私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  177 藤井高雅の兄の堀家輔政の墓

2009-06-09 20:39:15 | Weblog
 ホトトギスが鋭くその鳴き声を響かせて空の彼方へ渡っていきます。
 梅雨入りを前にした吉備津の昼下がりです。逢う人ごとに「一雨欲しいね」という言葉が、「挨拶言葉」になっている程、今年の天候は異常です。
 そんな空の下を、高尚・高雅の墓地に詣でました。しばらくそこに留まり、幕末を悲喜交々に駆け抜けた宮内の人に思いを馳せた後、急な坂道を一歩一歩足取りを確かめながらゆっくりと下ります。
 ちょうど正面向こうの、頼山陽が鯉山と命名したと言われる、いつもながらの吉備の中山が美しい姿を見せています。しばらく下ると、辺りにある新しい墓石の立ち並んでいる中に、苔むした見るからに歴史のありそうな墓石が立っているのが突然目の前に現れます。
 その墓石を見るともなしに目をやると、「堀家永政」の名前が飛び込んできます。そうです。ここは、あの「堀家の墓地」だったのです
 善政・知政・広政などという名前が書かれた墓石が並んでいるではありませんか。
 「徳正」の墓も見えます。この人の妻があの緒方洪庵の姉、喜智さんのはずです。
 その墓地の一段下がったともろにも、堀家の墓地が続いています。そこには「堀家輔政の子作政」と書かれた墓石がありました。
 そうです。高雅の兄の輔政の子の墓です。
 
 でも、その2箇所の墓地の墓石をいくら捜しても、不思議なことですが。輔政の母である喜智さんの墓も、堀家輔政の墓も見当たりません。