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地震被災地へ駆けつけた軍艦

2024-01-13 20:05:50 | 軍艦
元日に起きた能登半島地震。
海上自衛隊から自衛艦などが被災地へ行っているようですが、
100年前に起きた関東大震災の時にも、同じ事が起きていました。



戦艦、長門(同型艦、陸奥)は、
1920年(大正9年)竣工は、関東大震災の2年前に完成したばかりの、
新進気鋭、当時世界最大、世界最強の戦艦であり、
帝国海軍の誇りでもあり、国民もみな、長門、陸奥が世界一と信じていました。
排水量33800トン。
その後数度の大改装を経て最終的には39000トンの大戦艦となりました。



長門・陸奥から約20年後に完成したのが、世界最大の戦艦・大和、武蔵。
その存在を知る国民は誰もなく、一部の海軍軍人しかその存在を知らずに、
それが世界最大である事を知っている軍人も、ほとんど居ませんでした。
その全てが明らかになったのは戦後になってからでした。
敵国アメリカをあざむく為に、海軍は国民までもあざむいていたのです。

さて、戦艦、長門、陸奥。
そしてそれらの戦艦より少し前に完成していた、戦艦、伊勢・日向。



排水量31200トン。
それらは、関東大震災の時、
中国旅順、大連といった地で訓練や、各種任務に就いていました。
地震から3時間後くらいになって、東京に大変な事が起きたという一報が入りました。



関東大震災、それが起きたのです。

海軍は急遽訓練などを取りやめ、
船足の速い、巡洋艦、駆逐艦などを日本へ向かわせ、
戦艦4隻は9月4日、九州の志布志湾に到着、支援物資の積み込みをします。
長門はただ1隻だけ他の戦艦に先駆けて東京を目指しました。

ただひとつ気がかりな事がありました。
戦艦、長門、陸奥は世界に向けて、最大船速は23ノット(時速42,5キロ)と発表していました。
所が緊急時である為に、スピードを緩める訳にもいかず、
最大船速が26,5ノット(時速49キロ)である事がバレてしまったのです。



長門の後方2キロを、イギリスの軽巡洋艦ダーバン(だと言われている)が、
ピッタリと日本まで張り付いて来たのです。
(倒産したアパレルメーカーの紳士服ダーバンの名は、この軍艦から採っています)
イギリスは日本の同盟国であるし、敵対行為をしている訳でもないので、
追い払う事も出来ずに、海軍が世界に対し、嘘つきである事がバレてしまいました。

9月5日、全ての艦艇が品川沖に到着。
ここまで海軍大臣からの正式な許可は無く、独断先行行為でした。
その後、正式な許可が降り、
11月15日までの2か月半にわたり支援に従事したのでした。

全ての機能が素早く、充実している現在より、
あらゆる面で劣っていた時代の方が、今よりやる事が全然早いと思いますね。




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