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西郷輝彦・・癌とは戦うべきなのか

2022-02-24 14:01:24 | 健康


西郷輝彦が75歳、癌で亡くなりました。



橋幸夫・舟木一夫と共に、御三家と言われましたが、
3人の内で最も若い彼が、皮肉にも最も早くに亡くなってしまいました。
10年も前に最初の癌を発病し、手術を繰り返し、
一時は完治したとさえ言われたそうですが、やはりというか転移したのですね。



彼のヒット曲は沢山ありますが、
私が最も好きだったのは「我が青春」でした。
「♫ 夢も希望も青春の、嵐と共に消えてゆく、
熱い血潮が涙を呼べば、それが若さと知るや君」

癌という病気は国民病と言われますが、本当にしつこい病気ですね。

私が36歳の時、働いていた会社の男性が癌で亡くなりました。
彼はその時、私と同じ36歳でした。
彼の父親は既に80歳を超えていましたが、
何の宗教かは知りませんが「宗教の力で治してやる」と言っていました。
そんなセリフが出るくらいになったら、もう望みは無いのですね。
それから間もなく彼は亡くなりましたが、
入院して、一時退院してきた時に、目をうっすらと滲ませながら職場内を眺め、
淋しげにたたずんでいた彼の姿を忘れる事はできません。
たった36歳で消えてゆく自分がどれほど悲しかったでしょう。

10年くらい前だったか、仕事関係の男性が癌になりました。
詳しくはよく知りませんが彼は独り身だったみたいです。
当時70歳くらいだと思います。
以前は結婚していたのかもしれませんが・・・
癌を発病した彼がどうしたか?
彼は一切の治療を放棄したのです。
癌はどう頑張って治療しても、結局は数年しか保たない、そう踏んだのでしょう。
家族も居ない独り身の70歳男の人生の終焉を彼は選んだのでした。
そしてその通りに1年も保たずに彼は終わって逝きました。

歌声でも、自分が癌になった時、西洋医学での治療を選ばずに、
民間医療を頼った男性がいました。
西洋医学の医師ですら、癌治療はすべきではないと本に書いている医師もいます。
そんな具合ですから、民間療法に走る人がいても不思議ではありません。
しかし完治はせずに段々と具合が悪くなり、
病院に行ったら既に末期癌と診断され、ほどなく亡くなってしまいました。



格闘家として名高い「山本キッド」が、やはり癌になりました。
魔裟斗(まさと)との年末の試合は世間を熱狂させましたね。
体格が二回りも上の魔裟斗からダウンを奪う強さを見せつけました。
彼はフィリピンだったか?外国へまで治療に行きましたが、
やはり癌には勝てず41歳の若さで逝ってしまいました。

西郷輝彦もオーストラリアへ治療に行き、
一回の治療費が160万円とかの治療を受けたのですが、
結局はダメでした。
そうなると、一切の治療を放棄した、あの男性が正解だったのか?
10年に渡る苦痛の病院治療の時間と、高額な治療費と・・・
それらを考慮したら、家族に迷惑をかけずに早く死んでしまった方がいいのか?

西郷輝彦の死を考えると、いずれは私も何らかの病気になるんでしょうから、
考えざるを得ないな、そういった複雑な想いがしたのです。




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