私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 舞扇

2007-04-20 12:24:35 | Weblog
 この冬一番の寒さが押し寄せ師走も押し迫ったある日、本当に久しぶりにお須香さんが、訪ねてきてくれはりました。
 「踊りのお稽古が大変だと聞いてはいたのだが、小雪ちゃん、ちょっと見ないうちに瘠せたのじゃない。大丈夫かい。今度の宮内総おどりの立役、菊五郎さんが随分熱心に教えているとは聞いていたが、本当に大丈夫かい」
 さも心配そうに、我娘に対するように小雪の手を取り優しく話しかけます。
「そうそう、これはお喜智さまが、小雪さんに差し上げてと言われて持ってきたのです。何でも、今度、小雪ちゃんが立つ舞台で、あの『羽衣』を踊ると聞いて、わざわざ京から取り寄せられた舞扇だそうです」
 「まあ扇どすか。どなたはんから羽衣のあ話お聞きなりはったんでしょうか。まだはっきりと決まったわけではないのどすが」
 と言いながら小さく折りたたんである小箱の、京鹿の子の,可愛い模様の包み紙を丁寧に剥してゆきます。
 桐の小箱に詰められた一本の舞扇でした。箱を開けた途端に、焚き込められた芳ばしい香が辺りに深く匂いたっています。この薫物の香をかぐと「すこしはやき心しらひ」とか言う言葉が浮び、喜智さまの心遣いが思いやられます。
 黒く漆塗りの骨に、扇面の表には満開の桜が金泥の中に咲き乱れ、その裏面には、流れに落ち散る桜の花びらが銀泥の中に描きこまれています。
 須香さまのお話によりますと、あのような藤井家の出来事にも決して負けないで、堀家のお喜智さまとして、依然として矍鑠と、お家を切り盛りしていらっしゃるのですが、おぐしには随分と白いものが目立つようになったと言う事です。如何に気丈夫なお方様だと申せ、所詮は女ですもの。人知れず悲しみに耐えて耐えて毎日をお暮らしになっていらっしゃるようだともお話しでした。
 できることならお会いして、是非、御礼をと、小雪は思うのですが、毎日の小忙しさもあるのですが、未だに自分の身に張り付いている卑賤さを思い、堀家の敷居があまりにも高くて、お屋敷を訪ねる勇気がでないのです。
 「再び、お会いする折はあらしまへんと思うのどすがどすが、須香さま、大奥様に、ようよう御礼をいっておいてくれやす。お願いします」
 と、深々と頭を下げる小雪です。
 須賀さまがお帰りの後、小雪は、その舞扇を持ち、喜智さまにどのようなお礼を申し上げればよいか迷っています。お手紙をと思うのですが、今までに、改まった文を人様に差し上げた事はなく、失礼な文になってはと随分迷ったのですが、ほかに方法がありません。仕方なく、みようみまねの筆を取りました。

 「もみじ葉もはやちりそめて冬のけしきとあいなり候 お方様には恙無くお暮らしの御事と伺い安堵いたしおり候 さて こたびお方様よりの御舞扇お須賀さまより頂戴仕り至極恐縮いたし居候、卑しき身なる小雪如何に御礼申し上げ候べきかそのすべ知る由も御座無く候ただありがたくありがたく頂戴仕り候 この扇小雪生きる限りの御宝と致し肌身離さず持ち続けたく存じ居候  

 たきつせのほそたにがわをくだりけむこのみのひとつうきしずみして   
 たきつせにうきしずみつつかわたけのゆくへしらずのなみにもまれて                              
                         かしこ      」