私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 生きるって瘠我慢?

2007-04-02 22:40:31 | Weblog
 喜智さまは唇をきっと結ばれて、話しに聞き入られておいででした。
 ややあって、林さまは
 「あの場にいたのは小雪だけなのだ。もっと詳しくその場の状況を奥様にお話ししなさい」
 と。そんな林さまのお言葉に小雪は思いつめたように、深い吐息を一つしてから、また、話を始めるのでした。
 「文月の半分のお月さんが、だるそうに京の町並みの上に西にやや傾いて優しく懸かっていらはりました。柳も、向こうの家の塀も、川に架けられた太鼓の石橋も、小さなお地蔵さんの丸い頭も赤い涎掛けも、何もかもがその半分のお月さんに照らされて、それらが朧に京の闇の中に、ぼんやりと浮かび上がっていました。大藤の旦那はんが口にされていた端唄か何かをぽつんと、お止めになり,天心にある半分のお月はんを見ながらでしょうか、右横をお歩きになっていらはりました新之介さまに『庭瀬の月は・・・』とか何か言われたと思います。その時です。川端柳の木陰の闇から突然、幾筋かの真っ白い光の線が入り混じりしながら、先ず大藤様に、『天誅』とか何かわめかれながら、矢に無に舞いかかはりました。同時だったと思います、別の数本の光りは新之助さまにも舞い飛び、お二人のお姿が、本当にあっという間に闇の中にお消えにならはりました。多分、賊は2,3いや4,5人いや10人はいたように思えましたが。その中の幾人かは、『こいつも』とか何とか言いながら、今度は、私に、その光りの筋が向かって来たように覚えています。わたしはその場に、ただ腰が抜けたようにお尻からへたり込んでしまいました。どうしようもなく怖くて怖くてたまりません。必死に、本当に必死で後ろへ後ろへといざよりさがりました。その時です。誰か男の人の、『人殺し』とか、兎に角、ものすごく大きな声が辺りに響きました。その声に驚いたのか、私に向けられた光りの線が『覚えておけ』とか叫びながら、向こうの石橋を足速に通り過ぎ、闇の中に消えていかはりました。それから幾度となく此の夜のことが私の夢の中に、今でも出てきます。万五郎親分さんのお陰であることは分っていますが、あの夜、いっそ大藤さま、新之助さまと、ご一緒にあの世とやらへお連れ頂いたほうがよかったのではと考えることもあります。今、私が生きているとは何なんでしょうか。私だけがこうやって、大藤さまや新之助さまのお里で温く温く生きているのは本当に辛うございます。「恥知らずめ」と言われそうで、この頃いつも、とっても恥ずかしい気分で生きております。うかれめだとか、あそびめだとか、見ず転芸者だとか、まっとうな人ではないように蔑まれながら尚も生きなくてはいけないのでしょうか。それでも死にきれないで生きているのは、私の勝手な瘠我慢でしょうか。生きることがこれほど苦しいという事は20歳になった始めて知りました。この里に来て始めて味わいました」