私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 細谷川の風が流れます。

2007-04-25 21:34:40 | Weblog
 お須香さんのお話によると、全国各地から沢山の親分さん方一行も早々とお集まりになり、その人たちの警護のため、大勢の庭瀬藩のお役人様も出向かれ、大変なお人だという事です。その上、珍しい宮内総おどり見物にとの近隣の人たちも出向き、宮内だけでなく、隣村板倉も上を下へと大騒動だという事です。お酒の上からの喧嘩も絶え間なく起り、万五郎さんなど岡田屋さんも一家挙げてその対応に大わらわだということです。
 今晩の取りを努める小雪の出番は、今しばらく余裕があります。
 総おどりの立役になってから、お粂さんの配慮でしょうか大阪屋の離れを使わせていただいています。その離れにお須香さんと二人で出番を待ています。お須香さまがお呼びになったと言うことで庭瀬のお以勢さまも、ちょとお顔をお見せになり,「見せていただきます。・・・・この頃、どうしてだか知らんのですが、小雪ちゃんなくてはと言う姉さんご自慢の小雪さんの踊りだもの。・・がんばってね」とおっしゃって、あたふたと、どこかへいかれました。
 「ぜひ、小雪ちゃんの舞いを見たいというものだから呼んだのよ」
 と、すまし顔のお須香さま。
 「お喜智さまにも是非見ていただきたい。見ていただけるかしら」
 と、お須香さまに聞きたいのは山々ですが、「いいえ」というお返事が怖くて、聞きだす勇気が小雪にはありません。
 ただ黙って時の過ぎるのを待つのでした。お客さんたちが桟敷に入りだされたのでしょうか、小屋のほうから、にわかに人々の大声が響いてきます。
 真っ赤にぎらぎらと燃え滾りながら、入日はあの福山に迫ります。いよいよお山の七化けが始まろうとする寸前の景色が、そこら辺りにお構いなく大きく広がっています。白鷺でしょうかゆっくりと2、3羽塒に飛び帰っています。
 この前お喜智さまのお屋敷で林さまと眺めた福山ではないように思えます。咲き染め出した桜の木の向こうに入るお日様と、総てが新しい緑一色の中に入る、今日のお日様とでは同じお日様でも大きさが違うように思えました。緑のお山は悪いお人を作らないのかしら、「今日のお日さんちっとも太っていはらしまへん」と、小雪は、そんなたわいないことで、心に張り付いた緊張を和らげていました。
 そうこうしているうちに、暮六つの鐘が「ご~ん」と時を告げます。それを合図に「かち、かちかち」という「木」が赤橙色に染まったお山から流れ伝わってきました。漆黒の時まで、今しばらくお山は化粧をし続けていことでしょう。
 三味や太鼓に合せるようにして、甲高くちんちんと鉦が辺りの木々を通って響き渡っています。拍手やなにやら掛け声も入り混じって流れてきます。小屋内の喧騒さが手に取るように感じられるのです。
 そんな外からの音を、部屋の中から、じっと黙って小雪は聞き流していました。細谷川の風が、そんな小雪をそよと吹き抜けていきます。お須香さまはそんな小雪をじっと眺め、見守っているだけです。何か話し掛けると、小雪が、今にも、足からもろくも崩れてしまい、このまま、今すぐ天にまでも登って行ってしまうのではないかとさえ思えるのでした。
 合いも変わらず、拍手が鳴り止みません。窓を見上げると、降る雨を受けるとすぐにでも粉々に壊れ散ってしまうような、細い細い二日ぐらいの茶碗の月が福山に入りかけています。お山は紫から藍へ、最後の黒へと移っていっています。
 「なかいり。なかいり」と、続いて、「おんはな、おんはね」とこれも甲高いお姐さんの声が、あちこちから重なってお山に響いて伝わってきます。
 細谷川の風も、その声々を載せて流れます。
 しばらくそんな声がお山に響きこだまとなって小雪の耳に届き続けました。
 突然に、鉦の音につられて笛・太鼓が「ちんちんどんどんぴぴっぴー」鳴り出します。と、「わっしょい、わっしょい」と陽気な祭囃子の掛け声とともに姐さん方の担ぐ小さな姫みこしのお出ましで、御輿に入った酒肴がそこら中へ運ばれていきます。
 いよいよお待ち兼ねの「中入りが始まります。あちらからもこちらからも、「こっちだ」「それだ」「これだ」「はやくせえ」だの、てんでに好き勝手に囃子し立てています。喧騒も最高潮です。
 それが合図かように、小雪とお須香さんは楽屋へ急ぎます。お喜智さまから頂いた友禅の鶴の着物と舞扇だけは、小雪が最後まで「ご一緒します」と、胸に抱いて持ち入ります。
 通りは、大勢の人で、今夜は余計に賑わっています。富くじ売り場付近には大きな人垣が二重にも三重にも出来、それを通り越すのにちょっぴり苦労をするぐらいでした。