私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  178  喜智輔政母子のお墓は?

2009-06-10 15:14:54 | Weblog
 もう一度、上の堀家の墓に上がってみました。徳正、そうです。喜智の夫である堀家徳政の墓はあります。本来なら、ここに並んで喜智の墓があるべきです。でも、そこらあたりを、隈なく探しても、それらしい墓ありません。
 輔政の墓も、その母と同様にありません。

 でも、その墓を捜している時、これぞ親心だと、推察することができる珍しい墓を見つけました。
 
 安政元年、ペリーの浦賀への再来などの情報を江戸から高雅に知らせた愛政(高雅の父、広政の弟です)の養父堀家兼平(永政の4男です)は、江戸の幕府の役人をしていますが、仕えていた主人が長崎奉行になったので、一家で長崎に赴任していきます。
 その長崎での務めを終えた兼平が江戸に帰る途中、その娘利津が病気になって宮内(広政の家)で、突然、病のため亡くなっています。その娘の墓を「板倉山に立てた」と記録にありますが、その女の子の墓が見つかります。
 小さい丸っこい自然石に、かわいらしく「里津女」と、書き込まれていました。その字や石を見ると、父親の早すぎる娘の死に対するなんとも言われぬ哀愁みたいなものがが漂っているように思えます。
 
 墓を見ておりますと、単なる石ですが、時々、こんなことを語りかけてくれるのにも出くわすことがあります。