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グナイゼナウ

2024-08-15 15:14:56 | 軍艦


ドイツ戦艦、グナイゼナウは、
世界一美しい軍艦と言われた、戦艦シャルンホルストの2番艦として生を受けました。
2番艦と言われながら完成はシャルンホルストより早い、1938年5月。
シャルンホルストは1939年1月。
ただ、進水はシャルンホルストの方が早かったので、1番艦になったのかも知れません。

基準排水量は約32000トン。全長230メートル。全幅30メートル。
兵装も全く同じで、11インチ(28センチ)砲3×3で9門。
速力は31ノット(時速57キロ)m

この2艦は、まるで双子みたいに似ているので、
私もハッキリ言って見分けがつきません。
普通、どの国の同型艦であっても、多少の違いがあって、
詳しい人だと簡単に艦名を言い当てたりするのですが、
グナイゼナウとシャルンホルストに関しては、かなり難しいですね。
後部マストの位置が違っていたりするみたいなのですが、
それも改造されて・・分からないのです。

2隻の初陣は1939年11月で、
アイスランド南方で仮装巡洋艦を撃沈。
1940年4月にはノルウェー攻略作戦に参加し、
巡洋戦艦レナウンと交戦したり、
駆逐艦や空母グローリアスを撃沈する戦果を挙げています。
12月から翌年1月にかけては22隻の商船を撃沈しています。

その後2艦はフランスのブレスト港に停泊していましたが、
空襲が激しくなり母国ドイツへの脱出を図ります。
1942年2月、グナイゼナウ・シャルンホルスト、重巡プリンツオイゲンの3隻は、
6隻の駆逐艦を引き連れて狭いドーバー海峡を真昼間に突破するという、
大胆不敵なチャンネルダッシュ(ドイツ名、ツェルベルス作戦)を試み、
その作戦に成功し、イギリス軍の鼻柱を叩き折り、
イギリス軍はその情けなさ、悔しさに激怒したのですが、全ては「後の祭り」でした。

しかし、ドイツ本国への帰還を果たしたグナイゼナウの命運はここで絶たれます。
イギリス軍の空襲で大きな被害を受け、
戦艦の効力を疑問視するヒトラーの命令により爆破処分されてしまいます。

一方シャルンホルストは北極海に面したフィヨルドでひっそりと息を潜めていました。
3か月間動かなかったシャルンホルストは、
1943年12月ソ連に向かう輸送船団を攻撃すべく出港して行きました。
シャルンホルストの出港を知ったイギリス軍は、
戦艦デューク・オブ・ヨークと4隻の巡洋艦に出撃を命じます。

戦艦デューク・オブ・ヨークは14インチ砲10門。
シャルンホルストは11インチ砲9門。
非力な11インチ砲は14インチ砲のイギリス戦艦に歯が立たず、
艦長のエーリッヒ・パイ艦長はヒトラーに、
「シャルンホルストは全弾打ち尽くすまで戦う」と連絡して撃沈されました。

一方、イギリス軍のフレイザー提督は、
「この海戦は勝利に終わったが、もし自分達が圧倒的に不利な状況になったら、
今日のシャルンホルストの様に勇敢に戦ってほしい」と、
ドイツ戦艦シャルンホルストの勇敢な戦いを讃えています。

それに比べ、グナイゼナウに華はありませんでした。
同じ姉妹ながら、シャルンホルストが何時も目立ち、
グナイゼナウは影の存在ばかりでした。
ヒトラーにその気があれば立ち直れたかもしれないのに、
いつからだったかヒトラーは大型戦艦の効力を疑問視する様になり、
傷ついたグナイゼナウに引導を渡してしまったのです。

グナイゼナウには「私だって姉ちゃんみたいに戦いたかった」と思っていたでしょう。
しかし、願いは叶わず最後まで悲しい妹のままで終わってしまいました。


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