時の編成が変わっていて、会社の仲間の他に、その友達が鹿児島県から二人来ていて、女性5人と男性2人のパーティとなり、車2台で、愛知県から尾瀬の入り口の鳩待峠まで入りました。
鳩待峠で朝を迎えて、まずは至仏山を往復して、峠に戻ってから山の鼻、尾瀬ヶ原を目指しました。
原の竜宮小屋で一泊した後、アヤメ平を回って鳩待峠まで戻ってきています。

梅雨の時季なのに、雨には遭うことなく、全行程を終えることが出来たのは幸いなことでした。

実行図 ↓


鳥瞰図 ↓


断面図 ↓



オゼソウ ↓



この草は日本にだけあるものだそうで、それも北海道の一部分と、谷川岳の他では、ここ尾瀬の至仏山にだけ生育する貴重な種のようです。



エーデルヴァイスの仲間 ↓



ヨーロッパのエーデルヴァイスに一番近いとされる”ウスユキソウ”は23日に記事にした中央アルプスのコマウスユキソウ(ヒメウスユキソウ)と尾瀬のこのホソバヒナウスユキソウだとされているようです。



至仏山の頂上 ↓

ガスの立ち篭める至仏山の頂上に着きました。小生たち会社の仲間はガスが立ち篭めて天気が良くないので、至仏山に登るのを止めようとしていましたが、鹿児島県から来られた女性二人の強い希望でここまで来てしまいました。 頂上まで来たらすぐに元来た道を戻っていきます。



ユキワリソウ ↓



これが正式名称(学名)のユキワリソウです。(サクラソウ科サクラソウ属)
他にも「雪割草」と呼ばれる草はありますが、正式名称はそれぞれ違うのです。



ガスの中 雪の道 ↓

7月が近いというのにまだ雪が残る場所もあります。
このあと鳩待峠に戻って、尾瀬の山の鼻を目指します。



山の鼻 ↓

ここが尾瀬ヶ原の始まりの、山の鼻になり、山小屋以外にもいくつかの建造物があります。
今から50年ほど前にはここから至仏山まで真っ直ぐに登る道がありましたが、植生保護上の観点からその道を通行止めにして今に至っているのだと思います。


ここで小休止をしてから尾瀬ヶ原に入っていきます。



尾瀬ヶ原 ↓


ミズバショウ ↓


池塘と浮島 ↓


木道 ↓

木道の正面には燧ヶ岳がありますが、雲に邪魔されています。

休憩所 ↓

こういう施設も備えられています。



竜宮小屋 ↓

小屋の近くに”竜宮”という水の湧き出す深い淵がありましたが、撮るのを忘れました。
この小屋ではお風呂があり、それに入りましたが、あれば便利が良いという程度であり、必ずしも必要だとは思いませんでしたね。



ミズバショウ ↓

翌朝、雨は無くて、むしろ晴天に近い感じの空でした。
小屋を出てアヤメ平を目指して、山道を登って行きます。
尾瀬周辺ではミズバショウは雪解けの場所から逐次咲いて来ますので、5月の中旬ころから咲くのだと思います。 6月下旬ではやや遅いかなという感じでした。



燧ヶ岳 ↓

今回いつも雲間に隠れた燧ヶ岳でしたが、一瞬姿を見せてくれました。




湿原回復措置 ↓

アヤメ平では過去に人が湿原内にずかずかと入り込み、草花を踏み荒らしたために湿原が死んでしまいましたが、その後元の植生を回復させるために、こんな措置が取られていました。
24年近く経った今は、どの程度まで回復しているのか、大変興味があります。



アヤメ平 ↓

このあたりは、人が踏み荒らす前は、キンコウカの浅い黄色の花で埋まっていた場所だったそうです。



此処にも浮島と池塘 ↓

尾瀬ヶ原よりも550mほど標高の高いこちらでも池塘と浮島が見られます。



亜高山帯 ↓

こちらでは亜高山帯の林相に湿原が混じっています。



至仏山 ↓

湿原内を至仏山を目指すようにして歩いて、鳩待峠まで下って行きます。



イナナの塩焼き ↓

鳩待峠に着き、売店でイワナの塩焼きを一串600円で売っていたので食べてみましたが、大変平凡な味でした。おそらく養殖ものなんでしょうね。
これから車に乗って帰路につきます。


ノビネチドリ ↓

帰り道の車を止めたところで、こんな野生ランも見かけました。
コメント (6)
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