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最後の撃墜王・菅野直

2021-05-23 16:19:01 | 軍事
数日前、テレビを観ていたら、菅野なにがしという名前が出てきて、
私は「かんの?はて何か聞いた名前だな」と考えていたら、
それは終戦間際の長崎県・大村基地に所属し、勇猛果敢で知られた。
最後の撃墜王・菅野直(かんの・なおし)でした。





菅野が乗っていた戦闘機は、ゼロ戦ではなく「紫電改」(しでんかい)でした。



これが、ゼロ戦。



そしてこれが紫電改(しでんかい)です。
紀元2600年、西暦1940年に誕生したゼロ戦は、
戦争中期くらいまでは、米軍機を圧倒する優れた戦闘能力でしたが、
それも次第に通用しなくなっていました。
その為に開発された戦闘機が、紫電であり、
紫電改は紫電を更に改造した、戦争末期の最高性能を誇る戦闘機でした。

菅野直・1921年9月23日。
宮城県で警察署長の次男として生まれました。
ガキ大将でありながらクラスではいつもトップクラスの成績。
中学に一番の成績で入学。
やる事が奇抜で皆の想像もつかない事をやり、
喧嘩をすれば負け知らずで絶大な人気がありました。

1942年(昭和17年)に飛行学生になりましたが、
教官機は訓練生機の背後を簡単に取りましたが、
(空中戦で背後を取られるというのは、まず死を意味する)
菅野は、ぶつかる程ぐいぐい接近し、
教官がこれ以上は危険と判断して動きをゆるめたスキに、
教官機の背後を取り、その破天荒ぶりは、他の航空隊にまで知れ渡っていたそうです。





ある時、菅野と隊員たちが海軍クラブで騒いでいると、
やかましいと、何度も文句を言ってくる奴がいるので、
菅野は「やかましいとは何だ!」と、
フスマを開けると、そこには少将や何人かの佐官級の上官たちが居ました。
(菅野の階級は大尉、その上は少佐・中佐・大佐がいて更なる上に少将)
大尉から見ればまるで雲の上の存在です。

他の者たちが青ざめる中、
菅野はテーブルの料理を蹴飛ばして、
「明日死ぬかもしれない奴らに、やかましいとは何だッ」と、座り込んだそうです。
少将が「もういいだろう帰れ」となだめて菅野は帰ったのでした。



大村基地の司令官は、戦後、政治家にもなった源田実でしたが、
翌日、源田実とその少将は談笑しており、
菅野の姿を見ると「お前らは昨日、元気がよかったそうだな」と、
声をかけただけだったそうです。

1945年(昭和20年)
終戦まで残り2週間の8月1日。
米軍機接近の報を受けた菅野ら20数機は迎撃の為、大村基地を飛び立ちました。
すると菅野機より「我、機銃筒内爆発す」との入電があり、
僚機が菅野機に接近すると、
左翼に大きな穴を開けた菅野機を発見。

菅野は僚機に「俺は戦闘不能なので引き返す、お前は敵に向かえ」
といった合図を受けて別れました。
それが菅野直の最後の姿でした。
その後彼の姿を見た者は誰もいません。



二度と帰らなかった菅野直を、
源田実は、まるで弟を失った様に感じたそうです。
米軍機72機を撃墜した功績で、
菅野直は2階級特進で中佐として祀られました。享年23歳。

文学好きな素直な青年だったという事で、
戦争さえなかったら・・・



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