私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  176 藤井高雅の墓を後にして

2009-06-06 20:55:54 | Weblog
 幕末のあわただしいい日本の夜明けの中を、何故にそんなに慌てて駆け抜けてて行ったのですかと、問いただしたいような生涯を送った藤井高雅のお墓を後に沢山の新旧の墓が並んでいる墓地をゆっくりと廻ってみました。
 一面の初夏の緑の中から、怒髪天を突くとでもいい表わせそうな戦死した兵士のとんがった墓があちらこちらに乱立しているのが目につきます。
 太平洋戦争という国家の世界を見る目の誤った歴史の荒波が、この何もない平凡な吉備津の里にも容赦なく押しかけてきた過去を浮かび上がらせています。
 このお山の向こうにある吉備の中山も緑一色に輝いています。のんびりとした六月のお昼時です。
 
 此のとんがった墓石は、太平洋戦争で若くして散ってしまった戦没者の墓石です。
 これらの墓石には、それぞれに散っていた場所や時は、必ず、刻まれていますが、同一の者はひとつもつもありません。すべて、違った場所と時が記してありました。
 「天皇陛下万歳」と叫んで死んで行ったのか、それとも「お母さん」と言った死に至ったのかかは分かりませんが、それぞれが違った場所で、違った状況で己の尊い命を散らせて行ったことには違いありません。どのような思いで一人一人死んでいったか、これらのとんがったお墓も何も物語ってはくれません。
 夏風の中に、ただ、ぽつねんと同じ形で立っているだけです。
 これらの墓々の墓誌銘を見ると、総て24、5歳の年で、見も知らない異国の地で散っています。理由も何もない、ただ「お国のために。天皇陛下のために」と、いうだけで、二つとない、折角に授かった貴い、それも若い命を無残にも散らせています。
 
 これらの墓碑は、今何を持って、今の時代を、この高台から眺めているだろうかと、しばらく足をとどめて、そのとんがった戦死者の墓碑に静かに頭を下げました。
 
 突然に、向こうの吉備の中山あたりから、六月の風がホトトギスの声を一声を伝えてきました。
 
 吉備津神社が、六月の太陽の元、輝いています。いきずいています。