私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  182 高雅の母と兄の墓探し

2009-06-18 10:59:47 | Weblog
 田一枚植えて、さっさと立ち去る田植え機を見送って、人ひとりいない静かなる片山墓地に上がります。
 そこから見える吉備津の平野が西の足守川まで、ずっと一面に広がっています。空梅雨の影響でしょうか、今年の田植えは随分とのんびりしているように思えます。それでも何枚か残っている田んぼんには、夏の日差しを一杯に受け白く輝きながら、小さな人工の滝つ瀬を響かせて水がしきりに入っているのが見えます。此の調子なら、もう2、3日もあれば、今年の田植え機もお蔵入りのだと思われます。
 そんなのんびりとした真夏の風景の下でも、否応なしに汗は流れますが、捜す目当ての墓石はありません。右へ行ったり左へ行ったり、文字通り右往左往しながら探します。
 「・・・かつみかつみと尋ありきて日は山の端にかかりぬ・・・」と言う文が、ふと胸中に出てきます。
 でも歩いていると、沢山あるその墓石の中に、時々「堀家」と言う字が彫り込んである墓石につきあたります。あの中にかも?と尋ねてみますが、尋ね墓「喜智」の墓も「輔政」の墓も、どこにも見当たりません。
 それらの中に「きっとあそこだ」と思われるそれらしい墓地を見つけます。そこに勇んで行ってみると、どうでしょう、夏草どもが自分たちの夏を謳歌して一杯に背伸びするように伸びて、それらの墓石を覆い尽しているではありませんか。字どころが墓石さへ何も見せてくれだにしません。
  手前のお墓の向こうの夏草に覆われた中に隠れているのではと思いますが?
 
 夏草に文句を言ってもいた仕方ありません。その瞬間に「まむし」と言う字も頭を横切ります。今日の所は静かに退却するのみです。そうなると、今まではそんなに憎たらしくは思えなかった中天で輝き続けている夏の日が、余計に、そのぎらぎらしさを増して、否応なしに我身を照りつけるようで、こにくったらしい、こずら(小面)にくいように思われるから不思議です。
 
 なお
 「コズラニキイ」と言う岡山弁(こにっくたらしいと言う意味)を、誰か名古屋弁でどう言うのか知っている人がいたら教えてほしいのです。