藤井高雅(たかつね)の墓は、現在、京都三条の心光寺に、山田源兵衛が高雅の亡骸を葬ったものと、
「うぶがみと、ほそのをと、ぬけたるはの在りけるを、かりのはふりせんとて板倉山にのぼりけるとき、つつましければ面をかくしてそゆく・・・」
と書き残した兄輔政が板倉山に埋めたものがあります。
京都の墓には参ったことはありませんが、昨日も板倉山にあるお墓には参ってきました。夏草は一本も生えてはいませんが、落ち葉に埋もれてひっそりとたたずんでいました。
この墓地の一方には高尚先生とその祖先の人の墓が並んでいます。
あまり見上げるような大きな墓石ではありませんが、こじんまりとした墓が立っていました。
その反対が側に高雅の墓が立っていました。向こうから2つ目の墓です。その両脇に妻の松野と後妻の若枝の墓がありました。尚、息子である紀一郎さんの墓はありません。一番右端の墓には「大藤春雄比古」とあり、よくは分からないのですが、高雅の3男当たる「三宅甲造」の墓ではないかと思います。
なお
「うぶがみと、ほそのをと、ぬけたるはの在りけるを、かりのはふりせんとて板倉山にのぼりけるとき、つつましければ面をかくしてそゆく・・・」
と書き残した兄輔政が板倉山に埋めたものがあります。
京都の墓には参ったことはありませんが、昨日も板倉山にあるお墓には参ってきました。夏草は一本も生えてはいませんが、落ち葉に埋もれてひっそりとたたずんでいました。
この墓地の一方には高尚先生とその祖先の人の墓が並んでいます。
あまり見上げるような大きな墓石ではありませんが、こじんまりとした墓が立っていました。
その反対が側に高雅の墓が立っていました。向こうから2つ目の墓です。その両脇に妻の松野と後妻の若枝の墓がありました。尚、息子である紀一郎さんの墓はありません。一番右端の墓には「大藤春雄比古」とあり、よくは分からないのですが、高雅の3男当たる「三宅甲造」の墓ではないかと思います。
なお