私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

漱石の描いた吾輩の猫

2009-09-04 18:26:35 | Weblog
 色々と「吾輩は猫」を調べていますと、面白い事実に遭遇しました。そのいくつかを取り上げてみましたが、最後に漱石が描いた「吾輩は猫」の絵をご紹介します。挿絵ではありません。
 
 この物語の初めのほうに、苦沙弥先生が絵を習い始める場面があります。
 美学をやっている友人から、「まず初めは写生から始めよ」と言われて、「成程こりゃあ尤だ。実に其通りだ」と、この先生いたく感心して、その手始めに「吾輩は猫」の写生を試みます。
 その写生した「吾輩」の姿を見て、吾輩が思う場面があります。

 「・・・・彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩(いろど)っている。吾輩は自白する。吾輩は猫として決して上乗(じょうじょう)の出来ではない。背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫に勝(まさ)るとは決して思っておらん。しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描(えが)き出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が違う。吾輩は波斯産(ペルシャさん)の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆(うるし)のごとき斑入(ふい)りの皮膚を有している。これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色(とびいろ)でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議な事は眼がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫(めくら)だか寝ている猫だか判然しないのである・・・・」

 この苦沙弥先生自身が漱石先生だとしたら、その漱石先生は実際にどんな猫の絵をお描きになっているか興味津津なところです。
 所が、これ又不思議なことなのですが、その漱石先生が描いている猫が現実にあるのです。

 どうぞ、この文章と比べながら、次の絵を見てください。
    
        

 良く見ると、不思議なことに、物語の中の「吾輩」には目は描かれてないように書かれていますが、実際、漱石が描いた絵にはちゃんと「吾輩の目」は書かれていますが、どちらにしたって、猫様が言うような程度の絵だとは思いますが。
 鑑定団に出したら、果たして、いくらぐらいのお値段になりますやら?
 言っておきますが、決して狸には見ないでください。この絵は正真正銘の猫そのものの絵なのですから。