私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

磐姫皇后の嫉妬(うはなりねたみ)②

2009-06-30 17:06:42 | Weblog
 仁徳天皇に仕えた「容姿端正」な女性こそ吉備の国から派遣されていた女官です。名を「黒日売(くろひめ)」という女性でした。吉備から献上された采女です。
 古事記には「吉備海部直の女」としか出ていません。「吉備海部直」と言うのは吉備海部直赤尾だとか、吉備海部直難波だとか、吉備海部直羽島などと言った名前は記紀に見えるのですがこの黒日売はどこの出であるかは分かりません。

 なお、これは非常に珍しいことなのですが、吉備津神社の本殿の中の四隅それぞれに吉備津彦命をお守りするために小さな社殿が置いてあります。
 そこの四っつの中で、一番有名なのが丑寅(東北)の方角に置いてある社殿のあの温羅です。その対角線にある西南に置かれている神が吉備海部直の祖「櫛振」と言う人だそうです。多分、この神は、吉備津彦が吉備の国に遠征した当時、命に協力した吉備の国の瀬戸内海を支配していた豪族(海賊の大将?)ではなかったかと思われます。吉備の国の陸上を支配していた豪族「楽々森ささらもり)彦命」と一緒に、吉備津彦命に協力したのだろうと考えられています。
 なお、この楽々森彦命の娘が吉備津彦のお妃になった百田弓矢比売命(ももたゆみやひめのみこと)だと言い伝えられております。

 ままこのようなことから、黒日売は、吉備の国のどの辺りに親が住んでのかは分かりませんが、兎に角、この地方の海を支配していた豪族の娘であることには間違いありません。
 さて、この黒日売は、磐姫皇后の執念深い嫉妬をどのようにして避けたのでしょうか。それについてはまた明日にでも。
 

 ちょっと、あまり大きな声ではお話しできませんが、この磐姫皇后は相当な不美人であったのではないかと言う噂もあります。だから余計に美人に対する嫉妬が大きかったのではないかと言うのです。

  みなさんはいかにお考えですか?