久留百合子の生活者視点

仕事、旅行、日常のちょっとしたことから得た情報、生活者として感じたことなどを綴ってみます。

行事を終えるごとに・・・

2011-06-21 09:16:57 | Weblog
 一昨日父の49日の法要が終わりました。初めてのことばかりで、人に聞いたり、積善社でもらった説明書を見たりしながら進めています。亡くなった日から数えて49日以内、実は、7月の初めを考えていたのですが、周りから3か月にまたがってはいけないと言われ、少し早かったのですが、一昨日執り行いました。

 まず、お寺が空いているかどうか訪ね、予約を。この日はご法事が多く、一番の10時からになりました。40分ぐらいお経をあげていただいて、その後納骨。父が生前納骨堂を買っていたのでそこに収めました。
 その後、皆さんを食事に。これも案内を出して、人数を把握し、食事の場所を予約したり、お土産の手配など結構大変でした。当日は、雨にも係わらず(しかし天気予報で言われていたような大雨でなくて良かったのですが)東京、広島からも来てくださり、18名にもなりました。こういう機会でなくては会わない、叔父、叔母やいとこたちとも再会できて「こういうことがないとこして一同集まることが少なくなったものねー」と皆一頻り。
 特にうちの子供たちには親戚の多さが珍しいらしく、まただれがだれかほとんど知らないので、関係を説明するいい機会になりました。
 今回親戚の集まりでも、父が生前、いろいろな方と係わっていたこと、まめに連絡したり、会っていたことなどが本当によく分かりました。

 親戚ではないのですが、亡くなる2,3年前から親しく頻繁に旅行や食事などにいっしょに行っていただいていた方には、お葬式の時も最後までいていただきましたし、葬祭場にもまた初七日にも出席いただき、今回の49日にもお招きしました。その方がお寺に来られて一番に言われたのが「今日からごいっしょに旅行に行く約束をしていました。まだ手帳の予定は消していません」でした。
 父もこの方とのことは、「晩年、本当にいい方に出会った」と喜んでよく話していましたので、この方と父の話すると思い出されて悲しみがぶり返してきます。しかし、こんなに気が合い、良くしていただいたに巡り会って、父は幸せだったなーとつくづく思います。しかし本当に悲しみに沈んで「まだ信じられません」と言われると、残されたこのお友達の思いはいかばかりかと思ったりもしています。

 49日をこのように朝早くから1日潰して来てくださり、皆で父のことを語ってくださる、残された者を励ましてくださる、本当にありがたいなーと思うと同時に、私もこれからはそうしなくてはいけないなーと思うこと頻りです。

 通夜、葬儀に始まって、初七日、本当は7日、7日あるのですがこれは祭壇に参るだけで、そして49日まで何とか終わりました。なぜかお通夜の昼に大きな講演をしたり(これは前から頼まれていた仕事で、式典の記念講演だったので、穴をあけることは絶対できないと思い、気持ちを整えしっかり講演してきました)今回の49日の前も、パネルがあったりと、正直、気持ちを整えるのが大変でしたが、生前父は私の仕事を大変応援してくれていましたので、父が守ってくれたと思っています。
 
 これから初盆、1周忌・・・いろいろ大変ですし仏教のことはよく分かりませんが、このような行事は、故人を供養すると同時に、残された者が少しずつ受け止めていく過程には必要なんだなーとつくづく感じているところです


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