私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 何時からか、お喜智さまが横で見えています。

2007-04-30 00:10:04 | Weblog
 小雪の京友禅の鶴が舞います。平打ちの帯び〆についた金の亀房と帯揚げが、篝光に照らされてやけにピカピカと揺れます。
 観客はそのあでやかな姿にしばらく目を見張ります。
 三弦の音と眠気を誘うようなゆっくりとした小太鼓のお囃子が相和して静かに静かに、吉備お山に響くように流れました。
 その響きに誘われながら、きくえさんの、蜜を流したようななんと甘ったるい声でしょう。「風早の三保のうらわを漕ぐ船の浦人騒ぐ波路かな・・・」 と、細谷を流れる瀬音にでも例えればいいでしょうか、さやけくゆったりと流れ始めます。
 三次雲仙描くところの、遠くに不二を配した三保の松原を背景に。左手の舞扇が、ひらりひらりと光ります。帯揚げの亀房もちぃっちゃくゆらゆらうごいています。
 再び、小雪の胸は張り裂けんばかりの痛みに襲われていました。もう胸が張り裂けてしまうのではないかと思うほどの痛さです。谷底に転げ込んでしまうかのような痛さです。足がふらつきます。自分の目が何処を見ているかさえわからないように、ぼうと朧に霞んでいます。
 手にした扇が、そんな今にも、そこらあたりに倒れこんでしまうのではないかと思われるような小雪の心を離れて、漆黒の闇の中の福山に、大きくかざし出されていました。 その途端に、お喜智さまの顔が、その扇の先に浮び上がってきました。「まさか、お喜智さまが」そんな気が、小雪の心を横切ります。ふと我に帰り、体ごと舞台の右の袖口に向かいます。なんと、袖口奥の幕のすぐ横やら、あれほど「小雪の序の舞い姿」をと思っていたお喜智さまが、大きくお立ちになってじっとこちらを、小雪の今日の舞を見ていらっしゃるではありませんか。
 途端に、痛みが急にさっと消えます。
 「ああ、さえのかみさん」そんな心が横切ります。
 お喜智さまのお姿に安堵したかのように、再び、小雪は調べに乗って、最後の踊りに入っていくことが出来ました。
 きくえさんの声は、ゆったりして大きく、澄みきり、ごくごく当たり前のように辺りに広がって流れるます。
 「迦陵頻伽の慣れ慣れし、声今更に僅かなる雁の帰り行く天路を聞けばなつかしや、千鳥鴎の沖つゆくか帰るか春風の空に吹くまでなつかしや・・・」
 その声だけでも、何処までも底知れず、物悲しくて、聞く者をして、涙さえ湧きいでてくる心地に誘うようです。
 そんなきくえさんの謡いに添って、辺り一面の花畑を、ひらりひらりと飛び交うてふてふのように、又、あるときは、お山から流れ下る春のそよ風のように飄々とひるがえる小雪の舞は、人の持つ底知れない哀れさ物悲しさをも、人に心にひしひしと訴えているようでもあります。
 小雪は、もう誰の目も感じていません。あれほど思っていたお喜智さまも、幕脇のついすぐ側から、しっかりと見て頂いているのだという確かな安心からでしょうか、自分ひとりの心が、再び踊りだしました。自然に自然に天女の持つ無心なわびしげな優雅さだけが舞い立っています。
 「いや疑は人間にあり、天に偽りなきものを・・」
 きくえさんの声が唸ります。
 いつも菊五郎さまが、首を縦にお振りにならなかったという事も忘れて、この場面も、今の小雪のありのままを踊り続けるのでした。
 あと一息です。きくえさんの謡いもますます高鳴ります。
 「色香も妙なり乙女の裳裾、さいふささいふ颯々の花をかざしの天の羽袖靡くも返すも舞の袖・・・」
 きくえさんの声がますます弾みます。その弾みに合せたように、三度目の小雪の胸に、今までにないような激しい痛みが走ります。
 「あと少し・・・・・・・」
 もがくように小雪は、まだ体の小隅に僅かに残っている舞い通す気力を、それでも必死に奮い立たせるようにして踊ります。
 ようやく、きくえさんの謡いも「天つ御空の霞にまぎれてうせにけり」
で終わりました。
 小雪の舞いも、その失せにけりとうたうきくえさんの声と一緒に、舞台の左の袖の端に、それはそれは静かに、消え入るように失せるように倒れこんで終わりました。恰も天女が、大空に、満月の影となりて、御願円満国土成就七宝充満の宝を降らす如くに霞にでも紛れるように消えていきました。