私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 高雅さまの最期

2007-04-01 22:47:59 | Weblog
 「はい。そうでした」
 何に例えようもないようなほんの一瞬に、自分の目の前に繰り広げられていったあの夜の事件を小雪は、今、思い浮かべているのでした。
 お酒がお入いりになったのかもしれませんが、さも心持よさそうに京の生温かい夏の夜風を体一杯に受けながら、今、お江戸で流行っているのだと聞いた端唄でしょうか、口元に覗かせながら、高雅さまは新之介様と並ばれるようにして歩んでおいででした。そのお二人の後を私はついて参いりました。
 その途端どす。『天誅』とか何か叫び声が聞こえたように思えました。稲光のような光りが、闇を突いて、突然、道の両方から舞い下りました。薄暗い夜の光の中に、「ざーっ」と言う音と共に、真っ赤な土砂降りのように降る注ぐ血がそこら当たり構わずに一杯に沸き立っておりました。何が起きたか私には、何が何やら分りません。それが高雅さまと新之助さまを、わてが見た最後どす。あれほど『私が高雅先生を、この刀で護るのだ』と、自信たっぷりに、お刀を叩き叩きしながらおっしゃっていた新之介様までも、そのお刀を抜く暇さへないように、その場で、切り殺されてしまはりました。
 後はあまり覚えておりまへん。何か「こっちへ、はやぅ」とかなんとかいうお言葉について、ぐいぐいと手をきつう引っ張られるようして、何処をどう歩いたのかも分りまへんが、しばらくして、気が付いてみたら、林さまのお部屋の前に、万五郎さんに抱きかかえられるようにして連れてこられておりました。
 何が何だか分りません。『お前の命が、今、危ないのだ。小雪、この万五郎さんに後は任せろ。逃げるのだ』と林様の性急なお言葉に従って、その万五郎さんと、この宮内まで逃げてまいりました」
 「それからしばらくして、高雅さまのお首が京の三条大橋の袂に吊るされてあったと、この宮内にまでも、そのお噂で持ちきりのようどした・・・・・。 後からお聞きしたのですが、丁度、高雅さま達と泉屋をでようとした時分、万五郎親分も、京でのお仕事が一段落したかとかで、朝方、林さまからいわれたお言葉が、えろう気になったものですから、お聞きしていたこの泉屋のことを思い出されて、立ち寄ってたのだそうどす。すんでのところ、わてまで殺されようしていたのどすが、とっさの親分さんの機転によって、どうにか、私の命はお助け頂いただきました。後は林さまがどうにかしてくれはるということで、すぐさまその足で、夜を徹して、この宮内まで、連れて来てもろうたのでございます」
 これだけ、どうにか落ち着いてあの夜のことをお話しすることが出来ました。こんなにも、ゆっくりと一語一語に心を込めて人様に自分の思いをお話した事は今までなかったことですので、自分でも不思議な思いでした。
 お須香さんの顔が、その時、急に変にゆがんで見えたように思われました。あのとげとげしさがなくなったようにも思えました。
 「あまりにも突然だったものですから、万五郎親分から、事のあらましを聞き、小雪だけでも助かればと思い、あのような措置を親分にたってお願いしたのです」
 と林様が付け足してくれはりました。