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恐るべき海の病・脚気

2024-02-23 14:48:18 | 船舶
2017年1月27日に、
「壊血病、恐ろしき海の病」というブログを書きました。
外国の船舶は大西洋、太平洋、インド洋と気が遠くなる様な遠洋航海をしていましたが、
そういった果てしない航海で発生するのが、壊血病でした。
その死亡率は信じられない数字であり、
船乗りたちは生きるか死ぬかの、気も狂わんばかりの思いで大海原へ乗り出して行ったのです。
しかし壊血病という病気は、日本の船乗りには無縁でした。

日本の船は東南アジアを最遠とする貿易船であり、
1ヵ月以上かかる航海であっても、途中、中国各地の港に寄港しながらであったので、
いくらでも新鮮な野菜、果物を得る事ができたからです。
つまり日本の船乗りたちは壊血病の存在すら知らなかったのです。

しかし日本に近代的な海運、海軍が誕生し、
長距離の航海が行われる様になると、
西欧ではほとんどその存在すら知られていなかった病気と、
日本の船乗りたちは戦うことになったのです。

その病気とは脚気(かっけ)でした。
江戸時代になった頃、江戸に住む武家や町人たちに限って脚気が流行りだしたのです。
その為、脚気は(江戸患い)とさえ言われたのです。

脚気はビタミンB1の不足によって発生する病で、
足に浮腫みが現れ、膝の反射がなくなり、
更に進むと動悸や視力低下を起こし、遂には心臓機能が低下し、死に至る恐ろしい病気です。
江戸時代に江戸市民を中心に白米が常食になりだすと、
この病気は江戸特有の病となって「江戸患い」と呼ばれるようになります。

1882年(明治15年)、軍艦、龍驤事件が起こります。
軍艦「龍驤」による9か月間の太平洋航海が行われました。
ところが日本に帰国した時、
371人中160人(43%)が脚気を患い、25人が死亡していたのです。

この頃、一人の日本人海軍士官がイギリス留学から帰国しました。
彼は医学を学んで、後に日本海軍の医療の礎を築く人なのです。
その名を高木兼寛と言います。
彼はこの事件に注目して研究を始めていました。

彼は脚気という病気が西欧の人達や、いずれの国の国民の間にも全く見られず、
日本の船乗りでも、外国の港に入港中は脚気の症状が軽減される事を知ります。
問題は食事の内容しか考えられません。
そしてその結果、窒素分の少ない食物を大量に摂取する事によって、
脚気が発症する事に気づきます。

その対策は、食事の洋食化、(パンと白米を麦飯にするのと肉を食べる)でした。
1882年からこれを実行した効果は極めて顕著でした。
その後、高木が提唱した窒素分は、ビタミンB1である事が確認されます。
以来、海軍では白米に変わり麦飯が主食となったのです。

しかし、船乗りの病には、壊血病や脚気以上に恐ろしい病気が存在します。
それは伝染病です。
コレラ・ペスト・インフルエンザといった伝染病は、感染力が強く、
船内にそういった病原菌が一旦入ったが最後、
その感染力は狭い船の中ではたちまち伝染し、
船の運航すらままならない危険な状態になってしまうのです。

今では考えられない様なことであっても、
昔の船乗りたちは、実に頭の下がる思いで、己の人生を賭けていたのですね。


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