【ダンケルク撤退作戦】映像と解説 / イギリス国民の愛国精神と奇跡の救出劇 - 第二次世界大戦
1939年(昭和14年)9月。
ポーランドに侵攻したドイツ軍は、瞬く間に勝利し、
その勢いで突如、オランダ・ベルギー・ルクセンブルグに侵攻、
これらの国も瞬く間に席捲して北フランスへ軍を進めます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/3b/e277ce3b8023e8f8648e81a6cb118ce0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/04/21148f4dce0c6a4812c96f5d236629b0.png)
ドイツ軍は圧倒的な数の戦車と航空機による電撃作戦により、
フランス・イギリスの連合軍を撃破し、
遂にフランス・イギリス間の、ドーバー海峡近くの港町ダンケルクへ連合軍を追い詰めました。
40万といわれる彼等、連合軍兵士達は迫り来るドイツ軍により、
いよいよ風前の灯火、袋のネズミとなってしまったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/50/766aa5826182bda04355ab641aadeb27.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/4e/0218038f3f20a90fcd170c91e24777f7.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/6b/044762fa80f23fd2ded4bb58a3373482.jpg)
ここでドイツ軍に対し断固徹底抗戦を叫ぶイギリス首相チャーチルは、
彼等を救出すべく「ダイナモ作戦」の発動を命じました。
イギリスから駆逐艦・貨物船・漁船・遊覧船・ヨット、
ありとあらゆる船舶を総動員しての救出作戦を命じたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/9d/de3fb0858e716f3ba935299f90f01888.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/15/ae2dac1ef8cb01b3779e4aaa82a34dd7.jpg)
これをドイツ軍が見逃す筈はありません。
航空機による徹底的な爆撃を敢行します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/18/45fd61c3cde577238d2e9bb281cbe69d.jpg)
これに対し、イギリス空軍も彼等を護るべくドイツ機に空中戦を挑みました。
浜辺で決死的な救出作戦をしている兵士たちは、
上を見上げる隙もなく、その空中戦にはあまり気づいていない様でした。
しかし、ドイツ機が132機を失ったのに比べ、
イギリス機の損失は474機という不利な空中戦で彼等を必死に護っていたのでした。
ダイナモ作戦開始当初は、悲観的に見られていたのですが、結果的に大成功となり、
34~40万人と言われる連合軍兵士の救出は成し遂げられたのでした。
それは「ダンケルクの奇跡」とさえ言われました。
しかし、兵器、戦車・重火器の全てを放棄せざるを得ずにでの撤退は、
その後のイギリス軍を兵器不足で悩ませたのでした。
ダンケルク救出作戦でドイツ軍に対するイギリス国民の士気は大いに高まり、
「ダンケルク、スピリット」・・
(イギリス国民が団結して逆境を克服しなけらばならない時に使うフレーズ)となり、
その合言葉は、現代のイギリスでも使われているのです。
1939年(昭和14年)9月。
ポーランドに侵攻したドイツ軍は、瞬く間に勝利し、
その勢いで突如、オランダ・ベルギー・ルクセンブルグに侵攻、
これらの国も瞬く間に席捲して北フランスへ軍を進めます。
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ドイツ軍は圧倒的な数の戦車と航空機による電撃作戦により、
フランス・イギリスの連合軍を撃破し、
遂にフランス・イギリス間の、ドーバー海峡近くの港町ダンケルクへ連合軍を追い詰めました。
40万といわれる彼等、連合軍兵士達は迫り来るドイツ軍により、
いよいよ風前の灯火、袋のネズミとなってしまったのです。
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ここでドイツ軍に対し断固徹底抗戦を叫ぶイギリス首相チャーチルは、
彼等を救出すべく「ダイナモ作戦」の発動を命じました。
イギリスから駆逐艦・貨物船・漁船・遊覧船・ヨット、
ありとあらゆる船舶を総動員しての救出作戦を命じたのです。
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これをドイツ軍が見逃す筈はありません。
航空機による徹底的な爆撃を敢行します。
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これに対し、イギリス空軍も彼等を護るべくドイツ機に空中戦を挑みました。
浜辺で決死的な救出作戦をしている兵士たちは、
上を見上げる隙もなく、その空中戦にはあまり気づいていない様でした。
しかし、ドイツ機が132機を失ったのに比べ、
イギリス機の損失は474機という不利な空中戦で彼等を必死に護っていたのでした。
ダイナモ作戦開始当初は、悲観的に見られていたのですが、結果的に大成功となり、
34~40万人と言われる連合軍兵士の救出は成し遂げられたのでした。
それは「ダンケルクの奇跡」とさえ言われました。
しかし、兵器、戦車・重火器の全てを放棄せざるを得ずにでの撤退は、
その後のイギリス軍を兵器不足で悩ませたのでした。
ダンケルク救出作戦でドイツ軍に対するイギリス国民の士気は大いに高まり、
「ダンケルク、スピリット」・・
(イギリス国民が団結して逆境を克服しなけらばならない時に使うフレーズ)となり、
その合言葉は、現代のイギリスでも使われているのです。
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