私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 熊次郎大親分

2007-04-17 22:44:04 | Weblog
 万五郎親分に追い立てられるようにして、小雪は初めて岡田家の敷居をくぐりました。その軒いっぱいに紫の懸け幕が張り巡らされ、京の九条家のご紋「九条藤」が、左右に一対、大きく白く浮きたています。これも九条藤の紋が黒々と入った吊提灯が後ろの紫に映えていきり立つように立っています。
 京の九条家といえば、摂家で近衛家に次ぐお家柄であり、誰でも随分と近づきがたいお公家さんであるという事は小雪でも知っています。でも、なんで九条家のご紋が、こんな宮内にあるのだろうと不思議に思えるのでした。
 「どうぞこちらへ」という乾児さんの案内で玄関を上がり、なんだか、えらく自分が、どこかへ押しつぶされるような、そんな緊張した気分になって、じっと下を向いたまま、親分さんの後を、ただ付いて、槫縁(くれえん)の一直線に沿って、恰も、その板から一歩も自分の足を踏み外さないかのように歩いていきます。
「親分、連れてまいりました」
「ああ、へえりな」
 熊五郎大親分らしいお方の、そこら中を圧倒するような低い、これがどすがきいているというのかしらと、小雪は小さくなった体を余計に小さくしながら、親分さんの後ろに従います。
 周りのものは何も目に入りません。ただ、万五郎親分の後に添い、敷居をそっと一,二歩跨たぎます。その場にきちんと正座して、
 「よろしくおたのみもうします」
 と、慣れないお江戸言葉で、やっとこれだけの声がでました。ただ後は、深々と畳に擦り付けるよう頭を下げておりました。
 「そんなに体を堅くしていては話も出来ん。もっと楽にせえ。・・・きくえがお前の名を上げたので、とにかく、菊五郎さんも是非、その小雪さんとやらに会って見たいと言われたので、ご足労をしてもらったのだ」
 この街道筋きっての『岡田屋熊治郎』大親分さんの名前からは、到底、想像もつかないようなやさしさのあるお言葉です。
 「このお人が菊五郎、いや、今お江戸で、名女形と皆からはやされてお出での、沢村菊五郎さんです。来春の鳴竈会で、遠路お出ましいただく全国の親分さん達のお出迎えに、この宮内の女どもを総動員した何か、出し物をという事になったのだ。その出し物全部を菊五郎さんに総てお任せしたのだ。今、そのためのお人を色々と捜しているのじゃ。2,3当っては見たものの、是非この女をと言うのがいないそうなのじゃ。きくえが、どうして知っていたのかは知らんのじゃが、小雪ならどうかと言うもんで、とにかく来て貰ったのだ」
 「ご苦労さんですねえ。あなたが小雪さんですか、体に力をあまし入れないで、ゆっくり、私の注文を聞いてくださいな。そんなに難しい事はありませんからね」
 女形の江戸の花形役者さんです。言葉にも、その立ち振る舞いにも、お役者さんらしい優雅な奥ゆかしいものが、伝わってきます。力を入れないでと言われても、その江戸の女形言葉をお聞きするだけで、自然に体全体が堅くなっていくように小雪には思えました
 「一寸、お立ち願えないでしょうか。ちょと奥へ、・・そう、そこで始めましょう。まず始に、左へ回って、お手を頭にかざして、もう一度左に回ってくださいね。え、ここに舞い扇があります、これを開いて右手に持って、いっぱいに伸ばし、今度は右に回って。右足を横に・・・」
 菊五郎さんはじっと小雪の動きを見つめています、まぶしいような目の輝きです。
 「小雪さんは、京でどなたかに舞いをお習いでしたか」
 「いえ、いえ、・・でも、家でお稽古しているおっかはんのお舞は時々見ておりました・・・」
 胸が大きく動悸を打ち、つまりつまりいう小雪でした。
 「どうも、お疲れさんでした。もう2人か3人のお人の舞を見ます。ありがとうさん」
 菊五郎さんは、優しく小雪に微笑みかけながら、そう言はりました。
 それから、「お茶でも飲んで行け」という熊治郎大親分の言葉も背中で聞きながら「おおきに」と、小さく頭を下げただけで、、駆ける様にしてそのお屋敷を後にしました。