私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

石之日売命の豪快な嫉妬(ねたみ)②

2009-09-10 21:27:42 | Weblog
 今日ひょんな所で、現在、わが吉備津のすぐ傍に位置している、築造の時代を無視して、その大きさだけで比較すると、全国第3、4位の規模を誇る「造山古墳」の観光ボランティアをなさっている人のお話を伺う機会がありました。

 なお、この前方後円墳は5世紀の初めに築造されています。それまで4世紀中に築造された古墳のうち一番大きい古墳は景行天皇陵とされる古墳で、その規模は300mぐらいです。
 その景行陵から4、50年後に造られたのがこの吉備の造山古墳です。大きさは360mにも達しました。当時日本で一番大きかった古墳なのです。
 なお、現在、大きさだけで言えば500mにも達する仁徳天皇御陵が第一位なのですが、この古墳が作られたのは、造山古墳より50年ぐらい後のことになります。

 という事は5世紀の初め頃、この吉備の造山古墳ができた時は日本で一番大きかった古墳なのです。
 4位と言うのは、単に大きさを比べたものに過ぎません。決して4位ではないのです。当時、そうです。5世紀の初めに出来た日本の古墳の中では、この造山古墳が、大和をそれを断然圧するような巨大な日本第一位の古墳だったのです。
 皇后石日売命をだまくらかして、淡路に行くと云って吉備の黒日売を訪ね、この長大なる造山古墳を見て、仁徳天皇が自分のご陵を、この古墳より長大なる500mにしたのだと言われています。

 このようにこの造山古墳は、決して日本第4位ではないのです。日本一位の古墳のです。
 
 こんなことを話されたこの人は岡山県認定の「県観光案内人」一級の検定に最初に合格されたお人です。現在、岡山市高松にお住まいです。
 このお人は、県内のどの観光地の案内においても、第一級のお人なのであります。吉備津神社を始め吉備路の諸寺院は勿論のこと、雪舟・箕作阮甫・緒方洪庵等の歴史的人物は言ううに及ばず、現在に至るまでの県下のあらゆる有名人を知っていらっしゃるお方です。歴史的・地理的・社会的・時間的なもの、総てに渡っての物知り博士たる、県下の一級の案内人なのです。

 この人と話していると、やはり石之日売命の嫉妬を掻きたてる原因を作った児島の仕丁(よほろ)の話が出ました。

 このお話は、まだ、全国は勿論、県下においても、それほど一般化されているとは言い難い事件ですが、知る人ぞ知るで、専門的知識を持った人たちの間には、吉備の国を象徴する出来事の一つであっることは言うまでもないことのようです。