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軍艦の名前

2024-02-22 05:43:36 | 軍艦
第二次大戦時、日本軍艦の名前はどういったルールから名付けられたのでしょうか。

「戦艦」・・・・これは旧国名から採っています。

     第二次大戦前、日清戦争や日露戦争時の戦艦名は、
     松島・厳島・橋立(この3艦は三景艦)と呼ばれていました。    
     そして、富士・八島・敷島・朝日・初瀬・三笠・河内・摂津などがありました。

     しかしそれ以後は旧国名から名付けています。
     
     金剛(1913年製・・これが最後の外国製戦艦でした)
     比叡・榛名・霧島
     これら4艦は旧国名ではなく、山の名前が付けられています。
     それはこの4艦は、本来、巡洋戦艦として設計された物だったからです。  
     「巡洋戦艦」という艦種は、戦艦と同じサイズの軍艦ですが、
     (イギリスのフィッシャー大将が提唱した、速力は防御力になり得る)
     に基づいて造られた戦艦でしたが、後にこの考えが誤りであった事が証明されます。
     
     扶桑(1915年製)・・・最初に設計された戦艦ですが、扶桑という名前は、
          日本国の異称であり、国名とは違っています。
          それだけ日本がこの戦艦にかける期待が大きかったのです。
          同型艦に山城がありますが、これは旧国名です。
          しかし、この2艦は明らかな失敗作となってしまいました。
     伊勢・日向(1917年製)・・・扶桑・山城の失敗を改善しようとしたのですが、
          この2艦も前作と似たような失敗作でした。
     長門・陸奥(1920年製)
          この2艦が以後、長く国民の期待を一身に受けた大戦艦でした。
     大和・武蔵(1941年製)
          世界最大の戦艦ですが、この2艦を国民は知りませんでした。
          それを知ったのは終戦後だったのです。

重巡洋艦・・・・これは山岳名を名付けます。

     古鷹・加古(1926年)
        加古は山岳ではなく河川です。
        これはワシントン軍縮条約が当時からんでおり、
その為に変則的になったしまったのです。
     青葉・衣笠(1927年)
     妙高・羽黒・那智・足柄(1928年)
     高雄・愛宕・摩耶・鳥海(1932年)
     最上・三隈・鈴谷・熊野(1935年)
       この4艦は軍縮条約の為に、軽巡洋艦として設計された為に、
       山岳ではなく河川名となりましたが、
       いざとなったら主砲を大きな物に変換して重巡洋艦にすればいい、
       というズルをしたのです。
     利根・筑摩(1938年)
       この2艦も河川名ですが、やはり条約の為の名前になりました。

軽巡洋艦・・・これは河川名です。

    天龍・龍田(1919年)
    球磨・多摩・大井・北上・木曽(1920年)
    長良・五十鈴・名取・由良・鬼怒・阿武隈(1922年)
    川内・神通・那珂(1923年)
    夕張(1922年)  たった1艦だけ造られた画期的な試験艦。
    阿賀野・矢矧・能代・酒匂(1942年)
    大淀(1943年) 艦隊旗艦を任された。
    香取・鹿島・香椎(1940年)
     この3艦は本来、練習艦であり、艦名も神社名となっています。

駆逐艦・・・一等駆逐艦(大型)は、天象、気象、海洋、季節に関連する名前。
      峯風、沢風・・・
      二等駆逐艦(小型)は、植物名。
      
空母・・・神話などに登場する空を飛ぶ動物。
     鳳・龍・鶴・鷹のどを付けました。
     改造空母に、
     赤城(巡洋戦艦から改造)加賀・信濃(戦艦から)
     千歳・千代田(水上機母艦から)
     信濃は世界最大の戦艦大和の3番艦でしたが、空母に改造され、
     100%完成とまでいかない輸送中に悲劇的な最期を遂げました。

    鳳・・・・鳳翔・龍鳳・翔鳳・瑞鳳・大鳳・
    龍・・・・龍譲・蒼龍・飛龍・雲龍・
    鶴・・・・翔鶴・瑞鶴・
    鷹・・・・飛鷹・隼鷹・大鷹・雲鷹・沖鷹・神鷹・海鷹・
    山・・・・天城・葛城(昭和18年より山岳名が追加された)
    
  日本は開戦(1946年12月)からわずか半年後、
  ミッドウェー海戦で、虎の子である主力空母4隻(赤城・加賀・飛龍・蒼龍)
  全部を失う大敗北を喫し、以後の戦争続行は、ほぼ不可能になっていたのです。
  世界最大の戦艦、大和・武蔵などは無用の長物となっていたのですから。

これとは全然違う話ですが、
日本の船名に(丸)を付ける伝統の由来は、まるで分からないそうです。
外国からも「丸シップ」として日本船である印にもなっているのに、
その由来が歴史的にも分からないというのは意外ですね。




     
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