私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  181 高雅の母と兄の墓

2009-06-15 14:56:06 | Weblog
 板倉山に、母喜智の命によって寂しく高雅の遺髪などを葬った堀家輔政とその母のお墓はそれからしばらく捜したのですがどこにも見当たりません。どうも変ですがないのです。
 2、3日経って、古老から
 「あそこになかったなら、宮内の片山墓地にも堀家のお墓があると聞いている。そこにでもあるのでは?」と言う話を聞きます。
 早速自転車を飛ばしました。

 そこらあたりのどの田圃にも、すでに早苗が風に揺らめいています。その中たった一枚だけ植え残っている田に田植え機が入って、快い唸り声を立ててながら早苗が見る見るうちに植えられていきます。
 柳の木陰ではないのですが、若芽がにょきょにょきょと大空に立ち並んでいる竹藪の木陰の中から、田に早苗が植えられていく様子を見ていました。その早いことと言ったら本当に驚きです。情緒もへったくれも何もあったものではありません。田植え機の車輪がぐるぐるぐろ目覚ましく回っていくと、たちまちの内にきれいに早苗が水の中に並びます。田一枚植えるのに10分もかからないぐらいの速さです。本当に便利な世の中になったものですね。

  「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」
 と、言う芭蕉の句があります。
 
 その意味を尋ねられたテストが高校生の時にあったのですが、そんなことまで勉強していなかったものですから、答えることができませんでした。後で、清水という怖い古文の先生にこっぴどく叱られたことが頭を横切ります。
   
 もう、芭蕉が見たであろうそんなのんびりとした田園の早乙女による田植え風景は、今では、お目にかかることは、決して、ありません。


    田一枚 機械の植えし 早苗かな

 七条植えか何条植えかは分からないのですが、運転席でぴょんぴょんと跳ねるようにいとも簡単そうに機械操作をする老いた農夫の後ろ姿を、芭蕉のそれと比べながら見ているのも、「また、楽しからずや」と、10分そこいらの時間を、情緒も故もなにもない竹の影の下から眺めていました。
 
 そんなこんなで、喜智さん親子の墓捜しは、後回しになりました。