私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

鳩山春子さん

2009-09-29 07:48:32 | Weblog
 「初期女学生の思い出」(雑誌「太陽」)に書かれている現総理の曽祖母、春子の手記です。
   

 その手記によると、春子は、信州松本から東京に出て、当時唯一の文部省直轄の女学校へ入学します。明治7年のことです。全国から40人足らずの選りすぐった特別な女子教育のための学校です。日本の将来を背負って立つファーストレディーの養成のための学校です。そのために、当時の日本でも、特別優秀な女の子が選ばれたのです。その中でも、また一番なのが春子だったのです。でも、おしいことに、この学校は明治10年には廃校になっています。それは一説によると、あの西郷隆盛の西南戦争のために国の財政が破綻したためだと言われています。
 
 まあ、こんな最上な特別な女学校で学んだ春子は、素晴らしい学業の進展を見せ、二年間に一番上の級にまで進級しますが、明治十年の廃校後、仕方なく他の学校に行ってみたのですが、どこの学校も程度が低くて春子には飽き足らなかったのです。しかたなく、文部省が新たに設立したお茶の水師範学校に入りました。そこでも、やはり学習程度が低く、英語の先生も日本人で、物足らなかったのですが、とにかく、それから1年半ぐらいして卒業します。明治12年のことだそうです。卒業生は5人だったと書かれています。
 この学校で受けた春子の卒業式が、文部省直轄学校第1回目の卒業だったのです。春子は、この卒業式で、自分の英語作文を朗読します。
 そして、その年に、師範科本科に入学します。特別英語科を首席で卒業したので入学試験は簡単だったようです。
 その学校の試験科目は、作文、講読(?)数学で、再試験は十八史略と日本外史の講讀でした。
 その年に、文部省が海外へ留学する女学生を選定しますが、その内の三人の中に春子も入っていました。
 留学が決まると、そのための勉強も始まります。外国人による英会話は勿論、洋食の食べ方、洋服の着方等「その他いろいろ準備しました。」と書いています。この「いろいろ」が、他にどんなものがあったか、残念ですが何も書いていません。