私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 新之介さんのおかっさん

2007-04-11 22:04:56 | Weblog
 「まあなんときれいな着物ですこと。一寸袖を通してみなさい」
 お粂さんに言われて、その着物を押し抱くようにそっと胸に宛がってみました。鶴が、今にも、大空へ羽ばたいるのではと、思うようなようなふわっとした自分の体の力がどこかへ飛び去ってしまったかのような不思議な感覚に陥りました。今まで身につけたことが無い軽ろやかさがありました。天の羽衣を身に纏い大空を飛んでいる天女の気分は、こんな気分なのかしらと、ふと思うのでした。
 「ほんとによく似合います 小雪さん」
 と言うお久さんの、やや、やっかみ半分の言葉が、「小雪さん」という言葉の跳ね上がりからも感じられましたが、喜智様のお優しさが、まず思いやられるのでした。
 この鶴をあしらったこのお喜智さんからの着物は、結局、最期の小雪の晴れ姿になろうとは、その時は誰にも思いもつかないことでした。
 それからまた時は少し動きました。
 青龍池の花菖蒲の花々が美しく咲き乱れ、お山から吹き降りるそよ風に、花びらがゆらりゆらり揺れながら香り立っています。皐月の空には、あちらこちらと元気よく色とりどりの五月幟もはためきだしました。お山の新緑の木々の葉が、吹く風にそよぎ、朝日にきらきらと輝き、時々に色を変えて見せています。「これもお山の七変化でおす」小雪は小窓から見えるお山を見ています。
 緑一杯の風が、お山から甍の上を通り過ぎて、小雪の部屋にも舞い飛び込んできました。
 「小雪さん、堀家の須香さんよ」という、幾分「また?」という気持ちを含んだお粂さんの例の声です。
 あの夜以来、お須香さんは、どのような風の吹き回しかは知らないのですが、やれお饅頭だとか、やれ何だとかと言って、何くれと無くこの家を訪ねてきては、自分の娘であるかのように、小雪と親しくお話して帰られることが多くなりました。
 「今日は何かしら」と、とんとんと下へ降りて行きました。入り口の土間にお須香さんともう一人、ついぞ見たことの無いお方がこちらに笑顔を見せながら立っておられました。
 林さまとお会いしたあの夜、お話になっておられた、庭瀬にお住まいのお須香さんの妹さんのお以勢さんでした。あの新之介さんのおっかさんです。『新之介の最期の様子を、くわしく是非聞きたい』ということで、一刻も早くと思っていたのだが、なんだかんだと小忙しくて延び延びになって今日になったのだと、お須香さん。